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第一章

第六話 ヴァランデル -6-

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 ちょっとした宴会を終え、各々が家路に着く。残されたのは俺とアルだけだ。後片付けといっても、軽い洗い物を済ましてから再び紅茶の準備をする。
  汲みたての水を火にかけ、ポットとカップにお湯を注いで温め始める。

「ところでヴァラン、私がここを発つ前にお願いしたことを覚えているかしら」
「ああ、覚えているさ。部屋と、結婚と、俺の過去の話。そうだろう」
「嬉しいわ、全部覚えていてくれて」
 程よく茶葉が蒸れたのでポットの中を軽く混ぜ、濃さが均等になるようにまわし注ぐ。
「そうだな、まずは俺がなぜこの"セレルの酒場"でマスターをしているか、から話そうか」





 元々俺は食堂を経営している叔母の友人がやっている冒険者のための酒場であるここへの手伝いとしてここに送り出された。傍から見れば厄介払いなのだろう。

 たまたま母と付き合いがあって、そして生きている唯一の親戚というだけで俺を引き取ってくれた叔母の家は決して裕福ではなかった。それにも関わらず俺が成人するまで育ててくれた。
 だからこそ送り出されたことに恨みはない。


 俺が送り出されることになった酒場であるセレルの酒場は、飯と酒は美味いし兼業している宿屋は冒険者用の宿屋としたらやや上等で常連客も多く評判も上々。文句なしのいい酒場だった。

 そんな酒場を経営しているマスターは日に焼けた肌と顔に走っている傷跡が特徴的で、最初こそ無愛想でおっかないという印象であったが、懐が深い面倒見のいい人だった。そんなマスターの娘であるセレルは、背中まである長い銀髪が印象的で、マスターとは反対に人懐っこい笑顔が特徴的で明るい性格だからと看板娘として皆に可愛がられていた。
 そして、セレルは冒険者としても活動していて、酒場に訪れる多くの冒険者が彼女に冒険者として必要な様々な知識を教えてもらっていた。確か、出会ったときはまだ冒険者になって半年であったが、銀手前という実力の持ち主だったはずだ。

 マスター達は元々は別の地方からこの街に引っ越してきたのだが、馴染みの客の大半が各地を転々としている渡り鳥の冒険者であるということもあってか、ここで店を構えることになっても訪れる客の殆どが昔の頃からの常連だった。

 俺はそこで働くにあたり、冒険者のための酒場で働くなら冒険者について知るべきだというマスターの勧めで冒険者としても活動をすることとなった。
 そうしてセレルに先導されて受けた初めての適性検査の結果、俺は珍しく魔力を用いることへの適正があるということが判明したので魔法師を選択した。
 俺が冒険者に登録をしたその日はマスターが酒場を貸し切って祝いの場を設けてくれ、俺が魔法師になったということを伝えると皆が祝福をしてくれた。

 そしてセレルと同じように週の半分は冒険者をして、残り半分は酒場で働くという生活が始まった。セレルは前衛職の双剣士であり、俺は後衛職の魔法師。そして歳も近いということもあって、俺が鉄に上がった冒険者として2ヶ月目以降は2人で依頼を受けていた。

 フォルターさんと知り合ったのは冒険者登録をして半年ほど経った頃だった。当時のフォルターさんは今からは想像できないほどに人付き合いが悪くて、俺達なんかに教えることはないといった態度だったんだが、常連さんたちが折角の魔法師同士だからと俺の稽古をつけてやったらどうだと訊いてくれてな。
 なかなか渋ったらしいが、マスターが押し切ってくれてな。そしてセレルには剣術を、俺には魔法師としての戦い方を教えてくれるようになったんだ。
 俺とセレルはフォルターさんを”先生”と呼び始めてな。最初こそ嫌がられたが結局はフォルターさんが折れてそう呼んでいたんだ。


