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第27話:風鈴の鳴らない部屋で
しおりを挟む抜粋)
「……お姉さん、警察の人ですよね?」
そう言われて、霧島まどかは手にしていた風鈴を落としそうになった。
「えっ……あ、うん……そうだけど。どうして?」
福祉施設のボランティアイベントで、たまたま声をかけてきたのは、セーラー服姿の女子高校生だった。
まだ夏の陽射しが残る午後、扇風機の音だけがだるそうに回っている。
「木崎梓っていいます。……あの、兄のこと、覚えてませんか?」
「お兄さん?」
「三年前、自殺って言われたんです。木崎悠真。たぶん、そっちで処理されたんだと思います」
少し震えた声だった。
まどかは、咄嗟に頭の中で名前を検索しようとしたが――出てこない。
「ごめん、私、その……担当じゃなかったかも。どうして急に?」
「……夢に出てきたんです。兄が、ずっと、何か言いたそうにしてて。でも何も言わなくて……。だから思ったんです。ちゃんと向き合わなきゃって」
まどかは何も言えなくなった。
ただ、少女の小さな手の中で揺れていた風鈴だけが、ひとつも音を立てなかった。
──この子の「助けて」は、もしかしたら、三年前に届かなかった声かもしれない。
その夜。まどかは一人、木崎家を訪れることになる。
迎えてくれたのは祖母と、小さな柴犬だけだった。
「これが……兄の部屋です」
梓の案内で入ったその部屋には、埃をかぶったままのカセットレコーダーが置かれていた。
梓がそっと差し出したのは、埃をかぶった小さなカセットレコーダーだった。
プラスチックの表面に傷があり、きっと古い機種なのだろう。再生ボタンを押すと、しばらくの沈黙のあと、低い声が流れ始めた。
「……今日は、梓の誕生日。でも、何もしてやれなかった。
本当は、ケーキ買って、帰って……笑って渡すつもりだったんだけどな」
「……今さら、何言ってんだろ。誰にも言えなかった。言ったら、情けなくなるだけだって思ってた。
でも……助けて、って、言ってもよかったのかな」
「お兄ちゃん……」
梓が小さく嗚咽した。
その肩に、まどかはそっと手を置いた。言葉はなかった。ただ、“誰かに届かなかった声”が、確かにここに残っていた。
カセットの最後、テープの巻き戻し音のすぐ前に、かすれたノイズとともに、こんな言葉が録音されていた。
「……今度こそ、ちゃんと伝える。
“生きたい”って。俺は、梓と、まだ……」
そのあと、ぷつりと音が途切れた。
「……ねぇ、梓ちゃん」
まどかがぽつりとつぶやく。
「……これ、自殺する人の声だと思う?」
梓は涙でにじんだ目をまどかに向けた。
「……違う。私も、そう思ってた。お兄ちゃん……まだ、生きたかったんだよね」
──だけど、それでも彼は死んでしまった。
では誰が、彼の“助けて”を奪ったのか。
その違和感が、まどかの胸に引っかかって離れなかった。
その翌日。
職場に戻ったまどかは、休憩室で橘に声をかける。
「……橘さん、ちょっといいですか。変な話なんですけど……」
「また拾いもんの事件か?」
「違います。私は、たぶん……見逃された声を拾っただけです」
風鈴は、風が吹かなければ音を立てない。
だけど、そこに風があったことは、音でわかる。
まどかの言葉に、橘は少しだけ目を細めて言った。
「……ふぅん。じゃあ、その“風”を探しに行くか」
「うん。……一緒に、行ってくれますか?」
「バディだろ」
不格好な風鈴が、まどかの鞄の奥で小さく揺れていた。
日が暮れる頃、まどかと橘は、ある公民館の一室を訪れていた。
そこでは、かつて木崎悠真が通っていた「若者支援グループ」のメンバーたちが集まっていた。
「……彼、よく来てましたよ。無口でしたけど、帰るときには必ず“ありがとう”って言ってくれたんです」
ある女性スタッフがそう語った。
彼の死は、グループでも「突然の自殺」として扱われ、深くは掘られなかったという。
ただ一人、彼の死に違和感を抱いていたという青年がいた。
「最後のセッションの時、誰かから電話かかってきて、表情が変わったんですよ。“妹には言うな”って、ぼそっと言ってました」
その番号はすでに解約済みだったが、まどかたちはその後の調査で、生活保護の申請を妨げていた伯父の存在を知る。
悠真の死は――確かに、自ら選んだものではなかったかもしれない。
帰り道。
夕焼けの坂道を、梓がまどかの隣で歩いていた。
「……やっぱり、お兄ちゃんの声、誰かに届いてたんですね」
「うん。でも、本当は一番……梓ちゃんに届いてたんだと思うよ」
「え?」
「だって、あの日、“変だ”って思ってここに来たの、梓ちゃんだったじゃない。……誰かを想う声って、ちゃんと届くんだよ。きっとね」
梓は黙って空を見上げた。赤く染まった雲の向こうで、どこか風が鳴っていた。
「……霧島さん。私、もう少し、生きてみようと思います」
「そっか。それなら、また何かあったらさ――」
「今度は、“助けて”って言ってみます。ちゃんと」
まどかはにっこりと笑った。
交番に戻ると、橘が缶コーヒーを差し出してきた。
「はい。今日の分」
「おっ、ありがとうございま――ん? これ、ブラックじゃん」
「そろそろ“大人の味”も覚えろ」
「む、むりですーっ。ココアがいい……」
まどかの叫び声が夜空に響き、橘の肩がわずかに揺れた。
──その声に、耳を傾ける誰かがいる限り、
人は、きっともう一度立ち上がれる。
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