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第1部 奈美編
♬16 飛鳥ふたたび
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京はその日、寝坊してしまい、いつも乗るバスに乗れずに地下鉄を使って別ルートで向ったが、乗り換えの渋谷で意外な人とすれ違った。
以前人数合わせで連れていかれた合コンで知り合った、あの超絶美少女だった。確か飛鳥ちゃんという名前だった。合コンの後でもしばらくは飛鳥ちゃんの記憶が京にまとわりついていた。
いや、京が飛鳥ちゃんの記憶を単に離さなかっただけだけれど、あれから今の今まで飛鳥ちゃんの事を忘れていた自分が、ちょっと恨めしかった。
それほど、飛鳥ちゃんはハッとするほど美しかった。妙齢の女性に対して美少女などといえば、逆に怒られてしまうかもしれないが、彼女は若く見えるタイプの人なんだろうなどと京は、歩きながら飛鳥ちゃんのことばかり考えている自分に苦笑いした。
悲しみは金を出しても買えと太宰治はいったが、実のところ悲しみほど、いついかなるときでも容易に手に入るものもなく、お金を支払ってまで悲しみを買う必要などまったくないが、考え方として素晴らしいと京は思った。
誰も悲しみや苦悩に打ちひしがれ、叩きのめされて人生に絶望したいとなどとは思わない。誰しもが幸福になりたいと願っている。
だが、悲しみやらネガティブな気持ちというやつに、人は容易に囚われてしまう。それの方が楽だからだ。
今は10代のときよりはずっとましになったが、京も、なんとも言えない悲しみや、憂鬱の牢獄に長いあいだ幽閉され続けていた。
太宰は、同じく『善蔵を思う』の中で牢屋から見る青空がいちばん美しいとも書いているが、京も長いあいだいつも心が晴れることのない悲しい感情や孤独感、憂鬱という鉄格子に覆われた小窓の向こうからしか世界を眺めることができなかった。
飛鳥ちゃんのことを思い出していたというのに、なぜまたこんなことを考えているのかというと、彼女が京とはまた違うけれども類似した苦悩を抱えて生きていると思ったからに違いなかった。
結局、あの合コンで飛鳥ちゃんと直接言葉を交わすことはなかったけれど、それは敢えて京がそう仕向けたわけだが、京は言葉を交わさなくても飛鳥ちゃんと自分が同じ種類の人間であると思えてならなかった。
なので、あのメンバーの中では、飛鳥ちゃんと価値観が近くて、いちばんしゃべりやすかったはずなのだろうけれど、罷り間違って飛鳥ちゃんと恋に堕ちる、みたいなことになってしまったら大変なことになると、賢明にも懸命に会話を控えていたのだった。
つまり、飛鳥ちゃんは京にとって、どストライクのタイプだったわけだが、そのおかげで、チーズフォンデュどころか、チーズと名のつくものを京は一切食べられなくなった。というのは、盛り過ぎだけれど、ひと月ほど食べたいとは思わなかった。京はあの時のチーズフォンデュで一生ぶんのチーズの半分くらいは、食べたのかもしれない。(森杉)
細かい小花を散らした白いワンピースを着た、さっきの彼女はやはり飛鳥ちゃんに違いないと京は思った。でなければこんなに彼女のことを思い出したりしないだろうからだ。
だが、他人の空似ということも考えられないこともなかった。仮に京が自分でも明確に意識していなくとも彼女にまた会いたいと思っていたとしたら、恣意的に飛鳥ちゃんと似たような雰囲気や風貌の女性に寄せて認識してしまうということはないだろうか。
とてもファジーな話だが、そういった曖昧さこそが人の優れた特性であり、0か1しかない、つまり「はい」か「いいえ」しかない単純なコンピュータには絶対に超えられない領域なのだ。
そのヒトの多義性をデータ化して蓄積したとしてもTPOによって、微妙に千変万化する感情を持つヒトの心をコンピュータはマネできないだろう。知らんけど。
そんな風に考えながら、京はまたぞろ飛鳥ちゃんの面影を記憶の中で追った。たぶん、飛鳥ちゃんであろう女性と偶然にもすれ違って、アー! となった自分に京は衝撃を受けたのだった。
それは、ただ単に知り合いを見かけて驚いただけではなかった。自分の感情の振れ幅の大きさに京自身、愕然としたのだ。
奈美がいるのだからという理性で、もしかしたら飛鳥ちゃんのことが好きなのかもしれないという感情をずっと抑え込んでいたのかもしれない。
確かに合コンでの出会いの時から京はおかしかった。彼女に対して必要以上に予防線を張っていた。それは、取りも直さず恋に落ちるかもしれないという予感が、そうさせたのではないか。
しかし、そんな恋の予感を感じる時にはもう半分は恋に落ちている。その半落ち状態がわかるからこそ無駄な抵抗であるにもかかわらず、彼女とは会話を交わさないようにして、視線も投げないようにして京は、フードファイターよろしくチーズフォンデュに挑み続けたのだ。
