『容疑者は君に夢中?〜捜査一課の恋と事件簿〜』

キユサピ

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第1話:恋と古書と密室の罠(後編)

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「……それじゃ、どうしてあんな高価な本を?」

狭い事務室で、橘の声が静かに響いた。

バイトの青年・西村は、何度も膝の上で手を擦り合わせながら、ようやく口を開いた。

「……ネットの掲示板で知ったんです。“谷崎の初版がこの店にある”って。最初は、ただ本が好きな人たちの間の噂だと思ってました。でも……バイトして、本当にあるってわかったら……気が変わってしまって」

「鍵を使えばすぐにバレる。だから“窓”を選んだ」

「……はい。閉店間際、トイレを使うふりをして、窓を少し開けました。夜中にもう一度戻って、外から忍び込んで……棚の本を盗って、元のように出ていったんです」

「盗んだ本は?」

「まだ家にあります……売る勇気が出なくて。初版本って、思ったより……重いんですね」

橘はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「犯行は計画的だった。だが、まだ取り返しはつく。反省しているなら、真っ直ぐ罪を償け」

西村は深く頭を下げた。



店主の水嶋は、奥のカウンターで静かに待っていた。
橘がそばに立つと、彼は少しだけ視線を上げた。

「……信じてたんです。彼、本が好きで、丁寧な仕事をする子だった。まさか……って、でも、目の前に現実があると……やっぱり、自分の見る目のなさを感じます」

「人を見るのは、難しいことです。でも、“信じたこと”まで否定する必要はないと思いますよ」

まどかがそっと口を挟んだ。
水嶋は少し目を丸くし、そして、やわらかく笑った。

「……そうですね。本も、人も、見た目だけじゃわからないですしね」



事件がひと段落し、まどかと橘は並んで駅へ向かっていた。

空は、ようやく雨雲が切れかけてきたところ。
濡れた舗道には、街灯の光がちらちら反射している。

「……なんか、今日の事件、ちょっと切なかったですね」

まどかがぼそりと言うと、橘は手にしていたシュークリームを一口かじってから答えた。

「人は、本当の価値を失ってから気づく。初版本も、信頼も。どちらも、手放してからじゃ遅いことがある」

「……カッコいいこと言ってますけど、口にクリームついてますよ」

「……君は捜査官か、ツッコミ担当か、はっきりしろ」

そう言いつつ、橘の目元はほんの少しだけやわらかかった。

駅前の喧騒が、ふたりの足音を包み込んでいく。



古書店「月影堂」の棚には、間もなく盗まれた初版本が戻されることになる。

それは、元通りにはならないかもしれない。
けれど、そこには少しだけ、新しい物語が刻まれていた。

本を愛した人々の、小さな過ちと、その償いの記憶として。
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