刃先に触れる恋 —君が短くなるたび、僕は惹かれていく—

S.H.L

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第1部

第2章:断髪の音、心の砕ける音

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第2章:断髪の音、心の砕ける音

1|額から後頭部へ──最初の“道”が剥き出しになる

 バリカンの振動が額の中央に触れた瞬間、
 澪の呼吸は浅くなる。

 店主・巴圭介は、
 「大丈夫、ゆっくりいこう」
 と、低く落ち着いた声で囁く。

 次の瞬間。

 ジョリ……ッ、ジョリジョリジョリ──!

 真っ直ぐ後ろへと一本の“道”が剃り上がり、
 長い黒髪が線を描くように分かれていく。

 バリカンが通ったところだけ、
 肌の白さが露わになり、細い黒い短毛がざらつきながら残る。

 澪は、鏡から目を逸らせなかった。

 「……こんなに、白いんだ……私の、頭……」

 自分の肌色が「頭」として出てくるのを見るのは初めてだった。
 背筋に、ひやりとした感覚が走る。

 店主はバリカンを握りしめたまま、一度止めた。

 「ここからは早いよ。覚悟してね」

 「……はい」

 スイッチが再び ブゥン…… と震える。



2|右側頭部、左側頭部──音だけが世界になる

 店主がバリカンを右側頭部へ寄せる。

 額から伸びた“剃り道”と、今から剃られる側頭部の「境目」。
 そこに刃が触れた瞬間、
 ジョジョジョ……ッ!
 髪が一気に持ち上がり、剃られていく。

 黒髪が束ごと浮き、
 ざら……ざら…… とケープの上に落ちる。

 澪は、バリカンの振動が皮膚を伝って耳の奥に響くのを感じた。

 「……っ……」

 怖い。
 でも、気持ちいい。
 でも、怖い。

 どちらが本音なのか自分でもわからない。

 圭介は淡々と、だが丁寧に刈り進める。

 「動かないでね。耳の周りは少し危ないから」

 「は、はい……」

 耳の付け根に沿って、刃が滑る。

 ジョリッ……ジョリィ……

 指先で耳を軽く押さえながら剃っていくため、
 店主の指がときどき耳に触れる。

 その度に澪の心臓は跳ね、
 緊張と解放が入り混じって胸の奥を揺さぶった。

 右側が終わると、鏡の中の澪はすでに
 右半分だけが坊主になった異形の姿 をしていた。

 左半分はロングのまま。
 右半分は白く、短い毛がざらついて見える。

 その落差は、まさに“変身途中”。

 「……すごい格好ですね、私……」

 「たまにいるよ。途中でやめたくなる人もね」

 「……私は、やめません」

 その決意が、鏡の中の瞳に宿る。

 「そう言うと思った」

 圭介は微笑むと、左側へバリカンを滑らせた。



3|左が落ちると、もう後戻りはできない

 左側頭部へ刃が当たると、
 澪の視界の隅で、最後の長い髪が振り落とされた。

 ぱさ……ぱさ……ぱらら……

 床に広がる黒い髪の海。
 澪の十年分の時間が、
 そこに塊となって沈んでいくようだった。

 「十年分、落ちちゃったね」

 「……はい。なんか……私じゃないみたい」

 「でも、今のほうが“あんたらしい”」

 「え……?」

 意味を問い返す前に、
 店主は後頭部へバリカンを移した。



4|後頭部の解放──“重さ”が抜ける瞬間

 後頭部は、もっとも長く、もっとも量の多い部分だ。

 そこへバリカンを差し込んだ瞬間、
 ジョリジョリジョリジョリ────!!
 と勢いよく毛束が削り取られていった。

 肩まであった髪が、大きくゆらいでから落ちる。

 どさ……っ

 その量は、先ほどまでの倍以上。
 床に積もった髪が、まるで黒い絨毯のように厚みを増していく。

 「……軽い……すごい……」

 自分の首が自由になっていくのを感じた。

 過去の重さが、体から剥がれていく。

 「後ろは、もっと短くするね」

 「もっと……?」

 「坊主にするんだろう? なら遠慮はしない」

 ブゥン……!
 強めの音とともに、刃がさらに短く設定される。

 澪は息を呑む。

 「いくよ」

 ジョリリリリリィ──ッ!!!

 後頭部が、一気に“砂利のような長さ”になる。
 触ればざらつく、いわゆる 3mm に近い。

 首筋が完全に露出し、
 髪の影ひとつなくなる。



5|鏡の中の坊主頭──新しい自分の誕生

 圭介はバリカンのスイッチを切り、鏡を澪に向けた。

 ケープの上は、黒い髪で埋まっている。
 椅子の下の床には、無数の束が散らばっている。

 そして鏡の中の澪は──

 綺麗な丸坊主
 になっていた。

 後頭部は短く、
 側頭部は地肌が見えるほど刈られ、
 頭頂部もほぼ均一の長さ。

 首は細く、白く、
 顔の輪郭がくっきり現れている。

 「……これ、私……?」

 「そう。三枝澪の、新しいシルエット」

 「なんか……すごく、変な感じなのに……」

 「なのに?」

 「……泣きそうなくらい……軽いです」

 圭介はその言葉を聞き、静かにうなずいた。

 「まだ終わりじゃないよ」

 澪の瞳が揺れる。

 「……まだ?」

 「坊主ってだけなら今で十分。でも──」

 店主は鏡越しに澪の目を見る。

 「“全部から自由になりたい”って顔をしてる」

 澪は、ゆっくりと息を飲んだ。

 「……スキンヘッド……まで、いきますか?」

 「はい……お願いします」

 声は震えていたが、迷いはなかった。
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