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21章 戦士と科学者~私が愛した世界~(4)
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私は彼を見掛けるたびに、ショーン・ウエスターと自分を比べた。彼は奔放で、自分勝手だ。どうしてあのような男が院内でも優遇されているのか、確かに私自身も理解に苦しんだ。軍のコネクションがある、という噂の可能性もちらりと考えてしまった。
研修が最終段階を迎えた頃、私は多忙な日々が続いた。彼女が彼に向ける眼差しが、憧れから愛に変わるまで、私はショーン・ウエスターと特に話を交わす事もなく過ごした。
そんなある日、休憩室で寝過ごしてしまった時、私は彼と改めて顔を合わせたのである。彼は寝起きの私に、若い男の顔で微笑みかけた。
「君が居眠りだなんて、珍しいね」
私を受け持っている教授や、友人であるエリスから話は聞いているのだと、彼は気さくなに話した。何故だか、チョコバーと栄養ドリンクを私にくれた。疲労をためるのは良くない、のだそうだ。
実際に話してみると、欠点を見付けられないほど人の良い男のようだった。彼は、人見知りで口下手で、つい皮肉口を叩いてしまう私にも愛想良く相槌を返した。
私は、自分が余計に惨めに思えた。
「……ここで、失礼させて頂きます。あなたのように暇な身ではないので」
「そうか。また話してくれるかな」
憎まれ口を叩いたつもりだったが、ショーン・ウエスターは快く微笑んだ。
「君は不器用だけど、生真面目で、とても優しい人だ。友達になれたら嬉しいよ」
私はそれから、彼とたびたび言葉を交わすようになる。結局のところ私は、彼を嫌いになる事なんて出来なかった。あの男が、誰にも語れない過去を持っている事に気付いたが、語らないその優しささえも魅力的に思えた。
ショーン・ウエスターは、良い奴だ。私が心から尊敬出来るほど頭が良く、努力家で、才能もある。気付いた時には、私は彼の少ない友人の一人になっていた。
エリスがいて、彼がいて、私がいる。そんな季節が、何度も過ぎ去った。
彼の話し聞かせる声が、すっかり耳に馴染んでしまった。彼のそんな言葉に対して、エリスが笑う声に耳を済ませる瞬間も幸福に思えた。三人で珈琲を飲んで穏やかに過ごす時が、私には最も心地良かったのだ。
私が傍観者を決め込んでいると、彼はいつも「笑っていないで助けてくれよ」と困ったように微笑む。誰かに優しく微笑みかけるのは、こんなにも簡単なことだったのだと、私はその時に思い知った。何故なら私の憎まれ口にも笑みが浮かんで、ちっとも憎まれ口の効力を発揮してくれないのだから。
私は、彼女が好きだった。出会った頃から、きっと愛していた。
愛する者が多くなる事の喜びを、私は二人から教えてもらった。二人にアリスという娘が誕生して、父親であるショーン・ウエスターの次に、その子を抱き上げた時の感動を、私は決して忘れはしないだろう。
私は、ショーン・ウエスターを愛した彼女の事が、世界で一番誇らしく、今でも心の底から愛している。
だから取り戻してやりたかったのだ。ショーン・ウエスターとアリスに、もう一度、エリスと会わせてやりたかった。軍の全てを敵に回しても、奇跡のように私の元へ舞い降りてきてくれた夢世界の彼女の手を、私は断る事なんて出来なかった。
本当は知っていたのだ。非科学的で、根拠のない可能性だと。
死んだ者を生き返らせる事は出来ないと知っていたが、私は、目の前に死んだはずのエリスが現れた時、悪魔にも心を売る想いで彼女の手を取ってしまっていた。
「私は、冷たい機械仕掛けの箱の世界に閉じ込められているの。だから、貴方、協力してちょうだい。私を、ここから『外』に連れ出して」
非科学的な世界がそこに用意されていたからこそ、私は、つい奇跡を望んでしまった。
けれど、もう、いいのだ。
私は、疲れてしまった。
所詮、本物の天才には敵わなかったのだろう。死んだ軍人の肉体の細胞を蘇らせて、それを戦友の身体へあっという間に移植させた、ショーン・ウエスターのような技術は持ち合わせていない。死の淵に立たされた人間の身体に、現場で迷うことなくメスを入れるような覚悟も、私には無い。
私はただ、友人の役に立ちたかった。
私のせいで、彼女は死んでしまったのだ。もう、取り返しがつかない。私のせいではないと励ましてくれても、彼の優しさに甘える事を、私自身がずっと許さないでいた。
私は、これまで友人と喧嘩をした事がない。どうやって許されればいいのか、全く見当もつかないのだ。
「不器用な人ね。でも私、そういうところが好きよ。口下手でもいいじゃない。本音で話し合って、それから考えればいいのよ」
ふと、彼女の声が聞こえたような気がして我に返った私は、――ようやく自分が、暗闇にいる事に気付いた。
ああ、私は夢を見ているのだな。
自分の人生の最期に、私は君の事を思い出していたのだろう。
「違うわ。あなたは、もう夢に囚われなくてもいいの。諦めちゃ駄目よ。あの人にも、アリスにだって、まだまだ貴方が必要ですもの」
そうか、アリスがいたな。
そういえば私は、あの子の自由研究を手伝ってやると、約束していたのだったか。
「そうよ。あの人とも話していたでしょう? 遅れてしまったけど、夏のバーベキューを手伝ってくれるって、あなた、そうも言ったわ」
その話をしたのは、つい最近の事だ。君は、天国から全て見ていたとでもいうのか?
