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06 虎の尾を踏む
しおりを挟む「……クイン、ここにいるの?」
お嬢様は、サディアスに声をかけるよりも先に私を呼んだ。
私は、ソファの下からのそのそとお嬢様の元へ出て行く。
ソファに座っていたサディアスは、足元から私が這い出て来て、ギョッと少し目を見開いた。
お嬢様は私を見つけ、安心したように微笑むと、次にサディアスを冷たい目つきで睨みつける。
「なにかしら、この部屋。まるで泥棒でも入ったみたい。クインでもこのような悪戯はしないというのに……。獣以下ね」
すみません、お嬢様……。実は、私もしようとしていました。
羞恥心から、お嬢様の所へと向かう足が少し止まる。
しかし、私の悪戯はお嬢様の為なのです!決して、この誇り高き竜族である私が、野獣以下とかそういう訳では……と、心の中で言い訳をする。
「このハーツシェル公爵家の者が、授業から逃げ出したあげくに、こんな低俗な悪戯をするなんて……。恥晒しも良い所だわ。使用人達に対しても示しがつきません」
お嬢様がなおもサディアスに言い募っている間に、その使用人達であるマーティンと家庭教師が部屋に戻って来た。
部屋の有様を見て、なによりもインクが染みている絨毯を見て、さすがに二人も顔色を変える。マーティンは、すぐに回れ右をして女中を呼びに行った。インク染みを落とすのならば、なるべく早い方が良いからだ。
家庭教師も説教に加わろうとした所で、サディアスが、
「うるさい!」
と、怒鳴ってソファから立ち上がった。
サディアスがドアの方へ足を向けた所で、お嬢様が薄く笑う。
「あら、また逃げ出すのかしら。ここは貴方の部屋なのだけれど。出て行くということは、要らないということかしら?」
「…………」
「良いのよ、出て行っても。公爵家の塀は高いけれども、無意味に部屋を荒らす獣でも簡単に入り込めたのですもの。出て行くのもまた容易かもしれませんね」
お嬢様、それは暗に公爵家自体から出て行けとおっしゃっていますね。
うむうむ、その調子です。是非とも魔王サディアスを早めに追い出して頂きたい。
「……うるさい不細工!」
サディアスはそう言うと、部屋を出て行こうと足を踏み出した。
世界一麗しきお嬢様に向かって、その暴言は許せぬ!
私は、サディアスが私の前を通り過ぎようとした時に、尻尾ビンタを喰らわせてやろうと、体の向きを変えて尻尾を振りかぶった。
しかし、少々距離を見誤ってしまったらしく、歩いているサディアスの足に尻尾が当たったのは良いものの、逆に尻尾を蹴られる形になってしまった。
ぺチッと勢い良く私の尻尾が跳ね返り、体が少し宙に浮く。
すぐに着地出来たが、尻と尻尾がジンジン痛い。
「クイン!」
お嬢様が私に駆け寄り、優しく抱き上げて怪我の有無を確認してくださる。
血が出ていないことと、私が無事を示すように尻尾を軽く振ったことで安心して、お嬢様はほっと息を吐き出した後、私を蹴ったことで足を止めていたサディアスを、ギロリと鋭く睨みつけた。
「私のクインを蹴ったわね……?」
「そいつが、足元に飛び出して来たから……」
うむ、それは確かに。
「貴方が足元に注意を払っていなかったからでしょう。クインがそこにいるのは、わかっていたことなのに。興奮して、出口しか見えていなかったのかしら?」
うむ、お嬢様の言う通りである。私、悪くない。
「…………」
「それとも、見えていたのにわざと蹴ったのかしら?こんな卑俗な悪戯をする獣ですものね。腹立ちまぎれに、それくらいはするかもしれないわね。でも、私のペットに手を出して、ただで済むとは思わないことね」
目が据わっております、お嬢様。
お嬢様がこれほどお怒りの姿は初めて見た。私の為に、これほど怒ってくださるとは……感激でございます!
