ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました

瀬崎由美

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第三十三話・ストックルームでの出来事

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 柚葉が店長会議に出席するため昼過ぎに本社へと向かった後、弥生と野中との三人のシフトになった。でも、夕方から降り始めた雨のせいで、客足が引くのが普段よりも早くて、この調子なら閉店時刻と同時にレジを締めてしまえそうだ。翌日に備えて品出しをしていた穂香は、ブラウスの在庫を取りにストックルームへと入る。同じ商品を色違いで購入して行った客がいたりと、今日は長袖がよく出た気がする。

 ——そろそろ長袖を前面に出していった方がいいのかなぁ。

 まだ暑さが残っている日は多いけれど、入荷する商品も徐々に袖が長くなっている。店頭の商品も深みのある色合いが多くなっていた。ディスプレイもそろそろ暖かみのあるアイテムに変えていかないと、と考えながら壁面のストックボックスに記された品番を確認していく。お目当ての箱を見つけて中を覗き込んでみるが、求めていた色だけはあいにく在庫切れだった。一番に売り切れるカラーは大体決まっているから仕方がない。

 他に品切れしていたものはなかったかと一通り見た後、カットソーを数枚抱えて穂香は店頭へと戻りかける。すると、ちょうどカーテンを入ってきたばかりの野中と狭い空間で鉢合わせしてしまい、避けるつもりで身体を左端へと寄せる。当然、彼の方は反対側を通って行くものだと思っていたが、野中は穂香の目の前で立ち止まるとその腕を伸ばしてきた。

「……え⁉」

 ロッカーとに挟まれるように追い詰められた穂香の身体は、次の瞬間には野中の腕にぎゅっと抱き締められてしまっていた。両手で持っていた商品ごと拘束されてしまった状態に、穂香は驚きで声が出ない。背中へしっかりと回されている手の存在が、たまたまぶつかった事故なんかじゃないのは明らかだった。これは一体、どういうことなんだろうか?

「あの……野中、さん?」

 驚き顔のまま、穂香は野中のことを見上げる。随分と打ち解けて来たとは思っていたけれど、ここまでのスキンシップを交わすほどじゃなかったはずだ。穂香だってそれなりに経験を積んで来ているから、別に叫んで大騒ぎするつもりはないけれど、仕事中にこういう冗談は止めて欲しい。キッと睨みつけようとした穂香だったが、野中が顔を傾けて自分の方へ唇を近付けてこようとするのに気付き、咄嗟に頭を横へ背けて拒絶した。

「離して下さい」

 商品を持ったまま、野中の胸をグイっと押す。彼の腕が身体から離れた瞬間に、穂香は急ぎ足でカーテンの外へと駆け出た。突然のことに心臓がバクバクと早打ちしている。一瞬のことだったけれど、まだ両腕と背中には野中の腕の体温が残っていた。向こうから彼がやって来るのを見た時、普段とは全く違う真剣な表情に何かある予感はしていた。顔を上げるとすぐ近くにあった野中の顔は、これまでの中性的なものとは違い、はっきりとした男性のものだった。

 店頭に出て品出しの続きをしようとする穂香の手が小刻みに震える。ただの同僚だと思っていた相手に異性として意識されていることが、こんなにも不快なことだとは思わなかった。

 遅れてストックルームから出てきた野中は、何事もなかったかのように平然としている。さっきのは軽い冗談だったと済ませるつもりなんだろうか?

 ——ただの冗談、だったんだよね……?

 今後も長く一緒に働いていかなきゃいけない相手だから、無かったことにするのが正解なのかもしれない。穂香はふぅっと息を長めに吐いて、気持ちを宥めようとする。キスされかけたけど、結局は未遂に終わったんだから何も問題ない。ハグくらいならスキンシップの一環だと、あれくらいは平気だと、自分自身に強く言い聞かせた。

「何かあった? 顔色めちゃくちゃ悪いけど……」

 カットソーを畳み直して陳列している穂香に、弥生が心配そうに顔を覗き込んでくる。野中がストックルームに入った途端、穂香が慌てて飛び出して来たから、勘のいい弥生は中で何かがあったと察しているのかもしれない。そう言えば、彼との距離感を忠告してくれていたのも弥生だった。

「体調悪いんなら、ストックルームでしばらく休んでていいけど?」
「い、いいえっ、大丈夫です。何でもないんで!」

 フルフルと首を横に振って、穂香は必死で笑顔を作って見せる。できることなら、ストックルームにはしばらく入りたくはない。その後輩のぎこちない態度を怪訝そうにしながらも、弥生は「ならいいけど」とレジ締め作業へと戻っていった。今日は野中が一人でレジの清算作業をするのを横に付いて見守る役割らしい。野中は研修期間も半分が過ぎて、ほとんどの作業を任せることができるようになっている。

 チラチラと心配そうな弥生の視線を感じながら、穂香は店頭で商品整理を続ける。少ない人数で店を回している状態なのだから、スタッフ同士で変にこじらせても良いことなんて何もない。さっきのはただの悪い冗談だと無理矢理に思い込むしかない。

 明日の午後には川岸が一週間ぶりに帰国する予定なのだから、そんなつまらないことに頭を悩ませている場合じゃないのだ。ちょうど明日は早番だから、夕ご飯は彼が好きな物を作ろうと、頭を献立へとシフトする。
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