そうだ。ショーン・ウエスターは、いつも突拍子ない事を言う、まさに掴み処がない男なのだ。今更になって色々とやりたがるのは、若い時に経験する機会がなかったせいなのだろうか。ボーリングさえ知らなかった時は驚いた。
聞いてくれ、エリス。ショーン・ウエスターは、ずっと君と暮らしていたはずなのに、彼の料理の腕ときたら今でも最悪なのだ。
彼が、バーベキューをやりたいといったものだから、じゃあ私が教えてやる、と約束したのだ。アリスに不味い物は食わせられないからな。
なんだ、手が暖かい……?
エリス、君なのか?
私はそこで、目を開けた。
※※※
エルは止まらない崩壊を前に、焦燥していた。この地下空間も、後僅かも持たないだろう。
マルクの身体は、ようやく上半身まで引き上げたところだった。エルが思い切り引っ張り上げようともがくほど、マルクに絡みついた電気ケーブルは、強い力で彼の身体を下へと引きずり降ろそうと蠢き、悪戦苦闘が続いていた。
予定以上に、時間ばかりが消費されてしまっている。休憩なく全力で引き上げ続けているエルの体力も、底を付き始めていた。
「くっそー!」
エルは、悔しさを噛みしめながら、引き上げる腕と踏ん張る足に力を込めた。
既に地下空間で残されている物質は、マルクを飲み込んだ、半径二メートルにも満たない電気ケーブルの固まりだけとなっていた。周囲に蠢く闇に触れられた先から、電気ケーブルは力を失い、深い闇底へと剥がれ落ちる。
螺旋階段だけは被害を受けていないようだが、徐々に、エルのいる場所から離されつつあった。彼女とマルクが残された場所が、しだいに深い闇の底へと引きずり込まれているせいだ。
大きくならなかった自分の身体が憎い。エルは、思わず奥歯を噛みしめた。
「……君、一体何をしている」
不意に、一つの声が上がって、エルはハッと顔を上げた。
目を向けた先で、マルクが咳込んでいた。彼は濁声でそう告げながら、眉間に神経質そうな皺を寄せている。
研修が最終段階を迎えた頃、私は多忙な日々が続いた。彼女が彼に向ける眼差しが、憧れから愛に変わるまで、私はショーン・ウエスターと特に話を交わす事もなく過ごした。
そんなある日、休憩室で寝過ごしてしまった時、私は彼と改めて顔を合わせたのである。彼は寝起きの私に、若い男の顔で微笑みかけた。
「君が居眠りだなんて、珍しいね」
私を受け持っている教授や、友人であるエリスから話は聞いているのだと、彼は気さくなに話した。何故だか、チョコバーと栄養ドリンクを私にくれた。疲労をためるのは良くない、のだそうだ。
実際に話してみると、欠点を見付けられないほど人の良い男のようだった。彼は、人見知りで口下手で、つい皮肉口を叩いてしまう私にも愛想良く相槌を返した。
私は、自分が余計に惨めに思えた。
「……ここで、失礼させて頂きます。あなたのように暇な身ではないので」
「そうか。また話してくれるかな」
憎まれ口を叩いたつもりだったが、ショーン・ウエスターは快く微笑んだ。
「君は不器用だけど、生真面目で、とても優しい人だ。友達になれたら嬉しいよ」
私はそれから、彼とたびたび言葉を交わすようになる。結局のところ私は、彼を嫌いになる事なんて出来なかった。あの男が、誰にも語れない過去を持っている事に気付いたが、語らないその優しささえも魅力的に思えた。
ショーン・ウエスターは、良い奴だ。私が心から尊敬出来るほど頭が良く、努力家で、才能もある。気付いた時には、私は彼の少ない友人の一人になっていた。
エリスがいて、彼がいて、私がいる。そんな季節が、何度も過ぎ去った。
彼の話し聞かせる声が、すっかり耳に馴染んでしまった。彼のそんな言葉に対して、エリスが笑う声に耳を済ませる瞬間も幸福に思えた。三人で珈琲を飲んで穏やかに過ごす時が、私には最も心地良かったのだ。
私が傍観者を決め込んでいると、彼はいつも「笑っていないで助けてくれよ」と困ったように微笑む。誰かに優しく微笑みかけるのは、こんなにも簡単なことだったのだと、私はその時に思い知った。何故なら私の憎まれ口にも笑みが浮かんで、ちっとも憎まれ口の効力を発揮してくれないのだから。
私は、彼女が好きだった。出会った頃から、きっと愛していた。
愛する者が多くなる事の喜びを、私は二人から教えてもらった。二人にアリスという娘が誕生して、父親であるショーン・ウエスターの次に、その子を抱き上げた時の感動を、私は決して忘れはしないだろう。
