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カフェを出た二人は
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通りの人混みに入ってすぐ、カフェの方から、二人の刑事の何やら騒がしいやりとりが鈍く聞こえてきた。
雪弥は、そちらにチラリと目を向けやった。
ほんの少しだけ考えると、前を進む宮橋の背へと視線を戻す。日差しに透けて明るいブラウンに見えるウェーブがかった髪先が、歩くリズムに合わせてふわっと動いている。
その足は、カフェを出てからも迷う様子なく歩いていた。既に目的を決めているようだと改めて見て取った雪弥は、その背に短く言葉を投げてみた。
「関係ないと言っていたのに、その女の子を捜すんですね」
「ああ言わないと、三鬼は僕を追ってくるからな」
宮橋は、カフェから離れるように歩きながら、取り繕わずさらっと答えてきた。
骨と無関係ではないらしい。それでいて先程、同期で同僚だという三鬼に対して、関わるなという風に言っていた。雪弥は思い出して、なるほど、と口の中で思案気に小さく呟く。
「なんだか、宮橋さんという人が少し分かってきた気がします。あなたは、そうですね、多分――優しい人なんですね」
「おい君(きみ)、そういう事を堂々と本人に感想するのも、どうかと思うぞ。僕のどこか優しい人間だと?」
感じたままに感想した途端、肩越しにジロリと睨まれてしまった。やっぱりその目は、西洋人みたいに形が良くて、瞳の明るい色も異国の血が流れているような印象があった。
睨まれているのにこれといって反応のない雪弥を見て、宮橋は秀麗な眉を顰めた。少し歩く速度を落とすと、指を向けて「いいかい」と言い聞かせるように続ける。
「僕は優しくなんてないさ。署の人間にそう尋ねたら、ほとんど仰天される意見だぞ」
「? あなたを知らない大多数の人間ではなくて、あなたを知っている人間に訊いてみないと分からない事じゃ――」
そこで雪弥の言葉は途切れた。
目の前を進んでいた宮橋に、振り返ると同時に素早く頭を鷲掴みにされてしまっていた。ギリギリと締めてくる手と、凍えるような美貌の睨み付けを数秒ほど見つめ、もしやと雪弥は遅れて思う。
「…………あの、もしかして怒ってます?」
「鈍い君にも伝わってくれたようで助かるよ。ぽけっとしているのに少数派の正論をあっさり言うものだから、君の口から出たのも予想外で正直イラッとした」
「それ、単に図星の照れ隠しなのでは……?」
「その思考は口の中に隠しておくべきだぞ、雪弥君」
「はぁ、すみません」
「ったく、いかにも無痛、みたいな石頭がこういう時はとくに腹が立つな」
頭をギリギリし続けていた宮橋が、「まぁいいさ」と言って手を離した。雪弥はよく分からないまま、日差しに透けるとより灰色とも蒼色ともつかない髪をさらりと揺らして、再び歩き出した彼の隣に並んだ。
歩道の信号が青になった道を進んだ。渡った先にも人の流れがあり、じょじょに先程のカフェの建物が遠ざかっていく。
「実を言うと、先に僕が説明した『子の骨』だが」
宮橋が人混みを眺めながら、ざっくりと説明するようにそう言った。
「影響を受けやすい人間の場合だと、宿っている記憶(おもい)やら念やらを受信する事がある。無意識に精神が同調して、本人の魂が眠ったまま身体が行動に出たりする」
「……えぇと……、つまりいなくなった中学生の女の子は、無意識に出歩いている状態であると……?」
説明を聞かされているのに、やっぱりよく分からない。雪弥は道ですれ違う人をそれとなく避けつつ、自分より少し高い隣の彼の横顔を見やる。
「それって、本人は眠っている状態なのに歩いている、という解釈でいいんですか?」
「それで構わない。家を抜け出したナナミという少女には、出歩いている間の記憶も全く残らないわけだからね。――骨が『子』のものである事を考えると、まぁ、『母』を捜し歩いているといったところか」
後半、彼は独り言のように思案げに口にする。
捜し歩く、と雪弥は己で理解しようと反芻してみた。けれど浮かんだのは、意識が朦朧とした状態で、ふらふらと彷徨い歩く中学三年生の少女の姿だった。
「そうだ――だから『子の骨』程度の影響であれば、遠くへは行けない」
