【完結】欲張りSubは欠陥Domに跪く

秋良

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25. 葉山もまだ夏模様

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「急にお邪魔してすみません」

 午後五時。日はまだ高く、もう一時間もすれば日暮れでも、外は辟易するほどに暑い。日本の夏は年々暑くなっている。
 社用車で出向いた綾春を迎えてくれたのは、白いシャツにアンクル丈のテーパードパンツというカジュアルな装いの東雲だった。

「とんでもない。遠いところ来てくださって、ありがとうございます。外、暑かったですよね。アイスコーヒーとお茶、どちらがお好きですか?」
「いえ、お構いなく」
「じゃあ、俺が好きなほう淹れてきますね」

 先日と同様にリビングダイニングに通されると、東雲はキッチンへと向かった。この家のキッチンは独立型で、綾春が座るダイニングスペースの隣にある引き戸で区切られている。

 お構いなくと綾春は言ったが、東雲はしばらくして陶器の白いロングカップに入ったアイスコーヒーを出してくれた。湘南のホテルに採用するものとデザインは異なるが、言うまでもなく東雲の作品のようだ。
 綾春はお礼を言って、コーヒーに口をつける。オフィスを出る前にもコーヒーを飲んだが、こちらのコーヒーのほうが美味しく感じられた。

「それで話というのは?」

 どう切り出そうかと考える前に、同じようにコーヒーを一口飲んだ東雲のほうから話が切り出された。カラン、と氷が揺れる小気味の良い音がする。
 綾春は姿勢を正して、口を開いた。

「お預かりしていた器の件ですが、採用したい店舗が見つかりました」

 そう言って、トートバッグから辻から貰った資料を取り出す。オフィスで辻から貰った中目黒の新規スペインバルの提案書だ。
 年代物のダイニングテーブルにそっと資料を置くと、東雲は驚いた表情で資料を手に取った。

「この店、もしかして諸星さんの?」
「はい。ご存知でしたか。東雲さんは諸星さんとお知り合いだと伺いましたので、新店舗について、もしかしたらすでにご存知かなとは思っていたのですが」

 中井からエストレージャのオーナーであり本件の依頼主でもある諸星と東雲が知人であると聞いたときから、もしかして、とは思っていた。綾春がサブドロップした日も東雲はエストレージャにいたし、中井の話の内容からして知人と言っても比較的近い仲であろう、と。
 だから、新規店舗について、こちらから話をせずとも東雲が諸星本人から話を聞いている可能性は頭の片隅にあった。

「ああ、いえ。諸星さんとはたしかに知り合いですが、店については詳しいことはまったくですよ。新しい店を出したいんだって話くらいで、ここまで話が進んでいるとは思ってなかったです」

 なるほど。
 となれば、この資料の表紙を見ただけで、諸星が立ち上げる新規店舗だと見抜いた東雲の観察眼はすごい。

「あの人、今度、次は中目黒に店を出すんだなんて言ってたんです。神楽坂のあの店も良い店ですけど、客層としては女性よりビジネスマンが多かったみたいなんで。若い女性にウケるスペインバルを! なんて話してたから、もしやと思って」

 中を拝見していいですか? と問われたので、もちろんと頷く。
 綾春は、一枚一枚ページを捲る東雲の指先を綾春はじっと見ていた。男らしくも美しい造形の手だ。その手がページを捲るたびに現れる店舗のイメージラフやデザイン画を見て、またページを捲っていく。

 あの手に触れたのは、三度ほど。
 一度目は、ここから続くサンルームで握手を交わしたとき。
 二度目は、あまり記憶はないけれど、エストレージャでサブドロップした綾春を運んでくれたとき。
 そして三度目は、プレイバーでラッピング用のリボンを使って躾けられたとき。

 そう言えば、一度目はひんやりと冷たい手をしていた。二度目は覚えていないけれど、優しい手つきだったと思う。そして三度目は……一度目とは真逆で、彼の熱さを感じた気がする。
 あのときのプレイでは、さして彼との接触はなかったし、触れたとしても服越しか腕を僅かに掴まれたくらいだけれど。それでも体は覚えているようで、彼の指先をじっと見ていると、体の奥に小さな火が灯るのを感じた。

 ——まだ仕事中なのに。

 東雲が持つもう一つの顔に触れたいと、綾春の本能が騒ぎ始める。
 ぐっと腹に力を入れて、綾春はどうにかその本能を理性で宥めた。

「面白いバルですね。スペインバルっていうとウッディな内装かレンガを使った壁なんかが定番で、インテリアもマホガニーやウォールナットのような木材のテーブルが多いですよね。照明も電球色でどちらかと言えば温かみか、暗さがある感じで。でもこの店は地中海沿いのリストランテかカフェテリアみたいで、若い女性にも気軽に入ってもらえそうですよね」

 東雲の感想は、まさに綾春が資料を読んだときと同じものだ。
 感性が似ているのかもしれないと思うと、嬉しくなる。

「そうなんです。エストレージャとは方向性は違いますが、それがまた、あのお皿に合うんじゃないかと思ってます」

 東雲が作った藍色とターコイズブルーの器たち。
 そこにトルティージャやチャンピニョーネス・ア・ラ・プランチャ、サルスエラが盛り付けられたら、さぞ美味しそうに見えるに違いない。

「詳しいお話はまた改めてになりますが、率直にいかがですか?」

 綾春は——そして中井も——採用したいと思っているものの、東雲がノーと言えば終わりだ。オーナーの諸星のほうは本決まりではないものの、中井の感触としては採用の方向で動いている。だから、東雲さえ前向きな返事をしてくれれば、このスペインバルの案件は一気に良い風が吹くだろう。

 ドキドキとしながら、綾春は返事を待った。

「そうですね……。諸星さんにはお世話になってますし、あの人が是非にと思ってくれているなら、俺も力になります」
「本当ですか……!」
「ええ」

 東雲の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
 綾春が「ここならマッチする」と思ったところで、東雲から色良い返事が貰えないことには始まらない。だから、良い感触が掴めたことで一気に緊張が解けた。

 ……いや、きっとそれだけではないのだ。
 綾春は、東雲にダメ出しをされることを恐れていた。だから、彼の良い反応と共感を得られて、ほっとしたのだ。

「ですが、一つだけ懸念が」
「懸念、ですか?」

 湘南のホテルの件を機に顔合わせに来たときも、東雲は小さな不安を滲ませた。やはり仕事になると、しっかりと慎重さを持ち合わせた人物のようだ。そういうところにも好感を抱く。

「俺、陶芸は一人でやっているので作成が追いつくかどうか……」

 東雲はそっと目を伏せた。
 視線の先には、スペインバルの鮮やかなイメージラフ。指先が、そっと紙を撫でた。

 不安を吐露しつつも、東雲はこの店を気に入ってくれたのだなと、綾春は確信した。それならば、綾春がやることは一つだ。彼ともっと仕事をしたい。この男が喜ぶ姿を見たい……。

「仰るとおり、そこは不安かもしれませんね。——わかりました。そこについてはスケジュールや個数などの詳細をまとめたら、改めてお話しましょう。ですが、そこまで大きな店舗ではないですし、時間もまだありますから前向きに検討いただけると嬉しいです」
「はい、それはもちろん」

 小さく微笑んだ東雲の様子を見て、綾春も安堵した。

 ——ああ、笑顔が見られて良かった。

 初めてここを訪れたとき、「ファンの言葉を信じる」と言ってくれた東雲をがっかりさせたくないと思っていた。彼の期待に応えたかった。
 そして、彼もまた綾春の期待に応えようとしてくれている。いくつかの懸念や不安はあれど、綾春のことを信じてくれようとしてくれる東雲にあたたかな感情が湧いてくる。

 仕事とは、やはり縁であり、出会いであり、人とのつながりなのだ。

 まだ始まったばかりの新規プロジェクトだが、良い店舗になることを確信する。リーダーは中井だし、綾春がどう関わっていくか具体的に決まってはいないけれど、そんな予感がした。東雲の笑顔を見たら、そんな気がした。

 そうして話が終わる頃……サンルームの大きな窓からは、まだ青空が見えていた。
 夏場は陽が落ちるのも遅い。あと三十分もすれば夕暮れ色に染まり始めるだろうけれど、まだ綺麗な青を湛えている。

「ところで久慈さん、お仕事はこれで終わりですか?」
「あーはい。車は返しに行きますけど、こちらを伺ったら今日はもう終業にしてきました」
「なるほど。……それじゃあ、よければ軽くプレイしていきませんか?」

 窓へと目を向けていた綾春は、はっと視線を東雲へと戻した。
 穏やかな表情の裏側に、獰猛な牙が見え隠れしている。

 その表情に、綾春は唾をのんだ。
 自分とて、仕事の話が終わったら東雲にプレイの提案をしようと思っていた。せっかく会ったし、予定もないならどうかと、フランクに誘うつもりだった。
 それがまさか、東雲のほうから誘ってくれるとは。

「えっ、と…………東雲さんが嫌でなければ、ぜひ」

 綾春に断る理由はない。東雲に伝えたとおり、今日の仕事は東雲との打ち合わせを最後で終業にするつもりだったから仕事としても問題はない。今から車を走らせても、会社に着くのは就業時間後だ。借りた社用車を返しに行くが、今夜のうちにオフィスに戻せば問題はない。

 けれどなぜか「自分も誘おうと思ってた」とは言えなくて、多少の遠慮と自身の意向を混ぜこぜにして答える形になってしまった。すると、綾春の反応が面白かったのか、東雲は目を細めて答えた。

「嫌だなんて、とんでもない。それに……久慈さんも、そのつもりで来たんですよね?」
「……っ」

 不意に絡み合った視線が熱い。

「し……新規案件の報告も兼ねて、です」
「ふふっ。そういうことにしておいてあげます」

 取り繕いながら言えば、東雲は先ほどとは打って変わったラフな口調と意地悪めいた視線で、綾春を視線で縫い留めていた。

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