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第18話:『彼女を見ていたのは、誰?』
しおりを挟む「……まどか、お前、また写真撮られてるぞ」
橘直哉が無造作に言いながら、構内のベンチに腰を下ろした。
霧島まどかは思わず振り返りそうになるのを堪え、身を固くする。
「うそっ……どこですか?」
「中庭の向こう、あの植え込みの陰だ。スマホのレンズだけ出してる。慣れてやがるな」
まどかは深くため息をついた。
捜査一課に所属してからというもの、銃声よりも“視線”の方が怖いと思うことが増えた。
「やっぱり……服、地味すぎたかな……」
「関係ない。お前は歩いてるだけで目立つんだよ、170センチ。あと地味じゃねえ。シャツの襟が今日もキレてる」
「……それ、セクハラ発言に記録しときます」
「いや、直感的な観察だ」
まどかと橘は今、大学構内で盗撮が発端となった傷害事件の聞き込み調査をしていた。
当初は生活安全課が担当していたが、事件は思わぬ方向に転がった。
先週末、ある女子学生が盗撮に気づき、男に詰め寄った際──もみ合いになり階段から転倒。
打撲と捻挫で全治二週間、被疑者はその場から逃走。
掲示板に投稿されていた写真の中には、まどか自身が構内を歩く姿も含まれていた。
本件に悪質な組織性がある可能性を鑑み、大学側から警視庁に応援要請が出され、
捜査一課が調査に加わることとなったのだ。
「どうして私……写ってるんでしょうね……」
「そこがポイントだ。お前、構内に知り合いでもいるのか?」
「いません。たぶん。いや、絶対……たぶん」
橘は呆れたように鼻で笑った。
「じゃあ“お前が目立つだけ”だな。……さっきすれ違った情報課の学生、二度見してたぞ」
「えっ……どの人?」
「メガネかけてた。……ああ、お前もか」
「はい、もう仕事します」
まどかはファイルを手にして学生課の建物へ向かう。
その背中を、何人かの視線が追っている──そのことを、本人だけがまだ知らない。
「――朝永ユウくん。協力、ありがとう。もう少しだけ質問させてね」
学生課の小会議室。まどかは柔らかい声で目の前の青年に向き合っていた。
朝永ユウ、音大の作曲科に在籍。今日は他大学の合奏サークルの顔合わせで構内に来ていたという。
「構内の掲示板、見ましたか? “天使図鑑”って名前で、女性の写真が無断で投稿されてた件です」
ユウは静かにうなずく。
「……見ました。知ってる人が写っていたので、通報しようとも思ったんですが……」
「その“知ってる人”って、たとえば……私?」
まどかがそう訊くと、ユウの肩がピクリと動いた。
「……はい。写ってました。たぶん、先週……中庭のベンチで誰かと話してた時の、後ろ姿でした」
「そのとき、あなたは――どこにいたんですか?」
「……反対側のベンチです。正直……刑事さんの、あの笑い声が印象的で」
「笑い声……?」
ユウは少しだけ視線を落とし、そしてはにかむように言った。
「……その時、ああ、綺麗だなって、思ってしまって。すみません。盗撮はしてません。本当に」
まどかはわずかに口を引き結ぶ。
「……ごめんなさい、私、誰かに“見られてる”って感覚、ちょっと鈍いみたいなんです」
「いいえ。……たぶん、それでいいんだと思います。そうじゃないと、あんな笑い方できない」
背後のドアが開き、橘が顔を覗かせた。
「まどか、次。情報工学の学生、来たぞ」
「はーい、すぐ行きます」
ユウは立ち上がり、軽く一礼して会議室を後にした。
まどかがため息をつくと、橘が肩をすくめる。
「どうだった?」
「……彼は、撮ってないと思います。たぶん、こっそり見てただけです。まあ、それも問題ですけど」
「お前な……無自覚ってのがいちばんたち悪いぞ。ああいうタイプ、五人はいるな。今日だけで」
「え? 何がです?」
橘は何も言わずに歩き出す。
まどかは数秒遅れて、首を傾げながらその後を追った。
次に呼ばれていたのは、小田切ヒカル。情報工学科の二年。
掲示板の技術的な面を調査していたが、彼の端末から投稿ログの一部が検出されていた。
「盗撮したんですか?」
「してません! マジで、ログ保全用にダウンロードしただけで……!」
「でも投稿の日時、あなたがアクセスしてた時間と一致してますよね?」
「そ、それは偶然で……その、投稿を“止めたい”って思ってたんですよ、俺……!」
問い詰めるまどかの横で、橘が腕を組みながらぽつりと呟く。
「……お前も、まどかに気があるだろ」
「は?」
「わかりやすい。目が泳いでる」
「えっ、な、なななんでバレ――って違いますって!」
まどかは眉をひそめた。
「ちょっと橘さん、取り調べ中ですよ」
「いや、重要な動機の線だからな。全員お前に惚れてる線、あるぞ」
