【完結】欲張りSubは欠陥Domに跪く

秋良

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36. かつての努力

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 綾春とて、努力できることはしてみた。

 浮気だなんだと疑われるのが嫌で、抑制剤と抗不安薬を限界まで服用して、プレイはせずに欲求不満に耐えようとしたこともある。けれど、Sub特有の不安症状が酷くなって、体調は常に悪く、無意識の自傷行為に走ることも増えた。最終的には、ドクターストップがかかった。
 恋人のためだと我慢すればするほど、自分を傷つける結果となり、それが巡り巡って相手を傷つけた。

「それで『じゃあ恋はせずプレイだけ』ってプレイパートナーだけ作ったこともありました。けど、長く続くとその関係が虚しくなるんです。そうするとプレイをしても欲求不満はさして解消されなくなる。そのうちに、プレイパートナーが自分じゃ満たされないのかって落ち込んだり、躍起になったやつに手酷くされかけたり。セーフワードを使ったこともあります。——でもほら、セーフワードって、DomにしてもSubにしても使うと苦しいじゃないですか。そういうのもあって、だんだんプレイだけの関係を築くのも億劫になりまして……。めっきり店のキャストに頼むことが増えました」

 カラン、とグラスの中で氷が溶ける音が鳴る。

「なんというか……恋もプレイも、俺は全部下手なんですね。加減がわからなくなって、上手く立ち回れない」

 世間では、恋愛とプレイを別にしてそれぞれ楽しんでいるDomもSubもいる。
 自分だってせめてどちらかは楽しみたいのだが、強すぎるSub性と、無駄に良い容姿と、不器用な性格が足を引っ張ってくる。

 贅沢な悩みだと嗤われることもあった。我儘なだけ、堪え性がないだけ、付き合い下手なお前が悪い——友人からそう言われて、笑顔の裏で傷ついたことは一度や二度じゃない。

「けど久慈さん、俺とは続いてますよね。パートナーというかリハビリ相手ですが」

 恋愛に対してもSubという性に対しても上手くできないと嘆く綾春に、東雲の低くて穏やかな声は、じんわりと浸透していく。

「東雲さんとプレイをする間柄になっているのは、自分でも驚いてます」

 綾春は苦笑しながら答えた。

 特定の人物とプレイをし続けるというのはもう何年もやってこなかった。

 綾春は抑制剤と抗不安薬を飲んでいても、月に一度は何かしらの形でプレイをしないと心身に影響が出る。だから接触を最低限にしたプレイを中心に、時には深めのプレイを混ぜて過ごしてきたが、いずれも公的機関のスタッフか、プレイ店のキャストを相手にプレイしていた。
 キャスト相手にトラブルがないわけではなかったが、誰か一人と限るよりはプロ相手のほうがマシではあった。ただ、虚しさはずっと解消されなくて、心の底から満たされたことはない。

 そんな綾春が、今は東雲としかプレイをしていない。しかも、いまだ虚しさを味わってもいない。それはもしかしたら、リハビリ目的という大義名分があるからかもしれないけれど。

「じつを言うと——東雲さんのこと、便利なDomだって思ってるんです。前にここで『またプレイをしないか』って誘われたとき、『利用しているみたいで申し訳ない』って仰ったでしょ? あれ、まんま俺のことですよ」

 緩やかに酒が回ってきたのか、アルコールは綾春の口を滑らかにさせた。あるいは、時折優しく響く低音の相槌が綾春の心のうちを溢れさせているのかもしれない。
 彼が静かに話を聞いてくれるのは、なんだか心地が良かった。だから、気持ちを吐露することで救われたかったのかもしれない。

 そういえば、東雲の質問はなんだったか。たしか、なぜパートナーや恋人……要は特定の相手を作らないのか、という質問だった。
 その問いにはもう一定の答えを示したけれど、心の端っこでずっとモヤモヤしていたものを曝け出すことを望んでいると自覚した。だから、口は噤むことを忘れたように今なお、ぺらぺらと滑るように言葉を紡いでいく。