まるで想像を察したかのようなタイミングで、宮橋がそう言った。
「とはいえ、誰にも気付かれないまま家を出た彼女は、引き続き『向こう側』と『こちら側』をふらふらと歩いているだろう。とすると、しばらく馬鹿三鬼らに見付ける事は難しい」
「はぁ、それで宮橋さんが捜そうとしているわけなんですか……」
それについてはどうにか察せて、雪弥は気の抜けた声で相槌を打った。少し考えて、つい言葉を続けてしまう。
「出歩いているのに『見付けられない』なんて、不思議だなぁ」
「何も不思議じゃないさ。この世界から一時的に消える、そうやって存在さえ見えなくなった相手を、どう捜すというんだい」
宮橋が視線を返してきて、フッと口角を引き上げた。
雪弥は、その作り物みたいなガラス玉っぽい目を見つめ返した。一つ瞬きをする間に、必要のないだろうと思われる面倒な思考工程は、彼の中でどこかへ行ってしまった。
元々、兵として指示に従い現場で動く方が性に合っている。そもそもこの場においては、ソレが真実だとか、現実だとか、自分の中で判断するのは重要ではない。
だから雪弥は、肩を竦めて冗談風交じりにこう答えた。
「世界から消えられたら、僕でも追えそうにありませんね。――それで、遠くへは行けそうにないその女の子ですが、宮橋さんなら捜せるんですか?」
「生憎、『どの向こう側の道』を歩いているのかも分からない状態では、無理だね」
ちょっと気分が良そうにして、宮橋が前へと目を戻してそう言った。
「そのわりには、自信がありそうですね」
「どこの範囲にいるのか、分かる者に心当たりがある。遠くへは行けない、というのが幸いしたな」
「捜索は思った以上に簡単そうだと、あなたは考えているわけですね」
「ただの『子の骨』の影響を受けたにすぎないからね」
その時、宮橋が歩道脇のビルの間へと進んだ。車も通れそうにないじめじめとしたそこに踏み込んだところで、一度足を止めて肩越しに振り返る。
「ついておいで、雪弥君。僕を見失わないようにね」
事前の忠告なのか、単にからかわれているのか分からない。ニヤリと不敵に笑い掛けられた雪弥は、これまでの事、そしてこれから先を思って溜息がこぼれた。
「はいはい、分かりました。――余計な質問はするな、指示には従え、ですよね?」
「よく分かっているじゃないか。忘れていないようで何よりだよ」
ついでに確認してみたら、なんだか適当な口調で言葉が返ってきた。
面倒だから思考を投げただけの感じもするな、と独り言を言いながら、宮橋がビルの間に出来ている道を進み始める。まさにその通りだった雪弥は、呆れと感心がない交ぜになった気持ちで「はぁ」と曖昧に言って、その後に続いた。
建物の間を進んでいくと、通りの人々の声が鈍く響いてくるばかりになった。右に進み、左に進み……と、どんどん奥へ行くのに道路側に出る様子はない。
なんだか似たような風景が、何重にも続いている気がした。どの建物もこちらに背を向けていて、それでいてざっと見回してみても、恐らく全て五階以上といったところだ。
雪弥は少し不思議に思って、カラーコンタクトで黒くされている目できょろきょろとした。先程までいた表の通りが、どれも都心らしい新しい建物が目立っていたせいもあってか小さな違和感を覚えた。
夏らしい生ぬるい空気は感じない。足元にしっとりと絡み付いてくる風は、あまり日差しが届かない場の、こびり付いた湿気を含んだ独特の匂いが薄らと漂っている。
次の角を曲がったところで、不意に場が開けた。
そこには一本の大きな木がはえていて、縁取るようにしてベンチ状に囲まれてあった。さわさわと揺れる生い茂った緑は立派で、雪弥は一瞬気を取られた。
その場所には、女の子が一人いた。年頃は十二、三歳ほどだろうか。青みかかった銀色の長い髪をしており、季節は夏だというのに、冬用の古風な風避けのコートに身を包んでいる。そこから覗いた膝丈のスカートの片足を置くようにして、胡坐をかいて座っていた。
「なんだ。珍しく客かと思ったら、『けもの』と『とりかえこ』かい」
彼女が猫みたいな檸檬色の目を向けて、幼い声に不似合いな口調で言った。
どうしてか、彼女の口から出された単語が、耳の手前でぼやけるみたいな違和感を覚えた。頭の中で意味を持つ言葉として変換されなかった雪弥は、ゆっくりと首を傾げる。
