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第十九話・教育係
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王子妃教育、つまり王子であるパトリック様の伴侶となる為に必要な知識とマナーを婚礼前に身に着けることを目的としたお勉強。具体的にどんなことを学ぶのかは分からないけれど、少なくとも一般的な貴族マナーよりも何倍も大変そうなのは安易に想像できた。
「それって殿下が王太子になられたら、さらに覚えなきゃいけないことが増えるってことですよね? 今はただの王子ですけど……」
この国の王の子息に向かって『ただの王子』という表現もどうかとは思ったが、ナナが私のことを心配してくれているのはよく分かった。次代の国王になることが約束された王太子にパトリック様が指名されることがあれば、その妻は王太子妃。つまりは後の王妃になるのだから、大変なんてレベルではないはずだ。
——せめて、もっと貴族向けの学園に通っていれば……
身分を厭わない自由な校風。地方の貴族社会で生きていくには十分な教育を受けられたが、それが王城で上位貴族が相手となると足りないことだらけだ。
「でもアイラ様は学園では成績はとても優秀でしたし、きっとそつなくこなすことができますよ!」
「それはどうかしらね……」
侍女からの励ましに私は苦笑いを漏らす。王子妃候補を指導できるくらいだから、きっとさっきの女性もかなり高い身分の方なはずだし、どう接したら良いんだろうか。そう考えただけで必要以上に緊張してしまう。こんな調子でこの先やっていけるんだろうか……?
そんな風に後ろ向きなことを考えていたら、司教様のお付きの方が先程の女性を引き連れて戻ってきた。さっきは扉に隠れて見えなかったけれど、シンプルな濃紺のロングワンピースを着た背の高い女性。年齢は二十代後半といった感じでとても物静かな雰囲気を醸し出している。でも貴族女性というには何だか微妙な違和感を感じて、私は作り笑いを浮かべながら彼女の立ち姿を眺めた。
——この方って、もしかして……
「お初にお目にかかります、アイラ様。王城より王子妃教育のお役を承りました、ユーベル・フツェデリでございます。正式に登城されるまでの間だけ、私がこちらで指導させていただきます」
正式な妃教育ではなく、ここでの指導はあくまでも事前予習のような位置付けだという説明を受ける。だから今はまだそこまで気負いせずと言われ、私は少しホッとした。
フツェデリ様がスカートを小さく摘まみながらお辞儀する姿はさすがに王家が教育係に任命しただけはあり、とても優雅な所作だった。でもただフォームが美しいだけじゃなく、全ての動作に一切の無駄な揺らぎが見えないのだ。それは彼女の身体が芯から鍛え上げられている証拠。
「もしかして、フツェデリ様は何か武術の心得が?」
ロックウェル家は元々は騎士の家系だ。父や兄が護衛騎士と一緒に鍛錬しているのを子供の頃からすぐ傍で見てきた。だから彼女の安定した身の動きは程よくついた筋肉の上に成り立っているのに気付いてしまった。
フツェデリ様は私の指摘に少し驚いた表情になった後、すぐに恥ずかしそうに微笑んだ。
「淑女としての可愛げが足りないことは自覚しております。私はパトリック殿下が率いておられる第二騎士隊の所属でもあります」
「女性騎士様なのですね⁉」
「はい。アイラ様の護衛も兼ね、こちらの神殿でしばらく待機させていただくことになりました。ああ、そうそう、私のことはユーベルとお呼びいただいて構いません。フツェデリというのはあまり発音し易い家名ではないようですので」
司教様のところから戻るのに結構時間がかかっていたのは、彼女も神殿に住み込むことになったからだろうか。いきなりのことで神官達がまた慌てている姿が目に浮かぶ。もうここまでくると自分が原因とはいえ、同情したくなってくる。
「そうですか、ユーベル様はパトリック様の隊の所属なのですね。ということは……」
問題を起こして除隊させられ、殿下を森の神殿へ追いやった人達は、ユーベル様にとっては元同僚。城の警備が中心の近衛騎士が城下にある中央神殿に護衛兼教育係として派遣されたことには何か繋がりがあるのだろうか?
