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4巻
4-1
プロローグ
ディバイン公爵邸の食堂に入ると、最初に目に映るのは大きなテーブルと豪華なシャンデリア、そして、壁に飾られたお高そうな絵画たちだ。
当主の席、いわゆる誕生日席の後ろには、職人によって美しい彫刻が施された、繊細で豪華なマホガニーの暖炉装飾があり、窓から入る太陽光でより陰影を増したそれは、見る人を圧倒する。
そんな場所に氷の大公と呼ばれる私の旦那様、テオバルド・アロイス・ディバインは悠然と腰かけ、黙々と食事をしているのだ。その様は厳かと言っても過言ではなく、同席しているこちらが緊張を感じるほどだ。
いつもはもっと和やかな食卓がこうも張り詰めて感じるのは、きっと隣国リッシュグルス王国の賓客をお迎えしているからだろう。
晩餐以外はご自由にどうぞのスタイルで滞在していただいているが、ジェラルド王太子は皆で食べるのがお好きなのか、食堂に来て朝食を召し上がる。ジェラルド王太子が来るということは、ブラコンのユニヴァ第二王子もそれにならうわけで。
私も寝坊したとはいえ、なんとか朝食には間に合い、義息のノアのためにサラダやフルーツを取り分けていた。
その間も、先日、旦那様――テオ様に告白されたことを思い出し、ついチラチラと夫の顔を気にしてしまう。
『もちぷよ~』
『ポヨンポヨン!』
『プヨンプヨン!!』
あなたたち、なにをしていますの!
なんと妖精たちがジェラルド王太子で遊んでいるではないか。
ジェラルド王太子のもちもちほっぺをつつく正妖精と、お腹の上で跳ねているキノコ妖精のアカとアオに、開いた口が塞がらない。
この光景を前にして、微動だにしないテオ様にも驚きなのですけど!?
「女神? 僕の顔になにか付いていますか?」
「ふぁ!? あ、いえ。あの、ノアの朝のお散歩にお付き合いくださったと聞きました。ありがとう存じますわ」
「いえ、お付き合いいただいたのは僕の方です! 公子の可愛らしいおもてなしに感謝します」
ニコニコ話すジェラルド王太子のそのお腹を、アカとアオが『プヨプヨスベリダイー!』と、はしゃぎながら滑っている。
これでも表情筋がピクリとも動かないテオ様って本当にすごいわ。
「じぇりゃるどさまに、わたちの、とりゃんぽ、みしぇてあげまちた!」
どうやらノアはジェラルド王太子に、トランポリンをお見せしたらしい。
「はい! 楽しそうな遊具でしたが、さすがに僕が乗るのは難しそうだったので……残念です」
「ここにあるのは子供用の遊具なのだろう? 大人用の大きなものを購入すればいい」
シュンとする王太子を、ユニヴァ第二王子がすかさず慰めている。
さすがブラコン。王太子にだけ甘々だわ。
朝から賑やかね、と目の前の家族や妖精たちを眺めていると、つい一年前の静かな朝食風景を思い出してしまった。
山崎美咲として平凡なオタク人生を過ごしてきたわたくしが、ネットマンガ『氷雪の英雄と聖光の宝玉』の悪辣継母に転生したと知った時は、人生詰んだと思いましたわ。
なにしろ前世を思い出したのは結婚式の前日。すでに時遅しでしたのよ。
普通こういう転生ものでは、運命を変えるために結婚しない方向に持っていけたりするものでしょう。
でもね、結婚式前日にそんなことをしようものなら、極貧のシモンズ伯爵家は格上の結婚相手を侮辱したとされ、貴族社会から追い出されて家族諸共終了になってしまうのよ。
結局なにもできずに、主人公の父親で、氷の大公と呼ばれるディバイン公爵に嫁いだのだけど……
まぁ見事に夫はマンガ同様冷たかった。ノアも放置されていたせいで、話すことすらままならなかったの。家庭崩壊も甚だしいわよね。
もちろんデビュタント以来、社交界に参加できないほどの貧乏貴族だったわたくしには、お友達すらいなかったから、なんの力もないわけで。できることといったら、可愛い息子のために前世の知識を使っておもちゃを作ることだけ。
だけどね、そのおかげでいつの間にか交友関係が広がって、息子にはイーニアス殿下という親友が、わたくしには皇后様というママ友ができていたの。
そうするうちに冷たかった夫とも協力関係を結んで、上手くやっていけそうだと思っていたのだけど、こういう時に限って問題は起きるものよね……
『氷雪の英雄と聖光の宝玉』に出てくる悪魔が現れたかと思ったら、今度は聖者にしか見えないという伝説の妖精が、彼らの悪戯で見えるようになってしまったのよ!