それを見た女の子が、けだるげに足の上で頬杖を付いた。宮橋へ真っすぐ目を向けると、「で?」と見ための年齢とはアンバランスな顰め面をする。
「久しぶりに来たかと思えば、連れ同伴で一体なんの用だい? ただ占いが出来るだけのあたしとしては、いきなり牙を向かれたりしたら、たまらないんだけどね」
「前もって空間を遮断して『同じ場にいない』のに、よく言う」
宮橋がジロリと睨むと、彼女が鼻で「フッ」と笑って頬杖を解いた。量の多い青銀色の髪を、くしゃりとして後ろへと払うと、顎を引き上げてニヤリとする。
「――これくらいの用心は許しとくれよ。その代わり、坊やの目に見える『精霊の光』で導いて案内してやったろ」
「おかげで、余分にぐるぐると歩かされた」
「君、たったそれだけで怒っているのかい?」
腕を組んだ宮橋からは、穏やかではない雰囲気が漂っていた。ただそれだけが気に食わないのだと、本心から言っているらしいと気付いた雪弥は、正直な彼の性格に改めて呆れてしまった。
すると女の子が、胡坐をかくように両足を上げて座り直した。
「ははぁ、呆れたね。おチビさんの頃から、ほんと変わらないんだからねぇ。ふらりと勝手に訪ねて来ては、勝手に望む情報を要求するなんざ、いい性格をしてる」
「だって君は『そういうモノ』だろう」
「ふふっ、そうさ。占ってくれと来る者がなければ、私は存在の意味を失う」
と、そこで彼女の目が雪弥を見た。
「初めまして、あたしは『ただの占い師だ』、とでも言っておこう」
「はぁ、はじめまして。僕は――」
「名乗る必要はない」
女の子が、ストップだ、と手を前に出して言う。
「そう易々と名前を投げるもんじゃないよ。与えられたら、あたしだって同じように自分の名を『与え返さないといけなく』なるだろう」
「礼儀の話ですか……?」
「違う。だが君が知る必要はない。私の事は、そうだな」
ちょっと考え、彼女が一つ頷いてこう続ける。
「『猫』とでも呼ぶといい。人間は適当でも呼び名がないと、困るみたいだからな」
青銀の髪をさらりと揺らして、彼女、猫が頬杖をついてニヤリと笑う。女の子というよりは、とても男の子的な笑顔だと雪弥は感じた。
宮橋が「まぁいい」と吐息混じりに言って、改めて尋ねるように腰に片手をあてて口を開いた。
「ナナミという少女を捜している。少し前から『あちら』と『こちら』をふらふらしているが、どこまで移動してしまうのか問いたい」
「きちんと言葉も絞った『良(よ)い質問』だね。それくらいの『占い』であれば、この前の貸し分で事足りる――その人間の娘、この市を超える事はない。ここと、そして隣り合う二つの名前の土地を、ふわふわと現われたり消えたりしている」
それ以上は占(み)えないよ、と猫がくすくす笑った。
「あたしは人の言葉を理解し、奇怪にも本を読み、そうやって『こちら側』に落ちたに過ぎない。ただの長生きであって、けったいな力なんてのはないからね」
「それで十分だ。僕は君のように『そちらの範囲』を知らない」
「そりゃ、こっちの世界で生きている人間だからね。私が『こちらの範囲』を把握する事が出来ないのとおんなじさ。視えるのは地名、地図は言葉としかならない」
つまり図形として出てこないのだろうか、と雪弥は不思議に思った。けれど風景や絵画のように、ただただやりとりを眺めてしまっている自分がいる。
語る女の子がそこに見えているのに、存在感がないせいで一つの映像を見ているかのようだった。護衛対象に害がなければ、と面倒で考えるのをやめているだけか。
「いんや? ただ君が、仕事において優秀なだけさ。自分にとって、その情報が必要であるのかないのかを判断して、否であれば徹底的に関心を示さない――時にそれを、人は『無情』とも呼ぶ」
ふと言葉を投げ掛けられて、雪弥は思案を止めて見つめ返した。
目が合った猫が、なんだかやっぱり猫の目みたいな瞳でにんまりと笑った。宮橋が「はぁ」と溜息をこぼして、「暇だからといってからかうな」と口を挟む。
「用件は終わった。戻るよ、雪弥君。とっととナナミを見付け出して、この件はさくっと終わらせる。彼女が『こちら側』に出るタイミングを待って歩き回るのは、癪だがね」
「はぁ、つまり地道な捜索というわけですね」
道を引き返した宮橋を見て、雪弥も後に続いて歩き出した。
その時、猫が足を下ろしてぷらぷらさせながら「坊や」と声を投げてきた。これまでになく弾んだ調子のからかうような声を聞いて、宮橋が怪訝そうに見やる。
