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しおりを挟むウエンツは焦っていた。
「そこをどけっ。この女の頭と胴が離れ離れになるぞっ」
アイラが、娼館の従業員なのだろう男から、首に腕を回すようにして捕らえられている。アイラの首には男の持つ短刀が今にも食い込みそうだ。
ウエンツは魔法でここまで来た。
何度魔法を使おうと、ウエンツの魔力は枯渇しない。まだまだ魔法を使うことはできる。
今も男を魔法で撃退すればいいだけの話なのだが、そうはいかない。
ウエンツの魔法は威力が強すぎる。
もし男に魔法を使ったなら、男に捕らえられているアイラにも魔法の余波が及んでしまう。
怪我では済まないかもしれない。
絶対に魔法は使えない。
ウエンツが一緒に移転で連れてきた騎士達も魔法を使える。ウエンツの後ろに控えているが、その騎士達にも、魔法を使わないように合図を送っている。
ウエンツよりも威力が弱い魔法だとしても、少しでも男から逸れてしまえばアイラが危ない。
ウエンツは男の言うままに扉から後ろへと下がって行くしかない。
アイラは着衣に乱れはなく、大きな怪我もないようでウエンツは安堵したのだが、男の行動次第で、どうなるか分からない。
なんとか愛しい番を取り戻したいが、それが叶わず唸るしかない。
「このアマッ。ふざけた真似をしやがってっ!」
いきなり男が叫ぶと、アイラの首に回していた腕を強くする。
「きゃあっ」
アイラは首を絞められることになり、悲鳴を上げる。
アイラは持っていた小刀を男に突き立てたのだ。
アイラが小刀を持っていることは知っていた。歓迎レセプションの会場から、いきなり寝室に引っ張り込み、ドレスを脱がせたときにサッシュから落ちてきた。
小刀はれっきとした凶器で、国王の寝室に持ち込んでいいものではない。だが小刀は余りにも小さく、飾り石が散りばめられた鞘に入っており、装飾品にしか思えなかった。
アイラに聞くと、母親から貰ったお守りだと答えた。持ち物検査もせず、いきなり寝室に連れ込んだ手前、取り上げることもできず、そのまま持つことを許していた。
まさか、その小刀を男に突き立てるなんて、あまりにも無謀だ。やはり男に致命傷を与えることはできなかった。
だが、そのアイラの行動で、アイラの首に当てられていた短刀が少し離れた。
ウエンツはその瞬間を逃がさなかった。
アイラを短刀から引き離すようして、男との間に割り込んだ。
ウエンツの行動に気づいた男は、慌ててウエンツに向け短刀を振り下ろす。
「ウエンツ様ぁーっ!」
ゴッ。
アイラの悲鳴と、短刀がウエンツの耳の後ろに叩きつけられた鈍い音が同時に聞こえてきた。
いくら人族に比べ頑丈な獣人だとはいえ、怪我もするし血も流れる。
ウエンツの頭から溢れ出た血が流れだし、顔へと伝う。
「いやぁっ。なぜっ、なぜなのっ」
アイラがウエンツにしがみ付き、ウエンツはアイラを胸に抱き込む。
ジュッ。
短い音と、少し焦げくさい臭いが辺りに漂った。
アイラを取り戻したウエンツは、魔法をやっと使うことが出来た。
魔法の直撃を受けた男は一瞬で炭になり、次の瞬間に、炭は消滅してしまった。
男の存在は、この世からなくなってしまったのだった。
アイラはウエンツの胸の中で、そのことに気づくことはない。
「アイラ、怪我はないか。どこか具合が悪い所はないか」
自分は頭から血を流しているというのに、ウエンツはアイラの心配をする。
「陛下、大丈夫ですかー」
「あーあ、血が流れているじゃないですか、さっさと治してくださいよ」
ウエンツの周りに騎士達が集まって来るが、アイラが助かったからなのか、男がいなくなったからなのか、なぜか口調はのんびりしている。
「ウ、ウエンツ様が怪我をっ。早くお医者様をっ。早くっ」
アイラ一人が焦っている。
「大丈夫ですよ。それぐらいだったら、陛下は自分で治しちゃいますから」
「そうですよ。さっさと治せばいいのに、婚約者様に心配して欲しいだけじゃないですか?」
騎士達は取り乱すアイラになだめるように説明する。
「アイラ、怖かっただろう。もう大丈夫だ」