なんだかんだありつつも、イーニアス殿下と皇后様の頑張りで、悪逆非道と言われた皇帝陛下を悪魔の洗脳から救い出し、悪魔を皇城から追い出したまではよかったのだけど……
今度は『氷雪の英雄と聖光の宝玉』でグランニッシュ帝国と戦争をしていた、隣国リッシュグルス王国のジェラルド王太子が、立太子の挨拶としてグランニッシュ帝国にお越しになったのよ。
次から次へと問題勃発で、テオ様も仕事に忙殺されておりますわ。
畳みかけるように、ジェラルド王太子が突然公爵領を訪問なさることになって、わたくしの警戒レベルもMAXですわ。
ジェラルド王太子とユニヴァ第二王子のお人柄に触れたあとは、警戒も解けましたけれどね。
『あれ? この二人……黒蝶花の毒を飲んでいるよ』
『ホントダー。マエノ、テオト、ベルト、オナジ!』
『タイヘンダー!!』
妖精の言葉にさすがのテオ様も顔を上げ、訝しげに二人を見る。
少し眉間に皺が寄っていて、怒っているように見えるわ。
ジェラルド王太子が、実の兄に毒を飲まされているのではないかということを、どうテオ様に説明しようか悩んでいたけれど、今の妖精たちの言葉で全てが解決しましたわね! 珍しくナイスアシストですわよ!
「ディバイン公爵? なにか気になることがおありか?」
テオ様の表情に気が付いたユニヴァ王子が声をかけると、テオ様は落ち着いた声音で返事をする。
「急にこのようなことをお伺いするのは失礼かもしれないが、最近、第一王子の側近で新たに取り立てられた者はいるだろうか」
「兄上の……?」
テオ様の質問に、明らかに不審そうにしつつも、ユニヴァ王子は少し考える素振りをした。
黒蝶花の毒と聞けば、悪魔が関わっているのは明らか。テオ様もすぐに気付きましたのね。そして、リッシュグルス国でこの二人が亡くなって一番得をする人物は、ジェラルド王太子にその座を奪われた第一王子ですわ。
「そういえば……側近ではないが、医師が一人。しかし、怪しい点は特にないが?」
「医師……。怪しい者ではないとおっしゃったが、調査をおこなったということか」
「調査……いや、調査はしていないが、怪しい点はなかった」
ユニヴァ王子は当たり前のことを言っているかのように、堂々と答える。
これはもしかして……記憶の改竄?
どう考えても悪魔の仕業よね。その医師が悪魔なの……?
先日、我が国にいた悪魔アバドンが姿を消したばかりだからか、つい疑ってしまう。
「調査をおこなっていないのに、何故怪しい点がないと言い切れる」
テオ様の追及に、ユニヴァ王子は自分の発言がおかしいことに気付き、頭を抱える。
「……何故だ? いつもは奴の周りにいる人間についてはしっかり調査をしているというのに……私は……」
「兄上……? あの、ディバイン公爵、これは一体どういうことなのでしょうか。兄上の様子が……」
ジェラルド王太子はオドオドと、でも心配そうにテオ様に確認する。
「……ジェラルド王太子殿下、そしてユニヴァ第二王子殿下、我が国で最近、大規模な組織改革があったことはご存知だと思う」
テオ様、もしかしてお二人に悪魔のことをお話しするんですの!?
「は、はい! 韜晦皇帝と名高い、ネロウディアス陛下の大粛清ですね。英断だったと、尊敬しております!!」
「もちろん私も存じ上げている。ネロウディアス陛下のように、あのバカ兄を粛清したいと常々思っているので……」
ユニヴァ王子、第一王子をバカ兄と……。弟には甘いですが、兄には手厳しいですわね。
「恥を晒すことになるが、大切なことなので聞いてもらいたい。粛清の際、処罰対象の者が一人行方不明になったのだ」
「ひぇ!? それって、逃亡……!?」
「まさか……」
テオ様、悪魔のことは伝えずに、逃亡犯を捕縛するという形で、お二人に協力してもらう気なのかしら?
