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第三章・【悪魔】とエクソシスト
【第八節・煉獄】
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「アア、ウチの分身とザガム達が死んダ」
シスターと共に領地へ戻ったベファーナが、城前の石畳へ並べられた紙切れが三枚燃えるのを見て声を上げる。さらりっと言ったが、それはとんでもないことなのでは? スピカも一瞬表情が【無】になり、徐々に顔を真っ赤を真っ赤にして彼女の両耳をつねる。
「おおおぉおまままああああええええっ!? おまっ!! おまええええええぇっ!?」
「イダダダダダッ!! マ、マダッ!! マダ正確にはザガムと馬は死んで無いってバッ!! 弁明させてくだサーイッ!!」
「す、スピカさん。気持ちはわかりますが、一度落ち着いて説明を……」
鼻息荒く怒り狂うスピカの両肩を掴み、ベファーナから引き離す。騒ぎを聞き、庭でシスターの施術を受けているローグメルクとマグ・ドルロス、巻き髪、アダム、ユグ・ドルロスの視線も集まった。両耳を真っ赤に腫らしたベファーナは、半分以上燃えた紙切れを二枚拾い上げ、説明し始める。
「オホン。エー、ウチの【契約悪魔】であるザガムと馬ハ、百歩圏内から出ると契約違反になるんデ、本来は絶対離れられなイ。ダガ……ウチの分身に魔力供給の触媒になって貰えバ、離れても契約上は全く問題ナイ。これは説明したよネ? デ、ウチの契約は厳しい分見返りもアル。その内の一つが不死。ウチが魔力を注ぎ直してやれば指一本、髪の毛一本でもあれば直ぐに治してやれル。ただシ、これは治療や蘇生じゃなくて時間の巻き戻しダ。だからザガムの首を落とされる前には戻してやれなイ。わかるかイ?」
「………………」
「凡人の君らへ合わせて話してやるなラ、【ウチが生きてさえいれバ、死体が完全に消滅していない限り蘇生が可能】なわケッ!! だから死んだけど死んでなイッ!! なーんの問題も無いのだヨッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
ベファーナは高らかに笑いながら、燃え残った紙切れを魔術を用いて指先で回転させる。何人かは開いた口が塞がらずぽかんとした表情で、それ以外の者は青ざめた表情で【魔女】を見ていた。表情を一切変えず話を聞いていたのはティルレットくらいか。道徳観を完全に無視した彼女の【禁忌の魔術】と考え方を聞き、愉快そうに語る姿を僕も不気味にも思ったが……少し引っかかる点もあった。
スピカは呆れて言葉にもならない様子で、溜め息をつきながら切られた角を撫でている。
「……あんたが狂ってんのはいつもの事さ。で、あの【ゴーレム】もあんたが仕掛けた罠かい?」
なんとも言えない空気を破るよう、双眼鏡を覗き込んでいたユグ・ドルロスが見えている状況を尋ねる。
「ソウソウ。十中八九突破されるだろうし予め設置しといたのサ。石・土・木の【ゴーレム】をそれぞれ五体ほどネ。武器ニ・三本くらいは持っていけるんじゃないかナァ?」
説明している最中、ベファーナの足元に並べられていた紙切れが次々と火を上げ、燃え尽きていく。どうやらあの紙切れが彼女の操る魔術や【悪魔】と繋がっており、負傷や死亡するとその状態を燃えて術者へ伝えることができるようだ。燃え残った指先で回る二枚は、恐らくザガムとエポナの物。完全に燃え尽きていないのも、彼女の言うように瀕死状態ながら、まだ蘇生できる範囲の証か。
だが……火柱は休むことなく次々と上がり、破壊音と振動も徐々に領地へと近付いてくるのがわかる。最後の一枚も一分足らずで燃え尽き、並べられていた十五枚の紙切れは全て焼失した。
「アラァ? 思ったよりも早くなイ?」
「……十分もしないうちにここへ来るよ。シスター、旦那とローグメルクの具合は?」
「ローグメルクさんはやはり治りが遅く、腕の骨や傷口は殆どそのままです。……マグさんも傷が深くて、無理に動かすと傷口が開いてしまいますわ」
「すんません。俺が油断しなけりゃ……」
シスターはユグ・ドルロスの質問に施術の手を止め、薬箱から当て布と止血帯を何本か取り出しながら返答する。【悪魔】であるローグメルクの離脱は想定していたが、戦闘経験豊富な最前線で戦えるマグ・ドルロスまで引かせなければならないとは……状況は想定以上に悪い。
アレウスは妨害に対しても歩みを止めることなく前進し続け、いずれここに辿り着いてしまう。ベファーナへ頼る手もあるが、彼女もまた手加減を知らない、なんでもありの【魔女】だ。アレウスの身の安全が保障出来ない。いや、最早手段を選んでいる場合でないのかもしれないが……危険度としてはティルレット以上だと言えよう。
隣に立つスピカも下唇へ右手親指を押し付け、状況を打破するための一手を練っていた。彼女もまた僕と同様にアレウスへ対し、最低限の身の安全を配慮する前提で考えてくれている。先程より表情が険しいが、その目に諦めの色は無く、彼が来るであろう眼下の獣道へ向けられていた。
「閃光玉も発破玉も、種が割れたら即座に対応されます。神経性遅行毒で麻痺させる手もありますが、直ぐには準備できない。……魔力を枯渇させ、戦闘不能にする作戦でしたが、向こうはボクらの想定外の切り札まで持ち合わせている様子。そうでなければ、仮にも【魔女】と契約を結んだザガム大将が簡単に返り討ちにあうとは考えにくい。……ベファーナ、あなたの意見は?」
「手段は無くはなイ。けど中途半端に魔力耐性があるせいで、痺れさせたりちょっと火傷させたりする程度じゃ止まらないヨ。やるからには全力で殺らなキャ、ウチ以外はみんな今日が命日になるネッ!! 頼ル? ウン、頼ってくれてもいいとも親友。タダシ、ウチは生き死になんて気にしなイ。君は望まない形で勝負へ勝つのを好まなイ、父親に似て我儘で強欲な娘ダ。そろそろ魔王の娘としテ、切るべきカードを切る時なんじゃないかイ?」
「……【魔女】は全知全能なんじゃないんです?」
「全知全能だとモッ!! だからこそ【負け戦】で君の覚悟を試していルッ!! 自分を殺そうとしてきた獣人だっテ、【契約悪魔】へ命じ殺したじゃないカッ!! それと今は何が違ウ? 何を躊躇しているというのだネ? 同じ【地上界】に這いつくばる肉袋、本人が弱肉強食を信条とするなら乗ってやればいいじゃないカッ!!」
手を大きく広げ、大げさに感情表現をしながらベファーナはスピカへ詰め寄る。
チェス盤に乗らない・乗せられなかったこの【魔女】は、戦いそのものを無邪気に楽しんでいる。対局を観客が横から眺め、気まぐれに助言を行うように。自身はまだ、加害者として数えていないかのような口ぶり。地に足を着けない道化のような振る舞いへ、かの神々も恐怖を抱いたのか。
彼女の心無い煽りに対し、スピカも感情任せに怒り出すかと思ったが、意外にもその返答は冷静なものであった。
「それだと戦争と変わらないでしょうが。力に対して力をぶつけているのは、そうしないとアレウス氏は絶対納得しないからです。ボクは命のやり取りの足し引きをせず、お互い損益無しで事を収める為に最低限の実力行使をしているんです。何かを変える為ではなく、変えない為に力尽くでねじ伏せ、分からせようとしてるんですよ。ボクらだって死にたくないですし、アレウス氏を死なせたくない。我儘結構、強欲結構。ですがあなた以外、誰もまだこの戦いに勝つ事を諦めてはいませんよ」
「……わからないナァ。向こうはこっちを殺しに来てるんだヨォ? 言って分からない畜生ハ、こっちも全力で叩かなきゃダメだヨ?」
目を合わせず、親指を下唇へ押し当てた姿勢のまま答えるスピカに対し、ベファーナは自身の頬を人差し指で掻き、眉をやや下げ困惑した表情を浮かべる。
「こんなのも分からないだなんて、神が恐れた全知全能も大した事ありませんね。一先ず、アレウス氏にこれ以上暴れられては困りますし、動ける人達で対処いたします。怪我人は城の中へ避難を。お兄さん達は――」
「――お、俺は残りますっ!! アレウスさんとは昨日一緒に狩りをした仲ですし、説得するなら顔を知ってる相手の方がいい筈ですっ!! 怒りだすかもしれませんが……話だけでも、聞いてくれるかもしれません」
巻き髪はスピカへ駆け寄り、この場に残って説得を試みる意思を伝えた。僕としては彼を危険に晒したくないのだが……理屈で止められるような資格は僕に無い。巻き髪へ続き残ると告げようとした矢先、どこから持ち出したのか簡素な剣と槍を携えたアダムもスピカの前へ立つ。
「ローグメルクさんに生成していただきました。これならアレウス氏の【生成術】で作成された【銀の武器】を、私でも破壊することができます。勝手に死なれても困りますし、頭の緩い後輩だけでは不安なので、やるだけやらせてもらいますよ。構いませんよね?」
「お二人共……ですが【天使】として、人間を傷つけてはならないのでは……?」
悩む彼女へ僕らも【天使】の秘密をまた一つ、きちんと説明しておかねばなるまい。
「……【天使】は【信仰の力】を行使して人間を傷付けた場合、自身の【受肉】した身体にも同じ傷や怪我が反映されます。右手を切れば右手に、腕を落としてしまったら自身の腕も落ち、首を刎ねれば自身の首も飛びます。ニーズヘルグが人間の子供達を攫い、あれほどの数の人間の命を奪ったにも関わらず五体満足だったのは、【それ用の道具】を使用したからでしょう。なら僕達も【天使】ではなく【偽りの人】として、皆さんを守ることは出来る筈。……協力させてください」
【天使】として導き、同じ【地上界】を生きる【偽りの人】として人間と対峙する。当然【天使】だと漏洩されたり、他の【天使】へ目をつけられたりでもしたら、【堕天】の処分は免れられない重罪。どんな理由であれ盲目的に人間を傷付けることを許されず、彼らを守る立場にある僕らは神々にとって、便利な消耗品に過ぎないのだから。
だが……ここにいる皆を見捨てる選択肢は最初から無い。正しいか間違っているか、それを決めるのは僕らではないとしても。過去を背負い、生きようとしている彼女達を人間から守る。これは僕らにとっても大きな意味を成すことだ。歴史に記されない、とても些細な出来事だとしても。
しかし、アレウスと直接対峙する戦力として数えられそうなのはアダムとティルレットくらいか。シスターは怪我人の治療や守護魔術による支援で離れていてもらいたいし、巻き髪とユグ・ドルロスは弓矢や投擲などの遠距離支援の方が得意だ。ベファーナは――
「――ウチはこれ以上協力しないヨ。君達だけで一人の人間にどう勝つカ、見せてくれ給エ。その方がお互い余計なことをされるよりお互い都合がいいだろウ? 高みの見物をさせてもらうネッ!! ダイジョーブッ!! ヤバそうならウチが雷落として終わらせるからサッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
そう告げると箒へ跨り、城の遥か上空へと飛んで行くと数秒後には姿が見えなくなった。瞬時に遠くへ飛んで行ったわけではなく、姿を景色に同化させる魔術を使ったらしい。確かに……中途半端に介入されるより組み立てやすくはなった。一応、彼女なりの配慮として受け取っておこう。
「でも、アレウスさん全然元気そうでしたし、魔力切れも狙えないとなるとどうやって動きを封じたら……」
「アタシらの手の内はバレてる。閃光玉も発破玉も煙幕も、下手すればそのまま利用されちまうね。若造、あんたはまだ隠し玉あるかい?」
「……ええっと……あるにはあるんですが……」
「ほう? なら今がその使い時だな。どういう代物なんだ?」
「いやぁ、これは何と言いますか……上手くいく気がしないというか、まだ試してもいないというか……」
「煮え切らない返事だねぇ。この際付け焼刃だってなんだっていいから言ってごらんよ」
アダムとユグ・ドルロスに詰め寄られるが、巻き髪は【隠し玉】に自信がないのか、曖昧な返答ばかりを呟く。慎重派な彼にとって、確信がない物で勝負へ出るのに抵抗があるのだろう。だが今は僕らもいる。一人で上手くいかないとしても、それぞれで補えることもあるはずだ。
「試作段階でも構いません。僕やアダムは……あなたがとても器用なことをよく知っています。どんなものかだけでも教えてくれませんか? 今の状況を打破する鍵になりえるかもしれません。例え失敗したとしても、僕らはあなたを攻めませんよ」
「司祭、さり気なく私を加えないでいただけますか?」
「ほら、アダムも攻めないそうです」
「……聞けよ、クソポラリス」
舌打ちをして不服そうな表情のアダムに睨まれたが、彼の方が巻き髪の事をよく理解している。僕に言われるのが気に食わないのだとしても、巻き髪に対する気持ちは同じだ。
「はぁ。……私が死んだかもしれないと思い、先走ってザガムへ飛びかかったらしいな?」
「………………」
「別に責める気は無い。私もお前の上司も、理由はどうあれ一度は衝動的に行動した。神々の手足として造られた【天使】が感情を持つのも皮肉だが、完全でないからこそ発揮できた実力もあっただろう。……二人共、思い当たる節は無いか?」
ある。少女の声を聴いて飛び出し、少女を庇うペントラを助けようと矢の射線へ立ち塞がった時だ。誰に教えられるわけでもなく、本能的に【信仰の力】を行使することができた。巻き髪もそうだ。【階級制度】に最も縛られている【下級天使】であるにも関わらず、ザガムとエポナを押し倒しそうになる程の怪力を見せた。
【火事場の馬鹿力】とでも言えばよいのか。【天使】は元々、【受肉】という【偽りの肉体】へ魂を押し込められる形で【地上界】に留まっている。【受肉】は完璧ではなく、中身の僕らも歪で不安定な存在だ。それだけにタガが外れた時に発揮される潜在力は、自分達が思っている以上に凄まじいのかもしれない。
