刃先に触れる恋 —君が短くなるたび、僕は惹かれていく—

S.H.L

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第1部

第17章:触れ合う声、語られる過去

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第17章:触れ合う声、語られる過去

1|仕事帰り、なぜか“店に近づいてしまう”

 その週の木曜日。

 澪は仕事帰りに駅前を歩きながら、
 自然と足が路地のほうへ向いていることに気づいた。

 (……行くつもりじゃなかったのに)

 でも、どうしても
 “明かりを見たい”と思ってしまう。

 サインポールが見え、
 巴理髪店の窓の向こうに圭介の背中が見えた。

 胸が、わずかに熱くなる。

(行こう。何か理由なんていらない)

 そう思った。



2|「今日は切らないってわかってた」

 ちりん。

 扉のベルが鳴く。

 圭介は、タオルを畳みながら顔を上げた。

 「……澪」

 その声は、驚きよりも
 “予想していた”温度だった。

 「今日は切らないってわかってた」

 「え……?」

 「顔に出てた。
  切る理由より、話す理由のほうが大きい日だってな」

 (……どこまで見抜かれてるの)

 澪は思わず頬が熱くなる。



3|椅子ではなく、店の奥の“スタッフ用の丸椅子”に座る

 圭介は、カット椅子ではなく、
 店の奥にある丸椅子を指した。

 「こっち来い。今日はそっちでいい」

 (……客じゃなくて、“澪”として呼ばれてるんだ)

 そのことが胸に刺さる。

 澪は丸椅子に腰掛けた。
 圭介は反対側に座り、
 距離は、手を伸ばせば触れるほど近い。



4|沈黙を破ったのは、圭介のほうだった

 しばらく話さなくても
 空気が重くならない沈黙。

 そして圭介が
 ぽつりと口を開いた。

 「……澪は、髪を変えるのが怖くないんだな」

 「え……?」

 「普通の人間は、髪を切るのが“挑戦”だ。
  澪の場合は、変化を迎えに行ってる」

 (迎えに行ってる……)

 その言葉が胸に響く。

 澪は少し考え、
 静かに答えた。

 「……圭介さんが切ってくれるからだと思います」

 圭介の目がわずかに揺れた。



5|「俺も昔、変わるために髪を切った」

 圭介は、膝の上で指を組んだ。

 その仕草に、
 いつもと違う緊張があった。

 「……澪。
  言っとくけど、俺だって昔は弱かった」

 「圭介さんが……?」

 想像がつかなかった。

 圭介は続けた。

 「俺さ、高校のときに……
  ひどく落ち込んだ時期があったんだ。
  人間関係でな。
  全部うまくいかなくて、
  自分が何をしたいのかすらわからなくて」

 圭介が過去を語ること自体が珍しく、
 澪は息を飲んだ。



6|「その時……坊主にした。自分で」

 圭介はゆっくり息を吸い、話を続けた。

 「そのとき……坊主にしたんだ。自分で」

 澪の心臓が跳ねた。

 「スキンじゃない。
  1mmで、バリカンで。
  まるで何かを削ぎ落とすみたいに」

 澪の手が、
 無意識に自分の1mmを撫でた。

 ――ざら……

 圭介の過去と、
 今の自分が重なる。

 「学校じゃ笑われたよ。
 先生にも怒られたし。
  でも、不思議だよな。
  誰に何を言われても、
  “自分で決めた髪”ってだけで
  心が折れなかった」

(……同じだ)

 澪は前に倒れ込みそうなほど、
 その言葉に引き寄せられた。



7|「そのとき初めて、“髪って救うんだ”と思った」

 圭介の瞳は、
 あたたかく、でも少しだけ痛みがあった。

 「そこから理容の道に進んだ。
  髪って、見た目だけじゃなくて――
  人の心の“整理”になるって知ったから」

 澪も息を呑んだ。

 圭介は続けた。

 「だから……澪がどう変わっても、
  どう泣いても、どう揺れても、
  髪を整えることで支えられるなら……
  俺は、喜んで支える」

 (……そんな……)

 胸の奥に熱いものが広がる。

 圭介が澪の名前を呼ぶ。

 「澪」

 その声は、
 今までで一番やわらかかった。



8|「お前の変化は、俺にとって誇りだ」

 圭介はほんのわずか、
 手を伸ばし――
 けれど触れずに止めた。

 伸ばした手が震えていた。

 「お前の変化は……
  俺にとって、誇りだ」

 澪は心臓が痛くなるほど高鳴った。

 (圭介さん……)

 触れなかった手の意味が、
 痛いほどわかる。

 距離を越えたい。
 でも越えたら戻れなくなる。

 そんな葛藤が、
 まるごと伝わってきた。



9|「また来い。変わるたびに来い」

 圭介は手を引き、
 静かに微笑んだ。

 「澪。
  変わるたびに、また来い」

 その言葉は、
 今までのどの言葉よりも
 まっすぐだった。

 澪は涙が出そうになりながら、
 小さく頷いた。

 「……はい。変わるたびに、来ます」



10|店を出た瞬間、世界が“すこし違って見えた”

 外に出ると、
 夜風が1mmの頭をふわりとなでた。

 いつもの風なのに、
 今日だけは違う意味を持っていた。

 (圭介さんにも、坊主の時期があったんだ……
  救われたんだ……
  だから、私の坊主も受け止めてくれたんだ)

 胸の奥がじんわり温かくなる。

 (……こんなの、好きにならないほうが無理だよ)

 澪は、
 自分の1mm坊主にそっと触れながら歩き出した。

 ざら……ざら……
 その感触が、圭介の過去と自分を繋いでいた。
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