 俺が銀の冒険者に上がったのは冒険者になって半年の頃でな。その頃にはセレルと俺はマスターの宿屋の一室、アルの荷物の置いてあるあの部屋を借りて二人で暮らしていたんだ。
 周りには俺とセレルの二人の関係を祝福する人に囲まれていた。勿論、その中には角が取れ始めたフォルターさんもいて、稽古の合間によく結婚はまだかとせっつかれていた。
 マスターは俺達が結婚するということを薄々わかっていても大切な一人娘だから少しだけ渋っていてな。結果マスターが俺達に提示した条件が、銀細工の薔薇を10本作れるだけの稼ぎを見せてくれ、ってやつだったんだ。
 それからは冒険者としての活動にも精を出してさ。俺が冒険者になって2年目の頃に2人で金の冒険者になった。
 純銀製だから高いんだ、って言いながらも半年に1本ほどの調子で薔薇はどんどん増えていってな。
 金になって5年目、俺が23歳になってしばらくしてからマスターが次の依頼を受けたら10本目だな、って寂しそうに呟いたんだ。 

 マスターの酒場で受けたのはここの酒場の仕入先でもある商店が贔屓にしている隊商の護衛だった。それ自体は恙無く終えて、後は帰るだけだったんだ。
 ただ、マスターや常連さんたちに何かを買おう、ということをどちらからともなく話し出してな。手持ちでは足りなそうだから、と護衛の目的地の街にある酒場で大量発生した熊の討伐依頼を受けたんだ。
 熊自体は銀の冒険者が手に入るような装備なら傷をつけることはできないし、攻撃を喰らえば即死。だが、金になってしまえば苦戦するような相手ではない。ただ、その街は熊と渡り合えるような金の冒険者が滅多に寄り付かないような小さな街だったというのもあって、熊の討伐依頼を受けたんだ。

 いくら熊とはいえ、気を緩めるつもりはなかった俺達は装備を互いに点検しあい、万全の準備を整えてから森へ向かったんだ。

 依頼された数である10頭ほどの熊を討伐するのにそこまで時間はかからなかったし互いに消耗もほとんどしなかった。荷物を纏めて帰ろうとしたその時、急に視界が暗くなり突風が吹いたんだ。
 不審に思い顔を上げると、本来なら森にいるはずがないような立派な龍が空に居て、俺達の眼の前に降り立った。


 龍自体なら、幼体であれば銀であっても複数のパーティで挑めば討伐しうるし、若年であっても金の冒険者が複数のパーティが集まれば討伐は可能で、そもそも撃退であれば金の冒険者が数名いればいい。
 でも、生体となってしまえば1つの国家が全ての財を防衛に用いてようやく撃退できるか否か、それ程までに恐ろしい存在だ。

 俺とセレルは若年の龍を2人で討伐したことはあったが、だからこそ龍の恐ろしさを知っていた。それ故逃げることを選んだ。
 ただ、容易に逃げ切れるなんてお互いに思っていなかった。だからこそ互いに普段通りの陣形を、セレルが俺より2歩前といういつもの陣形になり、2人で同時に奴の目を目掛けて攻撃をした。俺は魔力爆発を、セレルは短剣の投擲をし、それと同時に身体を反転させ全速力で逃走する。
 だが、俺達が攻撃をした直後、殴りつけるような風が吹いたため思わず目を閉じた。あまりの風圧に体勢を崩され膝をつき、目を開けたが眼の前にセレルは居なかった。

 先に逃げたのだろう、そう信じたかったがセレルが居たはずのところにはセレルが持っていたはずの剣がひしゃげて落ちていて、その周辺には血とセレルが着けていたはずの鎧が散っていたんだ。


 そこから先、俺は記憶がない。気がついたのは俺達が出発したはずの街の宿屋のベッドの上で、フォルターさんが俺の隣に座っていた。
 俺が目を覚ますなりフォルターさんは事の顛末を話してくれた。

 あの龍はギルドにもその存在を確認されていたものであり本来ならばこの近隣の酒場全てに限界注意の通達が届いていたはずだという。その通達自体はあの酒場に届いていたのだが、酒場側のミスで通達を確認しなかったらしい。
 そして、あの熊の討伐依頼自体俺とセレルが到着する前日に旅をしているという壮年の男性が熊を見たということで依頼をしたらしいが、その男は既に姿を消しているようだ。

