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16. 軽いプレイをお望みですか? *
しおりを挟む「もし声を出せない状態でセーフワードを言いたいときは、代わりに両手を三回打ってください。それも難しいときは、地面や床なんかを足で三回踏み鳴らす。それでセーフワードと同じと見なします」
「え……」
綾春はギクリとした。
Domが使うコマンドには発言を封じるものもあるため、セーフワードを使えないときの別手段を決めておくのは、確かに正しいプレイと言える。
ただ〈Shush〉も〈Shut up〉も軽いプレイの際にはあまり用いないコマンドだ。そのため、綾春の意に反してハードなプレイをするつもりなのかと警戒心が強まった。
「あ、誤解しないでください。軽いプレイしかやらないので! 実際にはセーフワードを使えないなんて状況にはしませんよ。もちろん、セーフワードも使わせないように努めます。でも念のため、きちんと決めておいたほうが久慈さんも安心でしょう?」
「あーそういう……。そうですね、わかりました。それでお願いします」
じゃあ、始めましょうかと小さく呟いて、東雲は一人だけソファに座った。
こういう場で、綾春は自ら進んでソファには座りに行かないことが多い。ここがプレイする場所だと知っているからだ。
別にマナーでも何でもなく、このあと待ち受ける命令が何であっても聞きやすくするために、綾春がそうしたいからだ。なので、ボックス席に入ってすぐのところで立ちっぱなしでいた。
Domの命令に従うことがSubの矜持であり快感ではあるが、Domにも満足してもらわないことにはプレイは成り立たない。互いに互いのことを思いやりながらでないと、本当に満足できるプレイができないのだというのは、Subの判定を受けたときの講習でも教わる。そういう小さな心配りは、おそらくSubのほうこそすべきものなのだろう。
そんなことをつらつらと考えながら、東雲を見ていると……ふっ、と男が笑った。
「——久慈さん、Come」
コマンドとともに、東雲がグレアを出すのがわかった。
「っ……」
綾春にだけ向けられたそれは、瞬く間に綾春の思考と自由を絡めとっていく。
——類を見ない、圧倒的なグレアだった。
今まで感じたことのない「屈したい」と思わせる威圧感。今すぐにどうにでもしてほしいと全身で叫び出してしまいそうなグレアに、思考がぐらりと揺らぐのを感じた。……心地の良い感覚だ。
東雲が出すグレアに酔いしれるようにして、綾春は命じられたとおりに男の目の前まで近づいてみせた。
「Good。ありがとうございます、嬉しいです」
本当に嬉しいと感じているようで、東雲は笑顔を向けた。葉山のときにも見た、偽りのない笑顔——。
目の前の男が喜んでいるとわかると、綾春も嬉しい気持ちになる。もっと喜んでもらいたくて、心地の良いグレアを浴びながらコマンドを待った。
「……やっぱり。久慈さん相手だと、グレアが出せる」
「え?」
「いえ、なんでもないです。それより久慈さん、Sit。もう少しお話ししましょうか」
ぼそりと呟いた言葉を綾春は聞き取ることができなかった。何を言ったのだろうと気になったが、東雲は笑顔のまま、次のコマンドに移ってしまう。
座っているソファの隣をぽんぽんと叩いてみせた東雲に、心臓がトクリと跳ねる。ただ軽くソファの座面を叩いただけなのにそうされると、指示された先——東雲の隣がとても特別なものに見えた。
綾春はふらふらと導かれるがままに、彼の隣へと腰を下ろした。
(Sitなんて軽いコマンドなのに、なんだこれ……)
さっきから東雲が出すグレアにくらくらする。気持ち悪さからではなく、心地良さからだ。
強いけれど攻撃的ではないグレアに、軽いコマンド。それなのに綾春は普段の軽いプレイでは味わえないようなSubらしい快感を感じ取っていた。
ComeもSitも、子供相手にもやるようなコマンドなのに……それが綾春の行動を縛っていく。それが嬉しくて、もっとたくさんコマンドで命じてほしかった。
「Good、従順な子は好きですよ」
軽いコマンドで命じられて、それを実行するたびに東雲の耳障りの良い低音で褒められる。その心地よさは形容しがたいものがあり、体の芯がずくずくと疼く。
