刃先に触れる恋 —君が短くなるたび、僕は惹かれていく—

S.H.L

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第1部

第15章:触れない手と、触れられたい心

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第15章:触れない手と、触れられたい心

1|翌日の夕方、“行く前から胸がいっぱい”

 翌日の夕方。
 仕事を終えて駅に出た澪は、
 昨日とは違う胸のざわつきを感じていた。

 (……今日は行ける。昨日は無理だったけど)

 1mm坊主にした自分なら、
 逃げずに行ける。

 圭介に“弱い自分”を見せても大丈夫だと、
 どこかで確信していた。

 (行こう)

 澪は駅を出た。



2|巴理髪店の灯りが見えた瞬間、胸が痛くなる

 路地に入ると、
 赤・白・青のサインポールが回っていた。

 昨日よりも明るく見えた。

 店のガラスから、
 圭介がひとりで片付けをしている姿が見える。

 胸がきゅっとなる。

 (あ……いる……)

 扉に手を伸ばし、軽く押す。

 ちりん。

 金属ベルがやさしく鳴った。



3|圭介が驚かずに笑う。それが余計に胸を揺らす

 「――ああ、来たな」

 圭介は、
 驚いた様子もなく自然に笑った。

 その笑顔を見た瞬間、
 澪の胸がちくりと痛む。

 (昨日の電話……聞かれてよかった……)

 「座れ。今日は切らなくていい」

 澪は素直に頷き、
 椅子に座った。

 ケープはかけられない。
 今日はカットではないから。

 圭介は向かいの椅子に、
 “客”ではなく“誰か”として座った。



4|「どうだった?」の問いが優しすぎて泣きそうになる

 圭介は静かに聞いた。

 「昨日の、先方との話。どうなった?」

 その聞き方が
 あまりに普通で、あまりに優しくて――
 胸が苦しくなる。

 澪は息を吸った。

 「……保留、でした。
  提案のせいじゃなくて……内部の方針の問題でしたけど」

 「なるほどな」

 圭介は澪が話し終わるまで、
 一度も口を挟まなかった。

 話を遮らず、
 急かさず、
 ただ聞いてくれる。

 (……この人、本当にずるい……)

 気が緩む。
 涙が一滴だけ、膝に落ちた。



5|泣くつもりじゃなかったのに、勝手に涙が出る

 澪は慌てて手で拭った。

 「ごめんなさい……また……弱いところ……」

 圭介は、首を横に振った。

 「泣くなって言った覚えはない」

 「……でも……」

 「泣きたいだけ泣け。
  髪が短いと、涙はすぐ乾く」

 その言葉に――
 胸が崩れた。

 泣くつもりなんてなかったのに、
 涙がぽろぽろと落ち始めた。

 圭介は席を立つでもなく、
 慰めるでもなく、
 ただ向かいの席で、
 澪が泣く音を静かに聞いていた。



6|涙が落ち着いたころ、圭介が立って後ろに回る

 しばらくして、
 涙がようやくおさまった頃。

 圭介がゆっくり立ち上がった。

 「後ろ、失礼」

 澪の背後に回り、
 指先で頭皮の状態を軽く確かめる。

 触れない。
 でも、触れそうな距離。

 圭介の指先が
 頭皮の1cm上をすべるように移動する。

 澪はびくりと肩を震わせた。

 「まだ1mm、綺麗に残ってる。
  昨日よりも落ち着いた顔だな」

 その言葉が、
 まるで髪型よりも“心”を見ているようで、
 胸が熱を帯びる。



7|指先が“ほんの少し”触れる。事故のように。

 圭介が頭の左側を確認するとき、
 ごくわずかに指が触れた。

 スッ――

 1mmの毛が指先を押し返す。

 (……っ)

 澪は息を止めた。

 圭介も一瞬だけ固まったが、
 すぐに手を離した。

 「すまん、触れた」

 「だ、だいじょうぶです……!」

 胸がドキドキして止まらない。

 (事故……でも……嫌じゃなかった……)

 1mm坊主の頭は、
 触れた瞬間に電気のような反応がある。

 圭介の指先の温度が、
 頭皮に残った気がした。



8|「澪は……よく頑張ってるよ」

 圭介は澪の横に戻り、
 静かに椅子に腰掛けた。

 そして、不意に言った。

 「なあ、澪」

 「……はい」

 「よく頑張ってるよ。ほんとに」

 シンプルな言葉。
 でも、深かった。

 胸の奥に、
 やわらかく広がっていく。

 澪は言葉を返せなかった。

 代わりに、
 短い頭をそっと撫でた。

 ざら……ざら……

 1mm坊主は、
 “頑張った”という証のように感じられた。



9|別れ際、圭介が名前を呼ぶ声が違っていた

 帰ろうとすると、
 圭介が背中から呼んだ。

 「澪」

 振り返る。

 圭介は少しだけ迷い、
 そして言った。

 「……強がらなくていい。
  また来いよ」

 昨日と同じ言葉。
 でも、
 今日のほうがずっと、
 あたたかかった。

 澪は微笑んで言った。

「はい。絶対、また来ます」

10|帰り道、風が“触られた場所”をめぐるように吹いた

 店を出ると、
 夜風が1mmの頭皮をなでていく。

 さっき圭介の指先が触れた場所に、
 風が入り込む。

 (……好きになってる……)

 はっきり言葉にしてしまいそうになり、
 思わず口を押さえた。

 でも――
 否定はできなかった。

 短い髪の間を風が抜ける度、
 胸の奥で、
 静かに恋の形が育っていく。
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