「いい助言をしてあげよう」
「僕に助言? かなり胡散臭い笑顔が気になるが――なんだ、言ってみろ」
「君に良き女の相が出ている。近々、出会えるかもしれないね」
その途端、足を止めたのが馬鹿だったと言わんばかりに、宮橋が片手を振って再び歩き出した。
「生憎、僕は気紛れな『猫のからかい』に引っかかるほど暇じゃない。そんな戯言は忘れるよ」
スパッとした物言いは少し冷たい。先程よりも速く歩いて行く彼を追いながら、雪弥は礼も言っていないのにと思って、彼女に向けて小さく頭を下げた。
「君って奴は、そう言う時はとことん気にせず忘れてくれるよなぁ」
小さく手を振り返した猫が、そう独り言のように言った。
「君、忘れたのかね。――人は、自分の事は占(み)えないものさ」
だんだん離れていく中で、続けられたその声が、まるで愛想のいい猫の鳴き声みたいによく聞こえた。
雪弥は、そちらにチラリと目を向けやった。
ほんの少しだけ考えると、前を進む宮橋の背へと視線を戻す。日差しに透けて明るいブラウンに見えるウェーブがかった髪先が、歩くリズムに合わせてふわっと動いている。
その足は、カフェを出てからも迷う様子なく歩いていた。既に目的を決めているようだと改めて見て取った雪弥は、その背に短く言葉を投げてみた。
「関係ないと言っていたのに、その女の子を捜すんですね」
「ああ言わないと、三鬼は僕を追ってくるからな」
宮橋は、カフェから離れるように歩きながら、取り繕わずさらっと答えてきた。
骨と無関係ではないらしい。それでいて先程、同期で同僚だという三鬼に対して、関わるなという風に言っていた。雪弥は思い出して、なるほど、と口の中で思案気に小さく呟く。
「なんだか、宮橋さんという人が少し分かってきた気がします。あなたは、そうですね、多分――優しい人なんですね」
「おい君(きみ)、そういう事を堂々と本人に感想するのも、どうかと思うぞ。僕のどこか優しい人間だと?」
感じたままに感想した途端、肩越しにジロリと睨まれてしまった。やっぱりその目は、西洋人みたいに形が良くて、瞳の明るい色も異国の血が流れているような印象があった。
睨まれているのにこれといって反応のない雪弥を見て、宮橋は秀麗な眉を顰めた。少し歩く速度を落とすと、指を向けて「いいかい」と言い聞かせるように続ける。
「僕は優しくなんてないさ。署の人間にそう尋ねたら、ほとんど仰天される意見だぞ」
「? あなたを知らない大多数の人間ではなくて、あなたを知っている人間に訊いてみないと分からない事じゃ――」
そこで雪弥の言葉は途切れた。
目の前を進んでいた宮橋に、振り返ると同時に素早く頭を鷲掴みにされてしまっていた。ギリギリと締めてくる手と、凍えるような美貌の睨み付けを数秒ほど見つめ、もしやと雪弥は遅れて思う。
「…………あの、もしかして怒ってます?」
「鈍い君にも伝わってくれたようで助かるよ。ぽけっとしているのに少数派の正論をあっさり言うものだから、君の口から出たのも予想外で正直イラッとした」
「それ、単に図星の照れ隠しなのでは……?」
「その思考は口の中に隠しておくべきだぞ、雪弥君」
「はぁ、すみません」
「ったく、いかにも無痛、みたいな石頭がこういう時はとくに腹が立つな」
頭をギリギリし続けていた宮橋が、「まぁいいさ」と言って手を離した。雪弥はよく分からないまま、日差しに透けるとより灰色とも蒼色ともつかない髪をさらりと揺らして、再び歩き出した彼の隣に並んだ。
歩道の信号が青になった道を進んだ。渡った先にも人の流れがあり、じょじょに先程のカフェの建物が遠ざかっていく。
「実を言うと、先に僕が説明した『子の骨』だが」
宮橋が人混みを眺めながら、ざっくりと説明するようにそう言った。
「影響を受けやすい人間の場合だと、宿っている記憶(おもい)やら念やらを受信する事がある。無意識に精神が同調して、本人の魂が眠ったまま身体が行動に出たりする」
「……えぇと……、つまりいなくなった中学生の女の子は、無意識に出歩いている状態であると……?」
説明を聞かされているのに、やっぱりよく分からない。雪弥は道ですれ違う人をそれとなく避けつつ、自分より少し高い隣の彼の横顔を見やる。
「それって、本人は眠っている状態なのに歩いている、という解釈でいいんですか?」
