136 / 231
第17章 三年目、始まります
05 変われる?
しおりを挟む「で? なにを悩んでいる?」
「えっと……。報告書が通りません」
「おれも最初は全くだ。一か月かかったこともある」
「そんなに? ——ですか」
「そういうもんだ。で、どこが悩み?」
あっさりと言って除ける田口だが、「一ヶ月も通らない報告書ってあるのだろうか?」と、十文字は疑問でいっぱいになった。十文字は報告書の赤ペンをされたものを田口に見せた。
「この表現が違うって言うんですけど。悩みます。前回はこう書きましたが、ダメでした」
「なるほどね」
書類を眺めている田口を見て、十文字はずっとここに来てから思っていることを口にしようか、どうしようかと惑った。
「あの、田口さん——」
彼は優しい目を瞬かせて、十文字を見つめていた。きっと、何を言い出すのだろうと、興味を持ってくれているに違いなかったのだ。十文字は緊張した。正直、こんなことを口にしていいものかと、ずっと悩んでいたのだが。保住が信頼を置いている田口だからこそ、尋ねてみたいと思ったのだった。
「係長って優秀だなって思いますけど——結構変わっているし。本当についていっていいものなのでしょうか? 報告書程度の書類は、前の部署では一、二度見てもらえばOKでした。内容よりも期日優先でした。こんなに期日を過ぎていてもいいものなのでしょうか」
「それは。そうだね」
「ですよね」
——よっし、おれ正しい!
保住と懇意にしている田口もそう思っていたのかと思うと、嬉しい気持ちになったのだ。しかし、田口は真面目な顔でこちらを見ていた。
「十文字。だけど、それでお前はいいのだろうか」
「え?」
田口は続ける。
「不本意な、納得のいかない文書を出して、お前はそれでいいのだろうか」
田口の問いに、口ごもってしまった。言葉がみつからないのだ。
——だって仕方がないじゃないか。
「でも。期日が……」
「それは期日という理由を付けているだけだろう」
「理由——ですか」
「そうだ。できない理由だ」
田口の言葉は十文字の胸に突き刺さった。それは、傷ついているとか、そんなセンチメンタルな理由ではない。自分が一番よくわかっている痛いところを突かれたからだ。
「おれはそうは思わないよ。いいか? 自分の作った文書は、係長だったり、課長だったり、事務局長だったりの名前で外に出るものだ。妥協して、どうでもいいよね、ではないよな? 文書って書いた人の力量が図られるものだよね。十文字もそう思わない? どうでもいいクズみたいな文書見た時に、その人のこと尊敬できるか?」
「できません。こいつ頭悪いなって思います」
「だろう」
十文字はそっと田口の手元を見る。保住とやり取りをしている書類だった。彼もまた悩んでいた。赤ペンは保住の直し。
——青ペンは?
きっと、田口の思考の様子だ。書いては消し、訂正されては丸が付いて……。びっしりとなにか書き込んである。
「田口さん」
「おれは馬鹿だからね。こうして時間がかかるんだ。だけどあるレベルまでは持っていきたい。終わりはないよ。書類の文書って直そうと思うときりがないんだけど。期日のギリギリまで試行錯誤して、最良のものを出したい」
そんな話は聞いたことがなかった。十文字は心が戸惑う。
——頑張るなんて大嫌い。めんどくさいもの。ある程度できたらいいじゃない。
「十文字は、それができるタイプだと思うけど」
「そうでしょうか。おれはいつも逃げて。楽な道を選んでここまで来ていますから」
「でも、そんな自分のこともよく知っているじゃない」
「そうですけど」
「なら、変われる」
「変わる?」
変わるなんて、考えたこともない。自分が好きだ。頑張らない道を選ぶ自分が好き。
——好きなのか? 本当に?
今までの人生でも、いつも逃げて自分に理由を付けて諦めてきたものも多い。
大学の選定もそう。高校時代の初恋の人もそうだ。本当に好きだったくせに、あの人に好きな人がいることを知っていて、結局身を引いた。身を引くというほどのこともない。ただ勝手に好きになって、勝手に諦めただけだ。それだけのこと——。
なにも頑張っていない。
なにも始まっていない。
だから傷つくこともなかった。
それだけの話だ。
「すまない。仕事で忙しいところなのに、余計な話だ」
反応の薄い十文字に、余計なお世話だと思ったのだろう。田口は話を打ち切ろうとする。十文字は首を横に振った。
「本当。そうですね。そうなんだと思います。やだな。田口さんに言われちゃったな」
知っていて蓋をしてきたこと。
「変わりたい、変わらなくちゃって、本気で思っているかというと、まだまだそこまでは思えませんけど」
「そう? でも。今日こうして残業して書類のことばっかり考えている十文字は、かなり一生懸命に取り組んでいると思うけどね」
「確かに。その通りですね」
「本当はもう、変わり始めているのかも知れないな」
「……変わり始めている……」
十文字は書類を握ってから田口を見つめる。
「田口さん! お忙しいのを重々承知でお願いしていいですか」
「なに?」
「付き合ってください」
「ええ!?」
田口は顔を赤くして驚く。それを見て十文字は怒った。
「勘違い甚だしい反応はやめてください!」
「すみません……」
「報告書づくりを教えてください。お知恵を貸してください! って意味です」
「ごめんなさい……」
急に熱い十文字の反応は受け止めきれないのか、「付き合います。付き合いますから……」とだけ答える田口であった。
0
あなたにおすすめの小説
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新するかもです。
BLoveさまのコンテストに応募するお話に、視点を追加して、倍くらいの字数増量(笑)でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる