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Stabat Mater
第12話 いってきます。
しおりを挟む——仲良くしようと踏み込むと、同じ距離だけ後ろに引いていく。それが蒼だ。
あの夜。星野が自宅を訪ねてきた時に言われた言葉を思い出しながら、関口は車のハンドルを握っていた。
あの時。泣いて必死に自分の気持ちを吐露した男を放っておけなくて、こんなことになった。もともと、人の問題に首を突っ込むようなお節介な人間ではないはずなのに。
——放っておけなかったんだ。仕方がない。
明日の日曜日は東京に戻らなくてはいけない。そう大した仕事があるわけでもないが、都内で活動しているプロの交響楽団に所属しており、その練習があるからだ。本来なら、本日中に実家に戻るところだったが……。
「こんなお節介だったとは呆れるな」
そんな独り言を呟いて目的の場所を訪れる。そこはいつも馴染みの星音堂だ。
——こんなことして。本当にあいつの母親が、あいつを拒否したらどう責任を取るつもりだ? 余計なお世話をしてどうするつもりだ?
そんな後悔を胸に抱えながら、熊谷蒼が立つ歩道の横に車を着けた。
彼は挙動不審な様子で視線を彷徨わせていた。濡羽色の瞳は光が翳っているようにも見受けられる。緊張しているということは、一目で見て取れた。
「こんにちは」
「あ、あの。こんにち……は」
「どうぞ」
促すと、彼はよそよそしい態度で助手席に収まった。
「大丈夫ですか? 寝ましたか?」
「——ねま、寝ましたよ。寝ましたとも」
意味不明な返答に、これ以上会話をするのは適切ではないと判断し、関口はハザードランプを解除して車線に戻る。
「病院は、確か——」
「山埜辺病院、でしたっけ?」
小さく頷く蒼。それ以降、口を開く様子もないのを見て、ただ黙ってハンドルを握る。なんとも気が重いドライブだ。
梅沢市に高校時代まで住んでいたとは言え、高校生の活動範囲というのはそう広くはない。ナビの指示は山の奥へ奥へと関口たちを導いた。「本当にここでいいのだろうか?」と疑問を抱えた時。ふと眼前に煤けた銀鼠色の建物がそびえたっていた。
——ここに蒼の母親がいるのか?
正直、刑務所かと思うほど、味も素っ気もないただのコンクリート造りの建物に、内心唖然とした。精神科病院のイメージは監獄だ。一度入ったら出られない。関口はそう思っていた。
社会で生きられない狂人みたいな人間が入っているのだろうか? いや。違う。それは誤ったイメージだ。このストレス社会では精神的な病に冒されるということは多々あることだ。自分だって同じだ。どこか病んでいる。そう自覚しているくせに、こういう場所に来ると足が竦むのは未知なる世界だからか。
人間は自分の知らないものに恐怖するのだ、と関口は理解している。それなのに、この男に付き添ってやるだなんて、よく言えたものだ。内心、自嘲気味に自分のことを観察していると、隣に立っている蒼の横顔がいつもにも増して蒼白で心配になった。
自分の心配をしている場合ではないのだ。自分よりもなによりも、緊張して恐れているのは彼のほうだからだ。
正直、ここまできて後悔の念は更に大きくなった。
『やめてもいいんだ。帰ろう』と何度も喉元まで出かかってそれを押し殺した。
「初めて、じゃないよな?」
関口の問いに、蒼は首を横に振った。
「初めて。病院には来たことがないんだ」
この回答に、さすがに関口は腰が引ける。
——かなり無謀なことをしているのではないか?
「入院したばかりのころは、おれに会うと母さんの病状に影響するって言われて、面会させてもらえなかった。面会が許可された頃には、今度はおれの問題でできなかったんだけど」
軽く震えている指先を見ていると、なんだかこちらまで動悸がした。
「やっぱり——」
止めさせたほうがいいのではないか? そう判断して声をかけたが、逆に蒼に遮られた。
「関口のせいじゃないから大丈夫」
「え?」
「ここに来るって決めたのはおれだから。——確かに背中を押されたかも知れないけど、それだって来るか来ないかを決めるのはおれだし。大丈夫」
彼はそう言うと関口を見た。光ない瞳は曇って見えるが、それでもその中に意思があった。
「これでごちゃごちゃになっても、母さんに拒否されても大丈夫。踏ん切り付けなくちゃいけないんだって、ちゃんと考えてきたから。——ありがとう」
蒼はぺこっと頭を下げる。これ以上は他人が入るべきではない。関口は大きく頷いた。
「車で待っているから。時間気にしなくていいから」
「ありがとう」
「いってらっしゃい」
関口の言葉に蒼は弾かれたように目を見開くと、力なく笑みを見せた。
「いってきます」
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