「……私達は自分が思っている以上の能力を、神々により【受肉】させていただいた【肉体】へ秘めている。自己評価よりも、他者からの評価が的確な場合もある。お前は……私から見ても、【下級天使】にあるまじき実力や判断能力を持っている。そのまま埋めておくには惜しいくらいにな。……近々【中級天使】として推そうかとも考えていたし、だから、その……なんだ」
「僕らはあなた自身が思っている以上に、素晴らしい【天使】だと評価しているんですよ。自信が無いなら、僕らも胸を貸しましょう。同じ【天使】として、あなたという部下を持てたことを誇りに思います」
「ふん。そういう事だ」
「お二人共……」
巻き髪は少し唇を噛みしめて俯いた後、ベルトにぶら下げたポーチの留め具を外し、青く小さな球体を一つ取り出す。これが彼の【隠し玉】か。
「……まだ試作段階で、これ単品では狩猟道具として機能しません。皆さんの協力が不可欠なのですが……俺の指示で、皆さんに動いていただいてもいいですか?」
***
道中の邪魔な人形共を蹴散らし、歩き続ける。他にも罠や妨害があってもよさそうなもんだが、まさか拠点から逃げる時間稼ぎか? ……嫌な予感がする。だが焦らず、前方の景色と周囲の音だけに集中しろ。人形共は【魔女】が残した罠か魔術師が仕組んだのか知らんが、やたら軟らかい分、生成した武器を通して魔力を吸い取る一番厄介な作りをしていた。魔力はすっからかん寸前。これ以上消耗しちまうと、マジで何にもできなくなっちまうぞ。
「今になってじわじわ武器破壊が効いてきやがる。……同じ【生成術】を扱える【悪魔】も、だいぶ持ってったからなぁ」
【生成術】を扱う奴同士で殺し合うのは初めてだ。同量かそれ以上の魔力を叩きつけて破壊するなんて使い方もあんのか。まあ、それなら守護魔術の鬱陶しい壁を破壊すんのと原理は同じだ。燃費は見合わないが耐久力無視して破壊する。短気で面倒くさがりな俺には調度いい。
足りねぇ魔力は現地の武器になりそうなもんで代用するとして、問題は頭数だな。女子供まで仕留めて回ってたらキリねぇし、無駄に体力も武器耐久も持ってかれる。弱そうな奴は無視するか。最低残存戦力は負傷二匹、弓兵二匹、鉄線の罠仕掛けてきた一匹、守護魔術を張った一匹。ザガムと【魔女】が向こうの最高戦力とは思えねぇ、あれくらいになるともう本気出すしかねぇぞ。
「……案外、ギリギリだな?」
用意周到な罠、魔力による探知ができない地形、足りない魔力、殺意の薄い攻撃。今までいろんな奴らを狩ってきたが、ここまで【狩らせてくれない】奴らはこいつらが初めてだぜ。だがそこに苛立ちは無い、実に愉しい。お互いの手の内を探り合う殺し合いは、一方的な狩りよりずっと愉しい。この時間が、俺が今ここで生きていると感じさせてくれる。
……故郷を燃やした【悪魔】もそうだったのかねぇ。育ての義父母やダチ、近所の爺さん婆さん、施設裏の空き地で戦争ごっこするガキ共。穏やかな時間も田舎臭さも、一晩でかっさらっていきやがった。
『狩られたくないのなら、狩る側になれ』
そう言い残し、俺だけをあえて生き残らせた片角に火を扱う【悪魔】の男。あいつがまともだったかもしれない俺の人生を台無しにした張本人で、こうなっちまったのも全部あいつのせいだ。元々【生成術】の才能が有った俺は燃え尽きた故郷を捨て、生きる為に【狩人】となった。
あれから二十年以上経ったが、まだ一度も奴に出会えていない。今じゃこっちが狩り、獲物から奪う側だ。獲物からだと、俺が当時の【悪魔】みたく見えてんのかもなぁ。
「同情はしねぇよ、生きるってのはそういう事さ。居場所を奪われたくないんなら、相手を奪い殺すしかねぇんだ。逃げるんなら本気で逃げろ、死にたくねぇなら本気で殺しに来い。……俺は逃げねぇし引き返さねぇ。弱肉強食。俺に狩り続けられる限り、獲物は獲物でしかねぇんだ」
強い奴がのし上がり、それ以外の戦う覚悟もねぇ弱者は細々と怯えながら生きる。この世界はそう出来ちまってる。そのルールに従って生きている俺は、ある意味一番世界に縛られてんだろうさ。
珍しく物思いにふけながら歩き続けていると、獣道から開けた場所に出た。小さな城っぽい建物に教会、尖った屋根の奇妙な建物がいくつか、それと――
「――今度の獲物はお前らか?」
城へと続く舗装された道の上。黒い外套を着たフードで顔の見えない奴と、白黒メイド服に捻れ角を生やした色の白い【悪魔】の女が立ち塞がっている。取り巻く空気はゴブリンの爺や【生成術】を扱う【悪魔】よりも濃い殺気に溢れていて、あいつらと違って隙あらば首を刎ねる程度はしてきそうだぜ。いいぞ、それでいい。この肌がひりつく命のやり取りを、俺は望んでたんだ。
「……アレウス氏ですね。あなたに私怨はありませんが、ここで打ちのめさせていただきます」
「あん? お前まで俺の名前知ってるのかよ。どうなってんだお前らの情報網」
「無駄口は不要です。あなたが消耗しきっている事も把握してますし、それを理由に引き返すような性格でないことも知っています」
若い男の声で話す黒外套は槍を振り回し、鋭く光る先端をこちらに向け構える。腰へ差した剣からも濃い魔力の気配を感じる。どちらも【生成術】で編まれた武器だとすぐにわかった。ただ、持っている本人の魔力はかなり薄い。テメェのお手製じゃなく、【生成術】を扱う【悪魔】から拝借してきたか。
「なので、力尽くでお帰り願います」
「上等だ。こっちも手加減するような柄じゃねぇ、死ぬ直前で後悔すんなよ? んで、そっちの白いねーちゃんはなんだ。こいつの応援しにでも来たのか?」
礼儀正しく立つすました白い顔。こっちが尋ねて初めて存在へ気付いたかのように、【悪魔】の女は深々とお辞儀をする。大人しそうに見えるが、身体へ纏わり付いた魔力が虫のように蠢きまくっていて気持ちが悪りぃぜ。呪詛かそれ。
「失礼。お初にお目にかかります。不肖は【ティルレット】、【契約悪魔】にございます。隣の者にあまり多く語るなと告げられていたもので、しばし静かにしておりました。以後、お見知りおきを」
「なんだ、普通に話せるじゃねーか。気にすんな、客じゃねぇし、お前らを狩りに来た男だ。死にたくないんなら死ぬ気で抵抗しな。特に【悪魔】は【銀の武器】が死ぬほど良く効く。腹に穴開けられたらそのまま致命傷。契約主が誰だか知らんが、俺に一度ならず二度も【悪魔】をぶつけるとはいい度胸してんな。そんなに馬鹿なのか?」
ゆっくりと頭を上げ、無表情な顔で俺を見つめる青い瞳。怒りに震えるわけでも怯えるでもなく、生気を感じねぇ人形みてぇな女だ。本当に生き物か? 【悪魔】の女――ティルレットが白い手袋から手を引き抜くと、黒い呪詛塗れの手が顔を出す。想像はしてたが、実際見るとやっぱり気持ち悪りぃぜ。
丁寧に折りたたんで手袋をしまうと、奴の左手へ魔力が集まる。周囲へ冷気を放ちながら一本の白く輝くレイピアが現れ、手に纏わり付いていた呪詛が覆いつくすとレイピアは禍々しい得物となった。
「おおう、随分気持ち悪りぃ得物じゃねえか。自分の身体を呪詛まみれにしてる時点でまともじゃねぇと思ってたがよ。いかれてやがるぜ」
「それだけの価値がございます故、ご容赦を」