「それで構わない。家を抜け出したナナミという少女には、出歩いている間の記憶も全く残らないわけだからね。――骨が『子』のものである事を考えると、まぁ、『母』を捜し歩いているといったところか」
後半、彼は独り言のように思案げに口にする。
捜し歩く、と雪弥は己で理解しようと反芻してみた。けれど浮かんだのは、意識が朦朧とした状態で、ふらふらと彷徨い歩く中学三年生の少女の姿だった。
「そうだ――だから『子の骨』程度の影響であれば、遠くへは行けない」
まるで想像を察したかのようなタイミングで、宮橋がそう言った。
「とはいえ、誰にも気付かれないまま家を出た彼女は、引き続き『向こう側』と『こちら側』をふらふらと歩いているだろう。とすると、しばらく馬鹿三鬼らに見付ける事は難しい」
「はぁ、それで宮橋さんが捜そうとしているわけなんですか……」
それについてはどうにか察せて、雪弥は気の抜けた声で相槌を打った。少し考えて、つい言葉を続けてしまう。
「出歩いているのに『見付けられない』なんて、不思議だなぁ」
「何も不思議じゃないさ。この世界から一時的に消える、そうやって存在さえ見えなくなった相手を、どう捜すというんだい」
宮橋が視線を返してきて、フッと口角を引き上げた。
雪弥は、その作り物みたいなガラス玉っぽい目を見つめ返した。一つ瞬きをする間に、必要のないだろうと思われる面倒な思考工程は、彼の中でどこかへ行ってしまった。
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だから雪弥は、肩を竦めて冗談風交じりにこう答えた。
「世界から消えられたら、僕でも追えそうにありませんね。――それで、遠くへは行けそうにないその女の子ですが、宮橋さんなら捜せるんですか?」
「生憎、『どの向こう側の道』を歩いているのかも分からない状態では、無理だね」
ちょっと気分が良そうにして、宮橋が前へと目を戻してそう言った。
「そのわりには、自信がありそうですね」
「どこの範囲にいるのか、分かる者に心当たりがある。遠くへは行けない、というのが幸いしたな」
「捜索は思った以上に簡単そうだと、あなたは考えているわけですね」
「ただの『子の骨』の影響を受けたにすぎないからね」
その時、宮橋が歩道脇のビルの間へと進んだ。車も通れそうにないじめじめとしたそこに踏み込んだところで、一度足を止めて肩越しに振り返る。
「ついておいで、雪弥君。僕を見失わないようにね」
事前の忠告なのか、単にからかわれているのか分からない。ニヤリと不敵に笑い掛けられた雪弥は、これまでの事、そしてこれから先を思って溜息がこぼれた。
「はいはい、分かりました。――余計な質問はするな、指示には従え、ですよね?」
「よく分かっているじゃないか。忘れていないようで何よりだよ」
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面倒だから思考を投げただけの感じもするな、と独り言を言いながら、宮橋がビルの間に出来ている道を進み始める。まさにその通りだった雪弥は、呆れと感心がない交ぜになった気持ちで「はぁ」と曖昧に言って、その後に続いた。
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雪弥は少し不思議に思って、カラーコンタクトで黒くされている目できょろきょろとした。先程までいた表の通りが、どれも都心らしい新しい建物が目立っていたせいもあってか小さな違和感を覚えた。
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その場所には、女の子が一人いた。年頃は十二、三歳ほどだろうか。青みかかった銀色の長い髪をしており、季節は夏だというのに、冬用の古風な風避けのコートに身を包んでいる。そこから覗いた膝丈のスカートの片足を置くようにして、胡坐をかいて座っていた。
「なんだ。珍しく客かと思ったら、『けもの』と『とりかえこ』かい」
彼女が猫みたいな檸檬色の目を向けて、幼い声に不似合いな口調で言った。
どうしてか、彼女の口から出された単語が、耳の手前でぼやけるみたいな違和感を覚えた。頭の中で意味を持つ言葉として変換されなかった雪弥は、ゆっくりと首を傾げる。
