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第二十七話・三寒四温

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 広瀬信一の悲報は瞬く間に近所中に広まった。まだ還暦を過ぎたばかりの若さで亡くなったことで、通夜や告別式の前に直接にお別れをと訪れてくる人は多かった。ほとんどの訪問客は母や本家筋の親戚が対応していたが、ただ一人だけ有希を探してやって来たのは遠縁のおじさんだった。以前に父へと医療系雑誌を貸してくれた人だ。

「なあ、手紙って出したんか?」

 その手には母から返して貰ったばかりの例の雑誌が二つ折りにされて握られていた。父の本当の病名が肺癌であり、それは本人に告知されていなかったことを聞かされ、おじさんは慌てていた。生前の父から「手紙を有希に出して貰った」と聞いていたらしく、もし本当に出していたのなら大変だと思ったらしい。

「出してないですよ」
「そっか、出してないんか。そうやんな……」

 ホッとして帰って行ったおじさんは、祖母の従兄弟という薄い関係なのでそれ以降は滅多に顔をみることはなくなった。父とは仲が良かったが、父が亡くなってしまうと関わりは呆気なく無くなってしまう。

 両親共に仲が良く、口数の少なめな父でも顔を合わせれば世間話するような裏の家のおばさんも、通夜の前に父への別れを言いに来てくれていた。母の肩を抱いて慰めと励ましの言葉を掛けながら、目に涙を浮かべて亡き父のことを偲ぶ。

「信ちゃんが、俺は癌やねんって言ってはったけど、本当やったんやね」
「え? あの人、そんなこと言ってたの?」
「そうよ。抗がん剤も飲んでるって聞いたわ」

 親しいご近所さんの言葉に貴美子は絶句した。夫はいつから自分の本当の病名に気付いていたのだろうか。本屋で買って来た医学書を見て? それとも、病院で自分が木下医師と話しているのが聞こえていた?
 いや、もしかするとただの思い込みで話していただけの可能性もある。病気のせいで思考力が低下していた時期のことだ。だって、夫に処方された薬には抗がん剤なんて一切含まれていなかったんだから。
 本当に信一が自分の病名を知っていたのかどうかは、もう確認する術もない。


 通夜や告別式といっても、独身の有希がすることはほとんど無い。台所仕事は姉を含めた親戚の奥様達が担ってくれていたし、何よりも取引のある葬儀社を使ったことで葬儀スタッフの手厚さは半端なかった。「今日はベテランを揃えさせていただきました」と自信満々で社長が言い切った通り、設営から司会進行までもがとてもスムーズで、自宅葬にも関わらず親戚達の手を借りることは最低限しかなかった。

 たった一晩明けただけで、自宅が葬儀場へと様変わりしていた。まさにそんな感じだった。一昔前の自宅葬なら、もっと造り付け感に溢れていたような気がするが、葬儀業界も日々進歩しているのだろう。庭に面した仏間は天井も壁も真っ白の布で覆われ、生活感は完全に隠されている。

 葬儀中、四人の僧侶が声を合わせて唱えるお経を聞きながら、有希は祭壇に飾られた父の遺影を見上げる。姉と大叔母達と一緒に選んだ写真は、少し緊張気味にはにかんだ表情の信一だった。

「これが一番、信一らしい顔してはるわ」
「うん、いつものお父さんやね」

 他の親戚が少し強面な写真を勧める中、娘達は優しい表情の信一がより彼らしいと主張した。頑固で厳しい一面もあったかもしれないが、照れたように不器用に笑っている方が見慣れている。

 読経が響く中、参列者が向く先にある棺には信一が眠っている。たくさんの花が飾られた祭壇に、礼服を合成された父の遺影。あまりに非日常的過ぎる光景だったが、目を逸らすことの叶わない現実だった。

 ジワジワと溢れ出る悲しみも、最初は無理矢理に押し殺し、しっかりしなきゃと有希は気丈に耐えていた。
 けれど、父の遺影を眺めていて不意に思い出した。

 ――お父さんなら、素直に泣いていた方が喜ぶはず!