私は、ショーン・ウエスターを愛した彼女の事が、世界で一番誇らしく、今でも心の底から愛している。
だから取り戻してやりたかったのだ。ショーン・ウエスターとアリスに、もう一度、エリスと会わせてやりたかった。軍の全てを敵に回しても、奇跡のように私の元へ舞い降りてきてくれた夢世界の彼女の手を、私は断る事なんて出来なかった。
本当は知っていたのだ。非科学的で、根拠のない可能性だと。
死んだ者を生き返らせる事は出来ないと知っていたが、私は、目の前に死んだはずのエリスが現れた時、悪魔にも心を売る想いで彼女の手を取ってしまっていた。
「私は、冷たい機械仕掛けの箱の世界に閉じ込められているの。だから、貴方、協力してちょうだい。私を、ここから『外』に連れ出して」
非科学的な世界がそこに用意されていたからこそ、私は、つい奇跡を望んでしまった。
けれど、もう、いいのだ。
私は、疲れてしまった。
所詮、本物の天才には敵わなかったのだろう。死んだ軍人の肉体の細胞を蘇らせて、それを戦友の身体へあっという間に移植させた、ショーン・ウエスターのような技術は持ち合わせていない。死の淵に立たされた人間の身体に、現場で迷うことなくメスを入れるような覚悟も、私には無い。
私はただ、友人の役に立ちたかった。
私のせいで、彼女は死んでしまったのだ。もう、取り返しがつかない。私のせいではないと励ましてくれても、彼の優しさに甘える事を、私自身がずっと許さないでいた。
私は、これまで友人と喧嘩をした事がない。どうやって許されればいいのか、全く見当もつかないのだ。
「不器用な人ね。でも私、そういうところが好きよ。口下手でもいいじゃない。本音で話し合って、それから考えればいいのよ」
ふと、彼女の声が聞こえたような気がして我に返った私は、――ようやく自分が、暗闇にいる事に気付いた。
ああ、私は夢を見ているのだな。
自分の人生の最期に、私は君の事を思い出していたのだろう。
「違うわ。あなたは、もう夢に囚われなくてもいいの。諦めちゃ駄目よ。あの人にも、アリスにだって、まだまだ貴方が必要ですもの」
そうか、アリスがいたな。
そういえば私は、あの子の自由研究を手伝ってやると、約束していたのだったか。
「そうよ。あの人とも話していたでしょう? 遅れてしまったけど、夏のバーベキューを手伝ってくれるって、あなた、そうも言ったわ」
その話をしたのは、つい最近の事だ。君は、天国から全て見ていたとでもいうのか?
そうだ。ショーン・ウエスターは、いつも突拍子ない事を言う、まさに掴み処がない男なのだ。今更になって色々とやりたがるのは、若い時に経験する機会がなかったせいなのだろうか。ボーリングさえ知らなかった時は驚いた。
聞いてくれ、エリス。ショーン・ウエスターは、ずっと君と暮らしていたはずなのに、彼の料理の腕ときたら今でも最悪なのだ。
彼が、バーベキューをやりたいといったものだから、じゃあ私が教えてやる、と約束したのだ。アリスに不味い物は食わせられないからな。
なんだ、手が暖かい……?
エリス、君なのか?
私はそこで、目を開けた。
※※※
エルは止まらない崩壊を前に、焦燥していた。この地下空間も、後僅かも持たないだろう。
マルクの身体は、ようやく上半身まで引き上げたところだった。エルが思い切り引っ張り上げようともがくほど、マルクに絡みついた電気ケーブルは、強い力で彼の身体を下へと引きずり降ろそうと蠢き、悪戦苦闘が続いていた。
予定以上に、時間ばかりが消費されてしまっている。休憩なく全力で引き上げ続けているエルの体力も、底を付き始めていた。
「くっそー!」
エルは、悔しさを噛みしめながら、引き上げる腕と踏ん張る足に力を込めた。
既に地下空間で残されている物質は、マルクを飲み込んだ、半径二メートルにも満たない電気ケーブルの固まりだけとなっていた。周囲に蠢く闇に触れられた先から、電気ケーブルは力を失い、深い闇底へと剥がれ落ちる。
螺旋階段だけは被害を受けていないようだが、徐々に、エルのいる場所から離されつつあった。彼女とマルクが残された場所が、しだいに深い闇の底へと引きずり込まれているせいだ。
大きくならなかった自分の身体が憎い。エルは、思わず奥歯を噛みしめた。
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