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第一巻:春-夏

芸ごと÷かくし事

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 午後の見学先である神社についた。
 この神社自体が、うっそうとした木々に囲まれ、すでに神秘的な雰囲気を醸し出していた。
 見学者は、俺・あみ・ミホの三人だけ。
 舞を教えてもらうという、ピンポイントな見学内容は、踊れるのが前提となる。
 まあ、俺は見ているだけだが。
 しかも午後限定で、他にも午後のみの見学先はいくつもあり、優先順位をつけると、選ぶ学生が少なくなったようだ。
 さっそく、神社内の非公開の神楽台を見学。
 空気からして違う。
 そこで、巫女装束の先生に、ミホとあみが、一部とはいえ、秘伝の神楽を教えてもらう。
 当然、スマホで録画や写真なんて、もっての外だ。
 これも、見学が少なくなった原因かもしれない。
 あみも、ダンスをやっているだけあって、下手ではないが、専門のミホとは、明らかにレベルが違う。
 熱が入る先生とミホについていけなくなり、アイドル曲とは違う慣れない動きに疲れたあみも途中から、俺の脇で見学側にまわった。
 一部だけ、という割には、長い。
 もしかして、ミホの技量に本来、教えるつもりのなかった、教えてはいけない部分まで、教えてしまっているのではないだろうか。
 陽のささない薄暗い舞台で、揺らぐロウソクの炎、たゆたう影。
 実体と影が、時間差で、同じ、もしくはまったく違う動きに見えてくる。
 先生が舞い、その数舜後に、ミホが同じ動きを追従する。
 それを繰り返すうち、ミホが先生の動きを追い越した。
 舞う影、実体、ミホ、先生。
 どの舞いが正しいのか、どれが真にもっとも近いのか。
 いつのまにか、あみが、俺の腕を強く抱きかかえていた。
 腕に伝わる心臓の鼓動。
 俺の鼓動も同期し、それと舞いがシンクロし。
 ・・・止まった。
 ミホが、崩れ落ちていた。
 慌てて駆け寄ると、床に大の字になったミホが、
「・・・また、届かなかった」
 と呟いた。
 その目に涙が浮かび、頬を伝い、床を濡らし。
 身体を丸めて、泣きじゃくった。
「また!また届かなかった!」
 舞いは神卸し。
 どこに、届かなかったのだろう。
 しばらくすると、ミホは泣き止んだが、神楽の先生と話しがしたいとのことで、彼女を残し、俺たちは先にホテルへ帰ることとなった。

 ホテルへ向かうタクシーの中。
「ミホさんの踊り、すごかったですね」
「・・・うん」
 彼女が心配なのか、あみは元気がない。
「心底疲れたみたいでしたけど、元々体力あるダンサーだから、大丈夫だと思いますよ」
「・・・うん」
 心配にしても、元気がなさすぎる気がする。
「・・・ミホちゃんね。発表会の時、足が折れるまで踊ったんだって」
 ミホが講師のバレエの歴史を聴講したあと、俺は彼女が、あんなにも若くして引退した理由をネットで調べて、知っていた。
 彼女は、ある発表会で、誰もが目を見張る最高水準で踊り、そのクライマックス、まさに最後の直前で、軸足の骨が折れ、倒れた。
 幸いにして、日常生活への支障は残らなかったようだが、以前と同じレベルでは踊れないと引退した。
 踊りにとりつかれた者、孤高の天才の末路と、記事には書かれていた。
「そのときも、『届かなかった』んだって」
 あとすこし、その先に、どんな世界が待っていたのだろう。
「でもね、私。その話されて言っちゃったの。『届かない』のなんて、いつもだって」
 アイドルとして、ということだろうか。
 でもそれは。
「歌もダンスも、演技も、ぜんぜんうまくできなくって。いつも『届かない』よって。でも、ミホちゃんは、そういうのとは全然違うレベルの『届かない』だって言って。喧嘩になっちゃった」
 それが、以前ミホが苦笑いしながら言っていた「同族嫌悪からの友情」の始まりなのだろうか。
 あみのバッグからスマホの音がした。
 慌てて取り出し、
「ミホちゃん、疲れたから。神楽の先生の家に泊まるって。怪我もないし、元気だから心配しないで、二人でご飯・・・えーと、もう大丈夫だって」
「よかった。学園の職員には、こちらから報告しておきますから、と返信してあげてください」
「うん」
 正直、あまり興味のなかったアイドル、そして芸事の深さに、少しだけ身震いがした。