「あるかそんなの!」
(……でも、少しずつわかってきた。私を“見ていた”人は、思ってたよりずっと多い――)
写真部の部室は、薄暗い廊下の奥。窓もないプレハブ小屋だった。
橘とまどかが中に入ると、山科アツシが落ち着かなげに椅子から立ち上がった。
「警視庁の霧島です。こちらは橘警部補。同じく捜査一課です。少しお話、よろしいですか?」
「あなたも、投稿された女子の写真をご覧になった?」
「ええ、全部目を通しました。……不快でした。でもね、その……一枚だけ、雰囲気が違ったんです」
「雰囲気、ですか」
「……あなたの写真ですよ、刑事さん。笑ってた。あれだけは、正直……“撮った人間の気持ち”が違って見えた」
まどかは内心ギクリとした。
「あの……以前、一度刑事さんにお会いしたことがあるんです。覚えてないかもしれませんけど……」
まどかが目を細めて顔を見つめた。
「えっ……どこかで……?」
「去年の秋、ここの講堂で“防犯セミナー”があった時に……僕、カメラ係で後ろにいたんです。霧島さん、前で講師されてて……その、すごく印象に残ってて」
「ああ……あったかも。制服姿で話した記憶はあります。確か……“身近なSNSトラブルと防犯”ってテーマだったかな」
「はい、それです。……すみません、あのとき……講義の後に写真データの受け渡しで話しかけて……えっと……その、変なこと言ってたらごめんなさい。他の写真は“盗み見る目”だった。でも、あなたのは、“見守る目”だった。……変な言い方だけど、守りたくなるような……そういう」
「ううん、全然。ありがとう。……っていうか、覚えててくれて嬉しいかも」
橘はそれを聞きながら、ゆっくりと部室を見回していた。
「──じゃあ、お前、まどかに“告白めいたメール”を送ったのもその頃か」
「……えっ? あ、いや……それは……その……記録に残ってないと思うんですけど……」
「記録に残らなくても、顔には出るんだよ。わかりやすいな、お前」
まどかが眉をひそめて橘に振り返った。
「ちょっと橘さん……さっきから失礼すぎますよ」
「いや、“犯人が投稿した写真”の中にお前が写ってるのが二枚あった。
山科、保存してなかったか? あるいは、誰かにデータを渡したりは?」
山科は苦笑を浮かべて首を横に振る。
「写真は見たけど、保存もしてません。……ただ、見た瞬間、忘れられなくなっただけで」
「……正直ですね」
まどかが肩をすくめる。だが、橘はまだ視線を外さなかった。
「“誰かが見守るように撮った写真”。──お前が言ったんだよな。
それが、本当なら……問題は“誰が、なぜそれをネットに出したか”だ」
沈黙が落ちた。
「僕じゃありません。でも、写真部の誰かが……って言われたら、否定はできません」
橘は深く息をついて、壁のレンズケースをちらりと見た。
「……写真ってのは不思議だな。記録と感情が、隣り合ってる」
「……この子です」
学生課から提出されたリストを見ながら、橘が一枚の顔写真を指差した。
細く結ったポニーテールに、やや鋭い目つき。女子学生――柚木マリ。
「“天使図鑑”に投稿されていた写真のうち、明らかに“自撮り”と思われるものが2点。
しかも、投稿時刻とこの子のSNSの投稿時間がほぼ一致してた。これはほぼクロだろ」
まどかはデータを見ながら首をかしげる。
「でも……自分で投稿したなら、“盗撮掲示板”に紛れさせる必要ないですよね?」
「それが、“承認欲求”ってやつの怖いところだ」
講義棟の空き教室。柚木マリが呼ばれ、席に着くなり腕を組んだ。
「べつに私、何か悪いことしたって思ってませんけど」
「じゃあ、聞きます。柚木さん、“天使図鑑”に、自分の写真を投稿しましたか?」
「しました。だけど、それは“誰かが勝手に上げた”って体で投稿しただけ。
そしたらリツイートも“いいね”も跳ねて、ちょっとバズっちゃって。悪い?」
まどかはしばし沈黙した後、静かに言った。
「……あなた、他の女子学生たちがどんな思いでその写真を見たか、考えたことありますか?」
「それ、私に言う? 他の子も“ちょっとくらいチヤホヤされたがってる”と思うよ。
それに、霧島さんだってそうじゃん」
「えっ?」
「“たまたま写った笑顔”がめちゃくちゃ評価されてる。男どもが『癒される』とか『天使』とか言ってさ。
でも、あれ、たぶん狙ってましたよね? その角度。女の勘でわかります」
橘が少しだけ口元を引きつらせた。
まどかはしばし絶句し――すぐに吹き出した。
「ごめんなさい、それ、私ほんとに無意識です。ただの仕事中の雑談で笑ってただけで……」
「ほんとに? あの笑顔に何人落ちたか、私、授業中にも聞こえてきてたんですけど?」