「リハビリの相手ってことなら、パートナーってわけじゃないでしょう? 治療行為だから虚しさを感じることもないかと思って。それに東雲さんは特定の方がいない。それなら相手の方から変な誤解を受けてトラブルになる心配もないし、仕事の取引相手なので踏み込んだ関係になるのも低いかなって……。だから、東雲さんのこと、気楽なプレイ相手として利用できるなって思いました。金銭だって発生しないですし」

 まあでも、こうして列挙したのはどれもこれも些細なものだ。
 本当のところは——。

「なにより……俺より高いランクのDomなんて、滅多にいないから」

 なぜ、こんなことを話そうと思ったのか、綾春にもわからない。
 言わなければわからないような自分の気持ちを、コマンドで命じられたわけでもないのにわざわざ明かすだなんて。

 でも、東雲がグレア不全症になってしまった『過去のあやまち』を話してくれたのだから、誠意は誠意で返したかったのだろうと思う。自分が話している内容は、決して誠意があるものとは言えなくとも。

「……なるほど。でも、仕事でも何でも、しつこく迫る相手はいたんじゃないですか? 魅力的な久慈さんなら、なおのこと。仕事相手だからって信じちゃうのは、危険だと思いますけど」

 ロブ・ロイが入ったグラスを傾けながら、東雲が問う。
『魅力的な』という単語に熱がこもったように聞こえて、カウンターの上に置いていた綾春の指先がぴくりと小さく震えた。

「あー、まあ……仕事で知り合ってしつこく言い寄ってくるDomもいましたけど。でも東雲さんはなんというか、そう間違いが起きにくそうかなと。リハビリ相手、ですし」

 そう言うと、東雲は曖昧に笑った。その意図はよく読めない。
 グッと残りのカクテルを煽る。溶け残った氷と螺旋状のレモンの皮がグラスの中で揺れた。

「まあ、そんな自分勝手な計算をしまして。それで、プレイ相手になる提案にオーケーを出したんです。東雲さんの『藁にも縋る思い』を便利だと思って利用していたなんて、呆れますよね。……俺は、嫌なやつなんです」
「そんなこと、ないですよ」
「そうですかね……」

 飲み干したグラスの水滴を指でなぞる。
 嫌なやつだと自分を卑下すれば、そんなことはないと東雲は言う。その彼の優しさにつけ込むように話してしまったことに、バツの悪さが残った。東雲ならば優しい言葉をかけてくれるだろうと……無意識にそう思っていた自分に気づいてしまったのだ。

 だからこそ、自分は嫌なやつだなと改めて思った。

「でも、ランクに見合う相手がいないってのも本当です。東雲さんとプレイする前は、プレイ店に行って発散させてましたけど、いつも何か足りなくて。だから抑制剤も抗不安薬も絶対欠かせなかった。それが今じゃ、抗不安薬の服用も減っていて……調子がいいんですよね」

 今さらだと思いつつも、取り繕うように言った。
 とはいえ、綾春が言ったことに嘘はない。自分のランクに見合う相手に出会ったことがないのは事実だ。

 でもそれは「Aランクだから」という理由だけではない。
 その点については、綾春は僅かに嘘をついている。嘘をついているというか、真実を言えていない。

「Aランクでしたよね。まあたしかに滅多に見ませんね」
「ですよね。DomもSubも、大抵の人はBランク止まりですから」
「けど、それなりに高ランクのDomもいるにはいたでしょう? Aだって、探せばいないわけじゃないですし」
「それは、まあ……」

 東雲の言うように、いないことはない。現に東雲だって高ランクのDomだ。まあ、SランクのDomなんて東雲以外に見たことはないけれど。

 ——東雲ならば、言ってもいいかもしれない。

 恋愛とプレイが下手だと嘆く綾春を嗤わずに、淡々と話を聞いてくれる優しいDomだ。それに綾春と同じように高いダイナミクスを持っている。

 はぁ……と、ため息を一つ。
 カウンター上に出していた手は、無意識のうちに小さく拳を作っていた。

「俺、ランクの判定はAですけど……欲だけで見ればSランクだからって、医者には言われてるんです」

 はっと小さく息を呑む音が隣から聞こえ、綾春はぎゅっと目を瞑った。そして、言われるであろうことに、耐えるように体を硬くしながら、ゆっくりと言葉を紡いでいった。

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