私が不安な表情を浮かべていたからなのか、ユーベル様がくすりと小さく微笑んでから言った。
「教育係とは別に、こちらの護衛には男性騎士が付くという話も上がってはいたのですが、パトリック殿下が猛反対されまして。私ならどちらも兼ねられるから不要だと押し通されました。きっとアイラ様の周りに男性を配置するのがお嫌だったんでしょう」
そして、ユーベル様は廊下へと続く扉に視線を送った後、「神官はみんな男性ですのにね」と噴き出しそうになるのを堪えている。ここにいて男性と距離を置くというのは無理な話だ。そして、思い出したように手に持っていた鞄から手紙を取り出して私へと差し出してくる。
「殿下からお茶会のご招待の手紙を預かって参りました。返事は口頭でも文でも構わないとおっしゃっていたのですが、いかがされますか?」
「そういうのは断れるものなのでしょうか……?」
「そうですねぇ、パトリック殿下は断られても気になさらないタイプではありますが、自国他国ともに王族からのご招待は強制だと考えておいたら間違いないかと」
「ですよね……」
私は諦めた笑顔を浮かべながら、是非お伺い致しますと伝えた。
「それって殿下が王太子になられたら、さらに覚えなきゃいけないことが増えるってことですよね? 今はただの王子ですけど……」
この国の王の子息に向かって『ただの王子』という表現もどうかとは思ったが、ナナが私のことを心配してくれているのはよく分かった。次代の国王になることが約束された王太子にパトリック様が指名されることがあれば、その妻は王太子妃。つまりは後の王妃になるのだから、大変なんてレベルではないはずだ。
——せめて、もっと貴族向けの学園に通っていれば……
身分を厭わない自由な校風。地方の貴族社会で生きていくには十分な教育を受けられたが、それが王城で上位貴族が相手となると足りないことだらけだ。
「でもアイラ様は学園では成績はとても優秀でしたし、きっとそつなくこなすことができますよ!」
「それはどうかしらね……」
侍女からの励ましに私は苦笑いを漏らす。王子妃候補を指導できるくらいだから、きっとさっきの女性もかなり高い身分の方なはずだし、どう接したら良いんだろうか。そう考えただけで必要以上に緊張してしまう。こんな調子でこの先やっていけるんだろうか……?
そんな風に後ろ向きなことを考えていたら、司教様のお付きの方が先程の女性を引き連れて戻ってきた。さっきは扉に隠れて見えなかったけれど、シンプルな濃紺のロングワンピースを着た背の高い女性。年齢は二十代後半といった感じでとても物静かな雰囲気を醸し出している。でも貴族女性というには何だか微妙な違和感を感じて、私は作り笑いを浮かべながら彼女の立ち姿を眺めた。
——この方って、もしかして……
「お初にお目にかかります、アイラ様。王城より王子妃教育のお役を承りました、ユーベル・フツェデリでございます。正式に登城されるまでの間だけ、私がこちらで指導させていただきます」
正式な妃教育ではなく、ここでの指導はあくまでも事前予習のような位置付けだという説明を受ける。だから今はまだそこまで気負いせずと言われ、私は少しホッとした。
フツェデリ様がスカートを小さく摘まみながらお辞儀する姿はさすがに王家が教育係に任命しただけはあり、とても優雅な所作だった。でもただフォームが美しいだけじゃなく、全ての動作に一切の無駄な揺らぎが見えないのだ。それは彼女の身体が芯から鍛え上げられている証拠。
「もしかして、フツェデリ様は何か武術の心得が?」
ロックウェル家は元々は騎士の家系だ。父や兄が護衛騎士と一緒に鍛錬しているのを子供の頃からすぐ傍で見てきた。だから彼女の安定した身の動きは程よくついた筋肉の上に成り立っているのに気付いてしまった。
フツェデリ様は私の指摘に少し驚いた表情になった後、すぐに恥ずかしそうに微笑んだ。
「淑女としての可愛げが足りないことは自覚しております。私はパトリック殿下が率いておられる第二騎士隊の所属でもあります」
「女性騎士様なのですね⁉」
「はい。アイラ様の護衛も兼ね、こちらの神殿でしばらく待機させていただくことになりました。ああ、そうそう、私のことはユーベルとお呼びいただいて構いません。フツェデリというのはあまり発音し易い家名ではないようですので」
司教様のところから戻るのに結構時間がかかっていたのは、彼女も神殿に住み込むことになったからだろうか。いきなりのことで神官達がまた慌てている姿が目に浮かぶ。もうここまでくると自分が原因とはいえ、同情したくなってくる。
「そうですか、ユーベル様はパトリック様の隊の所属なのですね。ということは……」
問題を起こして除隊させられ、殿下を森の神殿へ追いやった人達は、ユーベル様にとっては元同僚。城の警備が中心の近衛騎士が城下にある中央神殿に護衛兼教育係として派遣されたことには何か繋がりがあるのだろうか?
私が不安な表情を浮かべていたからなのか、ユーベル様がくすりと小さく微笑んでから言った。
「教育係とは別に、こちらの護衛には男性騎士が付くという話も上がってはいたのですが、パトリック殿下が猛反対されまして。私ならどちらも兼ねられるから不要だと押し通されました。きっとアイラ様の周りに男性を配置するのがお嫌だったんでしょう」
そして、ユーベル様は廊下へと続く扉に視線を送った後、「神官はみんな男性ですのにね」と噴き出しそうになるのを堪えている。ここにいて男性と距離を置くというのは無理な話だ。そして、思い出したように手に持っていた鞄から手紙を取り出して私へと差し出してくる。
「殿下からお茶会のご招待の手紙を預かって参りました。返事は口頭でも文でも構わないとおっしゃっていたのですが、いかがされますか?」
「そういうのは断れるものなのでしょうか……?」
「そうですねぇ、パトリック殿下は断られても気になさらないタイプではありますが、自国他国ともに王族からのご招待は強制だと考えておいたら間違いないかと」
「ですよね……」
私は諦めた笑顔を浮かべながら、是非お伺い致しますと伝えた。
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