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CBM-000

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 俺はただひたすらに耐えていた。体から抜けていく熱を少しでもとどめるために。俺が俺で……いるために。今は昼を過ぎ、そろそろ空から暑さも和らぐ頃だろうか。それでも既に震えてしまいそうに寒い。


「まだ……誰も守っていないっ!」


 口からこぼれたうめき声のような願い。こうして喋ることができるのもあとわずかだと思うと、そんなことは嫌だと首を振るがそれすらも苦痛だった。痛みに耐えるために、こうなった原因を思い出す。


 俺は……捨てられた。名前も知らない召喚士の手によって。覚えているのは冷たく、物を見るような目と声。


─ キミ、弱いんだ。守り手っていってもコボルトじゃあねえ……いらないや


 そしてあっさりと、俺と奴との召喚契約は破棄された。人間以外の生き物とマナでつながる召喚はとても特殊な物だ。意思疎通ができるようになり、互いにマナ……世界に満ちる不思議な力、を融通し合うことができる。契約された生き物は何かから色々な知識を叩き込まれる。それは拷問のような痛さだが、恩恵は言葉に言い表せられないぐらいの物だ。


 人間の事、自分たちの事、世の中の理、ただのコボルトでは知ることも考えることもできないあれこれを手に入れることができる。ただそれも、召喚が解除されるまでの話だった。


「俺は……俺はっ」


 もう走ることもできないほどに、体は熱を帯びていた。ああ、寒いと思ったら自分が熱すぎるからか。この熱もそのうち収まってしまうだろう。そもそも、走ってどうなるというのか? 自分から召喚によって得られたあれこれが抜けていこうというのだ。マナが圧倒的に足りなかった。この努力も俺のマナが尽きるまでの話だ。


 尽きてしまえば……また俺は言葉もまともに話さず、ただ欲望のままに世の中に生きるだろう。元々そうであったのだから、元に戻るだけ……けれども、知ってしまった以上はもう戻りたくはなかった。


 大木に背を預け、青い青い空を見上げる。空が青いと気分がいいなんてことも召喚されて初めて知った。故郷の空と同じ色……俺の故郷はもっと遠い場所なのか、それとも案外近いのか、そんなことを考えてしまう。


 ついには歩くことも難しくなり、よくわからないことを考えるようになった。最後の一瞬まで、俺は俺でありたかったのだ。と、近くの草むらが音を立てた。


(獣か? それとも同類か?)


 このあたりは街から遠く、武装した人間か、獣か、あるいは俺のような世間でいう怪物ぐらいしか来ない場所だ。いずれにしても……俺が俺でなくなったら襲い掛かる相手しかこないだろう。戦いのための姿勢を取るが、手にした粗末なナイフすら落としてしまいそうだ。


「なっ……」


 姿を見せたのは予想外の存在、ただの人間だった。しかも女。ゆったりとしたローブに杖と大きな背負い袋。となれば薬草の類でも探しているのだろうかと知識が教えてくれる。そういうことを生業にしている人間がたくさんいるということも。けど、今はマズイ。


「あれ、コボルトさん。こんな場所に?」


「お前……ニゲ……ロ。マナが尽きたら……オレは……」


 とっさに、ただ逃げろと言っても何のことだかわからないだろうと思った俺は、マナ切れがきっかけになることを告げ、女が離れることを願った。召喚を破棄され、捨てられた俺だがそれでも人間を無差別に襲うつもりなんかないのだ。


 呼び出され、服従させられ、勝手に捨てられ、その上でさらに復讐にもならないようなことをする? 嫌だ、それは嫌だ。仲間を守り、種族のために戦うコボルトの戦士として……そんなことは嫌だった。


「ハヤク……ニゲ……」


 ついに力尽き、視界が黒くなる。地面に倒れた……そのことも自覚できないまま俺は俺という意識が段々と消えていくのを感じた。不思議と、温かった。まるでお湯に触れているかのような……温かい力の流れの中に俺はいた。





