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第1部 奈美編
♬ 20 ムリ心中
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依田ちゃんは、やけに派手な音をさせて床にぶっ倒れた。みんなブースから頭だけだして一斉に音のした方をみた。
京のところからは彼のブースはまったく見えなかったけれど、それがどんな事態なのかは、おおむね想像できた。いつものことだったからだ。
「いつものように、汚い上っ張りを着て単純作業に勤しんでいたら左の耳が不意に、ちょうどエレベーターに乗ったときみたく詰まったようになって、ああ、また始まるなと思ったらもう後のことはぜんぜん憶えてない。
気付くと床が目の前にあったんだ。どのくらい倒れていたのかもわからない。たしか遠くのほうで誰かが歌を唄ってた。なんの歌だったか、旋律は今も頭のなかで鳴っているんだけど……」
休憩時間に依田ちゃんは、京にそういった。そして、さらに
「お昼にもんじゃを食ったのが失敗だったのかも。あるいは、昨夜マイルスの『in a silent way』を聴き狂ってたのがいけなかったのか。でもあれはほんとに病みつきになるんだから仕方ないよ、マクラフリンのあのギター! もう身悶えせずに聴いてはいられないほどなんだ。てか、音楽全体がこの世のものではない? 楽曲がどうのこうのとかいうレヴェルじゃあない? 夢見るような音楽ぅ?」
すると、横で話を聞いていた神林が、横槍を入れてきた。
「おいおい、依田いい加減にしろよ、ipodで何聞いてるのか知らないが、人と話してるときは、そんなの聞いてんなよ。おまえはいいな、得してるよ。そのキャラじゃ誰もが依田じゃ仕方ないって、思ってくれる。おまえ、もしかしてそのキャラ狙ってやってんじゃないだろな? まあ、それはともかくだ、仕事中に寝るのだけはやめろよ」
依田ちゃんは、実に心外だという顔を作ってみせる。おれがぶっ倒れたのは、居眠りしてたからなんかじゃない、といいたげに。
京は、就職もしないでバイトに明け暮れていたが、というのもふたつ掛け持ちしていて、メインの昼の仕事はスマホなどの修理の仕事をやっていて、もうひとつはスポット的に時間があれば泊まりの仕事をしていた。
本来ならば就職し社会人として働いていなければおかしいのだが、音楽で食べていきたいという夢があったのでまともに将来の計画など考えたこともなかった。
とにかく行き当たりバッタリの人生で、夢はあるけれども何かしら罪悪感が常に付き纏って離れなかった。だから、バイトといえども働いている間は、厳しい現実から目を背けていられたので、びっしりとシフトを入れてあった。
実はバイトを減らして、来年はもう無理にしても再来年くらいには医学の門を叩けるように勉強をはじめなければならないのはわかってはいるけれど、また大学受験なんて考えるとゾッとしない。気が滅入り、それだけで憂鬱になってしまうのだった。
奈美の両親、いや父親を納得させられるような、あっと驚く名案が閃くわけもなく、このままズルズルとタイムリミットまで宙ぶらりんの状態が続きそうだった。
医者になる意思などないことを奈美に話して、ふたりで解決策を模索することすら出来ない。選択肢ははじめからひとつしかないのだ。厳格な父親に育てられた奈美にとって父親に背くことは、世界が終わる日を意味していた。
京に医者になる意思はなく、奈美も父親には逆らうつもりはないとなると、どこまでいっても互いの線は交わることはなく平行線のままで、もう悩む点など一切ないはずなのだけれど、ばっさりとは切れないのが人というものらしい。
京としても、医者になって実家の病院を継いでほしいという奈美の申し出を受けられないからといって、それでは、はいさようなら、という風には割り切れなかった。
真面目な奈美が父親を裏切るようなまねをするわけもないことはわかってはいるが、ギリギリまでは白黒つけずに奈美と付き合っていたかった。
奈美の方も折れないし、京もその意思はないという悲劇のカップルだった。昔からこんな風に愛し合うふたりがさまざまな障害により引き裂かれるみたいなパターンはいくらでもあって、いちばん最悪のケースでは心中するというやつがあることは京もむろん、知っていた。
いまどき、心中なんてワードを聞いたことがないので若い人の中には知らない人も多いのではないだろうか。有名な曽根崎心中は、実際に曽根崎で起こった心中事件を題材にして近松門左衛門が書いたらしいが、天国に結ぶ恋で有名な「天城越え」の歌にもなっている愛新覚羅慧生の天城山心中もある。
昭和の事件なので京もまったく知らなかったのだが、たまたま調べて知ったのだった。いろいろなケースがあるのだろうが、とにかく禁断の恋的な絶対に乗り越えてはいけないというものを力づくで乗り越えようとすると、死という選択しかないという、これ以上ない悲しい結末が待っているだけだった。
京にとっては論外な話だが、いつの時代も男女の、いや愛し合うふたりの許されない愛という悲劇はなくならないようだ。
実は以前京は、心中してくれないかとある女性に誘われたことがあった。その女性と恋仲になって二進も三進も行かなくなった果てに心中という選択をしたのではない。