「どうして? どうして私を庇ったりしたのですか。私なんて死んでもいいのに。ウエンツ様が私を庇うなんて、していいことではありません。そのためにウエンツ様が怪我をしてしまうなんて」
「なっ、何を言うのだっ。死ぬなんて冗談でも言わないでくれっ」
「冗談なんかではありません。私は捨てられた身です。ウエンツ様が怪我をしてまで助ける価値はありません」
アイラは泣きながら訴える。
ウエンツが自分を助けに来てくれた。そのことが嬉しい。とても嬉しい。
もう二度とウエンツに会えるとは思っていなかった。その思いが叶って嬉しくてたまらない。
だが、自分のせいでウエンツが怪我をすることは、あってはならない。
役に立たないと捨てられた身なのに、どこまでウエンツに迷惑をかけてしまうのか。
「何を言っているのだ。捨てられたとはどういうことだ……。も、もしかしてアイラは私を捨てるつもりなのか? とうとう愛想を尽かしてしまったのか? すっ、済まなかった。アイラを守ると言いながら、アイラを辛い目に会わせてばかりいて、本当に申し訳ないっ。頑張るからっ。今度から絶対にアイラを辛い目に合わせないように頑張るから、どうか捨てないでくれっ」
アイラの話に不思議そうに首を傾げていたウエンツは、徐々に青い顔になり、アイラに縋りつく。
「あーあ、とうとう陛下が捨てられてやんの」
「陛下ってば、情けないなぁ」
周りで騎士達がヤジを飛ばす。
ウエンツの連れている騎士達は、ウエンツが魔法師団にいた時からの部下達だ。付き合いは長いし、気が置けない仲だ。
「煩いっ。私を下げるのは止めろ。これ以上アイラに情けなく思われたくない」
ウエンツが叫ぶ。
「どうして……」
「ん、どうした? 何かしてほしいことがあるのか? 何でも言ってくれ。いや、言って下さい」
アイラの小さな呟きにウエンツが反応する。
男から引き離された時から、アイラはずっとウエンツの胸の中だ。ウエンツは嬉しそうにアイラに頬を寄せている。
「私は役に立たないと捨てられたのではないのですか? 傍に置いておくのが嫌になったからと、家に戻されたのではないのですか? それなのに、どうして助けて下さったのですか」
「はぁ?」
「どういうことだ?」
アイラの悲痛な問いに、ウエンツは間抜けな声を出し、ヤジを飛ばしていたディダンは何かがおかしいと気づいた。
「えっとぉ、アイラちゃんはウエンツの婚約者だよね」
「はい。ウエンツ様から選んでいただいた時から婚約者をさせていただいております」
「させてって……。合意だよね? アイラちゃんもウエンツを好きだから婚約者になったんだよね? もしかして無理やりとか」
「止めろ。そんなはずは無い。アイラはちゃんと私のプロポーズを受け入れてくれている」
ディダンの疑問に、ウエンツが即座に否定する。
「え、プロポーズ?」
アイラは不思議そうな顔をする。
「まさか……。ちゃんとプロポーズしたって言っていたよな。嘘をついていたのか?」
「した。ちゃんとした。アイラは私のプロポーズに “イエス” と言ってくれたっ」
ディダンの疑いの目にウエンツはプルプルと頭を振って否定する。
「アイラは私の給餌を受け入れてくれたよね? 私と結婚してくれるってことだよね?」
ウエンツは縋るような目をアイラに向ける。
今までのアイラは、素直にウエンツからの給餌を受け入れてくれていたから、疑いもしていなかった。
「給餌とは、あのお食事を食べさせてくださっていたことですか? 私のお世話をしてくれていた」
ウエンツとディダンが話している意味が理解できない。アイラはただ混乱している。
二人の話は、自分に余りにも都合がいいように聞こえる。ウエンツに愛されて、望まれているように聞こえる。
「まさか……。給餌を知らない?」
「連絡していたのに……。ちゃんとシーシュ国に分厚い説明書を渡していたのに……」
ウエンツとディダンは、アイラの返答に驚く。
「シーシュ国めーっ。トリセツどうしたーーっ!!」
ウエンツの叫びが、辺りに響くのだった。
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