「ここは……?」


 目覚めた俺が目にしたのは、夜の空。木々が空に向かって伸び、枝葉が覆うその隙間に夜が広がり、無数の光が瞬いている。と、そこまで考えて俺がまだ俺であることを自覚した。


 咄嗟に飛び起きると、視界がぐらりと揺れる。


「っと、気分はどうですか?」


「お前……さっきの人間」


 そばにはたき火があり、その向かいには明るいうちに出会った人間がいた。やはり、女だ。目にかかりそうな少し長い前髪に、夜の闇でもわかるほどの腰ほどまであろうかという長髪。ローブの上からでもわかる胸はきっと人間のオスを魅了することだろう。ただ……武器を持って戦う戦士には見えない。脇にある杖を見る限り魔法使いか、ただの探索者か……待て、俺は何故考えることができる? 召喚を破棄され、マナが切れた俺はただのコボルトに戻ったはずだ。そして目の前の女を状況によっては襲って……はっ!?


「はい……繋げました。私は召喚士じゃないですから直にですけど。あまり動かすのもどうかと思ったので開けた場所で野営中、ですね」


「直に……冗談ではないんだな」


 馬鹿じゃないのか、そんな言葉がのどまで出かかった。口にしなかったのは、それはとても図々しい叫びになるだろうからとわかったからだ。結果的に、俺は俺でいられるようになったのだ。それが例え、人間にとって失敗したらそれなりの問題が生じる直にマナをつなぐ契約という行為だったとしても。召喚魔法による召喚と契約と違い、ほぼ任意では破棄できない。唯一の解除方法は、どちらかの死。


「そうなんですよね。冗談では直パスは繋げないですよ。助けたかったから助けた。それだけです。ごめんなさい、人間が……捨てたんですよね、貴方を」


「ああ、そうだ。だから元のコボルトに戻るところだった。ありがとう……でいいのか?」


 奇妙な女だった。どこにでもいそうな村娘っぽい割に、こんな場所を一人で歩くからには戦えないわけではなさそうだ。怪物となれば即座に殺してもおかしくないはずの場所で、わざわざ危険のある可能性に賭けてまで俺を助けてくれた。その上、俺のような相手にまで丁寧な言葉だ。


(誰かに騙されてないか?)


 どこかぽややんとして、天然という言葉がよく似合う。普通、例え召喚されていて話が通じるにしても召喚獣は格下扱いだ。主従と言い換えてもいい。決して、対等に接する相手ではない。それが俺に刻まれた常識だ……だというのに。


「私も貴方を助けられて気分がるんるんです。だから、大丈夫ですよ」


「何が大丈夫なのかはわからんが、つながったのであれば今のマスターはお前だ。よろしく頼む」


 俺を元気づけようとしているのか、似合わない陽気な口調で喋るぐらいには、人が良すぎる人間だということがわかる。パスをつなぎ、マナを供給してもらっているのならば彼女が主、マスターとなる。そういうと、きょとんとした顔をされた。まさか……助けた後のことを考えずに……? いやいや、そんな馬鹿なことが……。


 が、どうやら新しいマスターはそう言った存在らしい。俺が見つめる先で、目が泳ぎ始めた。


「そっか……そうですよね。えっと、じゃあ旅のお供をしてください。一人だと寂しいんです」


「それは構わない。マスターは旅人でいいのか? 目的は?」


 答えの代わりに見える位置に置かれたのは大きな背負い袋。その中から取り出されたのは容器に入った液体や葉っぱの類だ。詳しいことはわからないが、物がなんなのかはわかる。ポーションや薬草類、そういった物だ。意外と量がある……となるとマスターは見た目よりは力があるということだ。そうでなくてはすぐに力尽きてしまいそうだ。


「特には……あ、自己紹介がまだでしたね、私はエルサ。今は旅する薬師兼魔女……ですね。少し自然魔法も使えるか弱い女の子ですよ」

「了解。コボルト1匹とか弱い女の子の旅か……さて、これからどうなるだろうな」

 先のことは分かるはずもなく、俺はお湯の入ったカップを一気に飲み干した。
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