レイピアを軽く振るうと、黒い呪詛も尾ひれを引きながら軌跡を描く。そして自分の正面へ持っていき先端を天へと掲げ、軍隊式の敬礼をした。見た目は気持ち悪りぃだけだが、アレは直接触れたりするとマズい類の奴だ。ひと昔、頭のいかれた魔術師が襲ってきた時も似たようなもん扱ってた覚えがある。呪詛の強弱は知らんが、あの量を全部ぶち込まれると魔力がいくらあっても押し返せねぇ。
「客人。不肖、ティルレット。質問がしとうございます、許可を」
「ティルレットさん。私語は慎んでください」
「許可を」
黒外套はティルレットの発言を制そうとするが、見向きもしねぇで俺の方だけを見て許可を求めてきやがる。なんだこいつ。
「客人じゃねぇつったろ。好きにしろよ、死ぬのには変わりないしな」
「感謝」
掲げていたレイピアを一度下ろし、先端を俺の足元へと向ける。剣先を完全に俺から逸らさねぇのは、完全に油断しているわけでもねぇってこったな。
「狩りに生きる客人にとって、獣畜生と我々に何か差はございますでしょうか?」
「ねぇな。俺の前にたまたま居た。俺の耳にテメェらの情報が入った。気まぐれ。俺よりも強いと誇示した。狩りを邪魔をした。……別にそこに優劣とかこだわりはねぇよ。単純な話だ、俺が生きる為に狩る。獣だろうが人間だろうが【悪魔】だろうが皆同じよ。狩れればなんだっていい。狩って狩って狩り続けて、俺をぶっ殺せるような奴と出会いてぇんだ。生きることに未練なんざねぇ、元よりいつ死んだっておかしくねぇ生活だしな」
話しながら左右の手に魔力を込め、なるべく少ない魔力で手かせと鎖で繋がったアヴェリンと片手斧を生成する。矢は消耗した分再生成しなきゃならねぇが、胴へニ・三発撃ち込めれば十分致命傷だ。
ティルレットはこっちの行動が目に入っているはずだが、構わずそのままの姿勢と態度で質問を続ける。
「感謝。では、客人にとって大切な者はございますでしょうか? 不肖はここにいる皆の剣。故に、その輝きを曇らせる存在を振り払わねばなりませぬ。客人の目に映る不肖がなんであれど、全力を尽くす次第にございます」
「それもねぇよ、故郷も家族もダチも全部燃えちまった。俺だけ運悪く生き残らされて、満足して死ねる場所を探してんだ。あんな惨めな思いするくらいなら、俺はテメェの人生をテメェで決めれるくらい強くなって、生きる為に狩り続ける。世界はそう出来ちまってんだ、奪われたくなければ殺せばいい。だからテメェらも生温い戦争ごっこなんざやめて、俺の頭をそいつでぶち抜くくらいの事をしてくんねぇと、俺は死ぬまでここの連中を狩り続けるぞ」
「左様でございますか。では最後に一つ」
「なんだ」
レイピアの剣先を静かに持ち上げ、俺の頭へと向ける。仕掛けてくるか?
「不肖、ティルレット。客人を情熱的にその煉獄から救いとうございます。許可を」
「はっ!! ぶっ殺してくれるってかっ!? いいぜぇ、やれるもんならなぁっ!!」
アヴェリンを構えると同時に、黒外套が槍の間合いを生かして射線を逸らすべく払い上げた。ダメだなぁ、槍を愚直に手足の延長として使う奴は。右手のアヴェリンを手放し、そのまま素手で槍の柄を掴んで止める。予想外の行動だったのか、一瞬黒外套は硬直――互いが静止する一瞬を狙い、ティルレットが俺の胴体目掛けてレイピアを突き出す。
「おぅっと!?」
掴んでいた槍をぶん投げ、身を捻ってレイピアへ触れないよう転がって躱す。鎖でつながったアヴェリンを手繰り寄せながら、屈んだ状態で次の攻撃に備える。軽く跳躍した黒外套が槍を振りかぶり、頭上へと振り下ろそうとしていた。これは――当たってってやるか。
ごすっと鈍い音と共に、【生成術】で作った腱の入った左肩へ振り下ろされる。打撃による痛みはあるが、案外響かねぇもんだ。
「軽いなぁ」
「なにっ!?」
浮いたところへそのまま蹴りを入れる。踏ん張れるわけもなくそのまま素直に飛んで行き、背後にあった農具が掛けられている小屋の壁へ派手にぶつかった。素人臭い動き方だぜ、新兵か? それより――本命はこっちだ。
視線を戻すと既にレイピアの届く間合いのニ・三歩手前まで、ティルレットは距離を詰めている。思ったよりも速いぞこの女。躱すより、奴の踏み込みと突き出すレイピアの方が速い――――このままじゃ胴へ当たる――片手斧で払い当て、迫るレイピアの先端を逸らす。崩れたところを追撃しようと思ったが、ティルレットはそのまま勢いを殺さずに回し蹴りを俺の腹へくらわす。
「んぶっ!?」
見た目以上に重てぇ。靴に重石でも仕込んでんのか? 奴はそのまま空いた右手で目つぶしをしようと、どす黒い指を突き出してきやがった。顔を逸らしてギリギリのところで躱すが――指が頬をかすめ、ねっとりと何かがまとわりつく感覚がする。
一度後ろへ飛び退いて距離を開け、体勢を整えながら左手の甲で右頬を触れる。顔と左手を火に炙られたような熱と痛みを感じ、慌てて離す。斧と左手には黒い呪詛が纏わり付いていて、そいつが悪さをしているらしい。顔も未だ熱と痛みを発し、かすめたのが付着しているんだろう。炎は出ていない、呪詛が直接熱を発しているのか?
「ちぃっ!! これだから魔術士相手は……っ!!」
熱も痛みも無視できないほどではねぇが、蓄積するほど効いてくるマズい奴だ。めんどくせぇ……全身へ回りきる前に引き剥がすか。
魔力を纏わり付いた部分に込め、弾き飛ばして強引に解除する。左手の黒い呪詛は消え、顔の熱や痛みも引いていく。思ったほど消費せずに済んだのは簡単な呪詛だったからか。だが……直撃するともっとめんどくせぇぞこれ。
レイピアを構えるティルレットの脇から槍が飛んでくる。片手斧で払い落とすが隙を突き、剣へ持ち替えた黒外套が突っ込んできた。馬鹿が、格好の的だぞ。アヴェリンを構え、装填された銀の矢を一気に射出する。――だが、複数の矢は【何か】に弾かれ、奴の右肩へ一本刺さっただけだった。
「ふっ!!」
黒コートは止まらず、そのままアヴェリンへ剣を振り下ろし、破壊した――が、同時に相殺した剣も役目を終え砕け壊れる。斧を奴の頭めがけて振る――脇から出てきたティルレットが俺の腕を蹴り上げ、軌道を逸らした。関節の外れる嫌な音が身体に響くが、やべぇ――黒いレイピアが腹の皮膚と肉を突き破り、背中へと抜ける。どろりと呪詛が熱と痛みを伴って傷口から内臓へ流れ込むのを感じ、ティルレットの顔面目掛けて蹴りを入れながら黒外套を左手で突き飛ばす。やけに嬉しそうな表情をしたティルレットはレイピアを手放し、華麗に後方宙返りしながら蹴りを躱した。突き飛ばされた黒外套は素早く起き上がり、矢を引き抜いて弾かれた槍を拾い上げようと駆けだす。
……待て、それどころじゃねぇ。俺の腹にぶっ刺さったこいつだ。纏わりついていた呪詛が傷口から侵入し、レイピアが白くなればなるほど熱と痛みが全身へ広がる。回り切る前に、再び魔力を込めて弾き飛ばす。呪詛による痛みと熱が引くと同時にレイピアも消え、傷口から血が噴き出してきやがった。細い分、大した傷でもねえが、呪詛やアヴェリンにまた魔力を持っていかれちまった。
右腕も上がらねぇし、ティルレットはまたレイピアを再生成し始めてるしで……ジリ貧だなこりゃ。
「しゃあねぇ……いっちょ本――」
どすっと重たい落下音共に、鉄の矢が足元の地面へ突き刺さる。矢尻には青い玉が結びつけられていて、一瞬それに気を取られちまった。続けざまに青い玉を火のついた木の矢が射貫き、一瞬で視界が真っ白になる。
なんだこれは? 煙幕にしてはなんだか臭いが――からだが、おもてぇ――だる――――いしき、が――
シスターと共に領地へ戻ったベファーナが、城前の石畳へ並べられた紙切れが三枚燃えるのを見て声を上げる。さらりっと言ったが、それはとんでもないことなのでは? スピカも一瞬表情が【無】になり、徐々に顔を真っ赤を真っ赤にして彼女の両耳をつねる。
「おおおぉおまままああああええええっ!? おまっ!! おまええええええぇっ!?」
「イダダダダダッ!! マ、マダッ!! マダ正確にはザガムと馬は死んで無いってバッ!! 弁明させてくだサーイッ!!」
「す、スピカさん。気持ちはわかりますが、一度落ち着いて説明を……」
鼻息荒く怒り狂うスピカの両肩を掴み、ベファーナから引き離す。騒ぎを聞き、庭でシスターの施術を受けているローグメルクとマグ・ドルロス、巻き髪、アダム、ユグ・ドルロスの視線も集まった。両耳を真っ赤に腫らしたベファーナは、半分以上燃えた紙切れを二枚拾い上げ、説明し始める。
「オホン。エー、ウチの【契約悪魔】であるザガムと馬ハ、百歩圏内から出ると契約違反になるんデ、本来は絶対離れられなイ。ダガ……ウチの分身に魔力供給の触媒になって貰えバ、離れても契約上は全く問題ナイ。これは説明したよネ? デ、ウチの契約は厳しい分見返りもアル。その内の一つが不死。ウチが魔力を注ぎ直してやれば指一本、髪の毛一本でもあれば直ぐに治してやれル。ただシ、これは治療や蘇生じゃなくて時間の巻き戻しダ。だからザガムの首を落とされる前には戻してやれなイ。わかるかイ?」
「………………」
「凡人の君らへ合わせて話してやるなラ、【ウチが生きてさえいれバ、死体が完全に消滅していない限り蘇生が可能】なわケッ!! だから死んだけど死んでなイッ!! なーんの問題も無いのだヨッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
ベファーナは高らかに笑いながら、燃え残った紙切れを魔術を用いて指先で回転させる。何人かは開いた口が塞がらずぽかんとした表情で、それ以外の者は青ざめた表情で【魔女】を見ていた。表情を一切変えず話を聞いていたのはティルレットくらいか。道徳観を完全に無視した彼女の【禁忌の魔術】と考え方を聞き、愉快そうに語る姿を僕も不気味にも思ったが……少し引っかかる点もあった。
スピカは呆れて言葉にもならない様子で、溜め息をつきながら切られた角を撫でている。
「……あんたが狂ってんのはいつもの事さ。で、あの【ゴーレム】もあんたが仕掛けた罠かい?」
なんとも言えない空気を破るよう、双眼鏡を覗き込んでいたユグ・ドルロスが見えている状況を尋ねる。
「ソウソウ。十中八九突破されるだろうし予め設置しといたのサ。石・土・木の【ゴーレム】をそれぞれ五体ほどネ。武器ニ・三本くらいは持っていけるんじゃないかナァ?」
説明している最中、ベファーナの足元に並べられていた紙切れが次々と火を上げ、燃え尽きていく。どうやらあの紙切れが彼女の操る魔術や【悪魔】と繋がっており、負傷や死亡するとその状態を燃えて術者へ伝えることができるようだ。燃え残った指先で回る二枚は、恐らくザガムとエポナの物。完全に燃え尽きていないのも、彼女の言うように瀕死状態ながら、まだ蘇生できる範囲の証か。
だが……火柱は休むことなく次々と上がり、破壊音と振動も徐々に領地へと近付いてくるのがわかる。最後の一枚も一分足らずで燃え尽き、並べられていた十五枚の紙切れは全て焼失した。
「アラァ? 思ったよりも早くなイ?」
「……十分もしないうちにここへ来るよ。シスター、旦那とローグメルクの具合は?」
「ローグメルクさんはやはり治りが遅く、腕の骨や傷口は殆どそのままです。……マグさんも傷が深くて、無理に動かすと傷口が開いてしまいますわ」
「すんません。俺が油断しなけりゃ……」
シスターはユグ・ドルロスの質問に施術の手を止め、薬箱から当て布と止血帯を何本か取り出しながら返答する。【悪魔】であるローグメルクの離脱は想定していたが、戦闘経験豊富な最前線で戦えるマグ・ドルロスまで引かせなければならないとは……状況は想定以上に悪い。
アレウスは妨害に対しても歩みを止めることなく前進し続け、いずれここに辿り着いてしまう。ベファーナへ頼る手もあるが、彼女もまた手加減を知らない、なんでもありの【魔女】だ。アレウスの身の安全が保障出来ない。いや、最早手段を選んでいる場合でないのかもしれないが……危険度としてはティルレット以上だと言えよう。
隣に立つスピカも下唇へ右手親指を押し付け、状況を打破するための一手を練っていた。彼女もまた僕と同様にアレウスへ対し、最低限の身の安全を配慮する前提で考えてくれている。先程より表情が険しいが、その目に諦めの色は無く、彼が来るであろう眼下の獣道へ向けられていた。
「閃光玉も発破玉も、種が割れたら即座に対応されます。神経性遅行毒で麻痺させる手もありますが、直ぐには準備できない。……魔力を枯渇させ、戦闘不能にする作戦でしたが、向こうはボクらの想定外の切り札まで持ち合わせている様子。そうでなければ、仮にも【魔女】と契約を結んだザガム大将が簡単に返り討ちにあうとは考えにくい。……ベファーナ、あなたの意見は?」
「手段は無くはなイ。けど中途半端に魔力耐性があるせいで、痺れさせたりちょっと火傷させたりする程度じゃ止まらないヨ。やるからには全力で殺らなキャ、ウチ以外はみんな今日が命日になるネッ!! 頼ル? ウン、頼ってくれてもいいとも親友。タダシ、ウチは生き死になんて気にしなイ。君は望まない形で勝負へ勝つのを好まなイ、父親に似て我儘で強欲な娘ダ。そろそろ魔王の娘としテ、切るべきカードを切る時なんじゃないかイ?」
「……【魔女】は全知全能なんじゃないんです?」
「全知全能だとモッ!! だからこそ【負け戦】で君の覚悟を試していルッ!! 自分を殺そうとしてきた獣人だっテ、【契約悪魔】へ命じ殺したじゃないカッ!! それと今は何が違ウ? 何を躊躇しているというのだネ? 同じ【地上界】に這いつくばる肉袋、本人が弱肉強食を信条とするなら乗ってやればいいじゃないカッ!!」
手を大きく広げ、大げさに感情表現をしながらベファーナはスピカへ詰め寄る。
チェス盤に乗らない・乗せられなかったこの【魔女】は、戦いそのものを無邪気に楽しんでいる。対局を観客が横から眺め、気まぐれに助言を行うように。自身はまだ、加害者として数えていないかのような口ぶり。地に足を着けない道化のような振る舞いへ、かの神々も恐怖を抱いたのか。
彼女の心無い煽りに対し、スピカも感情任せに怒り出すかと思ったが、意外にもその返答は冷静なものであった。
「それだと戦争と変わらないでしょうが。力に対して力をぶつけているのは、そうしないとアレウス氏は絶対納得しないからです。ボクは命のやり取りの足し引きをせず、お互い損益無しで事を収める為に最低限の実力行使をしているんです。何かを変える為ではなく、変えない為に力尽くでねじ伏せ、分からせようとしてるんですよ。ボクらだって死にたくないですし、アレウス氏を死なせたくない。我儘結構、強欲結構。ですがあなた以外、誰もまだこの戦いに勝つ事を諦めてはいませんよ」
「……わからないナァ。向こうはこっちを殺しに来てるんだヨォ? 言って分からない畜生ハ、こっちも全力で叩かなきゃダメだヨ?」
目を合わせず、親指を下唇へ押し当てた姿勢のまま答えるスピカに対し、ベファーナは自身の頬を人差し指で掻き、眉をやや下げ困惑した表情を浮かべる。
「こんなのも分からないだなんて、神が恐れた全知全能も大した事ありませんね。一先ず、アレウス氏にこれ以上暴れられては困りますし、動ける人達で対処いたします。怪我人は城の中へ避難を。お兄さん達は――」
「――お、俺は残りますっ!! アレウスさんとは昨日一緒に狩りをした仲ですし、説得するなら顔を知ってる相手の方がいい筈ですっ!! 怒りだすかもしれませんが……話だけでも、聞いてくれるかもしれません」
巻き髪はスピカへ駆け寄り、この場に残って説得を試みる意思を伝えた。僕としては彼を危険に晒したくないのだが……理屈で止められるような資格は僕に無い。巻き髪へ続き残ると告げようとした矢先、どこから持ち出したのか簡素な剣と槍を携えたアダムもスピカの前へ立つ。
「ローグメルクさんに生成していただきました。これならアレウス氏の【生成術】で作成された【銀の武器】を、私でも破壊することができます。勝手に死なれても困りますし、頭の緩い後輩だけでは不安なので、やるだけやらせてもらいますよ。構いませんよね?」
「お二人共……ですが【天使】として、人間を傷つけてはならないのでは……?」
悩む彼女へ僕らも【天使】の秘密をまた一つ、きちんと説明しておかねばなるまい。
「……【天使】は【信仰の力】を行使して人間を傷付けた場合、自身の【受肉】した身体にも同じ傷や怪我が反映されます。右手を切れば右手に、腕を落としてしまったら自身の腕も落ち、首を刎ねれば自身の首も飛びます。ニーズヘルグが人間の子供達を攫い、あれほどの数の人間の命を奪ったにも関わらず五体満足だったのは、【それ用の道具】を使用したからでしょう。なら僕達も【天使】ではなく【偽りの人】として、皆さんを守ることは出来る筈。……協力させてください」
【天使】として導き、同じ【地上界】を生きる【偽りの人】として人間と対峙する。当然【天使】だと漏洩されたり、他の【天使】へ目をつけられたりでもしたら、【堕天】の処分は免れられない重罪。どんな理由であれ盲目的に人間を傷付けることを許されず、彼らを守る立場にある僕らは神々にとって、便利な消耗品に過ぎないのだから。
だが……ここにいる皆を見捨てる選択肢は最初から無い。正しいか間違っているか、それを決めるのは僕らではないとしても。過去を背負い、生きようとしている彼女達を人間から守る。これは僕らにとっても大きな意味を成すことだ。歴史に記されない、とても些細な出来事だとしても。
しかし、アレウスと直接対峙する戦力として数えられそうなのはアダムとティルレットくらいか。シスターは怪我人の治療や守護魔術による支援で離れていてもらいたいし、巻き髪とユグ・ドルロスは弓矢や投擲などの遠距離支援の方が得意だ。ベファーナは――
「――ウチはこれ以上協力しないヨ。君達だけで一人の人間にどう勝つカ、見せてくれ給エ。その方がお互い余計なことをされるよりお互い都合がいいだろウ? 高みの見物をさせてもらうネッ!! ダイジョーブッ!! ヤバそうならウチが雷落として終わらせるからサッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
そう告げると箒へ跨り、城の遥か上空へと飛んで行くと数秒後には姿が見えなくなった。瞬時に遠くへ飛んで行ったわけではなく、姿を景色に同化させる魔術を使ったらしい。確かに……中途半端に介入されるより組み立てやすくはなった。一応、彼女なりの配慮として受け取っておこう。
「でも、アレウスさん全然元気そうでしたし、魔力切れも狙えないとなるとどうやって動きを封じたら……」
「アタシらの手の内はバレてる。閃光玉も発破玉も煙幕も、下手すればそのまま利用されちまうね。若造、あんたはまだ隠し玉あるかい?」
「……ええっと……あるにはあるんですが……」
「ほう? なら今がその使い時だな。どういう代物なんだ?」
「いやぁ、これは何と言いますか……上手くいく気がしないというか、まだ試してもいないというか……」
「煮え切らない返事だねぇ。この際付け焼刃だってなんだっていいから言ってごらんよ」
アダムとユグ・ドルロスに詰め寄られるが、巻き髪は【隠し玉】に自信がないのか、曖昧な返答ばかりを呟く。慎重派な彼にとって、確信がない物で勝負へ出るのに抵抗があるのだろう。だが今は僕らもいる。一人で上手くいかないとしても、それぞれで補えることもあるはずだ。
「試作段階でも構いません。僕やアダムは……あなたがとても器用なことをよく知っています。どんなものかだけでも教えてくれませんか? 今の状況を打破する鍵になりえるかもしれません。例え失敗したとしても、僕らはあなたを攻めませんよ」
「司祭、さり気なく私を加えないでいただけますか?」
「ほら、アダムも攻めないそうです」
「……聞けよ、クソポラリス」
舌打ちをして不服そうな表情のアダムに睨まれたが、彼の方が巻き髪の事をよく理解している。僕に言われるのが気に食わないのだとしても、巻き髪に対する気持ちは同じだ。
「はぁ。……私が死んだかもしれないと思い、先走ってザガムへ飛びかかったらしいな?」
「………………」
「別に責める気は無い。私もお前の上司も、理由はどうあれ一度は衝動的に行動した。神々の手足として造られた【天使】が感情を持つのも皮肉だが、完全でないからこそ発揮できた実力もあっただろう。……二人共、思い当たる節は無いか?」
ある。少女の声を聴いて飛び出し、少女を庇うペントラを助けようと矢の射線へ立ち塞がった時だ。誰に教えられるわけでもなく、本能的に【信仰の力】を行使することができた。巻き髪もそうだ。【階級制度】に最も縛られている【下級天使】であるにも関わらず、ザガムとエポナを押し倒しそうになる程の怪力を見せた。
【火事場の馬鹿力】とでも言えばよいのか。【天使】は元々、【受肉】という【偽りの肉体】へ魂を押し込められる形で【地上界】に留まっている。【受肉】は完璧ではなく、中身の僕らも歪で不安定な存在だ。それだけにタガが外れた時に発揮される潜在力は、自分達が思っている以上に凄まじいのかもしれない。
「……私達は自分が思っている以上の能力を、神々により【受肉】させていただいた【肉体】へ秘めている。自己評価よりも、他者からの評価が的確な場合もある。お前は……私から見ても、【下級天使】にあるまじき実力や判断能力を持っている。そのまま埋めておくには惜しいくらいにな。……近々【中級天使】として推そうかとも考えていたし、だから、その……なんだ」
「僕らはあなた自身が思っている以上に、素晴らしい【天使】だと評価しているんですよ。自信が無いなら、僕らも胸を貸しましょう。同じ【天使】として、あなたという部下を持てたことを誇りに思います」
「ふん。そういう事だ」
「お二人共……」
巻き髪は少し唇を噛みしめて俯いた後、ベルトにぶら下げたポーチの留め具を外し、青く小さな球体を一つ取り出す。これが彼の【隠し玉】か。
「……まだ試作段階で、これ単品では狩猟道具として機能しません。皆さんの協力が不可欠なのですが……俺の指示で、皆さんに動いていただいてもいいですか?」
***
道中の邪魔な人形共を蹴散らし、歩き続ける。他にも罠や妨害があってもよさそうなもんだが、まさか拠点から逃げる時間稼ぎか? ……嫌な予感がする。だが焦らず、前方の景色と周囲の音だけに集中しろ。人形共は【魔女】が残した罠か魔術師が仕組んだのか知らんが、やたら軟らかい分、生成した武器を通して魔力を吸い取る一番厄介な作りをしていた。魔力はすっからかん寸前。これ以上消耗しちまうと、マジで何にもできなくなっちまうぞ。
「今になってじわじわ武器破壊が効いてきやがる。……同じ【生成術】を扱える【悪魔】も、だいぶ持ってったからなぁ」
【生成術】を扱う奴同士で殺し合うのは初めてだ。同量かそれ以上の魔力を叩きつけて破壊するなんて使い方もあんのか。まあ、それなら守護魔術の鬱陶しい壁を破壊すんのと原理は同じだ。燃費は見合わないが耐久力無視して破壊する。短気で面倒くさがりな俺には調度いい。
足りねぇ魔力は現地の武器になりそうなもんで代用するとして、問題は頭数だな。女子供まで仕留めて回ってたらキリねぇし、無駄に体力も武器耐久も持ってかれる。弱そうな奴は無視するか。最低残存戦力は負傷二匹、弓兵二匹、鉄線の罠仕掛けてきた一匹、守護魔術を張った一匹。ザガムと【魔女】が向こうの最高戦力とは思えねぇ、あれくらいになるともう本気出すしかねぇぞ。
「……案外、ギリギリだな?」
用意周到な罠、魔力による探知ができない地形、足りない魔力、殺意の薄い攻撃。今までいろんな奴らを狩ってきたが、ここまで【狩らせてくれない】奴らはこいつらが初めてだぜ。だがそこに苛立ちは無い、実に愉しい。お互いの手の内を探り合う殺し合いは、一方的な狩りよりずっと愉しい。この時間が、俺が今ここで生きていると感じさせてくれる。
……故郷を燃やした【悪魔】もそうだったのかねぇ。育ての義父母やダチ、近所の爺さん婆さん、施設裏の空き地で戦争ごっこするガキ共。穏やかな時間も田舎臭さも、一晩でかっさらっていきやがった。
『狩られたくないのなら、狩る側になれ』
そう言い残し、俺だけをあえて生き残らせた片角に火を扱う【悪魔】の男。あいつがまともだったかもしれない俺の人生を台無しにした張本人で、こうなっちまったのも全部あいつのせいだ。元々【生成術】の才能が有った俺は燃え尽きた故郷を捨て、生きる為に【狩人】となった。
あれから二十年以上経ったが、まだ一度も奴に出会えていない。今じゃこっちが狩り、獲物から奪う側だ。獲物からだと、俺が当時の【悪魔】みたく見えてんのかもなぁ。
「同情はしねぇよ、生きるってのはそういう事さ。居場所を奪われたくないんなら、相手を奪い殺すしかねぇんだ。逃げるんなら本気で逃げろ、死にたくねぇなら本気で殺しに来い。……俺は逃げねぇし引き返さねぇ。弱肉強食。俺に狩り続けられる限り、獲物は獲物でしかねぇんだ」
強い奴がのし上がり、それ以外の戦う覚悟もねぇ弱者は細々と怯えながら生きる。この世界はそう出来ちまってる。そのルールに従って生きている俺は、ある意味一番世界に縛られてんだろうさ。
珍しく物思いにふけながら歩き続けていると、獣道から開けた場所に出た。小さな城っぽい建物に教会、尖った屋根の奇妙な建物がいくつか、それと――
「――今度の獲物はお前らか?」
城へと続く舗装された道の上。黒い外套を着たフードで顔の見えない奴と、白黒メイド服に捻れ角を生やした色の白い【悪魔】の女が立ち塞がっている。取り巻く空気はゴブリンの爺や【生成術】を扱う【悪魔】よりも濃い殺気に溢れていて、あいつらと違って隙あらば首を刎ねる程度はしてきそうだぜ。いいぞ、それでいい。この肌がひりつく命のやり取りを、俺は望んでたんだ。
「……アレウス氏ですね。あなたに私怨はありませんが、ここで打ちのめさせていただきます」
「あん? お前まで俺の名前知ってるのかよ。どうなってんだお前らの情報網」
「無駄口は不要です。あなたが消耗しきっている事も把握してますし、それを理由に引き返すような性格でないことも知っています」
若い男の声で話す黒外套は槍を振り回し、鋭く光る先端をこちらに向け構える。腰へ差した剣からも濃い魔力の気配を感じる。どちらも【生成術】で編まれた武器だとすぐにわかった。ただ、持っている本人の魔力はかなり薄い。テメェのお手製じゃなく、【生成術】を扱う【悪魔】から拝借してきたか。
「なので、力尽くでお帰り願います」
「上等だ。こっちも手加減するような柄じゃねぇ、死ぬ直前で後悔すんなよ? んで、そっちの白いねーちゃんはなんだ。こいつの応援しにでも来たのか?」
礼儀正しく立つすました白い顔。こっちが尋ねて初めて存在へ気付いたかのように、【悪魔】の女は深々とお辞儀をする。大人しそうに見えるが、身体へ纏わり付いた魔力が虫のように蠢きまくっていて気持ちが悪りぃぜ。呪詛かそれ。
「失礼。お初にお目にかかります。不肖は【ティルレット】、【契約悪魔】にございます。隣の者にあまり多く語るなと告げられていたもので、しばし静かにしておりました。以後、お見知りおきを」
「なんだ、普通に話せるじゃねーか。気にすんな、客じゃねぇし、お前らを狩りに来た男だ。死にたくないんなら死ぬ気で抵抗しな。特に【悪魔】は【銀の武器】が死ぬほど良く効く。腹に穴開けられたらそのまま致命傷。契約主が誰だか知らんが、俺に一度ならず二度も【悪魔】をぶつけるとはいい度胸してんな。そんなに馬鹿なのか?」
ゆっくりと頭を上げ、無表情な顔で俺を見つめる青い瞳。怒りに震えるわけでも怯えるでもなく、生気を感じねぇ人形みてぇな女だ。本当に生き物か? 【悪魔】の女――ティルレットが白い手袋から手を引き抜くと、黒い呪詛塗れの手が顔を出す。想像はしてたが、実際見るとやっぱり気持ち悪りぃぜ。
丁寧に折りたたんで手袋をしまうと、奴の左手へ魔力が集まる。周囲へ冷気を放ちながら一本の白く輝くレイピアが現れ、手に纏わり付いていた呪詛が覆いつくすとレイピアは禍々しい得物となった。
「おおう、随分気持ち悪りぃ得物じゃねえか。自分の身体を呪詛まみれにしてる時点でまともじゃねぇと思ってたがよ。いかれてやがるぜ」
「それだけの価値がございます故、ご容赦を」
レイピアを軽く振るうと、黒い呪詛も尾ひれを引きながら軌跡を描く。そして自分の正面へ持っていき先端を天へと掲げ、軍隊式の敬礼をした。見た目は気持ち悪りぃだけだが、アレは直接触れたりするとマズい類の奴だ。ひと昔、頭のいかれた魔術師が襲ってきた時も似たようなもん扱ってた覚えがある。呪詛の強弱は知らんが、あの量を全部ぶち込まれると魔力がいくらあっても押し返せねぇ。
「客人。不肖、ティルレット。質問がしとうございます、許可を」
「ティルレットさん。私語は慎んでください」
「許可を」
黒外套はティルレットの発言を制そうとするが、見向きもしねぇで俺の方だけを見て許可を求めてきやがる。なんだこいつ。
「客人じゃねぇつったろ。好きにしろよ、死ぬのには変わりないしな」
「感謝」
掲げていたレイピアを一度下ろし、先端を俺の足元へと向ける。剣先を完全に俺から逸らさねぇのは、完全に油断しているわけでもねぇってこったな。
「狩りに生きる客人にとって、獣畜生と我々に何か差はございますでしょうか?」
「ねぇな。俺の前にたまたま居た。俺の耳にテメェらの情報が入った。気まぐれ。俺よりも強いと誇示した。狩りを邪魔をした。……別にそこに優劣とかこだわりはねぇよ。単純な話だ、俺が生きる為に狩る。獣だろうが人間だろうが【悪魔】だろうが皆同じよ。狩れればなんだっていい。狩って狩って狩り続けて、俺をぶっ殺せるような奴と出会いてぇんだ。生きることに未練なんざねぇ、元よりいつ死んだっておかしくねぇ生活だしな」
話しながら左右の手に魔力を込め、なるべく少ない魔力で手かせと鎖で繋がったアヴェリンと片手斧を生成する。矢は消耗した分再生成しなきゃならねぇが、胴へニ・三発撃ち込めれば十分致命傷だ。
ティルレットはこっちの行動が目に入っているはずだが、構わずそのままの姿勢と態度で質問を続ける。
「感謝。では、客人にとって大切な者はございますでしょうか? 不肖はここにいる皆の剣。故に、その輝きを曇らせる存在を振り払わねばなりませぬ。客人の目に映る不肖がなんであれど、全力を尽くす次第にございます」
「それもねぇよ、故郷も家族もダチも全部燃えちまった。俺だけ運悪く生き残らされて、満足して死ねる場所を探してんだ。あんな惨めな思いするくらいなら、俺はテメェの人生をテメェで決めれるくらい強くなって、生きる為に狩り続ける。世界はそう出来ちまってんだ、奪われたくなければ殺せばいい。だからテメェらも生温い戦争ごっこなんざやめて、俺の頭をそいつでぶち抜くくらいの事をしてくんねぇと、俺は死ぬまでここの連中を狩り続けるぞ」
「左様でございますか。では最後に一つ」
「なんだ」
レイピアの剣先を静かに持ち上げ、俺の頭へと向ける。仕掛けてくるか?
「不肖、ティルレット。客人を情熱的にその煉獄から救いとうございます。許可を」
「はっ!! ぶっ殺してくれるってかっ!? いいぜぇ、やれるもんならなぁっ!!」
アヴェリンを構えると同時に、黒外套が槍の間合いを生かして射線を逸らすべく払い上げた。ダメだなぁ、槍を愚直に手足の延長として使う奴は。右手のアヴェリンを手放し、そのまま素手で槍の柄を掴んで止める。予想外の行動だったのか、一瞬黒外套は硬直――互いが静止する一瞬を狙い、ティルレットが俺の胴体目掛けてレイピアを突き出す。
「おぅっと!?」
掴んでいた槍をぶん投げ、身を捻ってレイピアへ触れないよう転がって躱す。鎖でつながったアヴェリンを手繰り寄せながら、屈んだ状態で次の攻撃に備える。軽く跳躍した黒外套が槍を振りかぶり、頭上へと振り下ろそうとしていた。これは――当たってってやるか。
ごすっと鈍い音と共に、【生成術】で作った腱の入った左肩へ振り下ろされる。打撃による痛みはあるが、案外響かねぇもんだ。
「軽いなぁ」
「なにっ!?」
浮いたところへそのまま蹴りを入れる。踏ん張れるわけもなくそのまま素直に飛んで行き、背後にあった農具が掛けられている小屋の壁へ派手にぶつかった。素人臭い動き方だぜ、新兵か? それより――本命はこっちだ。
視線を戻すと既にレイピアの届く間合いのニ・三歩手前まで、ティルレットは距離を詰めている。思ったよりも速いぞこの女。躱すより、奴の踏み込みと突き出すレイピアの方が速い――――このままじゃ胴へ当たる――片手斧で払い当て、迫るレイピアの先端を逸らす。崩れたところを追撃しようと思ったが、ティルレットはそのまま勢いを殺さずに回し蹴りを俺の腹へくらわす。
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「ちぃっ!! これだから魔術士相手は……っ!!」
熱も痛みも無視できないほどではねぇが、蓄積するほど効いてくるマズい奴だ。めんどくせぇ……全身へ回りきる前に引き剥がすか。
魔力を纏わり付いた部分に込め、弾き飛ばして強引に解除する。左手の黒い呪詛は消え、顔の熱や痛みも引いていく。思ったほど消費せずに済んだのは簡単な呪詛だったからか。だが……直撃するともっとめんどくせぇぞこれ。
レイピアを構えるティルレットの脇から槍が飛んでくる。片手斧で払い落とすが隙を突き、剣へ持ち替えた黒外套が突っ込んできた。馬鹿が、格好の的だぞ。アヴェリンを構え、装填された銀の矢を一気に射出する。――だが、複数の矢は【何か】に弾かれ、奴の右肩へ一本刺さっただけだった。
「ふっ!!」
黒コートは止まらず、そのままアヴェリンへ剣を振り下ろし、破壊した――が、同時に相殺した剣も役目を終え砕け壊れる。斧を奴の頭めがけて振る――脇から出てきたティルレットが俺の腕を蹴り上げ、軌道を逸らした。関節の外れる嫌な音が身体に響くが、やべぇ――黒いレイピアが腹の皮膚と肉を突き破り、背中へと抜ける。どろりと呪詛が熱と痛みを伴って傷口から内臓へ流れ込むのを感じ、ティルレットの顔面目掛けて蹴りを入れながら黒外套を左手で突き飛ばす。やけに嬉しそうな表情をしたティルレットはレイピアを手放し、華麗に後方宙返りしながら蹴りを躱した。突き飛ばされた黒外套は素早く起き上がり、矢を引き抜いて弾かれた槍を拾い上げようと駆けだす。
……待て、それどころじゃねぇ。俺の腹にぶっ刺さったこいつだ。纏わりついていた呪詛が傷口から侵入し、レイピアが白くなればなるほど熱と痛みが全身へ広がる。回り切る前に、再び魔力を込めて弾き飛ばす。呪詛による痛みと熱が引くと同時にレイピアも消え、傷口から血が噴き出してきやがった。細い分、大した傷でもねえが、呪詛やアヴェリンにまた魔力を持っていかれちまった。
右腕も上がらねぇし、ティルレットはまたレイピアを再生成し始めてるしで……ジリ貧だなこりゃ。
「しゃあねぇ……いっちょ本――」
どすっと重たい落下音共に、鉄の矢が足元の地面へ突き刺さる。矢尻には青い玉が結びつけられていて、一瞬それに気を取られちまった。続けざまに青い玉を火のついた木の矢が射貫き、一瞬で視界が真っ白になる。
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