 ホテルへ戻り、学園の引率の職員にミホの外泊の件を告げた。
 舞に関して議論するため、と伝えたら、神社に確認の電話をして、簡単に許可されたようだ。
 見学後の時間は、自由時間で、昨夜のようなパーティーもない。
 だから、外泊しても、咎められはしないのだが、未成年の彼女の名誉のためには、無断ではない方がよかったのだ。
 当然ながら、夕食も自由だ。
 疲れ果てた俺は、今晩も部屋でコンビニ飯だな、と考えていた。
 とりあえず一度、部屋に戻って、一休みしたい。
 あみに、部屋に戻ることを伝えようと、口を開きかけたのを遮られた。
「先輩、ご飯いきましょう」
 思いつめた表情だった。
 決闘の申し込みか、というくらいに。
 なので、俺も本気の回答をした。
「ご飯に、二人で行くような仲ではないと思いますよ」
 言われて、あみは、怯んだように目を伏せたが、顔を上げた。
「じゃあ、先輩教えて。いつになったら、どうやったら、もっと仲良くなれるの?」
「いや、どうやったらもなにも」
 これだけ年の差があって、アイドルで、オッサンで。
「・・・ミホちゃんが倒れたの、私のせい」
 なにそれ?
「ミホちゃんが踊ってるの見ながら、先輩を食事に誘いたくて。でもそこにミホちゃんには来てほしくない、って考えてた。絶対ロマンティックだよって、ミホちゃんがあの見学に誘ってくれたのに」
 それで、帰りの車の中で、あんなに元気がなかったのか。
 というか、あそこへの見学は、誘導されていたのか、言われてみれば、そんな節もあった。
「なのに、ミホちゃん。倒れたのに、二人でご飯に行ってねって、言ってくれた。だから、ご飯いかないとダメなの」
 帰りの車で受け取ったメールかLINEのことだろう。
 あと、論理が破綻している。
「まだ仲良くなってない、だから仲良くなれないなんて。それじゃ、いつまでたっても仲良くなれないじゃない」
 これ以上、仲良くなる必要性を俺は感じていないのだが。
 オーケイ。
 わかった、俺が変に意識しすぎなんだ。
「・・・お昼も二人だけでベンチで食べたし、工場見学も二人きりだったし、あーんもしたし」
 見学は説明員さんいたけどね。
 はいはい、たかが食事だ。
 ん、あーん?
「わかった。わかりました。ご飯いきましょう」
「ほんと?」
 ここで嘘ついて逃げても面倒なだけだ。
「本当です。でも、疲れてはいますから、早めに切り上げますよ」
「うん!お店、私が探して決めていい?あ、高いお店にしないし、自分の分は出すから」
「・・・いや、そういう経済的な理由で外食を渋っていたわけでは」
 俺は、この年で、甲斐性なしに見えるのだろうか。
 少しだけ、アイドルの収入額に興味が出た。
 ちなみに俺は、企業の出向組なので、出向前と同額の給料が会社から支給されている。
 学園は、講師手当がない代わりに、授業料も相殺で無料なので、出向前後で、俺の収支は変わりないのだ。
 ただ、アイドルは、学園への出席のため、仕事を控えなければならず、収入は減っているのかもしれない。
 待ち合わせ時間を決め一度、部屋に戻った。
 あみは、さっそく店を探すのだろう。
 ビールの試飲と疲れでの鈍い眠気を飛ばそうと、部屋に備え付けの電気ポットでお湯を沸かし、サービスのインスタントコーヒーを淹れる。
 かき混ぜたスプーンの茶色に染まった先を見て、差し出されたアイスがのったストローがフラッシュバックした。
 「あーん」なのか、あれ?
 彼女は、その俺が口をつけたストローでコーラの残りを飲み、耳まで顔を赤くして。
 少しばかり、鼓動が跳ぜる。
 でもそれは、犯罪臭いせいだ、と考えた。

