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第二十八話・帰領2
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目の前のお皿が一瞬でも空になれば、すぐにあれやこれやとお菓子が盛られ、私のお腹がこれ以上はもう入らない悲鳴を上げる。私が食べている姿をニコニコしながら眺めている家族の視線に応えようと、ちょっと無理し過ぎたかもしれない。でも今日だけは体型を気にするのは忘れることにした。
「もうお腹いっぱい。やっぱりお母様のベリーパイが一番ね」
甘ったるくなった口の中をお茶で宥めて、私はもう食べられないとお腹を擦ってみせる。ヴァルツが部屋中を歩き回った後に膝の上に乗ってきたが、今はお腹を圧迫されては堪らないと隣の空いている椅子に乗せ直した。猫に向かって「こっちに座ってて」と言い聞かせてから顔を上げると、嬉しそうだけれどどこか寂し気な眼をした家族に気付く。
「王都での生活にはもう慣れたのか?」
「神殿はちゃんとよくしてくださっているの?」
せきを切ったように父と母が続けて確認してくる。神殿からも状況を説明するための使者と書簡が送られて来ているはずだから、私がどういった経緯で聖女に認定されてしまったのかは分かっているのだろう。ただ、娘自身が不便なく過ごせているかだけが気掛かりなようだった。
「ええ、朝夕の参拝以外はとても自由にさせていただてるわ。ナナも居てくれたし、教育係として歳の近い女性を付けて下さったから、その方にいろいろを教えていただいたり」
「その……第三王子殿下とは、上手くやっていけそうなのか? いろいろ噂がある方のようだけれど……」
急に求婚の申し出の手紙が届いて、父はそれが本物かどうかの判断がつかず相当困惑したのだと言う。男爵家には来るはずのない物が届いたのだから当然だ。その後から遅れて神殿や私からも連絡があり、それでようやくある程度の状況を察して返事を送り返すことができたのだと。
「しかし、身を隠す為に訪れた神殿で何がどうすればこんなことに……」
「聖女というだけでも信じられないのに、王子殿下から求婚だなんてねぇ……」
「昔からアイラはタダじゃ起きないよね。こないだセドリックと偶然会ったけど、あいつは家督を弟に奪われることが決まって、遠い親戚の家に奉公へ出されるって話だよ」
心配と呆れとがごちゃ混ぜになっている両親に反して、兄様は妹に降りかかった特異な境遇をちょっと面白がっているようだった。
「セドリックはミレーと婚約し直すんじゃないのね?」
「無い無い。あいつが男爵を継げないって分かったら、すぐに離れてったって話だよ。セドリック自身は家を追い出されても商家へ婿入りになると期待してたみたいだけどね」
「そうなんだ」と呟きながら、私は複雑な感情に覆われる。別に皆が幸せになれたら、なんて聖人君子のようなことは思わないが、知り合いの不幸話を嘲笑う趣味もない。
でも、今は自分のことで精一杯なことも確かだ。心配気な両親へ向かって私はパトリック様にお茶会に招待してもらった話をした。ちゃんと婚約者として扱ってもらっていることを伝えると、少しは安心させることができるだろうと。
「その時に、ジョセフ殿下もいらっしゃったのよ」
「ジョセフ殿下というと、第一王子のか? 療養中でずっと王都を離れておられると聞いたが」
「そうみたいだけど、ちょうど帰って来たところだっておっしゃってたわ」
とても人当たりの良い聡明そうな方だったと語りながら、私はあの時に王子二人から沢山の情報を得たことに気付いた。あの時に宰相様には私と同じ歳の娘がいるという話を聞いていなければ、こうして家族の元へ帰る機会は与えられなかったかもしれないのだ。
——もしかして、ジョセフ殿下は私にあえて聞かせる為に出ていらっしゃったのかしら?
