蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新

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蒐集か風間の店 下

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 そこは薄暗い奥の壁際で、着物を立て掛ける物が三つ並んでいた。

 左右には、ぼんやりと浮かび上がるような美しい二色の着物が置いてあった。だが、その真ん中だけ、着物が引っかかっていない状態だった。

 この倉庫内で、空箱や空のケース、何も掛けられていない状態のものは、一つも置かれていない。そして先程風間は『三つも』という言い方をした。

 ――と考えると、導き出される答えは、一つ。

「着物が、一つなくなっているみたいですね」

 顎に手をやった雪弥が、思案のまま口にする。その声を耳にした途端、現実を受け入れられないでいた風間が「嘘でしょっ」と頭を抱えて膝から崩れ落ちた。

「うおおおおおお嘘だと思いたい……! よりによって霊体を具現化された方の、レア中のレアの『青桜の母鬼』の着物がないとか嘘でしょおおおおおお!? 何度見てもすっかりさっぱり消えてるんですけどっ、どうか嘘だと言ってください宮橋先輩ぃいい!」

 風間が、がーっと喋りながら唐突に泣きついた。大学時代の後輩に遠慮もせず、宮橋が腕一本で彼を持ち上げて引きはがす。

「残念だったな。現実だ」

 ズバッと答えた彼が、そのまま床の上にべしゃりと風間を解放したところで、ニヤリとする。

「やっぱり、ここから『怨鬼の衣』が持ち出されていたのか。それでいて『青桜の母鬼』の着物、という事は」

 彼が思案しながら、スーツの内ポケットから何やら取り出した。

「宮橋さん、古い地図ですか?」
「ああ、君の視力だと見えるんだったな。今の都会の地図じゃ、役に立たなくてね」

 そう言いながら、近くにあった箱の上に、ばさりと携帯用の地図を広げて腕時計のライトで照らして確認する。

 同じようにそれを覗き込んですぐ、雪弥は後ろから肩を掴まれた。真後ろから、ぐすぐすと聞こえる泣き声に、まさかと思う。

「……あの、えっと、風間さん?」

 戸惑いがちに見やってみれば、マジ泣きした悲壮感たっぷりの風間の顔が、どーんっとあった。おかげで雪弥は、やや引いてしまった。

「まさかの、本気泣きですね……」
「そりゃそうだよ。俺の五本指に入る超お宝物なの! ねぇ宮橋先輩、俺の着物、戻ってくるんですよね!?」
「戻って来ないよ、既に『使われた』」

 地図に目を走らせている宮橋が、ぴしゃりと告げる。その直後に風間が「うそぉぉぉ」と、今度は両手を床について崩れ落ちた。

 雪弥は、なんだか可哀そうだなと、彼を見つめてしまっていた。

「えぐっ、うっぅっ、結界は完璧なのに、一体全体どこの鬼畜野郎が盗んだっていうんですか!?」
「僕が『視る』限り、結界に傷は入っていないよ。とすると、特別な〝素材〟でも使って、魔術で通り抜けたんだろうな」
「そんな魔法みたいな技、あります!? 魔術の警報も全く作動していないんですよ!?」
「さぁね。僕としても覚えがない――が、可能性はあるよ」

 そう口にした宮橋が、ふっと視線を移動した。そのガラス玉みたいな彼の明るいブラウンの目が、とある空の一点でとまる。

 じっと見つめた彼が、腕時計をしていない方の手を伸ばした。何かに触れるような仕草をする。

「なんです、宮橋先輩?」

 立ち上がった風間が、ぐすっ、と鼻をすすって問う。

 雪弥も、不思議に思って宮橋を観察していた。彼はまるで、別の空間でもその目に映しているかのように〝何か〟を注視している。

「――蜘蛛の糸、だ」

 ややあってから、宮橋が口を開いた。

「蜘蛛? それでどうやって、魔法みたいにここ侵入して、魔術痕跡すら残さずにあっさりと魔法みたいに消えちまうわけですか?」
「恐らくは、引っ張り上げた際に残ったものだろう、とは思うけど」
「引っ張り上げた? 他に協力者がいると?」

 風間に尋ねられた宮橋が、少し唇を開きかけて――一旦閉じた。

「僕もよくは分からない。もう半分は消えかかっている」

 話を終わらせるかのように宮橋は視線をそらすと、そのまま地図へ目を戻す。

「風間、この業界では少なからずある事だろう。もう使われているんだから、諦めろ」

 ばっさりと宮橋が言った。

 雪弥は、あまりにも急に終わらせられたものだから、小さな違和感を覚えた。けれど付き合いの長い風間が、なんとも思わなかった様子を見て質問をやめる。

「やっぱりそうくるかぁ。宮橋先輩が言うんだから、もう使用されちゃっているのは、確かなんだろうしなぁ」

 はあぁぁ、と風間が深い溜息をもらし、がっくりと肩を落とした。

「分かってはいるんすよ。所詮、俺は一般人だし。本物にかかってこられたら、泣き寝入りするしかないって」
「人はそれぞれ、やれるべき役割が違っている。それ以上を求めようとすれば、器から水が溢れるのと同じさ。踏み越えてはならないラインというのはあって、だからこそ〝その人にしかできない事だってある〟」
「はいはい、何度も聞きましたし、んなのは大学時代に身にしみましたよ。俺は、そんな橋渡りはごめんです」