そして、なんとか合コンをやり過ごした京は、時間の経過とともに彼女のことは忘れてしまうだろう、そう思っていた。『花散る男女』を教えてくれた偉大なる軍人を父に持つ名前ももう憶えていない彼女のように、忘れてしまうだろうと思っていたのだ。
以前人数合わせで連れていかれた合コンで知り合った、あの超絶美少女だった。確か飛鳥ちゃんという名前だった。合コンの後でもしばらくは飛鳥ちゃんの記憶が京にまとわりついていた。
いや、京が飛鳥ちゃんの記憶を単に離さなかっただけだけれど、あれから今の今まで飛鳥ちゃんの事を忘れていた自分が、ちょっと恨めしかった。
それほど、飛鳥ちゃんはハッとするほど美しかった。妙齢の女性に対して美少女などといえば、逆に怒られてしまうかもしれないが、彼女は若く見えるタイプの人なんだろうなどと京は、歩きながら飛鳥ちゃんのことばかり考えている自分に苦笑いした。
悲しみは金を出しても買えと太宰治はいったが、実のところ悲しみほど、いついかなるときでも容易に手に入るものもなく、お金を支払ってまで悲しみを買う必要などまったくないが、考え方として素晴らしいと京は思った。
誰も悲しみや苦悩に打ちひしがれ、叩きのめされて人生に絶望したいとなどとは思わない。誰しもが幸福になりたいと願っている。
だが、悲しみやらネガティブな気持ちというやつに、人は容易に囚われてしまう。それの方が楽だからだ。
今は10代のときよりはずっとましになったが、京も、なんとも言えない悲しみや、憂鬱の牢獄に長いあいだ幽閉され続けていた。
太宰は、同じく『善蔵を思う』の中で牢屋から見る青空がいちばん美しいとも書いているが、京も長いあいだいつも心が晴れることのない悲しい感情や孤独感、憂鬱という鉄格子に覆われた小窓の向こうからしか世界を眺めることができなかった。
飛鳥ちゃんのことを思い出していたというのに、なぜまたこんなことを考えているのかというと、彼女が京とはまた違うけれども類似した苦悩を抱えて生きていると思ったからに違いなかった。
結局、あの合コンで飛鳥ちゃんと直接言葉を交わすことはなかったけれど、それは敢えて京がそう仕向けたわけだが、京は言葉を交わさなくても飛鳥ちゃんと自分が同じ種類の人間であると思えてならなかった。
なので、あのメンバーの中では、飛鳥ちゃんと価値観が近くて、いちばんしゃべりやすかったはずなのだろうけれど、罷り間違って飛鳥ちゃんと恋に堕ちる、みたいなことになってしまったら大変なことになると、賢明にも懸命に会話を控えていたのだった。
つまり、飛鳥ちゃんは京にとって、どストライクのタイプだったわけだが、そのおかげで、チーズフォンデュどころか、チーズと名のつくものを京は一切食べられなくなった。というのは、盛り過ぎだけれど、ひと月ほど食べたいとは思わなかった。京はあの時のチーズフォンデュで一生ぶんのチーズの半分くらいは、食べたのかもしれない。(森杉)
細かい小花を散らした白いワンピースを着た、さっきの彼女はやはり飛鳥ちゃんに違いないと京は思った。でなければこんなに彼女のことを思い出したりしないだろうからだ。
だが、他人の空似ということも考えられないこともなかった。仮に京が自分でも明確に意識していなくとも彼女にまた会いたいと思っていたとしたら、恣意的に飛鳥ちゃんと似たような雰囲気や風貌の女性に寄せて認識してしまうということはないだろうか。
とてもファジーな話だが、そういった曖昧さこそが人の優れた特性であり、0か1しかない、つまり「はい」か「いいえ」しかない単純なコンピュータには絶対に超えられない領域なのだ。
そのヒトの多義性をデータ化して蓄積したとしてもTPOによって、微妙に千変万化する感情を持つヒトの心をコンピュータはマネできないだろう。知らんけど。
そんな風に考えながら、京はまたぞろ飛鳥ちゃんの面影を記憶の中で追った。たぶん、飛鳥ちゃんであろう女性と偶然にもすれ違って、アー! となった自分に京は衝撃を受けたのだった。
それは、ただ単に知り合いを見かけて驚いただけではなかった。自分の感情の振れ幅の大きさに京自身、愕然としたのだ。
奈美がいるのだからという理性で、もしかしたら飛鳥ちゃんのことが好きなのかもしれないという感情をずっと抑え込んでいたのかもしれない。
確かに合コンでの出会いの時から京はおかしかった。彼女に対して必要以上に予防線を張っていた。それは、取りも直さず恋に落ちるかもしれないという予感が、そうさせたのではないか。
しかし、そんな恋の予感を感じる時にはもう半分は恋に落ちている。その半落ち状態がわかるからこそ無駄な抵抗であるにもかかわらず、彼女とは会話を交わさないようにして、視線も投げないようにして京は、フードファイターよろしくチーズフォンデュに挑み続けたのだ。
そして、なんとか合コンをやり過ごした京は、時間の経過とともに彼女のことは忘れてしまうだろう、そう思っていた。『花散る男女』を教えてくれた偉大なる軍人を父に持つ名前ももう憶えていない彼女のように、忘れてしまうだろうと思っていたのだ。
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