私が感動し、痛みも忘れて尻尾を振っていると、家庭教師が睨み合う二人の前に進み出た。
「エミリアお嬢様、あとは私が……」
しかし、お嬢様はそれを手で制す。
「どうやら、獣には獣の躾方が必要なようです」
お嬢様は、躊躇なくサディアスの胸ぐらを掴むと、そのままソファの上に放り投げた。
おお、さすがお嬢様。いつも私を片手で抱えておられるだけあって力が強い。あと、サディアスひょろすぎ。
まあ……おそらく、先ほど作っていた身体強化の薬を、ご自分で少し試し飲みされたのだろうが。
お嬢様は、サディアスが起き上がれないように背中を上から押さえつけると、酷薄な笑みを浮かべて見下ろした。
「貴方には、私が直々にハーツシェル公爵家の人間の心得というものを、教えて差し上げましょう」
「離せっ!」
「まずは謝罪するということを覚えましょうね。その口が、人のようにまともな言葉を話せるようになるまでは、このままソファとお喋りしていなさい」
お嬢様は、サディアスの背を押さえたまま、その上にドカリと座った。
女中を連れて戻って来たマーティンは、その光景を見て唖然としている。
家庭教師は、
「お嬢様、さすがにこれは……」
と、止めようとしたが、お嬢様は気にせずに私を腕から膝の上に下ろし、逆に家庭教師達に命令する。
「先生、教本を取って、今日のサディアスの授業の読み聞かせをお願いいたします。ブレンダ達は部屋を片付けて。マーティンはお茶の用意をお願い」
お尻の下にサディアスを敷いているにも関わらず、お嬢様の揺るがぬ淡々とした物言いに、使用人達は逆らえぬものを感じたのか、戸惑いながらも言われた通りに動いた。
女中達が部屋を片付けて、家庭教師が礼儀作法の教本を読み上げ注釈をつけている中、お嬢様は優雅にお茶を飲む。
私は、いつも通りお嬢様の膝の上に丸く……は、なれなかった。落ち着かない……。どうしても、ソファにうつ伏せに潰されているサディアスが目に入り、気になってしまう。
時折、お嬢様を跳ね除けようとモゾモゾ動いている為、お嬢様の膝も少し揺れるし。だが、どれだけモゾモゾしようが、サディアスの貧弱な体では、身体強化魔法がかかっているお嬢様を退かせることは出来ないようだ。
公爵家の優秀な女中達は、速やかに自分の仕事を終え、お嬢様に恭しく頭を下げて部屋を出て行った。高価な魔法薬でも使ったのか、絨毯のインク染みも綺麗に消えている。
家庭教師の読み上げの声だけが部屋の中に響き、緩やかに時間は過ぎて行く……。
ハッ!いかん、いかん。少しウトウトしてしまっていた。この状況に順応するのが早すぎるだろう、私。
気がつけば、家庭教師は読み上げをやめていた。今日のサディアスの授業内容の分は読み終わったらしい。
「お嬢様、あの、そろそろ……」
家庭教師は、お嬢様の下の、あまり動かなくなったサディアスを気にしている。しかし、お嬢様は腰を上げない。
「先生、ご苦労様でした。明日からは、私とサディアスは同じ部屋で授業を受けますので、私の家庭教師と協力し、共同で授業を行ってくださいませ」
「は、はい……」
家庭教師は、サディアスを敷物状態から救出することを諦めて、明日からの授業内容をお嬢様の家庭教師と相談する為に、お嬢様の乳母にこの場をバトンタッチして出て行った。
お嬢様の乳母のタバサは、お嬢様が生まれた頃から、乳離れした今も仕えているベテラン乳母である。今のお嬢様に物を言えるとしたら、使用人の中ではこの人以外いないであろう。
使用人の中で一番偉いのは家令のジェイムズだが、あれは大旦那様と同じく、お嬢様には甘々なので叱ることは滅多にしない。
「お嬢様、そろそろ夕食のお時間になりますし、ご準備をなされてはいかがですか」
「お祖父様やお父様達は、今日は他家の晩餐会に向かわれるのよね?それなら、悪いのだけれど夕食はこちらに運んで頂戴」
「お嬢様……そろそろ、許して差し上げてはいかがですか。サディアスお坊っちゃまも苦しんでおられるでしょうし」
「許すもなにも、サディアスからまだ謝罪の言葉を聞いておりませんもの。許しようがないわ。ねえ、クイン?」
私は、すかさず頷いておく。
「お怒りなのはわかりますが、クイン様もご無事だったことですし……」
「クインの体は、まだとても弱くて繊細なのよ。少しの衝撃でも命取りになってしまうかもしれないわ。黒鉛大蜥蜴は尻尾の自切をしないというし、クインの尻尾は大切な体の一部なのに、もし千切れでもしてしまっていたらと思うと……」
お嬢様、そこまで私のことを心配してくださって……!嬉しくてブンブンと尻尾を振っていると、お嬢様が真剣な顔で私の尻尾を摘んだ。
「もし、千切れてしまったとしたら、すぐに魔法で凍らせて保存して、肉体合成の呪術を応用して、銀接蕗薬と蔦骨水薬を使えば、なんとかくっつけられるかしら……」
おお、お嬢様……千切れてしまった場合の対処法まで考えてくださるとは……。でも、肉体合成の呪術はちょっと怖いです。
勿論、お嬢様がしてくださることならば、どのような呪術でも受け入れますが。
お嬢様が、呪術で私の尻尾をくっつける方法を考えることに没頭されていると、ここへ来てやっとサディアスがボソリと口を開いた。
「……重い」
言うにこと欠いて、その言葉か。レディである麗しきお嬢様に対して、なんたる無礼。
頭に噛みついてやろうかと口を開ける、しかし、お嬢様は淑やかに微笑み、
「タバサ、モウブレイ植物図鑑を持って来てくれる?調べたいことが出来たの」
と、タバサを有無を言わさず図書室まで使いに出した。
モウブレイ植物図鑑とは、あれか……。あの物凄く分厚い本か。さぞかし重いのだろう。お嬢様は、さらにサディアスに追い打ちをかける気とみた。その容赦のなさ、シビれます。
さて……タバサが使いに出たので、部屋の中にはお嬢様とサディアス、二人きりになった。無論、私もいるが。
しばらく助けは入らぬぞ、サディアスめ。サディアスの尻をペシペシと尻尾で叩く。
「むぅ……どけ」
「あら、どこかで獣でも鳴いているのかしら」
「……手洗い。手洗いに行きたい……」
サディアスが堪りかねたように、力のない声でそう言う。
なるほど。ここへ来て急に声をかけて来たのは、もよおしてしまい我慢が出来なくなったからか。
「鳴き声がうるさいわ」
お嬢様は、まったく動じない。さすがです、お嬢様。でも、サディアスめがここで漏らしたりしたら、使用人達がまた泣くことになると思いますが……。
私は、高級ふかふかソファの行く末を心配に思い、サディアスの尻を叩くのをやめた。
「…………。ぐっ……悪かった」
耳を澄まさなければ聞こえないような声で、サディアスがそう言った。
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