「行方不明になっている者は、特異魔法を使用できる」
「その者は高位の貴族ということか……」
「そうだ。ユニヴァ王子、あなたが矛盾したことを正しいと思っていた思考の改竄――それこそが、その者の特異魔法だ」
「っ!? 思考の改竄だと……っ!? そのような危険人物が、我が国に潜入しているというのか!!」
「エェッ!? そんな、怖いっ」
ユニヴァ王子は端整な顔を歪め、ジェラルド王太子はモチモチ肌を震わせ、顔を真っ青にしている。
お腹で飛び跳ねていた妖精たちも空気を読んだのか、今はノアの肩の上に移動していた。
「そしてその者は、聖水でも解毒不可能な、蓄積する毒を所持している可能性がある」
「「っ!?」」
「その毒は、一度では死なず、何度も摂取することで、徐々に身体が蝕まれ死に至る代物だ。毒を盛られてもしばらく自覚症状はない」
テオ様は、お二人を真剣な顔で見つめている。
「まさか……、ジェラルドが、その毒を盛られていると言いたいのかっ」
「……ジェラルド王太子だけでなく、ユニヴァ王子、あなたにもその可能性があると考えている」
「なんだと!?」
ユニヴァ王子は目を見開き、信じられないといった様子で首を横に振る。
「私の体調は悪くないし、ジェラルドの顔色もいい……っ」
「自覚症状はないと言ったはずだ」
「信じられない……っ。奴は……兄上は、病でベッドから起き上がることも困難だ。やっと奴からジェラルドを解放できたと思っていたのに……っ、毒などいつ……」
絶望したその表情を見れば、今まで第一王子にどれだけ苦しめられてきたかよくわかる。
「ディバイン公爵、ユニヴァ兄上まで毒を盛られているというのは本当ですか?」
ジェラルド王太子は可哀想なくらい顔を青くし、テオ様をうるうるした瞳で見つめる。その姿はハムスターのようで、庇護欲を掻き立てられる。
「昨夜伺った話から考えるに、可能性は高いかと」
どうやらテオ様は、昨夜のあのおかしな言い合いのあと、第二王子から話を詳しく聞いていたらしい。
「そんな……っ。僕のせいだ……、僕のせいでユニヴァ兄上まで巻き込まれて……」
「ジェラルド、お前のせいじゃない。ほら、唇を噛むな。跡がついてしまうぞ。力を抜いて……」
仲がいい兄弟は、悲愴感を漂わせながらもイチャついている。
いえ、兄弟でイチャつくという表現はおかしいのかもしれないけれど……ユニヴァ王子が王太子を甘やかす姿が、小さい子へのそれなのよね。
「ジェラルド王太子殿下、ユニヴァ王子殿下、あなた方は運がいい。我が公爵家には、その毒を研究している優秀な医師がいる。そして、解毒薬もある」
「なっ!? ディバイン公爵、それが本当ならば私はなんでもする。だから、ジェラルドのために解毒薬を分けてもらえないだろうか」
テオ様、話を上手く持っていきましたわね! まるで通信販売のコマーシャルのようですわ! これでスムーズにあの墨汁……いえ、解毒薬を飲んでいただけそうね。
「その前に、毒が体内に蓄積しているか検査をさせてもらえるか」
そしてテオ様。第二王子のなんでもするという発言をお断りしないあたりが政治家ですわね。
「おかぁさま、じぇりゃるどさま、だいじょぶ?」
ノアが心配そうにわたくしを見上げている。
ジェラルド王太子がハムスターなら、ノアは可愛い子犬かしら。
周りを窺うと、いつの間にか侍女のカミラやミランダ、他の使用人はいなくなっていた。執事長のウォルトが下がらせたのかしら、と彼の有能さに心の中で称賛を贈る。
「ノア、ジェラルド王太子殿下は大丈夫ですわ。お父様が助けてくださるもの」
――わたくしは助けてくださらなかったのに。
「え?」
「おかぁさま、どおしたの?」
「ぁ、いえ、なんでもありませんわ……」
今、なにか聞こえたような気が……気のせいだったのかしら?
「ノア、これからお父様とお客様は大切なお話をなさるようですから、わたくしたちは席を外しましょうか」
ちょうど朝食を食べ終えたようなので、ノアを連れて食堂を出ることにする。
隣国との関係を考えると、テオ様にお任せするのが一番よね。
「おかぁさま、きょおは、わたちといっしょ、いてくれる?」
食堂を出たところで、ノアがわたくしのスカートをツンツンと引っ張った。
可愛い仕草に胸がキュンとするわ。
「もちろんよ! 昨日は一緒にいられなかったものね。寂しい思いをさせてごめんなさい」
王子たちが来てから、失礼がないように、ノアにはあまり部屋から出ないように言いつけていたし……。可哀想なことをしたわ。
「いいのよ、おかぁさま。おきゃくさま、おもてなちしゅるの、だいじよ。わたち、おかぁさまのおてちゅだい、しゅるの」
「ノア……っ」
もしかして、ジェラルド王太子と晩餐の時にお話ししたり、朝のお散歩を一緒にしたりしていたのは、おもてなしだったの?