 風間が、再び深い深い溜息をこぼした。引き際と諦め際は、だからきちんと分かっているからこそ、ここもあっさりと身を引くのだ、と。

 ――『やれるべき役割』。『その人にしか、できない事』

 どうしてか宮橋の言葉が、雪弥の中に引っ掛かった。聞きながら脳裏を過ぎっていったのは、なぜか外から見た蒼緋蔵邸の光景、そして兄の姿だった。

「『それ以下』という場合も、あったりするんですか?」

 気付くと雪弥は、そんな事を尋ねていた。

 薄暗い中、地図を腕時計のライトで照らし出していた宮橋と、そして風間の目が雪弥へと向く。

「たとえば、そこに僅かの水しか入れなかったりしたら、水を溢れさせるのと同じくらい〝罪〟だったりするのでしょうか」

 抽象的な言い方に、風間がきょとんとして不思議そうにする。しかし、それを聞いた宮橋は、どこか憐れむようにそっと目を眇めていた。

「雪弥君。それを選ぶのは、人だ。その人間が選んだ自分の〝運命〟を、悪く言ったり非難するモノなど、いない」

 本当にそうなのだろうか、と思ってしまう。先程、雪弥は彼が『それ以上』と口にした時、自分にその経験がない事に気付かされた。

 望んではいけないと、ずっとセーブがかっているような息苦しさを自覚した。

 思い返せば、唯一、それから解放される瞬間は、仕事をしている時だった。手伝いとして特殊機関に入ってから、ずっと途切れずに〝仕事〟が続いている事を、心のどこかでホッとしている自分もいた。

 それを、里帰りした際に気付かされてもいた。比べて初めて、どこか違和感を覚えた。けれど、結局はよくは分からなくて。

「定められた運命というのは、確かにある」

 そんな宮橋の声がして、雪弥は一瞬、また物想いに耽ってしまっていたと気付いた。

「けれど人は、それを自分で考えて選ぶんだよ。自(おの)ずと、近道だろうと回り道だろうと、正しい方向へと導かれて、選ばされる――それを〝運命〟と呼ぶ」

 そんなもの、本当にあるんだろうかと、またしても思ってしまう。だって自分が、家族のそばにいるだなんて、許されるはずがないのに。

 不意にまた、胸の奥がシクリとした。

 その時、風間がずいっと覗き込んできて、雪弥は我に返った。

「新米君って、もしかして根が真面目すぎて〝遠慮がすぎる〟性格なんすか?」
「遠慮? いえ、そんな事は」

 雪弥は、唐突にしげしげと覗き込まれて戸惑った。遠慮だなんて、誰にもした覚えは……と思っていると、風間が続けてきた。

「『これは自分案件だぜ!』と思ったら、ばんばん主張して、他の奴らに取られる前に、その席を勝ち取っちまえばいいんすよ。そうしたら、あとで『あいつに任せなきゃよかった』って、心配しなくていいし。刑事としても昇進早くなると思う!」

 心配、と彼が口にした瞬間、雪弥は知らずドキリとしてしまった。けれど、続いた言葉に拍子抜けする。

 そういえば、彼は僕を〝新米刑事〟だと思っているんだった……。

「さて。僕らも仕事に戻ろう」

 そんな雪弥と風間から、宮橋が地図へと目を戻した。腕時計のライトをあてて、指先で地図上の線をなぞる。

「『青桜の母鬼』は、僕らが昨日行った山の母親にまつわる【物語】だ。とすると、ますます今回の〝縁〟を利用された可能性があるな」
「つまり彼女(ナナミ)は、被害者でもあると?」

 雪弥は、風間からそろりと離れるように宮橋の方へ歩み寄った。なんらかの事件がマジで発生しているらしいと察した風間が、「ひぇ」とか細い声をもらして大人しくなる。

「そうさ。たまたま『子の骨』と関わってしまった事に目を付けられて、何者かが『怨鬼の衣』を与えて去れ出したんだよ」

 ややピリピリとした口調で続けた彼が、とある箇所で、とんっと指先を叩いてとめた。

「この地区で、方位、条件等が該当する場所は、ここか」
「それが、鬼化が進んでいる彼女が向かう先なんですか?」
「まだ姿は『視えない』けどね、恐らくは確実にここへ〝向かっている〟はずだ。そんなに待たずにして、彼女は必ずここに現われるだろう」

 宮橋はそう言うと、携帯地図をスーツの内側のポケットにしまった。そして雪弥は彼と共に、風間に見送られてその店を後にした。
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