36 / 77
36. かつての努力
しおりを挟む綾春とて、努力できることはしてみた。
浮気だなんだと疑われるのが嫌で、抑制剤と抗不安薬を限界まで服用して、プレイはせずに欲求不満に耐えようとしたこともある。けれど、Sub特有の不安症状が酷くなって、体調は常に悪く、無意識の自傷行為に走ることも増えた。最終的には、ドクターストップがかかった。
恋人のためだと我慢すればするほど、自分を傷つける結果となり、それが巡り巡って相手を傷つけた。
「それで『じゃあ恋はせずプレイだけ』ってプレイパートナーだけ作ったこともありました。けど、長く続くとその関係が虚しくなるんです。そうするとプレイをしても欲求不満はさして解消されなくなる。そのうちに、プレイパートナーが自分じゃ満たされないのかって落ち込んだり、躍起になったやつに手酷くされかけたり。セーフワードを使ったこともあります。——でもほら、セーフワードって、DomにしてもSubにしても使うと苦しいじゃないですか。そういうのもあって、だんだんプレイだけの関係を築くのも億劫になりまして……。めっきり店のキャストに頼むことが増えました」
カラン、とグラスの中で氷が溶ける音が鳴る。
「なんというか……恋もプレイも、俺は全部下手なんですね。加減がわからなくなって、上手く立ち回れない」
世間では、恋愛とプレイを別にしてそれぞれ楽しんでいるDomもSubもいる。
自分だってせめてどちらかは楽しみたいのだが、強すぎるSub性と、無駄に良い容姿と、不器用な性格が足を引っ張ってくる。
贅沢な悩みだと嗤われることもあった。我儘なだけ、堪え性がないだけ、付き合い下手なお前が悪い——友人からそう言われて、笑顔の裏で傷ついたことは一度や二度じゃない。
「けど久慈さん、俺とは続いてますよね。パートナーというかリハビリ相手ですが」
恋愛に対してもSubという性に対しても上手くできないと嘆く綾春に、東雲の低くて穏やかな声は、じんわりと浸透していく。
「東雲さんとプレイをする間柄になっているのは、自分でも驚いてます」
綾春は苦笑しながら答えた。
特定の人物とプレイをし続けるというのはもう何年もやってこなかった。
綾春は抑制剤と抗不安薬を飲んでいても、月に一度は何かしらの形でプレイをしないと心身に影響が出る。だから接触を最低限にしたプレイを中心に、時には深めのプレイを混ぜて過ごしてきたが、いずれも公的機関のスタッフか、プレイ店のキャストを相手にプレイしていた。
キャスト相手にトラブルがないわけではなかったが、誰か一人と限るよりはプロ相手のほうがマシではあった。ただ、虚しさはずっと解消されなくて、心の底から満たされたことはない。
そんな綾春が、今は東雲としかプレイをしていない。しかも、いまだ虚しさを味わってもいない。それはもしかしたら、リハビリ目的という大義名分があるからかもしれないけれど。
「じつを言うと——東雲さんのこと、便利なDomだって思ってるんです。前にここで『またプレイをしないか』って誘われたとき、『利用しているみたいで申し訳ない』って仰ったでしょ? あれ、まんま俺のことですよ」
緩やかに酒が回ってきたのか、アルコールは綾春の口を滑らかにさせた。あるいは、時折優しく響く低音の相槌が綾春の心のうちを溢れさせているのかもしれない。
彼が静かに話を聞いてくれるのは、なんだか心地が良かった。だから、気持ちを吐露することで救われたかったのかもしれない。
そういえば、東雲の質問はなんだったか。たしか、なぜパートナーや恋人……要は特定の相手を作らないのか、という質問だった。
その問いにはもう一定の答えを示したけれど、心の端っこでずっとモヤモヤしていたものを曝け出すことを望んでいると自覚した。だから、口は噤むことを忘れたように今なお、ぺらぺらと滑るように言葉を紡いでいく。
「リハビリの相手ってことなら、パートナーってわけじゃないでしょう? 治療行為だから虚しさを感じることもないかと思って。それに東雲さんは特定の方がいない。それなら相手の方から変な誤解を受けてトラブルになる心配もないし、仕事の取引相手なので踏み込んだ関係になるのも低いかなって……。だから、東雲さんのこと、気楽なプレイ相手として利用できるなって思いました。金銭だって発生しないですし」
まあでも、こうして列挙したのはどれもこれも些細なものだ。
本当のところは——。
「なにより……俺より高いランクのDomなんて、滅多にいないから」
なぜ、こんなことを話そうと思ったのか、綾春にもわからない。
言わなければわからないような自分の気持ちを、コマンドで命じられたわけでもないのにわざわざ明かすだなんて。
でも、東雲がグレア不全症になってしまった『過去のあやまち』を話してくれたのだから、誠意は誠意で返したかったのだろうと思う。自分が話している内容は、決して誠意があるものとは言えなくとも。
「……なるほど。でも、仕事でも何でも、しつこく迫る相手はいたんじゃないですか? 魅力的な久慈さんなら、なおのこと。仕事相手だからって信じちゃうのは、危険だと思いますけど」
ロブ・ロイが入ったグラスを傾けながら、東雲が問う。