 きっとオシャレな店だろうと思っていたら、連れてこられたのは、普通の居酒屋だった。
 あみが、ネットで調べてくれて訪れたが、人気店で一切予約は受けつけていないらしい。
 さすがは平日なのに、既に混んでいて、テーブル席は空いておらず、カウンターに並んで座る。
 日中、見学のとき、あみは、スラックスの制服だったのに、待ち合わせのときには、ミニスカートになっていた。
 彼女がホテルにチェックインした昨夜、どんな服装でだったかは知らないが、わざわざ出先に、制服のスラックスとスカートの両方をもってきているのは、シャツの着替えも減らしたい俺には、理解できない。
 一応、礼儀として、着替えた理由を聞いてみると、「こっちの戦闘服の方が、攻撃力が高いから」だそうだ。
 ナニと戦うのだろう?
 防御力は、気にしないのか。
「飲み放題メニューあるよ。あダメだ。全員参加だから、私の分、割高になっちゃう」
「そのくらい、別にいいですよ」
「ジュース何杯も飲めないし、飲まないもん。もったいないからいい」
 結局、生ビールとダイエット・コーラを単品で頼む。
 コーラ・フロートないんだ、とのつぶやきには、デザートにバニラアイスがあるから別で頼んで乗せればいい、とは思ったが言わなかった。
 『あーん』を連想してしまったからだろうか。
 食べ物のメニューを眺めている間に、飲み物が届いた。
「かんぱーい!」
「乾杯」
 お勧めメニュー片手に、
「先輩、食べられないものある?」
「食べられないのはないですけど、長芋とかヌルヌルしたものは苦手です」
「よし、覚えておくね」
 覚えても活用法がないと思うが。
 あみが何品か選んで、
「先輩は他、食べたいのある?」
「とりあえずは、良いチョイスだと思いますよ」
「・・・なんだか、初めて褒められた気がする」
 つきだしのヒジキと切り干し大根を煮たのをつまみながら、
「このお店にしたの、意外だった?」
「正直、意外でした」
「じゃあ、知らないんだ。私、居酒屋の娘なんだよ」
「ご実家で、居酒屋を?」
「そう、ママが居酒屋のママで、パパは写真でしか顔を知らないくらい小さいころに病気で亡くなって、母子家庭。私、小さいころからお手伝いしてて、看板娘なの。今でも、お店に行くと売り上げ上がるんだから」
 えっへんと胸を張る。
「では、アナタがいないと、お母さまがおひとりで?」
 驚いたようにこちらを向き、何を理解したのか、寂しげな顔になり、
「本当に、私のこと、知らないんだね。うん、『今』はママひとりで切り盛りしてるから、よく手伝ってる。従業員が必要な大きさのお店じゃないしね」
『チョレギサラダ、揚げ出し豆腐に厚焼き玉子、本日サービス価格の赤魚の西京焼き。お待たせです』
「あ、おいしそー。先輩、直箸でいいから。私、気にしないから」
 『あーん』は、気にしていたようだったけどね。
 あみが、器用に焼き魚の小骨を取り除いていく。
 綺麗な所作だな、と思いながら、
「お仕事のきっかけは?」
「あ、私に、興味でてきた?」
 小骨越しにウィンク。
「子役とか、読者モデル出身じゃなくて、お店の常連さんと撮った写真が、巡り巡ってスカウトって感じ。事務所に所属して、翌日のオーデョンで今のグループ」
 即合格って、すごいことなんだろうな。
 厚焼き玉子の甘味が足りてない、残念だ。
「グループ内の順位は、ほぼ真ん中かな。センターも経験ないし、超人気でもない代わりに、ものすごくコアなファンがいるわけでもない、半分空気。マネージャーには、握手会とかで、もっとお客様に媚び売れって、言われてる」
 所属しているだけでもすごい、とは今日、「届かない」話を聞いてしまったので、言いづらい。
 それを表情から読んだのか。
「芸事は一生っていうけど、若さには限りあるのー」
 まあ、アイドルは年齢で勝負、なのかもしれない。
 既に年齢が年齢な俺には、まったくわからないが。
 揚げ出し豆腐も甘味が足りてない、関西は出汁文化だからだろうか。
「でも、一生やっていけるわけでもないしなあ」
「それは、事務所にとっては、問題発言でしょう?」
「そもそも事務所が、一生雇ってくれないし、アイドルの賞味期限が切れたら卒業で、お仕事も用意してくれないもん」
 それは、そうなのかもしれませんけど。
「でも、好きなんだよなあー」
「好きなら、それでいいじゃないですか」
 あみは、驚いた顔をした。
「え?でも、ママを手伝えなかったり、人気もイマイチで、それに・・・」
「好きに、理由も言い訳もいらないと思いますよ」
「え?うん、そうかな。そうなのかな?」
「好きなんだから、仕方ないと思いますよ」
 それでも、彼女は、何か悩む様子を見せるので、
「アイドル以外に、なりたいものでも、あるんですか?」
 なりたいものを考えたから、というよりは、内緒なんだけどな、といった感じで、ちょっとだけ口をつぐみ、なんだか、とても大切な宝物をそっと披露するように、にこーっと笑って答えた。
「・・・かわいいお嫁さん」
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