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第1部 アイドル編
♬ 25departure
しおりを挟む初夏の陽射しがまばゆく輝くある日、京は機上の人となった。
根室と芽室をこの時点でもまだ混同しているような体たらくだったが、根室の飛行場はほんとうに小さくて驚いた。
そして、それにも増して驚いたのは、黄色い大地ならぬ赤い大地だった。北の大地に近づくにつれわかってきたそれは、家家の赤い屋根だった。
関東では赤い屋根瓦をあまり見かけないが、北海道ではそもそも瓦などではなかった。すべてトタン屋根なのだ。
その赤い、たぶん紅いとした方が近いかもしれないが、朱色の屋根の色に圧倒された。
カルチャーショックというのだろうか、黒い瓦が一枚も見当たらない朱色の平面の世界になにやら別世界に来たように思われたのだ。
旋回しながら地上へと降りてゆく、生まれてはじめて乗った飛行機の機内のなかで、未知のものとの遭遇に大げさでなく密かに心ふるわせていた。
やがて、とうとう広大な北の大地に降り立ったものの、牧場主である小早川さんは、いつまで経っても現れないのだった。
仕事が決まった後に小早川さんから直接メールが来て、根室の空港まで車で迎えに来てくれることになっていた。
牧場のある芽室に最も近い飛行場が根室だった。それでも芽室から四時間もかけて、迎えに来てくれるのだ。
手持ち無沙汰にスマホを見ていると、飛鳥ちゃんからレスがきた。
「仔猫ちゃんたちは、元気だよ」
京は、すかさずLINEを飛ばした。
「ありがとう! いま根室に着いたんだけど、牧場主さん待ちw」
あのチゲ鍋パーティのときに、京は妙案を思いついたのだ。ただ、思いついたのはいいのだが、思いついた直後、考えもせずにそれを言葉にして飛鳥ちゃんに伝えてしまっていた。
また会える口実ができる、などという狙いがあっての発言ではなかった。咄嗟に口をついてすらすらと言葉が迸ったのだ。
「夏にさ、たぶん二ヶ月くらい東京離れるんだけど、猫飼ってるからどうしようかと思ってるんだよ」
「そうなの? 預ける人いないなら、うちで預かってもいいけど?」
「マジ?」
言ってみるものである。そんなわけで子猫たちは、飛鳥ちゃんのとこに預けてきたのだった。
結局のところ、小早川さんとはすでに会っていたにもかかわらず、女の子のようにカールした長い髪を風になびかせ、パープルのシースルーシャツとベルボトムにギターのハードケースといった、ウッドストックのジミヘンみたいなサイケな京のいでたちに、小早川さんはまんまと騙されてしまったのだ。
確かに、牧場に行くのにギターケースを抱えている奴は、あまりいないかもしれない。
そんなこんなで、無事、小早川さんと出会え、奥様にも紹介していただき、それから一緒にでかいスーパーみたいなところに行ったのだけれど、買い置きをするのだそうで、そのボリュームたるや半端なかった。
すべてが、箱単位である。
荷物をすべてトランクに積み込むと車は再び芽室に向けて出発した。それこそアメリカ映画みたいに地平線まで果てしなく伸びてゆく道路は、リバー・フェニックスの出ていた映画のエンディングを想い出させた。
◯
出発する前日、渋谷で奈美と会った。奈美とはほとんど連絡をとりあっていなかったが、奈美が借りていたCDを返したいとメールして来たのだった。
それが、何を意味しているのかは明白だった。
まじめな奈美は、やはりなしくずし的な、うやむやな形でふたりの仲を終わらせたくはなかったのだろう。
それでも奈美は、まだ淡い希望を捨てきれずにいる自分に、はっきりと三下り半を突きつけてほしかったのかもしれない。
西村でお茶しながら、当たり障りのない互いの近況を話しあった。
はっきりと意思表示をしてほしいのが痛いほどわかったが、結局奈美は、そのことを口にしなかったし、京も言い出さなかった。
瀕死の飼い猫にとどめを刺すのが、ほんとうの優しさならば、京は悪人にちがいない。浮気の現場を見られたとしても、最後まで京はシラを切るだろう。
既に終わっていることを奈美は知っているのだ。だが、たとえわかっていることであっても、それを言葉にしてはいけない。 互いにわかっていることに、敢えて引導を渡す必要があるだろうか。あとは、時間に任せればいい。
小一時間ほど西村にいただろうか。西村を出て駅に向かってスクランブルを渡りながら、京はCDを返してもらっていなかったことを思い出した。
「あ、そういえばCD…」
奈美は、あっと言ってバッグから、数枚のCDを取り出した。
京は受け取ろうと手を伸ばしたけれど、奈美は決してCDを手放そうとはしなかった。
奈美は泣いていた。
「これ、返しちゃうともう永遠に京くんと会えないってわかってるもん」
奈美は急に立ち止まり、肩を震わせ嗚咽すると、その場に崩折れた。
「京くんと、別れたくないよー」
あまり感情を表に出さない奈美が、叫ぶようにそういって、CDを抱きしめたまま、スクランブル交差点のど真ん中で、激しく泣きじゃくった。
◯
地平線までまっすぐ伸びてゆく道路をぶっ飛ばしてゆく車の中で、京はずっと忘れていた花散る男女のやり方を、不意に思い出した。
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