仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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21章 戦士と科学者~私が愛した世界~(3)

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 半狂乱の男が、見境なく乱射する銃の弾がようやく切れた後、父が彼にとびかかって、二人の激しい殴り合いが始まった。多くの警官が二人を引き離して取り押さえると、暴漢が意味のわからない奇声を上げて、父が「私は医者だぞ! 医者だ! 離さんか!」と叱咤した。

 事情の分からぬ第三者にとって、こちらの言葉も理解しない半狂乱の男に比べると、激昂してもりせいる物言いをする父は、まともに見えたのだろう。一瞬、誰の注意からも父の姿が外れてしまう。

 それが、続く悲劇の引き金だった。

 父が、使い慣れたメスで母の喉笛を切り裂いたのは、その直後の事だ。あまりにも慣れた手捌きは、ほんとに一瞬の出来事で、私は何が起こったのか状況を飲み込む事が出来ず、他の人間達と同じように、呆けた顔で見ていた。

 噴き出す真っ赤な血飛沫が、母の後ろにいた私の顔面と服に降り注いだ。母は壊れた人形のように崩れ落ち、人々の悲鳴と怒号が飛び交った。取り押さえろ、と誰かがそう叫ぶ声が聞こえた。

 すぐそばにいた私を、父が見降ろして――嗤った。

 ああ、私も母と同じ運命を辿るのだろうなと思ったが、父はそうしなかった。

「俺はな、俺の血が流れていないお前なんて好きじゃなかった。お前など、連れて逝く価値もないわ」

 父は私に呪いの言葉を吐いた後、メスで己の首を切り裂いた。そうか、私には殴られる価値すらもなかったのかと、私が悟った瞬間でもあった。

 父の手で母が殺され、父が自害した。

 ひどいその事件は、二つの死体が出来上がっただけでは終わらなかった。警官の隙をついて母の男が逃げ出し、複数の警官が慌てて男を追い駆けたが、彼はトラックの前に飛び出して自殺したのだ。

 事件は次第に忘れられていったが、私の身には常に噂がまとわりついた。

 私の家についての評価や、当時の血生臭い事件が、人の口を渡るたびに歪められ、根も葉もないようやく噂も執拗に繰り返された。詳細を知らない人間も、私を謙遜するようになっていった。

 親のいない子共というだけで、私を白い目で見る人間も少なくはなかったが、エリスは、いつも真っ直ぐ私の目を見た。成績では私に次いで二番で、賢く知的な娘だった。彼女はあの頃から既に美しく聡明で、誰よりも優しい目をしていた。

 私は人と関わる事が苦手で、あの頃は、特に口下手だった。教室にも馴染めず、関わりを持った女の子を泣かせてしまった一件が、私をより一層人間嫌いにさせていた。集団で過ごさなければならない時間は、私にとって苦痛だった。

 いつも人に囲まれていたエリスと、初めて関わる事になったのは、私の眼の前で泣いてしまった女の子が、彼女の友人だった事がきっかけだった。

「あなたは、とても不器用な人ね。不器用で優しくて、頭のいい人だわ」
 
 一人教室に残った私に、エリスがそう言った。

「あの子の素直なところが利用されると思って、あんな事を言ったのね。でも大丈夫よ。あの子、見る目だけは確かなの。私の友人は、ひどい男に簡単について行ってしまうほど、弱い女の子じゃないのよ」

 あの時代は、自分よりも賢い女を嫌う男も多く、彼女の才能を嫌う男もいた。けれど、彼女はまるで相手にもしていなかった。彼女は、強さを秘めた女性でもあったのだ。

「努力と実力の世界でしょ」

 彼女は朗らかに笑って見せた。彼女の、そういった強い所に私は憧れた。

 人を遠ざけるばかりが強さではないのだと、彼女と過ごす事で見えて来たが、誰かに優しくしてあげる事は、とても勇気がいる。私は、彼女のように素直に微笑むなんて、とてもじゃないが真似する事は出来ないだろうとも分かっていたのだ。