 セレルの酒場でしか依頼を受けない俺たちからすると信じられない程杜撰な体制だった。
 素性のわからない人間からの依頼を直接掲示するということ自体信じられないが、何よりも通達を確認し損ねるという事態が考えられなかった。
 

 一通りの顛末を聴いたあと、フォルターさんに冒険者としてまだ戦えるかと尋ねられたがどうにも冒険者として奮起するような気持ちになれなかったので無理だと答えた。


 その後、フォルターさんに頼んで冒険者カードを処分してもらい、それにより手に入れた金でそこの街でもヴァルロットでもない小さな村で腑抜けた日々を過ごしていた。
 人とは殆ど話さず、宿から出ることも殆どしなかった。ただ、定期的にフォルターさんは俺の元に来てくれたからその時だけは出歩いた。

 ただ、そういった生活を続けて2年ほど経った頃フォルターさんはマスターが亡くなったということを伝えにきた。
 俺とセレルがあの酒場から去ってからマスターは急に老け込んでしまい、店を閉めてヴァルロットのどこかに借りた部屋に籠もりきりであったらしい。亡くなる前日の夜は元気そうであったのだが、翌日会いに行ったらマスターが亡くなっていたという。

 マスターが亡くなったという事実を受け入れられなかった俺はフォルターさんと共にヴァルロットに戻った。
 2年振りに見たセレルの酒場は酷く寂れていた。フォルターさんは酒場の鍵を預かっていたそうで、鍵を使い中に入る。フォルターさんはどうやら俺宛のマスターからの手紙を2通預かってたようで、それがカウンターに置かれていた。

 マスターからの手紙を1つ手にする。中には結婚を祝う旨の言葉と、セレルを幸せにしろという言葉のみが書かれていた。簡潔な言葉ながら、マスターらしい手紙であった。
 もう1つは、この店の所有権を俺に譲るということが書かれていた。
 
 それらを読み終わると、フォルターさんは小さな小箱を俺の目の前に置いた。結婚をするにあたり、セレルが俺に用意をしていた贈り物だという。注文主であるセレルが受け取りに来ないため宝飾店が店に訪れたことで判明したらしい。

 中には魔除けの刻印が施された銀製のペンダントが入っていた。


 マスターから店を譲って貰ったものの、1年は店を開くことはしなかった。俺が無為に過ごした時間でギルドの制度が変わり、酒場を開くには免許が必要となったのだ。
 従前から店を構えている人はそのまま試験さえ受ければよかったのだが、俺はそうではなかったということもあるが、何よりも酒場の態勢が真っ当であれば起きなかったであろう悲劇を減らしたかったのだ。
 1年を掛けて勉強をする間、冒険者にとって実力を発揮できる酒場の姿を考えていた。その結果が、冒険者の実力をある程度見定めてから仕事を紹介するという仕組みであった。
 
 冒険者の多くは自分の力量を見誤り身の丈に合わない依頼を受けて死んでいく。そうすると俺のように残された者や、別の人間が悲しむことになる。
 だとすれば、その冒険者の実力に見合った依頼を紹介していけばいい。

 そう考えてのことだった。

 いざ免許を得て店を開いても、客足はまばらで閑古鳥が歌うのみだった。それもそうだろう。ヴァルロットには他にも酒場があるのだから、こんな面倒な仕組みの酒場など選ぶはずがないのだ。
 ただ、俺はあの看板を下ろしたくはなかった。だからこそ、身銭を切ってでもこの酒場を続けていた。

 全てを話した後、アルは穏やかな声でこの店を選んだ理由を教えてくれた。
 セレルの酒場は文字通りマスターの娘のセレルの名前だが、セレルとはある国では銀を意味するらしい。
 そして、アージェントも別の国の言葉で銀を示すのだという。
 つまるところ、この店は「銀の酒場」という名前と解釈したようで、そこに縁を感じたのだという。
  それを言いながらアルはつくづく銀に縁のある男なのね、と笑っていた。
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