民宿『ヤマガミ』へ ようこそっ!

ろうでい

文字の大きさ
48 / 67
七話 『風来の、猫』

(3)

しおりを挟む

――

「……ふへえ」

暑い。
いよいよ7月が目前に迫り、雨の降っていない日は本格的に気温が高くなってきている。
そうなってくると帰宅の道は更なる地獄と化す。
ただでさえ高校からの帰り道はひたすら上り坂。畦道と田んぼの道なき道をひたすら自転車を漕ぎ、運の悪い日は涼しい風すらも吹いてこない。
ダイエットには最適なのだろうが、これが毎日続くとなるともはや一種の何らかのトレーニングなのではないかというのが私の帰路だ。

汗だくになった首筋の汗をタオルで拭いて、私はようやく見えてきた民宿ヤマガミの看板を見上げた。

「はー、着いたー」

これでまだ夏本番でないというのが恐ろしい。考えたくもない。
……かといって、冬になれば冬になったで別の地獄が待っているのが田舎の帰り道なのだが……まあそれは、その時が来たら考えよう。

民宿の駐車場に入ると、お母さんが同年代のご近所さんの女性と話をしていた。
よく立ち話をしている人だ。二人とも村の出身で、中学まで同級生だったという話を以前に聞いた事がある。

そしてその二人の足元には、ポンがいつも通りゴロンと仰向けになって昼寝をしていた。相変らずオジサンのような風体と態度である。

「……へー、それじゃ、この猫その家で飼ってたんだ」

お母さんは、何やら少し驚いた様子でご近所さんと話している。

「あくまで噂だけどねぇ。でもそういう家があった、っていうのは本当だよ」

「ふーん、そっか……。お前も大変な思いしてきたんだね」

「にゃー」

「無責任な話だけどね。この辺りの野良猫は喧嘩が多いし、民宿に避難してきてるのかもよ」

「なるほどねえ」

……どうやら、ポンの話をしているらしい。
その会話の内容が気になりつつも、私はいつも自転車を置いている民宿本館の裏手に向かうため、二人に近づいていった。

「こんにちはー」

「あら、柚子ちゃん。おかえり」

ご近所さんは私に気付くと、にっこりと微笑んでくれた。私も軽く会釈をする。

「暑いのにご苦労様だったねぇ。今日は早かったの?」

「いえ、いつも通りです。……帰宅部なので」

「あはは、そうだったわね。民宿の次期女将だから頑張らないとね」

「はははは……悩み中です」

「あら、そうだったの?愛純。ワタシは決まってるものだと思ってたんだけど」

話を振られたお母さんはフッと笑った。

「悩んでてもいつかはここに帰ってくるもんよ」

「うわー、意味深。……自転車置いてくるね」

母親の嫌な笑顔を見た後で、私は自転車を押しながら民宿の裏手に運んでいった。

――

私が戻ると、ご近所さんの姿はなかった。どうやらあの後に自分の家に帰ったらしい。
もうすぐ夕飯時だし、支度があるのだろう。

私がお母さんの所に戻ると、母親は冷えた紫色の液体の入ったペットボトルを、私に差し出した。

「はいコレ」

「わ、シソジュースだ。お婆ちゃん、もう作ったんだ。……今年もそんな時期かぁ」

「もうペットボトル何本分も作って、量産してるよ」

「あはは、夏がきたーって感じだね」

家の祖母は、毎年この時期になると畑でとれるシソの葉を使ってシロップを煮出し、それを水で薄めたシソジュースを作る。
赤シソの葉で出来た液体は綺麗な赤紫色になり、ウチでは砂糖の他に塩を少々入れて熱中症対策もかねた夏の水分補給の定番になっている。
この辺りの田舎では、麦茶ほどではないが割とポピュラーな飲み物になっている。

キャップを開けて、一口。
シソの味は少々強めだが、程よい甘みと酸味。それに塩味が絶妙に効いた、ヤマガミ特製のジュースだ。
私は子どもの頃から、祖母の作るこの味が好きだった。

「んー……美味しいっ。夏だねー」

「あはは、ばーちゃんにも言ってあげな。喜ぶよ」

「そうだね。あとで……。……そういえば、さっきご近所さんとポンくんの話してたの?」

「……ああ。世間話してたら、コイツがいつも通りやってきてね。それで、この猫の話になったの」

「なにか知ってたの?ご近所さん」

「色々と、噂をね」

母親はそう言うとしゃがみ、呑気に寝転んでいるポンの顎を指先でくすぐる。
ポンは気持ちよさそうに細目になると、いつも通り「うなー」と掠れた声をあげるのだった。

「……この猫ね、元は家猫だったんだって」

「え、そうなんだ。……道理で人慣れしてると思ったよ」

家で飼っていた猫だと分かれば、この辺りの猫らしくなく、人に怖気づかないで近づいてくる理由も納得がいく。
……だが、次の疑問が湧く。

「でも、どうして野良猫になってるの?……捨てられたとか?」

「……んー……。まあ、ここからは噂レベルらしいんだけどね」

母親はそういうと、少し悲しげな目をして、ポンの顔を見つめる。

「……この猫飼ってた家の女の子が、とってもこの子を可愛がってたんだって。まだ小学生だったらしいよ。だからここまで人に慣れてるんだろうけど……でもね。
その家、離婚しちゃったらしいのよ」

「え……」

「元々都会育ちの夫婦だったらしいのよ。田舎暮らしに憧れて南桑村の空き家をリフォームして住み始めたらしいんだけれど……色々と理想とギャップがあったみたいね。思い描いていた夫婦の関係とか、田舎の暮らしとか……。
何年かはこの村に住んでたらしいんだけど、最近になって離婚して、二人とも自分の実家がある都会の方に戻ったそうだよ。
女の子は母親の方が引き取ったんだけど……都会に猫は連れていけなかったみたいね。……どうやら、その家から……出させられたみたい」

「……」

「女の子は泣きながら嫌がったそうだけど……所詮、人間の都合の方が優先されたみたい。
猫は家から出されて、夫婦と女の子は村から出ていって……。……それで、ポンは野良猫になったんだってさ」

「……そう、なんだ……」

ヒドイ話だ。人間の都合で飼われて、人間の都合で捨てられて……。
きっとその女の子の事を、ポンは大好きだったんだろう。それなのに……大人たちに、その関係すら奪われて。

……それなのに……。


「……っと、そろそろ支度しなくちゃね。柚子、着替えて少し休んだら、民宿手伝いしてくれる?」

「……うん、分かった」

お母さんはポンから手を放し、本館の方へと戻っていった。

私は……仰向けからうつ伏せに寝返り、しばらくお母さんのことを見送っていたポンに手を伸ばし、頭を撫でる。

「うな?」

見ていない方向から差し出された自分を撫でる手に少し驚いた様子のポンだったが、やがて気持ちよさそうに私の手に身体を委ねてくる。

「……人間に捨てられたのに……まだキミは、人間の事、好きなんだね」

「にゃー」

「……」

家で飼われていて、急に放り出された外の世界。きっと何度も、危ない事もあったのだろう。

ようやくこの民宿に逃げ込んできて、居場所を見つけたのだろうか。

……母が聞いてきた話は、噂だ。本当にこの猫が体験してきた事とは限らない。

……だけど……。


「……ありがとう。人間を、嫌いにならないでくれて」

「にゃー」

私は、ポンをしばらく、民宿の庭で撫でていた。

――
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...