柚木マリはあくまで涼しげだった。だがその目の奥に、何かが渦巻いていた。
まどかは気づく――この子は、“誰かの視線”に愛されることでしか、自分の価値を測れなくなっている。
「……ねぇ、霧島さん。私のこと、ちょっとでも可愛いと思ったことある?」
その問いに、まどかは一拍置いてから、まっすぐに答えた。
「うん。あなた、すごく綺麗。ちゃんと自分を大事にしてたら、もっと素敵になれると思う」
柚木は驚いたように目を見開き、それからぷいと視線を逸らした。
「……警察って、意外とそういうこと言うんですね」
「私、女だからね。同性だからこそ、わかる部分もあるのよ」
橘が教室の隅でため息をついた。
「……また一人、落ちたかもしれん」
「誰が誰に落ちてますって?」
「いや、何でもない」
彼の小声にまどかは小さく睨みつけたが、それもすぐに笑みに変わった。
だが――
この数時間後、彼女たちの前に現れる“清掃スタッフの男”が、
この事件に潜むもっと深い執着を見せつけてくることを、彼女たちはまだ知らなかった。
夕方。学生課の裏にあるメンテナンス通路。
立ち入り禁止の鉄扉の前で、橘とまどかは身を潜めていた。
「……ほんとに、ここから来ると思います?」
「決まってる。清掃用具の保管場所はこっちだし、例のWi-Fiが最初に拾われたのもこのエリアだ」
橘の言葉に、まどかは頷く。
「清掃スタッフ用の通路なら、設置も不審がられない……ってわけですね」
そのとき、鉄扉がきぃと音を立てて開いた。
作業着姿の男――木島レイジが無言で現れた。
無精ひげと沈んだ目。無言のまま、警戒するようにこちらを見ている。
「霧島まどかです。こちら、橘警部補。警視庁です」
まどかがゆっくりと声をかける。
「“天使図鑑”に投稿されていた画像について、少しお話を伺わせていただけますか?」
木島は一瞬たじろいだが、やがて低く口を開いた。
「……俺が撮ったって、誰かが言ったんですか」
「いいえ。言ったのは“データ”です」
橘がスマホを掲げる。
「あなたの端末と、回収した“隠しカメラ”の接続履歴。
そして、投稿された写真の時間帯とあなたの業務エリア――“一致”してました」
木島の喉が小さく動いた。
「……見つけたんですね」
「ええ。天井裏のエアコンダクトに貼り付けられた、3台の小型Wi-Fiカメラ。
そのうち1台から、“あなたが撮った霧島刑事の写真”が出てきました」
「……綺麗だったんです」
木島はぽつりと呟いた。
「掃除をしていて、偶然目に入ったんです。……誰かに微笑んでるその横顔が。
何かを諦めたみたいな自分の世界に、急に“光”が射し込んだ気がして……」
まどかは無言で聞いていた。
木島の手が震えていた。
「……でも、あなたを正面から撮る勇気はなかった。
だから、最初はただ見てるだけだった。でも……だんだん、見てるだけじゃ、足りなくなった」
「それで、カメラを設置して、遠隔操作で“偶然の奇跡”を切り取った」
橘の言葉に、木島は微かに頷いた。
「他の女子学生たちの写真は……」
「カモフラージュです」
木島の声は静かだった。
「あなたを狙ってたと気づかれないように、他の学生も混ぜました。
投稿も、匿名掲示板も全部……“あなただけの写真”を守るためでした」
まどかの眉が少しだけ動いた。
「……守ってるつもりでも、それは“私”の尊厳を侵してることになるんです」
沈黙が落ちた。
橘が、ふと視線を落とす。
「……だが、皮肉なもんだな。お前、自分が“その場にいない”ように見せかけるために、
防犯カメラに“映るように”動いてたらしいな」
「……ええ。清掃のフリをして、わざと巡回してました。
“自分がその時間帯にそこにいた”ことが、アリバイになると思ったから」
まどかはため息をつく。
「でも、逆です。あなたが映っていたその時間帯に、
カメラは“遠隔で起動されていた”とログが残っていた。
だから、“そのとき撮ってたのは、他でもないあなた”だったと証明できたんです」
橘がゆっくりと手錠を取り出す。
「……木島レイジ。あなたを、盗撮・不正アクセス・名誉毀損の容疑で逮捕します」
手錠がカチャリと鳴った。
その金属音が、空気を切り裂いた。
木島はただ黙って、その手首を差し出した。
まどかは俯き加減に、呟いた。
「……人を好きになることは、悪いことじゃない。でもそれを“自分の都合”で切り取るのは、
結局、誰の心も救えないんです」
橘はちらりと彼女を見る。
「まどか。お前、やっぱ怖いくらい優しいな」
「……橘さんが“優しさ”に気づく日が来るなんて思わなかったです」
「俺もだ」
ふたりの笑い声が、夕暮れの大学構内に、静かに溶けていった。
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