その女性は自殺願望があるようで、心中の道連れを探していたらしく、一緒に死んでほしいと京は一方的に懇願されたのだった。
京のところからは彼のブースはまったく見えなかったけれど、それがどんな事態なのかは、おおむね想像できた。いつものことだったからだ。
「いつものように、汚い上っ張りを着て単純作業に勤しんでいたら左の耳が不意に、ちょうどエレベーターに乗ったときみたく詰まったようになって、ああ、また始まるなと思ったらもう後のことはぜんぜん憶えてない。
気付くと床が目の前にあったんだ。どのくらい倒れていたのかもわからない。たしか遠くのほうで誰かが歌を唄ってた。なんの歌だったか、旋律は今も頭のなかで鳴っているんだけど……」
休憩時間に依田ちゃんは、京にそういった。そして、さらに
「お昼にもんじゃを食ったのが失敗だったのかも。あるいは、昨夜マイルスの『in a silent way』を聴き狂ってたのがいけなかったのか。でもあれはほんとに病みつきになるんだから仕方ないよ、マクラフリンのあのギター! もう身悶えせずに聴いてはいられないほどなんだ。てか、音楽全体がこの世のものではない? 楽曲がどうのこうのとかいうレヴェルじゃあない? 夢見るような音楽ぅ?」
すると、横で話を聞いていた神林が、横槍を入れてきた。
「おいおい、依田いい加減にしろよ、ipodで何聞いてるのか知らないが、人と話してるときは、そんなの聞いてんなよ。おまえはいいな、得してるよ。そのキャラじゃ誰もが依田じゃ仕方ないって、思ってくれる。おまえ、もしかしてそのキャラ狙ってやってんじゃないだろな? まあ、それはともかくだ、仕事中に寝るのだけはやめろよ」
依田ちゃんは、実に心外だという顔を作ってみせる。おれがぶっ倒れたのは、居眠りしてたからなんかじゃない、といいたげに。
京は、就職もしないでバイトに明け暮れていたが、というのもふたつ掛け持ちしていて、メインの昼の仕事はスマホなどの修理の仕事をやっていて、もうひとつはスポット的に時間があれば泊まりの仕事をしていた。
本来ならば就職し社会人として働いていなければおかしいのだが、音楽で食べていきたいという夢があったのでまともに将来の計画など考えたこともなかった。
とにかく行き当たりバッタリの人生で、夢はあるけれども何かしら罪悪感が常に付き纏って離れなかった。だから、バイトといえども働いている間は、厳しい現実から目を背けていられたので、びっしりとシフトを入れてあった。
実はバイトを減らして、来年はもう無理にしても再来年くらいには医学の門を叩けるように勉強をはじめなければならないのはわかってはいるけれど、また大学受験なんて考えるとゾッとしない。気が滅入り、それだけで憂鬱になってしまうのだった。
奈美の両親、いや父親を納得させられるような、あっと驚く名案が閃くわけもなく、このままズルズルとタイムリミットまで宙ぶらりんの状態が続きそうだった。
医者になる意思などないことを奈美に話して、ふたりで解決策を模索することすら出来ない。選択肢ははじめからひとつしかないのだ。厳格な父親に育てられた奈美にとって父親に背くことは、世界が終わる日を意味していた。
京に医者になる意思はなく、奈美も父親には逆らうつもりはないとなると、どこまでいっても互いの線は交わることはなく平行線のままで、もう悩む点など一切ないはずなのだけれど、ばっさりとは切れないのが人というものらしい。
京としても、医者になって実家の病院を継いでほしいという奈美の申し出を受けられないからといって、それでは、はいさようなら、という風には割り切れなかった。
真面目な奈美が父親を裏切るようなまねをするわけもないことはわかってはいるが、ギリギリまでは白黒つけずに奈美と付き合っていたかった。
奈美の方も折れないし、京もその意思はないという悲劇のカップルだった。昔からこんな風に愛し合うふたりがさまざまな障害により引き裂かれるみたいなパターンはいくらでもあって、いちばん最悪のケースでは心中するというやつがあることは京もむろん、知っていた。
いまどき、心中なんてワードを聞いたことがないので若い人の中には知らない人も多いのではないだろうか。有名な曽根崎心中は、実際に曽根崎で起こった心中事件を題材にして近松門左衛門が書いたらしいが、天国に結ぶ恋で有名な「天城越え」の歌にもなっている愛新覚羅慧生の天城山心中もある。
昭和の事件なので京もまったく知らなかったのだが、たまたま調べて知ったのだった。いろいろなケースがあるのだろうが、とにかく禁断の恋的な絶対に乗り越えてはいけないというものを力づくで乗り越えようとすると、死という選択しかないという、これ以上ない悲しい結末が待っているだけだった。
京にとっては論外な話だが、いつの時代も男女の、いや愛し合うふたりの許されない愛という悲劇はなくならないようだ。
実は以前京は、心中してくれないかとある女性に誘われたことがあった。その女性と恋仲になって二進も三進も行かなくなった果てに心中という選択をしたのではない。
その女性は自殺願望があるようで、心中の道連れを探していたらしく、一緒に死んでほしいと京は一方的に懇願されたのだった。
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