蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新

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少女を捜して 上

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 その男は、とても優しい目をしていた。
 柔らかく碧眼を細めて、自分が守ろうとする人達と愛しい世界を眺める。それでいて迷いなく、その時代には珍しかった西洋の剣を握って部隊軍を率いた。

 面差しが似ているかと問われれば、『そうだ』とも答えられるのかもしれない。

 けれど、やはり全くの別人だ。幼さなどない、完全な大人の男だった。

 受け継がれた血の記憶の中で、その魂は、生きている時に憐れんだ自分の中の獣の夢を見る。憎むでもなく、畏れるでもなく、ただただその男は慈悲の心で憐れんだのだ。

 自分の運命を呪わなかったのか。
 君もまた、若くして戦いで死んだというのに?

 けれど、それは全くなかったのだろうという事は、その微笑みと穏やかな目を見れば一目瞭然だった。――僕は軍人という生き様を知らないから、よくは分からないけれど。
 恐らくは彼ほど、その血を理解した歴代の副当主はいないだろう。

 事実を見れば、憐れむべくは人か。

 けれど、全てには始まりがあるのを忘れてはならない。

 怨(おん)、厭(おん)、慍(おん)、おん……獣の咆哮がする。狂ったように響き続けて、反響と残響で誰の声も届かない。

「ああ、なんとも哀しい『犬』だねぇ」

 過去へ過去へと遡るような映像の断片の途中――僕は、思わずポツリと言った。

             ※※※

 猫と名乗った占い師と別れてから、雪弥は宮橋が足を進めるままに都会の町中を歩き続けた。彼は時々目的の場所を決めたような足取りを見せたかと思ったら、少し秀麗な眉を寄せて、また目的もない散策に戻るような歩調になった。

 次第に西日が濃く色付き、日差しがやわらいでビルの影か目立ち始めた。辺りは高い建物だらけで、どこよりも早く薄暗さに包まれるような印象を受けた。

「都会は、日が暮れるのが早いですね」

 がやがやと人が溢れる帰宅ラッシュの中、雪弥は何度目か分からない信号待ちで、囲まれたビルの間にポッカリと覗く空を見上げて口にした。

 まだ明るい夕焼け色の空が見えるのに、すでに周囲一帯は電灯が付いていた。吹き抜ける風は、走行する車やトラックの排気ガスの熱気を含んで生温かい。

「まだ明るい方さ。多分ね」

 これといって珍しくもない宮橋が、上も見ずそう答えた。歩道の信号が青に変わったのを見て歩き出した彼は、やれやれと言わんばかりにポケットに手を入れている。

「さすがの僕も、歩くのに飽きてきたな」
「疲れた、ではなくその感想ですか?」

 雪弥は隣を歩きながら、大きな歩道を渡っていく沢山の人々の様子を眺めつつ尋ねた。擦れ違う人達のざわめきは、歩道の信号音を押しのけんばかりだった。

「暇は大敵なんだよ、雪弥君。余計な疲労感を誘う」

 返ってきた答えを聞いた雪弥は、思うところがある表情を浮かべた。曖昧な口調で「まぁ、そうでしょうね」と相槌を打って目を戻す。

「こうして歩き回って、町中で一人の女の子とバッタリ遭遇する確率も低いかと思いますけど……」
「遭遇するさ。知っているという事は、時には縁あるモノを引き寄せたりする。僕らはあの骨がどういうモノであるのか、そして彼女の身に何かしら異変が起こっていると『知っている』からね」

 道を渡った宮橋が、そこでポケットに手を入れたまま明るいブラウンの目を向けてきた。やっぱりガラス玉みたいで、何を思い考えているのかよく分からない。

「それでいて僕がいる」

 そう、遅れて告げて言葉が途切れる。

 雪弥は、その静かな眼差しに、他の誰よりも引き寄せる――という言葉を感じた気がした。けれど始めの説明を思い返すと、恐らく彼に関する所は質問してはいけなのだろう。

 なんだか、これまで出会った中で、もっとも掴み所が分からないというか。

 不思議な人だなと思いながら、雪弥は軽く頭をかいて彼の隣に並んだ。足並みを揃えて歩く中、横顔に視線を覚えつつ自分が知っている範囲内で考える。引きが強いや悪いといった内容なのだろうと、ざっくり簡単に納得する事にした。

「そういう『引き』というのは、実際あったりするんですかね」
「あるさ。実際、この土地では不可解な事件がもっとも多く起こっている」

 宮橋が混雑した人混みへと目を戻し、ポケットから手を抜いて思案顔でスーツの襟を引っ張った。

「だからL事件特別捜査係がある」

 そう言うと、また言葉が途切れた。詳細を語る気はないらしい。だいぶ前、あの二人の刑事と話した場所の近くまで戻ってきたなぁ、と雪弥は意味もなく現在地を思ったりした。

 そもそも『L事件特別捜査係』だなんて、初めて聞いた。
 黙々と歩く宮橋に付いて行きながら、暇を潰すように思って空を見やる。これまで関わってきた警察機関を思い返すに、どうやらN県警にしかないものであるらしいとは推測していた。

 やがて、巨大なテレビモニターが付いたビルが見えてきた。いくつもの店が入った背の高い建物が並んでいて、茜色の日差しも弱まった薄い夕焼け空の下、夜の営業を始めた居酒屋の出入り口も賑わっている。

「ちょっとばかし想定外だったのは、かなり『視』えづらい事だな」

 そんな声が聞こえて、雪弥は宮橋の横顔へ視線を向けた。

 何やらじっくり考えているようで、眉間には小さな皺が出来ている。それを呑気に見つめて数秒だけ考え、ひとまず相槌を打つようにこう言いながらピンっと指を立てた。

「うーん、と――つまり『分かりづらい』と?」
「君、また考えるのを放り投げたな?」

 それでいて妙な順応力を発揮して、質問も大きく間違っていないのもどうなんだろうな、と宮橋が綺麗な顔を顰めて視線を返す。

 しばし二人の間で会話が途切れた。

 行き交うスーツの人々の中で、やや歩みを遅め見つめ合っていた。返事を待っていた雪弥は、なんだか妙な表情でじーっと見つめられ続けて、先に声を掛けた。

「なんですか、その目は?」
「僕が言うのもなんだが、――君が大人になる将来が心配になってきた」
「え。僕はもう成人した大人ですよ」

 真顔で何を言っているんだろう、と雪弥は少し困惑した。

 自分が二十代前半だった頃を思い返した宮橋が、なんだかなぁと首を捻って頭をガリガリとかいた。話を戻すように「まぁ、そうだな」と言葉を切り出す。

「僕は署で三鬼(みき)から話を聞いて、ナナミという少女の写真も見ている。……だか、なんというか……彼女の気配がどうも薄いというか」
「薄い?」
「説明が難しいんだが、――とにかくかなり『見付け』づらい」

 何かたとえ話でも交えようという気配を見せた宮橋が、どうせと見切りをつけたようにやめて、不意に立ち止まってそう話をしめた。

 雪弥は、ブランドバックが並ぶショーウィンドーの前で同じように足を止めた。忌々しいと言うような顰め面で、何やら考えているような彼の顔を見つめる。

「つまり捜索は視覚に頼るしかない、というところなんでしょうか」
「それ当たり前の事なのでは、みたいな顔で訊いてくるな」

 低い声で言った宮橋が、手元に目を落としたままボソリと「イラッとする」と呟いた。

「あれ? 宮橋さん、今僕の方を見ていませんよね?」
「それくらい声だけでも分かる」
「でも実際、僕らはふらふらと歩いているその女の子の姿を捜して、視覚頼りでこうして歩き回っているわけでしょう」

 訊き込み無しの、地道な捜索活動だ。
 この都心内に含まれている三つの地の範囲は、地図上で確認すると、想定していたよりも広くはない。とはいえ、結構長時間歩き回っているのも確かだった。

 雪弥としては、色々と不思議な捜査をしているようにも感じて大人しく付いて行くしかないでいる。だがそろそろ、本当に捜せるのかなと、ちょっと思わなくもない。

 すると、しばし歩道で立ち止まっていた宮橋が、忌々しげにゆらりと顔を上げてこちらを見た。

「――こうなったら、犬の勘に任せてみるか」

 真っ直ぐ見つめられた雪弥は、「え」と声が出た。

 少し間を置いた後、まさかそれは自分を指しているのかな、と遅れて気付き「あの……」と戸惑いがちに口を開いた。

「宮橋さん、僕を警察犬みたいに言われても困ります」
「何を言っているんだ? 僕は勘を貸せと言っただけで、君に優秀な警察犬の嗅覚を求めてないぞ」

 キッパリと言ってのけた宮橋が、美麗な顰め面でビシッと近くから指を突き付けてくる。

 おかげで雪弥は、またしても返事が遅れた。

「……それ、露骨にそれ以下で構わないって言い方じゃ……」
「いいか雪弥君、この一時間以上前から、確かによく近くに『出て』いるはずなんだ。それでいて彼女は捕まらないし姿を見掛けだってしない。――こうなったら僕は、一旦は運に賭ける」
「そんなに切羽詰まってでもいるんですか?」

 偉そうな態度で堂々と説かれてしまった雪弥は、呆けて断る台詞も出てこなかった。歩き続けている現状に、彼はそこまで飽きてしまっているのだろうか……と、ちょっと心配になった。

 とっとと事を終わらせてしまいたい気持ちは分かる。
 ポッと湧いて出た急な捜索ではあるし、自分だって、何故こうして護衛兼パートナーをしているのかもよく分からないでいる。状況に流されるまま捜索活動に入っているわけだが、そもそも一体全体どうして今こうなっているのか、思い返してみても首を捻るばかりだ。

「先に言っておきますが、見付からなくても後で怒らないでくださいよ」

 渋々前を進みながら、雪弥は溜息交じりに言った。

「僕はそんな事で怒るほど器は小さくないぞ」
「それから、この近くにいると言われても、僕に当てはありませんからね?」
「ひとまずは勘でいい。僕も行き先を考えるのに疲れた。さぁっ、とっとと前進だ!」

 再び歩き出した宮橋が、後ろから先程と違って元気良く声を掛けてくる。

 あ、疲れたのが本音かな……雪弥は遠慮なく言うところがある彼を思ってそう感じた。でも口にしたら、また頭を掴まれるか叩かれそうな気がして、黙っている事にしたのだった。
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