 エリスは顔を会わせれば私に話しかけ、都合があれば二人で勉強もするようになった。同じハイスクールに進んでからは、もはや友人同士と口にするのも慣れ親しんだ。

 希望する分野は同じだったが、専門内容は少し違っていた。私達は共に、研究職に就くくことを目指して難関大学を志望し、数年後に希望通り入学の切符を手に入れた。私は当然の結果だと思ったが、彼女は、支えてくれた皆のおかげだと微笑みながら泣いていた。多くの同級生が、同じように涙して彼女を見送った。

 大学では、素晴らしい環境で勉学を進める事が出来た。彼女を軽蔑するような学生もほとんどおらず、彼女の努力と才能を尊敬し、一緒に切磋琢磨する姿は、私の眼にも美しく感じた。

 一部の授業が彼女とは重なっており、私達は相変わらず、良き友人として共に時を過ごした。エリスは、すっかり美しい女性へと成長を遂げていた。彼女に恋心を抱く男は何人もいたが、どうやら報われなかったようだ。

 私は、その話を同じ寮生から聞かされたのだが、私の反応が予想以上につまらなかったのか、語った彼は不満そうだった。

「お前、彼女と仲が良いだろう。やきもきしねぇの? 本当は彼女の事が好きなんだろ?」
「残念ながら、異性間の『愛』であると言いたいのであれば、それは不正解だ」

 友人として、私は彼女以上の共はいないだろうと思っていた。この気持ちが友愛異常なのかは知らないが、彼女には、誰よりも幸せになって欲しかった。私では役者不足であり、私は誰よりも、彼女の力になれる友人でありたかった。

 私が彼に会ったのは、大学院へ進んだ頃だ。若くて有名で、元は解剖を専門としていた学者、ショーン・ウエスター。――エリスが彼の研究生となってから、私もその男の事をよく知るようになった。

 ショーン・ウエスターは、虫も殺せない牧師か小児科の先生、はたまた文学者のような、敵意も殺意も競争心も持たない瞳をした男だった。東洋寄りの顔立ちでかなり若作りであり、外見からは正確な歳を把握するのは難しい。

 一部の研究生が噂していたのは、彼が、本当は軍の人間だとかいう七不思議のような嘲笑話だった。その名前も本名か知れたものじゃない、と彼を尊敬しない先輩もそう噂していた。大学院内で、親も親戚もないショーン・ウエスターについて、プライベートな話を知る者はいなかった。

 ショーン・ウエスターが受け持つ授業は少しだけで、どこにいっても眠りこけている姿が目についた。性格が元々のんびりしているのか、たまに見掛けるのも食堂か庭先か、小動物が管理されている施設で兎をつついている等、呑気なものだった。

 エリスが初めて、彼を私に紹介してくれた時、これまでの恩師や同級生、友人を紹介する時と違った雰囲気に私は気付いた。一段と美しくなった彼女の笑顔が眩しくて、私は、ああ、そうか。彼女はショーン・ウエスターの事が、一人の男として気になっているのかと分かってしまった。

 ちょっとした嫉妬心もあったのだろう。

 これまで他者に感心もなかった私は、ショーン・ウエスターの事を気にするようになった。以前の私が毛嫌いしていたような噂話も耳に入って来たし、姿を見掛けると、つい目で追うようにもなった。ショーン・ウエスターの後ろを追いかけるエリスの姿も、当然のように私の目に入った。

 ショーン・ウエスターは、長い足で構内を闊歩する。彼は後ろを追って来る彼女に暫く気付かず、彼女に袖を掴まれてようやく、気付いて振り返る。いつも、そんな光景が目に止まった。

 私なら、すぐに彼女に気付いてやれるだろう。そんな風に彼女を待たせたりしないし、彼女が望むのなら、彼女の知らない場所へは断りもなく居なくなったりせず、心配を掛けたりもしないだろう。
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