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第十五話・年越し

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 毎年のように母の知り合いに頼まれて購入していた年賀状は、去年と変わらない枚数が束のままコタツの天板の上に放置され続けていた。これまでは父が仕事用のパソコンで両面を印刷して、年賀状の受付が始まったと同時に投函していたはずだ。
 けれど今年はいつまで経っても手付かずで、気付けば12月も中旬を迎えようとしていた。

「どこに出したら良いの?」
「ん、これから見る」

 リビングにノートパソコンを持ち込んでブラウザを立ち上げると、有希は『年賀状 テンプレート 無料』と検索する。ずらりと表示された年賀状用のイラストを順に目で追って、良さげな物があればサイトへと飛んで確認していく。

 年初に届いたハガキの束を確認するようにと娘から受け取った信一は、気怠そうに座椅子に凭れながらそれらを雑に選り分けた。体調の良くない父に代わって今年は有希が年賀状を作成することにしたが、どこに送るかは直接確認して貰わないことには分からない。親戚なら母でも分かるかもしれないが、仕事関係となると微妙だ。実際に取引がある会社なのか、そうで無いかの判別は社名を見るだけでは難しい。

「こっちは要らん。そっちだけ出してくれたらいい」

 父によって二つに分類されていく年賀状の山を横目で見ながら、法人でも使えそうなシンプルなデザインのテンプレートをいくつかダウンロードする。良い感じだと思っても実際に住所などを付け足していくと余白が微妙だったりして、素材を探すだけでも半日仕事だった。

 集中して作業している時に限って、猫が順番にウロウロし始めてドアの開け閉めを要求される。もう老猫なのでキーボードの上に寝転がったり、マウスにじゃれ付いたりというベタな邪魔をされることは無いが、繰り返される出入りが三匹分もあるとそれなりに落ち着かない。
 リビングだと全く寝れないとボヤいていた父の気持ちがよく分かる。

 親戚も会社用も同じ絵柄で送っていると聞いたので、サンプルで一枚印刷した物を父に確認して貰った後、一気に刷っていく。印刷しながら同時進行で住所録を作り直していくのだが、父から渡されたUSBメモリには創業以来の古いデータも多くて有希では使いこなせそうもない。直近に受け取った年賀状から新しく作成し直す方が早い。

 父が居なくなった後は間違いなく事業縮小することになるだろうし、来年からのことも考えると良い機会だ。必ず出さないといけないところだけを選別して貰うと、前年の8割ほどの枚数まで減らすことができた。

 こうやって父から直接確認して貰いながら住所録の整理が出来るのは、木下医師が勧めてくれた治療のおかげだ。ただ命が尽きていくのを何もせず放置していたら、今頃は年賀状ではなく喪中はがきを印刷していて、送るべき相手が分からずに慌てていたのだろう。

 ――来年は、おそらく……。

 奇跡はそう何度も起こらない。奇跡がもう起こらないことを嘆くのではなく、奇跡が起こってくれたから今があることを感謝しよう。
 年末最後の診察で木下医師から三度目のガンマナイフ治療を提案されたが、父はそれを頑なに拒絶した。治療そのものへの不信感が芽生えてしまっていたのも理由の一つだが、長時間固定されての治療に耐えられる体力はもう無かった。今の父は階段の上り下りも両手を使って身体を支えながらがやっとという状態だった。

 だから、父と一緒に新しい年を迎えることができるのは、きっとこれが最後。でも特別なことは何も無い、いつもと変わらない年越しだ。

「明けまして、おめでとう。今年もよろしくお願いします」

 母の手作りのお節とお雑煮で迎えた新年は、毎年恒例の父の挨拶から始まった。正月と言っても普段と大して変わらない。食卓に並ぶ料理が正月仕様なだけで、テーブルに付く家族の装いもいつも通り。でも、年明け最初の朝食は家族が揃い、新年の挨拶を交わしてからというのが広瀬家の慣習だ。年越しをどんなに夜更かししていようが、とりあえず朝食の準備が出来れば叩き起こされる。

 食欲が無いという父は京風の白味噌仕立てのお雑煮をお餅一つ分だけ食べた後、コタツに寝転びながらテレビの正月特番を眺めてウトウトしていた。

 昼前になると、由依が夫と子供達を引き連れて新年の挨拶にやってきた。由依の夫も父の病状を知っている内の一人だが、元々から寡黙なタイプなので余計なことを言ってくるという心配もない。

「お父さんの身体はどうですか?」
「少しずつ弱って来てるみたいで、一日中寝て過ごしてるわ」
「そうですか……」

 玄関先で新年の挨拶をした時に、そっと母には聞いていたようだが、それ以上は何も触れない。家で妻からいろいろと聞いているはずだが、敢えて踏み込んではこない。
 直情型の姉と違ってとても無害で穏やかな人だから、有希は義兄が由依と結婚しているのがいまだに不思議で仕方がない。真逆のタイプだからこそ惹かれ合ったのかもしれないが、機会があれば理由をこっそり聞いてみたいとずっと思い続けている。

 ダイニングでお菓子を囲んで賑やかに喋っている妻や娘達を横目に、信一と一緒にコタツに足を入れながら、由依の夫は出された缶ビールをお節を肴に静かに飲んでいた。元々から父は酒を全く口にしない人だったので、義兄が家に来ても一人酒なのはいつものこと。たまに父もビールをコップ一杯くらいは付き合っていることもあったが、一日2リットルは飲むという根っからの酒豪には太刀打ちできる訳がない。

 熱さにのぼせてコタツの中から顔を出したクロが、滅多に顔を見ない義兄の存在に驚いて一瞬固まっていたが、素知らぬフリをして少し離れた場所で長く伸びていた。
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