なんとなくマズいと思いながらも、Domに支配されたいという気持ちがどんどん高まっていくのを抑えられない。
「まだ緊張してます? 酷いことはしないですよ」
「酷いこと……」
「あ、そういうのも好きなんですね。いま、物欲しそうな顔になった」
「っ……」
酷いこと、と言われて体の奥に熱が灯ったのを、東雲は見逃さなかったらしい。僅かな顔色の違いを見抜いた彼にとっては、些細な表情の変化もわかるということだろうか。それとも、誰の目から見ても今の綾春は「酷くしてほしい」という猥りがわしい表情をしているのだろうか。
なにより、本能を的確に言い当てられたことが恥ずかしい。だが、それすらも本能を満たす快楽に変わる。
酷くしてほしいし、恥ずかしいことをしろと命じられたい。それができたら褒めてほしい——。
そんな綾春の渇望を、東雲はゆっくりと引きずり出そうとしてきている。
この男に支配されたいと思いながらも、同時に怖いとも思った。だからつい目を逸らしてしまう。
ソファの上で小さく身を震わせていると、東雲は嬉しそうに口を弧に描きながら、じっと綾春を見つめていた。突き刺さるような視線が肌をぞくりと撫でていく。
「ふふっ、もしかして恥ずかしがってます? 想像していたよりも、ずっと可愛い反応だなぁ。でも目を逸らしちゃダメですよ、Look。その顔、もっと見せてください」
「っ……!」
またコマンドで命じられて、綾春は言われるがままに東雲を見た。
視線と視線がぶつかり、絡み合う。
「もう少しグレア強めても大丈夫です?」
「はい」
もう少しと言わずとも、もっと強くしていい。
「コマンドも、もっと強いのをください」
「へぇ? どんなの?」
すぅ、と目を細められて、少しだけ冷たさを滲ませた声色で訊ねられると、背筋がぞくぞくとした。
嗜虐心をのせた眼差しが、綾春の本能に火をつける。
「……っ……、Kneelでも、Stayでも……お好きなものを……」
Sitとは言われたが、Kneelとは言われていない。
子供だましのプレイならさておき、大人同士のプレイにおいてKneelは基本中の基本とも言われるコマンドだ。と同時に、強いコマンドの一つでもある。跪くなんて行為、日常ではそうはやらないからだ。
だからこそ、Kneelと命じられて、それに従うことはSubにとって喜びを得る一つとなったし、それを褒めてもらえるともっと嬉しい。だいたいのSubはKneelに対してそういう認識がある。
もちろん、絶対命じないといけないわけではない。しかし、性行為があろうがなかろうが、Kneelと命じるDomは多い。多いというか、ほぼ全員のDomはそのコマンドを使ってくる。Subが跪く姿は、支配し、服従させている様そのものだからだろう。
けれど、東雲はそのコマンドをまだ一度も発していなかった。
「ふふっ、おねだりが上手ですね。それじゃあ、そうだな……」
思案げな表情を浮かべた東雲は、ボックス席をぐるりと一瞥すると「ああ……」と息を漏らした。たったそれだけの仕草なのに、綾春は東雲に釘づけになっていた。なんというか……やたらと色気を感じたのだ。
つい数十分前までは見せなかった、Domとしての東雲の顔がそこにはあった。
「そこの棚に、いろいろ玩具があるんで、そこから縛られたいものを持ってきてください」
「縛ら、れ……」
そこと東雲が指をさしたのは、ボックス席の一角に置かれた二段のチェストだ。
ベッドサイドに置かれるのにちょうど良さそうなサイズのチェストは、上段と下段に分かれて引き出しがついていて、その上にアンティーク風のテーブルランプが置かれている。
「できません? 嫌ならセーフワード使ってくださいね。久慈さん、Take」
コマンドを使われると、ふらっと綾春の体が動いた。
嫌ならセーフワードをと言われたが、抵抗はそれほどない。プレイが始まる前にNG行為を確認したときにも伝えたとおり、縛られるのは問題ない。
どくどくと鼓動が鳴り、自然と浅くなる呼吸に気づきながらも、綾春は身を屈めてチェストの引き出しを開けた。
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