「わたくしの息子は、なんて優しくて賢くて可愛いのかしら!」
抱き上げてぎゅっとすると、ノアもわたくしにぎゅっと抱きついてうふふっと笑う。
その様子を、食堂の外で待っていたカミラとミランダがにこやかに見ていたが、私はしばらくそれに気付かないふりをした。
だって、もっとノアとイチャイチャしたいもの。
「わたち、おっきくなったら、おかぁさまとけっこ、しゅるのよ!」
「まぁ! ノアがわたくしをお嫁さんにしてくださいますの?」
「はい! おかぁさまのえほんに、だいしゅきなちと、じゅーっといっしょ、けっこしゅ、するって、あったのよ」
もしかして、女の子向けの絵本を見たのかしら?
魔法で獣に姿を変えられた王子様が、好きな人と心を通わせていく物語を新商品として出したばかりなのよね。
「おかぁさま、わたちとけっこ、ちてください!」
「まぁ!!」
ノアにプロポーズされましたわ!! なんて可愛くて魅力的なプロポーズなのかしら!
喜んでいるそのときだった。
「残念だが、ベルはすでに私と結婚している」
タイミング悪く、王子たちと連れ立って食堂から出てきたテオ様が割り込んできた。
「おとぅさま、めっ、よ。おかぁさまは、わたちの」
「ベルはお前の母だが、妻にはならない。何故なら私の妻だからだ」
またテオ様は大人げないことを言って。
「さぁベル。ノアに断りの言葉を伝えるんだ」
「もう、テオ様ったら。ノアが可哀想ではありませんか」
そう伝えるが、テオ様は真顔で反論してくる。
「なにを言う。君は私の妻なのだから、他の男からのプロポーズなどすぐに断るべきだろう」
「他の男って……。こんな可愛らしいプロポーズをされて、断れる女性はおりませんわよ?」
「……ベル、浮気か?」
「おかしなことをおっしゃらないでっ」
ノアは私たちの会話がよくわからないのか首を傾げている。
「私は悲しい。あとでベルに慰めてもらわないと、立ち直れない」
「テオ様……っ」
そう言ってわたくしの頬を撫でるその指は、わたくしのものよりも、ゴツゴツしていて大きい。
美しいけれど、やはり男の人なのだわ。
「あとで、部屋に来るように」
そう耳元で囁くと、テオ様は王子たちとともに行ってしまった。
「おかぁさま、けっこ、しゅるの、わたちだけよ」
テオ様もテオ様だけど、ノアもこんなに小さいのに、独占欲があるのかしら? 将来どんな大人になるのか、少し怖いわね。
第一章 ブレる魂
『ベル、君の魂が二重になっているように見える』
『ベル、ジューショー!』
『ベル、タイヘン!!』
「はい?」
妖精たちにそんなことを言われたのは、テオ様と王子たちが食堂を出ていってすぐだった。
「え? 二重ってどういうこと?」
『ボクらにもよくわからないんだけど、魂がブレてる……?』
『ザンゾー!』
『ブンシン!!』
妖精たちもよくわかっていないようで、首を傾げながらわたくしを心配そうに見ている。
「魂が、ブレる……」
もしかしてこの間見たあの夢と、なにか繋がりがある……とか? マンガの……ノアを虐待するシーンから始まるあの悲しい夢……
『……魂が二つあるように見えたけど……ちょっと違うみたいだね』
『ブンレツ!』
『ワカレタ!!』
『う~ん……分裂ともまた違うような……?』
ちょっと!? 魂が二つとか、分裂とか、不穏なことを言っているのだけど、どういうことですの?
『ねぇベル、もしかして……神か精霊と関わったことがある?』
『カミー!』
『セーレイ!!』
「神や精霊と関わりを持ったことなど、一切ございませんわ」
神様なんて、イーニアス殿下の祝福の時、焔神を拝見したのが初めてですのよ。
『そうなの? でも……君の特殊な魂は、多分神や精霊の力が働いているせいだと思うよ』
神や精霊の力……
もしかして、異世界に転生したことがそれ?
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