 泣くのを我慢する必要なんて無い。だって有希の父、広瀬信一がこの場にいたら絶対に言うはずだから、

「俺の葬式で、あいつら滅茶苦茶に泣いとったわ」

 満足気にはにかむ父の顔が容易に思い浮かべることが出来た。だから有希は無理して我慢するのは止め、泣きたいだけ泣くことにした。自分にとって父がどれだけ大切な存在だったかを、鈍感な信一でもちゃんと分かるように、と。

 社葬も兼ねていたこともあって、信一の葬儀は近所では稀に見る数の弔電や供花が並び、たくさんの人が参列に訪れた。なので、父の葬儀のことが話題になる時は必ず、「立派なお葬式だった」と言って貰えた。有希達の世代にはよく分からないが、それは田舎の自宅葬ではこの上ない賛辞らしい。そして同時に言われるのが、

「信ちゃんの葬式は、あれはキツかった……」

 父が亡くなったのは3月の中旬。春はもうすぐそこまで来ていて、九州地方なら桜の開花宣言が始まろうとしている頃だ。関西でも桜の蕾がちらちらと観測されている時期なのに、なぜか父の葬儀中には雪がちらついていた。

 自宅の外にいた一般参列者は不意打ちの雪に凍えていた。まさかこの時期に雪が降るとは思わない。なのに有希達親族が火葬場へ向かう為に外へ出た時にはすっかり止んでいるという、大変おかしな天気だった。
 悪戯好きな父が「みんな驚いとったやろー」と嬉しそうに笑う顔が目に浮かぶ、そんな天気だった。三寒四温という四字熟語はまさにこの日のことを現わしているようだった。

 天候には恵まれなかったが、滞りなく告別式を終えて親戚一同が帰って行った後、有希は一人きりで自宅にいた。仏間の一角に残された小さな祭壇の上には父の骨壺が入った白い箱が置かれ、その前には線香の煙がかすかに上がっていた。
 母は親戚のおばさんを車で送って行ったし、由依も自分の家に帰ってしまった。家で一人になるのは父の入院中以来だ。猫達は相変わらず二階から降りては来ない。

 しんと静まり返った自宅で手持ち無沙汰になって、キッチンで洗い物でもしようかと立ち上がった時、玄関のチャイムが鳴った。

「あの、今帰りましたんで、社長に手を合わせさせて下さい」

 泊りの仕事で葬儀に出られなかった従業員の筒井だった。喪服ではなく、仕事から戻って来たばかりのスーツ姿のままだ。前もって決まっていた仕事だったので、通夜も告別式も出られなかったから、せめて直接に仕事の報告をさせて欲しいという。

「ありがとうございます。どうぞ」

 有希が仏間へと促すと、筒井は黙ってその後に続いた。電気を点けると父の遺影が目に入ったらしく、すぐに鼻をすする音が聞こえる。あまり見てはいけないと、有希はそっと視線を逸らした。

「あ、あとは一人で大丈夫なので……」

 仏間を出て、そっと襖を閉めている時、「社長、今帰ってきましたよ」と父の遺影に向かって話しかけている声が耳に入った。鼻をすする音と何か話している声が続いていたが、有希はあえて聞かないようにキッチンで洗い物を片付けていた。
 しばらくすると母が戻って来たので、その後は二人で長く話をしていたようだった。帰る時にすれ違った筒井は両目を真っ赤に腫らしながら、有希に向かって深く頭を下げていった。

「仕事が無くて困っている時に社長に助けて貰ったって、筒井さんはお父さんのことをとても感謝してはるのよ」

 父が入院中に、筒井の名で大きなフラワーアレンジメントが病室に届けられたことがあったのを有希は思い出した。黄色の花を中心としたとても綺麗な花篭で、殺風景な病室が一気に華やいだものだ。

 筒井の顔は何度か見かけたことはあったが、有希は今まで彼と父との詳しい関わりまでは知らなかった。一緒に住んでいたはずなのに、亡くなってから初めて知った父の一面だった。
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