それを見た女の子が、けだるげに足の上で頬杖を付いた。宮橋へ真っすぐ目を向けると、「で?」と見ための年齢とはアンバランスな顰め面をする。
「久しぶりに来たかと思えば、連れ同伴で一体なんの用だい? ただ占いが出来るだけのあたしとしては、いきなり牙を向かれたりしたら、たまらないんだけどね」
「前もって空間を遮断して『同じ場にいない』のに、よく言う」
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すると女の子が、胡坐をかくように両足を上げて座り直した。
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「違う。だが君が知る必要はない。私の事は、そうだな」
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青銀の髪をさらりと揺らして、彼女、猫が頬杖をついてニヤリと笑う。女の子というよりは、とても男の子的な笑顔だと雪弥は感じた。
宮橋が「まぁいい」と吐息混じりに言って、改めて尋ねるように腰に片手をあてて口を開いた。
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それ以上は占(み)えないよ、と猫がくすくす笑った。
「あたしは人の言葉を理解し、奇怪にも本を読み、そうやって『こちら側』に落ちたに過ぎない。ただの長生きであって、けったいな力なんてのはないからね」
「それで十分だ。僕は君のように『そちらの範囲』を知らない」
「そりゃ、こっちの世界で生きている人間だからね。私が『こちらの範囲』を把握する事が出来ないのとおんなじさ。視えるのは地名、地図は言葉としかならない」
つまり図形として出てこないのだろうか、と雪弥は不思議に思った。けれど風景や絵画のように、ただただやりとりを眺めてしまっている自分がいる。
語る女の子がそこに見えているのに、存在感がないせいで一つの映像を見ているかのようだった。護衛対象に害がなければ、と面倒で考えるのをやめているだけか。
「いんや? ただ君が、仕事において優秀なだけさ。自分にとって、その情報が必要であるのかないのかを判断して、否であれば徹底的に関心を示さない――時にそれを、人は『無情』とも呼ぶ」
ふと言葉を投げ掛けられて、雪弥は思案を止めて見つめ返した。
目が合った猫が、なんだかやっぱり猫の目みたいな瞳でにんまりと笑った。宮橋が「はぁ」と溜息をこぼして、「暇だからといってからかうな」と口を挟む。
「用件は終わった。戻るよ、雪弥君。とっととナナミを見付け出して、この件はさくっと終わらせる。彼女が『こちら側』に出るタイミングを待って歩き回るのは、癪だがね」
「はぁ、つまり地道な捜索というわけですね」
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その時、猫が足を下ろしてぷらぷらさせながら「坊や」と声を投げてきた。これまでになく弾んだ調子のからかうような声を聞いて、宮橋が怪訝そうに見やる。
「いい助言をしてあげよう」
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その途端、足を止めたのが馬鹿だったと言わんばかりに、宮橋が片手を振って再び歩き出した。
「生憎、僕は気紛れな『猫のからかい』に引っかかるほど暇じゃない。そんな戯言は忘れるよ」
スパッとした物言いは少し冷たい。先程よりも速く歩いて行く彼を追いながら、雪弥は礼も言っていないのにと思って、彼女に向けて小さく頭を下げた。
「君って奴は、そう言う時はとことん気にせず忘れてくれるよなぁ」
小さく手を振り返した猫が、そう独り言のように言った。
「君、忘れたのかね。――人は、自分の事は占(み)えないものさ」
だんだん離れていく中で、続けられたその声が、まるで愛想のいい猫の鳴き声みたいによく聞こえた。
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日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
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