兄弟の話の中にはこれから私が関わっていくであろう人物の話が沢山上がっていた。しばらく王宮に滞在する予定なら、わざわざ婚約者が訪れているところへ長々と邪魔をしに来なくても弟と喋る機会なんて今後いくらでもあったはずだ。
そう考えるとやはりジョセフ殿下が王太子になる未来が無くなったことを心底残念に思えた。
私は家族へ向けて出来るだけ楽しそうに王都での生活について語る。遠く離れて暮らす私のことを少しでも安心して送り出して欲しいから。だって、私が次に帰って来れる保証なんて今の時点では何も無いのだから……
お父様もお母様もそのことが分かっているからか、目の前のカップには一度も口を付けず、私のお喋りを真剣にずっと聞いてくれていた。
夕方になると、王都の街並みとは違って屋敷の周りは一気に真っ暗になる。夜になっても賑やかで大通りから人が消えることのない王都の光景が夢だったかのように、虫の声と風の騒めきだけの窓の外。幼い頃から見慣れているはずなのにとても珍しいとでもいうように、私は自室の窓枠に座ってそれらの音に耳を澄ませていた。
ベッドではど真ん中を占拠するように黒猫が毛繕いをしている。通いの料理人が用意してくれたミルク粥が相当お気に召したようで、ヴァルツはお腹が真ん丸になるまで味わっていた。その証拠にさっきからずっと口周りばかり洗い続けている。
「もうお腹いっぱい。やっぱりお母様のベリーパイが一番ね」
甘ったるくなった口の中をお茶で宥めて、私はもう食べられないとお腹を擦ってみせる。ヴァルツが部屋中を歩き回った後に膝の上に乗ってきたが、今はお腹を圧迫されては堪らないと隣の空いている椅子に乗せ直した。猫に向かって「こっちに座ってて」と言い聞かせてから顔を上げると、嬉しそうだけれどどこか寂し気な眼をした家族に気付く。
「王都での生活にはもう慣れたのか?」
「神殿はちゃんとよくしてくださっているの?」
せきを切ったように父と母が続けて確認してくる。神殿からも状況を説明するための使者と書簡が送られて来ているはずだから、私がどういった経緯で聖女に認定されてしまったのかは分かっているのだろう。ただ、娘自身が不便なく過ごせているかだけが気掛かりなようだった。
「ええ、朝夕の参拝以外はとても自由にさせていただてるわ。ナナも居てくれたし、教育係として歳の近い女性を付けて下さったから、その方にいろいろを教えていただいたり」
「その……第三王子殿下とは、上手くやっていけそうなのか? いろいろ噂がある方のようだけれど……」
急に求婚の申し出の手紙が届いて、父はそれが本物かどうかの判断がつかず相当困惑したのだと言う。男爵家には来るはずのない物が届いたのだから当然だ。その後から遅れて神殿や私からも連絡があり、それでようやくある程度の状況を察して返事を送り返すことができたのだと。
「しかし、身を隠す為に訪れた神殿で何がどうすればこんなことに……」
「聖女というだけでも信じられないのに、王子殿下から求婚だなんてねぇ……」
「昔からアイラはタダじゃ起きないよね。こないだセドリックと偶然会ったけど、あいつは家督を弟に奪われることが決まって、遠い親戚の家に奉公へ出されるって話だよ」
心配と呆れとがごちゃ混ぜになっている両親に反して、兄様は妹に降りかかった特異な境遇をちょっと面白がっているようだった。
「セドリックはミレーと婚約し直すんじゃないのね?」
「無い無い。あいつが男爵を継げないって分かったら、すぐに離れてったって話だよ。セドリック自身は家を追い出されても商家へ婿入りになると期待してたみたいだけどね」
「そうなんだ」と呟きながら、私は複雑な感情に覆われる。別に皆が幸せになれたら、なんて聖人君子のようなことは思わないが、知り合いの不幸話を嘲笑う趣味もない。
でも、今は自分のことで精一杯なことも確かだ。心配気な両親へ向かって私はパトリック様にお茶会に招待してもらった話をした。ちゃんと婚約者として扱ってもらっていることを伝えると、少しは安心させることができるだろうと。
「その時に、ジョセフ殿下もいらっしゃったのよ」
「ジョセフ殿下というと、第一王子のか? 療養中でずっと王都を離れておられると聞いたが」
「そうみたいだけど、ちょうど帰って来たところだっておっしゃってたわ」
とても人当たりの良い聡明そうな方だったと語りながら、私はあの時に王子二人から沢山の情報を得たことに気付いた。あの時に宰相様には私と同じ歳の娘がいるという話を聞いていなければ、こうして家族の元へ帰る機会は与えられなかったかもしれないのだ。
——もしかして、ジョセフ殿下は私にあえて聞かせる為に出ていらっしゃったのかしら?
兄弟の話の中にはこれから私が関わっていくであろう人物の話が沢山上がっていた。しばらく王宮に滞在する予定なら、わざわざ婚約者が訪れているところへ長々と邪魔をしに来なくても弟と喋る機会なんて今後いくらでもあったはずだ。
そう考えるとやはりジョセフ殿下が王太子になる未来が無くなったことを心底残念に思えた。
私は家族へ向けて出来るだけ楽しそうに王都での生活について語る。遠く離れて暮らす私のことを少しでも安心して送り出して欲しいから。だって、私が次に帰って来れる保証なんて今の時点では何も無いのだから……
お父様もお母様もそのことが分かっているからか、目の前のカップには一度も口を付けず、私のお喋りを真剣にずっと聞いてくれていた。
夕方になると、王都の街並みとは違って屋敷の周りは一気に真っ暗になる。夜になっても賑やかで大通りから人が消えることのない王都の光景が夢だったかのように、虫の声と風の騒めきだけの窓の外。幼い頃から見慣れているはずなのにとても珍しいとでもいうように、私は自室の窓枠に座ってそれらの音に耳を澄ませていた。
ベッドではど真ん中を占拠するように黒猫が毛繕いをしている。通いの料理人が用意してくれたミルク粥が相当お気に召したようで、ヴァルツはお腹が真ん丸になるまで味わっていた。その証拠にさっきからずっと口周りばかり洗い続けている。
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