『魅力的な』という単語に熱がこもったように聞こえて、カウンターの上に置いていた綾春の指先がぴくりと小さく震えた。
「あー、まあ……仕事で知り合ってしつこく言い寄ってくるDomもいましたけど。でも東雲さんはなんというか、そう間違いが起きにくそうかなと。リハビリ相手、ですし」
そう言うと、東雲は曖昧に笑った。その意図はよく読めない。
グッと残りのカクテルを煽る。溶け残った氷と螺旋状のレモンの皮がグラスの中で揺れた。
「まあ、そんな自分勝手な計算をしまして。それで、プレイ相手になる提案にオーケーを出したんです。東雲さんの『藁にも縋る思い』を便利だと思って利用していたなんて、呆れますよね。……俺は、嫌なやつなんです」
「そんなこと、ないですよ」
「そうですかね……」
飲み干したグラスの水滴を指でなぞる。
嫌なやつだと自分を卑下すれば、そんなことはないと東雲は言う。その彼の優しさにつけ込むように話してしまったことに、バツの悪さが残った。東雲ならば優しい言葉をかけてくれるだろうと……無意識にそう思っていた自分に気づいてしまったのだ。
だからこそ、自分は嫌なやつだなと改めて思った。
「でも、ランクに見合う相手がいないってのも本当です。東雲さんとプレイする前は、プレイ店に行って発散させてましたけど、いつも何か足りなくて。だから抑制剤も抗不安薬も絶対欠かせなかった。それが今じゃ、抗不安薬の服用も減っていて……調子がいいんですよね」
今さらだと思いつつも、取り繕うように言った。
とはいえ、綾春が言ったことに嘘はない。自分のランクに見合う相手に出会ったことがないのは事実だ。
でもそれは「Aランクだから」という理由だけではない。
その点については、綾春は僅かに嘘をついている。嘘をついているというか、真実を言えていない。
「Aランクでしたよね。まあたしかに滅多に見ませんね」
「ですよね。DomもSubも、大抵の人はBランク止まりですから」
「けど、それなりに高ランクのDomもいるにはいたでしょう? Aだって、探せばいないわけじゃないですし」
「それは、まあ……」
東雲の言うように、いないことはない。現に東雲だって高ランクのDomだ。まあ、SランクのDomなんて東雲以外に見たことはないけれど。
——東雲ならば、言ってもいいかもしれない。
恋愛とプレイが下手だと嘆く綾春を嗤わずに、淡々と話を聞いてくれる優しいDomだ。それに綾春と同じように高いダイナミクスを持っている。
はぁ……と、ため息を一つ。
カウンター上に出していた手は、無意識のうちに小さく拳を作っていた。
「俺、ランクの判定はAですけど……欲だけで見ればSランクだからって、医者には言われてるんです」
はっと小さく息を呑む音が隣から聞こえ、綾春はぎゅっと目を瞑った。そして、言われるであろうことに、耐えるように体を硬くしながら、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
54
あなたにおすすめの小説
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
親友が虎視眈々と僕を囲い込む準備をしていた
こたま
BL
西井朔空(さく)は24歳。IT企業で社会人生活を送っていた。朔空には、高校時代の親友で今も交流のある鹿島絢斗(あやと)がいる。大学時代に起業して財を成したイケメンである。賃貸マンションの配管故障のため部屋が水浸しになり使えなくなった日、絢斗に助けを求めると…美形×平凡と思っている美人の社会人ハッピーエンドBLです。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
【完結】俺だけの○○ ~愛されたがりのSubの話~
Senn
BL
俺だけに命令コマンドして欲しい
俺だけに命令して欲しい
俺の全てをあげるから
俺以外を見ないで欲しい
俺だけを愛して………
Subである俺にはすぎる願いだってことなんか分かっている、
でも、、浅ましくも欲張りな俺は何度裏切られても望んでしまうんだ
俺だけを見て、俺だけを愛してくれる存在を
Subにしては独占欲強めの主人公とそんな彼をかわいいなと溺愛するスパダリの話です!
Dom/Subユニバース物ですが、知らなくても読むのに問題ないです! また、本編はピクシブ百科事典の概念を引用の元、作者独自の設定も入っております。
こんな感じなのか〜くらいの緩い雰囲気で楽しんで頂けると嬉しいです…!
大学一軍イケメンにいちご狩りに誘われた陰キャの俺、なぜかいちごじゃなくて俺が喰われたんだが(?)
子犬一 はぁて
BL
大学一軍イケメン×大学九軍陰キャ
喰われるなんて聞いてないんだが(?)
俺はただ、
いちご狩りに誘われただけだが。
なのに──
誘ってきた大学一軍イケメンの海皇(21)に
なぜか俺が捕まって食われる展開に?
ちょっと待てい。
意味がわからないんだが!
いちご狩りから始まる
ケンカップルいちゃらぶBL
※大人描写のある話はタイトルに『※』あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる