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4巻
4-2
『ベル、アンテイシテナイ!』
『ベル、ブレブレ!!』
『そうか! アカとアオの言うように、安定してないんだ!! 魂が二つあるんじゃなくて、この世界に、君の魂がどうしてかまだ馴染んでない。だからブレる』
正妖精は、アカとアオの言葉にハッとしたような顔で頷く。
どういうこと? 私の魂は二つでも分裂しているわけでもないって……
「あの、最近おかしな夢を見たのですけれど……」
『夢? それってどんな夢なの?』
正妖精が胡坐をかいたまま、ふわふわと宙に浮いて首を傾げる。
「それが、こう……わたくしはあなたのように宙に浮いているような視点で、わたくしがやっていることを見ているというような……」
どう伝えればいいのか迷いながら妖精たちを見ると、彼らは思ったより真剣に聞いていた。アカやアオまで真面目な表情をしているではないか。
『上からもう一人の自分を見ているってことだよね?』
「そのとおりですわ」
正妖精の言葉に頷くと、アカとアオがわたくしの肩にとまり、顔を見合わせてハッとしたように口を開けた。
『ユータイリダツー!』
『ベル、タマシーヌケタ!!』
夢だと言っておりますでしょう。幽体離脱なんて誰もしておりませんわよ。真面目に聞いていると思ったらこれなんだから。
『それ……、魂の記憶かもしれないね』
「え?」
『魂の記憶はね、そうだなぁ……あ、人間だとよく、その日印象に残ったことが夢に出てきた、なんてことがあるんでしょ?』
そういうこともありますわね、と頷きながら、私の周りをふわりふわりと回っている正妖精を目で追う。
『それと同じように、転生を繰り返している魂の記憶を、稀に夢に見ることがあるんだよ』
待って。魂の記憶って……、確かに私は山崎美咲からイザベルに生まれ変わっているけれど、それなら美咲の頃の夢を見るはずでしょう? それなのに何故イザベルの、しかもマンガにも描かれていなかったような場面を夢に見ますの!?
『ベルの魂のブレは、もしかしたらそれと関係あるかもしれないね』
前世ではなく、マンガに出てくる悪辣なイザベルの記憶……。それが、魂の記憶だというの……?
魂が二重に見えると言われた時、もしかしてマンガの中のイザベルと、美咲だった私の魂が二つ存在しているのではないかと考えた。だから、マンガにも描かれていなかった場面を夢に見たのかもしれないと思ったのだ。
だけど、そうではなさそうよね……
魂が不安定でこの世界に馴染んでいないのは、私の魂が異世界から来たから。しかしそう考えるなら、あの妙にリアルな夢はなんなのか。
「もしかして……」
妖精の話を聞いて、私は一つの考えに至ってしまった。
もし、あの夢が夢ではなく、『イザベルの記憶』だったとしたら……空耳だと思った、朝食の時のあの声は……。私の魂が一つなら――
自分への嫌悪に身体が震え、血の気が引く。
もしその考えのとおりなら私は……っ、考えたくないけど……、否定したいけど多分、この考えが一番辻褄が合うのよ。
私は……、私こそが、あのマンガに出ていたイザベル本人――ノアを虐待していたあのイザベルなのではないか……
そうであるなら、私は――
「――おかぁさま? どおちたの?」
愛おしい息子が、私の顔を下から覗いてくる。
「ノア……」
もしも私が、ノアを虐待していたのだとしたら、ノアを可愛がる資格なんてないのではありませんの?
「おかぁさま、わたちと、あしょぶのよ」
にこぉっと可愛く笑うノアに、罪悪感が湧いてくる。
「ノア、おかぁさま……っ、悪い人かもしれませんわ」
「――? おかぁさま、わりゅい……?」
首を傾げたノアは、わたくしをじっと見つめたあと、もう一度にこっと笑ったのだ。
「わたち、おかぁさま、わりゅいちとでも、だいしゅき!」
どうしましょう……、どうしましょう……っ。
「ノア……っ」
「わたちの、おかぁさまよ。じゅーっと、いっしょよ!」
私、この子を虐待したかもしれないのに……
「おかぁさま、まもるのよ」
それなのに、手放したくない……っ。
「っ……ふ」
手放したくないのよ……っ。
「おかぁさま? いたたなの? とんでけ、しゅる?」
「違うの……違うのよ。おかぁさまね、ノアが大好きだから、嬉しくなって涙が出ちゃったのかしら」
優しい息子を抱きしめて、私は決意した。
自分が産んだことにすると思った時から、いえ、初めて会った時から、この子はもう私の実の子供なのだ。
もし、私が虐待したイザベルと同一人物だとしても、今ここでノアを手放したら、それは虐待と変わらないではないか! だから――
誰になんと言われようと、最期までノアのことを離しませんわ。
◇ ◇ ◇
――許せない……っ。許せないの……
真っ黒な世界の中、一人うずくまる女性の姿があった。
「ここは……夢?」
周りは真っ黒なのに、女性の姿だけがはっきり見えるのだから、夢、よね? 私、妖精たちの話を聞いて……ノアから大好きって言われて、その後ノアとずっと一緒にいて……あら? いつの間にか眠ってしまったのかしら。
――許せない……っ。許せない……っ。全てが、憎い……っ。
ホラーなシチュエーションだけど、なんだか怖くはない……だってこの女性は……
「ねぇ、あなたが許せないのは、全てじゃないでしょう?」
――全てよ……全て、許さない……っ。
「……違うわ。本当に許せないのは……あなた自身、そうでしょう」
そう言葉にした刹那、黒い空間が歪んだ気がした。
【どうして……?】
うずくまって泣いていた女性が、いつの間にか私の正面に立っていた。
「どうしてわかるのかって? だってあなたは……わたくし自身じゃないの」
鏡のように、目の前には私がいて、戸惑ったように私を見ている。
【わたくし、見つけてしまったの……】
新素材を、と言う目の前の私に頷く。
【バカなわたくしがいけなかったの……っ。あの時、旦那様に相談していれば……っ。旦那様のせいにして、旦那様にそっくりなあの子に……っ、あ……当たってしまっ……】
ポロポロと涙をこぼし、しまいには子供のように泣き出す私をそっと抱きしめる。
「わたくしがやってしまったことは、到底許されることではないわ」
【っ……そう、許されない……、だから、あなたはあの子から……】
「でもね、だからといってノアを手放してしまったら、ノアが傷ついてしまいますわ。傷ってね、物理的につくものよりも、心に負うものの方が治りにくいのよ」
【でも、わたくしは……あの子に暴力を……っ】
「そうね。本当にわたくしって大馬鹿者よ! あんなに可愛い息子に、暴力をふるって!」
【っ……償わないと……だから、早くあの子から離れ……】
「なに馬鹿なことを言っているの! 『償い』なんて、自己満足にしかならないようなことをして、本当にノアが喜ぶとでも思っていますの?」
【だって……、じゃあ、どうすれば……っ】
目の前の私は、はらはらと涙をこぼし、縋るように私を見る。
「そんなの決まっていますでしょう! 償おうなんて気持ちが霞むほど、ノアを愛して、愛して、愛して……っ、可愛がるのよ!!」
【……愛して……いいの?】
「そんなの、わかりませんわ! だってわたくしたちは罪を犯したのですもの。図々しいにもほどがあるって言われるかもしれません。けれどわたくし、可愛い息子を愛してしまったのだもの!」
【償いじゃなくて……?】
「そんな後ろめたい気持ちの愛じゃありませんわよ! そうでしょう」
【っ……ぅん】
ボロボロと大粒の涙を流しながら、目の前の私は頷いた。
【わたぐじ……っ、い、いっじょう、じぶんのこと、ゆ、ゆるぜまぜんわ……っ】
「そんなの、わたくしもよ!」
だけど――
「「この先ずっと、ずーっと、ノアを愛し続けますわ」」
その瞬間、真っ黒だった空間に光が溢れたのだ――
◇ ◇ ◇
「ん……」
ここは……、ノアの部屋……
「奥様、お目覚めですか」
カミラがおもちゃを片付けながら、わたくしに声をかけてきた。
「カミラ……わたくし、眠ってしまったのね。ノアは……」
「ノア様なら、奥様の隣でお眠りになっていますよ」
カミラに言われ隣を見ると、ソファに座ってうたた寝をしていたわたくしに、ノアが寄り添うようにして眠っていた。
「まぁ、ベッドで眠ればいいのに……」
ノアの頭をそっと撫で、寝顔を見つめる。
「ノア様、お眠りになった奥様にくっついて離れなかったんですよ」
「ノアが……」
「ノア様は奥様が大好きですから、できるだけくっついていたいのでしょうね」
優しい眼差しでわたくしとノアを見たカミラは、ヘラリと笑って「あ、お茶をお持ちしますね」と部屋を出ていった。
「ミランダ」
「はい。奥様」
壁際に控えていたミランダが、足音も立てずにやってくる。
前々から思っていたけれど、ミランダはただの侍女ではないのかもしれないわ。
「リッシュグルス国の、第一王子のことが知りたいのだけど……」
「すぐに調査させます。お任せください」
そう言うと、天井の方に目をやり、頷く。そして、すぐに元いた壁際に戻り、何事もなかったかのように佇む。
今のなんなの!? ミランダ、あなたまさか……っ、忍者のお頭でしたの!?
「ん……おかぁしゃま……」
「あら、起こしてしまったかしら」
いつもならまだお昼寝の時間だけれど、ソファだとやっぱりきちんと眠れないものね。
「ノア、まだ眠っていてもいいのよ?」
小さな手で目をこすっているノアに優しく声をかけると、ふるふると首を横に振り、「おっき、しゅる」と言ってわたくしに抱きついてきた。
抱き上げて膝の上に乗せる。
寝起きの子供って、どうしてこんなにぬくぬくしているのかしら。
寝汗をかいているノアの顔と首をハンカチで拭う。ノアにかけられていたブランケットはミランダが回収していった。
「おかぁさま、むぎちゃ、のみたいの」
「喉が渇いたのね。大丈夫よ。カミラが持ってきてくれるみたいだから」
実家にいたサリーといい、ミランダといい、侍女って本当に気がきく子ばかりよね。カミラもそうだし、特殊訓練でも受けているのかしら。
「ノア、わたくしの可愛い子」
ノアの可愛いつむじを見ながら、優しく声をかける。
「なぁに?」
「ずっと、わたくしの息子でいてくれる?」
「はい! わたち、おかぁさまと、じゅーっと、いっしょよ!」
一生懸命わたくしを見上げながら、ニコニコと話すノアをぎゅうっと抱きしめ、さっき見た夢のことを思い出す。
違うわ。あれは夢じゃない。
わたくしは、美咲としての人生の前に、一度、イザベルとしての人生を歩んだのだわ。
あのマンガ……『氷雪の英雄と聖光の宝玉』の、あのイザベルの人生を――
第二章 紙
『氷雪の英雄と聖光の宝玉』。わたくしが美咲だった頃にたまたま読んだマンガだと思っていたけれど、夢でイザベルを受け入れた時に唐突に理解したわ。
あれは、『わたくしが歩んだ人生』。
悪魔と手を組み、ノアに倒されたあと山崎美咲として転生し、そしてまた死んで、この世界に戻った。
何故山崎美咲の人生を挟み、この世界に戻ったのか……。神や精霊に会った記憶はないけれど、前世の記憶がテオ様と結婚するあのタイミングで蘇ったのは、神々が悲劇的な未来を変えることを望んだからなのかもしれない。
妖精たちも、神か精霊の力が働いていると言っていたものね。
わたくしが運命を変えるために選ばれたのは、あの悲劇の原因がわたくしだったからだろう。
実際、わたくしが前とは違う行動をしたことで、運命が随分変わっているのだから間違いないと思う。
そして、魂が安定しなかった原因は美咲にあった。
イザベルが犯した罪やテオ様への憎しみの感情を、美咲は受け入れられず、ずっと拒否していたのね。
だから拒否されたイザベルの悲しい思いが魂を不安定にさせていたし、あの夢を見せた。
だけどそれも、ノアのおかげで……ノアが、わたくしが悪い人でも好きだと言ってくれたから、受け入れることができた。
「わたくしは、ノアに救われたのだわ」
『あれ? ブレがなくなってる』
『ベル、キレー!』
『ベル、キラキラ!!』
そうそう、だから妖精たちもこう言ってくれて……ん?
就寝前にベッドに腰かけ、考え込んでいたわたくしが頭を上げると、妖精たちが驚いたようにこちらを見ていた。
「綺麗とか、キラキラってなんですの?」
ブレてないとか、安定しているとかならわかるのだけど、キラキラ?
『魂が輝いているってことさ!』
『ピッカピカ!』
『マ、マブシー!!』
ちょっと、キノコたちのリアクション、おかしいわよ。
「魂が輝いている?」
罪を犯した魂がピッカピカに輝くわけがないでしょう?
『へぇ、これがベルの本来の輝きかぁ。ボクらのフローレンスにも負けてないね』
『セイジョニヒッテキ!』
『ウツクシー!!』
あ。これ、からかわれているわね。朝見たきり全然見かけなかったけれど、一体どこに行っていたのかしら。
夜にわざわざやってきて冗談を言っている妖精たちに、もしかして……と思い、質問してみる。
「まぁいいですわ。それより、悪魔は隣国にいましたの? あなたたち、たまにいなくなる時間がありますけれど、実は隣国に行っていたのでしょう?」
『え? ボクらフローレンスのところに行ってたんだしー』
『テオニ、ヒミツニスルッテ、イワレテナイ!』
『カゲハ、クチカタイ!!』
キノコたち、ポロッと喋っちゃっていますわよ。
『アカ! アオ!! 話しちゃダメじゃないか~』
『アカ、シャベッテナイ!』
『アオ、クチカタイ!!』
コントかしら?
「やっぱりリッシュグルス国に行っていましたのね」
前のイザベルの人生では、この時期はまだ戦争のせの字も出ていなかったはず。
とはいえ、前……いえ、今もだけど、あまり外交には詳しくないから本当はどうだったのか、さっぱりなのよね。だからミランダに調査を頼んだのだけど……
『テオからは、ベルを隣国に関わらせたらダメって言われているんだ』
『アッ、シャベッタ!』
『ポロリ、シタ!!』
どうやらテオ様が、妖精たちに口止めしていたようだ。最近、氷の大公様は、とても心配症である。
「そうですの。心配してくださっているのですね。でも、わたくしもなにかお役に立てることがあるかもしれませんわ。だからあなたたちが集めた情報を知りたい――」
「ダメだ」
妖精たちに詰め寄っていた時だ。わたくしの言葉を遮る声にハッとして振り返ると、扉の近くにテオ様が立っているではないか。
王子たちの検査や解毒薬の手配などでお疲れだろうに、それをおくびにも出さず、少し怖いお顔でわたくしと妖精を見ている。
「テオ様、遅くまでお疲れさまでした」
「ああ……。妖精たちは部屋に戻ってゆっくり休め。私はベルと話がある」
『う、うん。わかったよ』
『アカ、スグヤスム!』
『アオ、ユックリヤスム!!』
言っている言葉は優しいが、有無を言わさぬ威圧感がある。それに臆した妖精たちはすぐに姿を消した。ノアの部屋に避難したのだろう。
「テオ様」
ベッドの端に腰かけたまま見上げると、テオ様はじっとわたくしを見つめ、しばらくして話を切り出した。
「ベル、私は君を危険な目にあわせたくないんだ」
そのまっすぐな言葉と心配そうな声音、真剣な瞳にわがままを言っている罪悪感が湧くが、ここは譲れない。
「テオ様、ですが悪魔と敵対した時点で、危険なことに変わりありませんわ」
「……」
テオ様が心配してくださっている気持ちは、十分に理解しておりますのよ。ですが――
「なんの情報も得られない方が、より危険だとは思いませんこと?」
テオ様の目をじっと見て問いかけると、テオ様はハァ……と溜め息を吐き、こちらに近づいてくる。
「もし、情報を知ったとしても、絶対に一人で行動しないと……なにかする際は必ず私に相談すると約束できるか?」
「まぁ! テオ様はわたくしが勝手に行動すると思っていらっしゃるの?」
「君は、行動力のある素敵な女性だからな」
なんですの!? そんな歯の浮くようなセリフを口にする方ではなかったでしょう!
「もう……っ、わかりましたわ。約束いたします。だから、妖精たちが掴んだ情報を教えていただけますか?」
前のイザベルの人生では、テオ様にきちんとご相談せず、あんなことになってしまったのだもの。同じ轍を踏むつもりはありませんわ。
わたくしの言葉に頷くと、テオ様はいつもの無表情に戻り、淡々とした声で告げた。
「――悪魔が第一王子の医師として、隣国に潜り込んでいるようだ」
やはり、そうでしたの。
「そして、皇宮の図書館の一件だが、やはり君に接触した司書は悪魔の可能性が高い」
◇ ◇ ◇
「ディバイン公爵、イザベル夫人、本当にありがとうございました! 解毒薬のおかげで僕も兄上も命が助かりました!」
客間のソファに座ったジェラルド王太子が、向かいに座るわたくしたちに感謝の言葉を告げる。
王子たちの滞在期間を一日残し、なんとか解毒薬が出来上がった。あの黒すぎる解毒薬を戸惑いながらも飲んだ二人は、わたくしとは違い副作用もなくケロッとしていて、トイレの住人になることもなかった。
『ベル、ブレブレ!!』
『そうか! アカとアオの言うように、安定してないんだ!! 魂が二つあるんじゃなくて、この世界に、君の魂がどうしてかまだ馴染んでない。だからブレる』
正妖精は、アカとアオの言葉にハッとしたような顔で頷く。
どういうこと? 私の魂は二つでも分裂しているわけでもないって……
「あの、最近おかしな夢を見たのですけれど……」
『夢? それってどんな夢なの?』
正妖精が胡坐をかいたまま、ふわふわと宙に浮いて首を傾げる。
「それが、こう……わたくしはあなたのように宙に浮いているような視点で、わたくしがやっていることを見ているというような……」
どう伝えればいいのか迷いながら妖精たちを見ると、彼らは思ったより真剣に聞いていた。アカやアオまで真面目な表情をしているではないか。
『上からもう一人の自分を見ているってことだよね?』
「そのとおりですわ」
正妖精の言葉に頷くと、アカとアオがわたくしの肩にとまり、顔を見合わせてハッとしたように口を開けた。
『ユータイリダツー!』
『ベル、タマシーヌケタ!!』
夢だと言っておりますでしょう。幽体離脱なんて誰もしておりませんわよ。真面目に聞いていると思ったらこれなんだから。
『それ……、魂の記憶かもしれないね』
「え?」
『魂の記憶はね、そうだなぁ……あ、人間だとよく、その日印象に残ったことが夢に出てきた、なんてことがあるんでしょ?』
そういうこともありますわね、と頷きながら、私の周りをふわりふわりと回っている正妖精を目で追う。
『それと同じように、転生を繰り返している魂の記憶を、稀に夢に見ることがあるんだよ』
待って。魂の記憶って……、確かに私は山崎美咲からイザベルに生まれ変わっているけれど、それなら美咲の頃の夢を見るはずでしょう? それなのに何故イザベルの、しかもマンガにも描かれていなかったような場面を夢に見ますの!?
『ベルの魂のブレは、もしかしたらそれと関係あるかもしれないね』
前世ではなく、マンガに出てくる悪辣なイザベルの記憶……。それが、魂の記憶だというの……?
魂が二重に見えると言われた時、もしかしてマンガの中のイザベルと、美咲だった私の魂が二つ存在しているのではないかと考えた。だから、マンガにも描かれていなかった場面を夢に見たのかもしれないと思ったのだ。
だけど、そうではなさそうよね……
魂が不安定でこの世界に馴染んでいないのは、私の魂が異世界から来たから。しかしそう考えるなら、あの妙にリアルな夢はなんなのか。
「もしかして……」
妖精の話を聞いて、私は一つの考えに至ってしまった。
もし、あの夢が夢ではなく、『イザベルの記憶』だったとしたら……空耳だと思った、朝食の時のあの声は……。私の魂が一つなら――
自分への嫌悪に身体が震え、血の気が引く。
もしその考えのとおりなら私は……っ、考えたくないけど……、否定したいけど多分、この考えが一番辻褄が合うのよ。
私は……、私こそが、あのマンガに出ていたイザベル本人――ノアを虐待していたあのイザベルなのではないか……
そうであるなら、私は――
「――おかぁさま? どおちたの?」
愛おしい息子が、私の顔を下から覗いてくる。
「ノア……」
もしも私が、ノアを虐待していたのだとしたら、ノアを可愛がる資格なんてないのではありませんの?
「おかぁさま、わたちと、あしょぶのよ」
にこぉっと可愛く笑うノアに、罪悪感が湧いてくる。
「ノア、おかぁさま……っ、悪い人かもしれませんわ」
「――? おかぁさま、わりゅい……?」
首を傾げたノアは、わたくしをじっと見つめたあと、もう一度にこっと笑ったのだ。
「わたち、おかぁさま、わりゅいちとでも、だいしゅき!」
どうしましょう……、どうしましょう……っ。
「ノア……っ」
「わたちの、おかぁさまよ。じゅーっと、いっしょよ!」
私、この子を虐待したかもしれないのに……
「おかぁさま、まもるのよ」
それなのに、手放したくない……っ。
「っ……ふ」
手放したくないのよ……っ。
「おかぁさま? いたたなの? とんでけ、しゅる?」
「違うの……違うのよ。おかぁさまね、ノアが大好きだから、嬉しくなって涙が出ちゃったのかしら」
優しい息子を抱きしめて、私は決意した。
自分が産んだことにすると思った時から、いえ、初めて会った時から、この子はもう私の実の子供なのだ。
もし、私が虐待したイザベルと同一人物だとしても、今ここでノアを手放したら、それは虐待と変わらないではないか! だから――
誰になんと言われようと、最期までノアのことを離しませんわ。
◇ ◇ ◇
――許せない……っ。許せないの……
真っ黒な世界の中、一人うずくまる女性の姿があった。
「ここは……夢?」
周りは真っ黒なのに、女性の姿だけがはっきり見えるのだから、夢、よね? 私、妖精たちの話を聞いて……ノアから大好きって言われて、その後ノアとずっと一緒にいて……あら? いつの間にか眠ってしまったのかしら。
――許せない……っ。許せない……っ。全てが、憎い……っ。
ホラーなシチュエーションだけど、なんだか怖くはない……だってこの女性は……
「ねぇ、あなたが許せないのは、全てじゃないでしょう?」
――全てよ……全て、許さない……っ。
「……違うわ。本当に許せないのは……あなた自身、そうでしょう」
そう言葉にした刹那、黒い空間が歪んだ気がした。
【どうして……?】
うずくまって泣いていた女性が、いつの間にか私の正面に立っていた。
「どうしてわかるのかって? だってあなたは……わたくし自身じゃないの」
鏡のように、目の前には私がいて、戸惑ったように私を見ている。
【わたくし、見つけてしまったの……】
新素材を、と言う目の前の私に頷く。
【バカなわたくしがいけなかったの……っ。あの時、旦那様に相談していれば……っ。旦那様のせいにして、旦那様にそっくりなあの子に……っ、あ……当たってしまっ……】
ポロポロと涙をこぼし、しまいには子供のように泣き出す私をそっと抱きしめる。
「わたくしがやってしまったことは、到底許されることではないわ」
【っ……そう、許されない……、だから、あなたはあの子から……】
「でもね、だからといってノアを手放してしまったら、ノアが傷ついてしまいますわ。傷ってね、物理的につくものよりも、心に負うものの方が治りにくいのよ」
【でも、わたくしは……あの子に暴力を……っ】
「そうね。本当にわたくしって大馬鹿者よ! あんなに可愛い息子に、暴力をふるって!」
【っ……償わないと……だから、早くあの子から離れ……】
「なに馬鹿なことを言っているの! 『償い』なんて、自己満足にしかならないようなことをして、本当にノアが喜ぶとでも思っていますの?」
【だって……、じゃあ、どうすれば……っ】
目の前の私は、はらはらと涙をこぼし、縋るように私を見る。
「そんなの決まっていますでしょう! 償おうなんて気持ちが霞むほど、ノアを愛して、愛して、愛して……っ、可愛がるのよ!!」
【……愛して……いいの?】
「そんなの、わかりませんわ! だってわたくしたちは罪を犯したのですもの。図々しいにもほどがあるって言われるかもしれません。けれどわたくし、可愛い息子を愛してしまったのだもの!」
【償いじゃなくて……?】
「そんな後ろめたい気持ちの愛じゃありませんわよ! そうでしょう」
【っ……ぅん】
ボロボロと大粒の涙を流しながら、目の前の私は頷いた。
【わたぐじ……っ、い、いっじょう、じぶんのこと、ゆ、ゆるぜまぜんわ……っ】
「そんなの、わたくしもよ!」
だけど――
「「この先ずっと、ずーっと、ノアを愛し続けますわ」」
その瞬間、真っ黒だった空間に光が溢れたのだ――
◇ ◇ ◇
「ん……」
ここは……、ノアの部屋……
「奥様、お目覚めですか」
カミラがおもちゃを片付けながら、わたくしに声をかけてきた。
「カミラ……わたくし、眠ってしまったのね。ノアは……」
「ノア様なら、奥様の隣でお眠りになっていますよ」
カミラに言われ隣を見ると、ソファに座ってうたた寝をしていたわたくしに、ノアが寄り添うようにして眠っていた。
「まぁ、ベッドで眠ればいいのに……」
ノアの頭をそっと撫で、寝顔を見つめる。
「ノア様、お眠りになった奥様にくっついて離れなかったんですよ」
「ノアが……」
「ノア様は奥様が大好きですから、できるだけくっついていたいのでしょうね」
優しい眼差しでわたくしとノアを見たカミラは、ヘラリと笑って「あ、お茶をお持ちしますね」と部屋を出ていった。
「ミランダ」
「はい。奥様」
壁際に控えていたミランダが、足音も立てずにやってくる。
前々から思っていたけれど、ミランダはただの侍女ではないのかもしれないわ。
「リッシュグルス国の、第一王子のことが知りたいのだけど……」
「すぐに調査させます。お任せください」
そう言うと、天井の方に目をやり、頷く。そして、すぐに元いた壁際に戻り、何事もなかったかのように佇む。
今のなんなの!? ミランダ、あなたまさか……っ、忍者のお頭でしたの!?
「ん……おかぁしゃま……」
「あら、起こしてしまったかしら」
いつもならまだお昼寝の時間だけれど、ソファだとやっぱりきちんと眠れないものね。
「ノア、まだ眠っていてもいいのよ?」
小さな手で目をこすっているノアに優しく声をかけると、ふるふると首を横に振り、「おっき、しゅる」と言ってわたくしに抱きついてきた。
抱き上げて膝の上に乗せる。
寝起きの子供って、どうしてこんなにぬくぬくしているのかしら。
寝汗をかいているノアの顔と首をハンカチで拭う。ノアにかけられていたブランケットはミランダが回収していった。
「おかぁさま、むぎちゃ、のみたいの」
「喉が渇いたのね。大丈夫よ。カミラが持ってきてくれるみたいだから」
実家にいたサリーといい、ミランダといい、侍女って本当に気がきく子ばかりよね。カミラもそうだし、特殊訓練でも受けているのかしら。
「ノア、わたくしの可愛い子」
ノアの可愛いつむじを見ながら、優しく声をかける。
「なぁに?」
「ずっと、わたくしの息子でいてくれる?」
「はい! わたち、おかぁさまと、じゅーっと、いっしょよ!」
一生懸命わたくしを見上げながら、ニコニコと話すノアをぎゅうっと抱きしめ、さっき見た夢のことを思い出す。
違うわ。あれは夢じゃない。
わたくしは、美咲としての人生の前に、一度、イザベルとしての人生を歩んだのだわ。
あのマンガ……『氷雪の英雄と聖光の宝玉』の、あのイザベルの人生を――
第二章 紙
『氷雪の英雄と聖光の宝玉』。わたくしが美咲だった頃にたまたま読んだマンガだと思っていたけれど、夢でイザベルを受け入れた時に唐突に理解したわ。
あれは、『わたくしが歩んだ人生』。
悪魔と手を組み、ノアに倒されたあと山崎美咲として転生し、そしてまた死んで、この世界に戻った。
何故山崎美咲の人生を挟み、この世界に戻ったのか……。神や精霊に会った記憶はないけれど、前世の記憶がテオ様と結婚するあのタイミングで蘇ったのは、神々が悲劇的な未来を変えることを望んだからなのかもしれない。
妖精たちも、神か精霊の力が働いていると言っていたものね。
わたくしが運命を変えるために選ばれたのは、あの悲劇の原因がわたくしだったからだろう。
実際、わたくしが前とは違う行動をしたことで、運命が随分変わっているのだから間違いないと思う。
そして、魂が安定しなかった原因は美咲にあった。
イザベルが犯した罪やテオ様への憎しみの感情を、美咲は受け入れられず、ずっと拒否していたのね。
だから拒否されたイザベルの悲しい思いが魂を不安定にさせていたし、あの夢を見せた。
だけどそれも、ノアのおかげで……ノアが、わたくしが悪い人でも好きだと言ってくれたから、受け入れることができた。
「わたくしは、ノアに救われたのだわ」
『あれ? ブレがなくなってる』
『ベル、キレー!』
『ベル、キラキラ!!』
そうそう、だから妖精たちもこう言ってくれて……ん?
就寝前にベッドに腰かけ、考え込んでいたわたくしが頭を上げると、妖精たちが驚いたようにこちらを見ていた。
「綺麗とか、キラキラってなんですの?」
ブレてないとか、安定しているとかならわかるのだけど、キラキラ?
『魂が輝いているってことさ!』
『ピッカピカ!』
『マ、マブシー!!』
ちょっと、キノコたちのリアクション、おかしいわよ。
「魂が輝いている?」
罪を犯した魂がピッカピカに輝くわけがないでしょう?
『へぇ、これがベルの本来の輝きかぁ。ボクらのフローレンスにも負けてないね』
『セイジョニヒッテキ!』
『ウツクシー!!』
あ。これ、からかわれているわね。朝見たきり全然見かけなかったけれど、一体どこに行っていたのかしら。
夜にわざわざやってきて冗談を言っている妖精たちに、もしかして……と思い、質問してみる。
「まぁいいですわ。それより、悪魔は隣国にいましたの? あなたたち、たまにいなくなる時間がありますけれど、実は隣国に行っていたのでしょう?」
『え? ボクらフローレンスのところに行ってたんだしー』
『テオニ、ヒミツニスルッテ、イワレテナイ!』
『カゲハ、クチカタイ!!』
キノコたち、ポロッと喋っちゃっていますわよ。
『アカ! アオ!! 話しちゃダメじゃないか~』
『アカ、シャベッテナイ!』
『アオ、クチカタイ!!』
コントかしら?
「やっぱりリッシュグルス国に行っていましたのね」
前のイザベルの人生では、この時期はまだ戦争のせの字も出ていなかったはず。
とはいえ、前……いえ、今もだけど、あまり外交には詳しくないから本当はどうだったのか、さっぱりなのよね。だからミランダに調査を頼んだのだけど……
『テオからは、ベルを隣国に関わらせたらダメって言われているんだ』
『アッ、シャベッタ!』
『ポロリ、シタ!!』
どうやらテオ様が、妖精たちに口止めしていたようだ。最近、氷の大公様は、とても心配症である。
「そうですの。心配してくださっているのですね。でも、わたくしもなにかお役に立てることがあるかもしれませんわ。だからあなたたちが集めた情報を知りたい――」
「ダメだ」
妖精たちに詰め寄っていた時だ。わたくしの言葉を遮る声にハッとして振り返ると、扉の近くにテオ様が立っているではないか。
王子たちの検査や解毒薬の手配などでお疲れだろうに、それをおくびにも出さず、少し怖いお顔でわたくしと妖精を見ている。
「テオ様、遅くまでお疲れさまでした」
「ああ……。妖精たちは部屋に戻ってゆっくり休め。私はベルと話がある」
『う、うん。わかったよ』
『アカ、スグヤスム!』
『アオ、ユックリヤスム!!』
言っている言葉は優しいが、有無を言わさぬ威圧感がある。それに臆した妖精たちはすぐに姿を消した。ノアの部屋に避難したのだろう。
「テオ様」
ベッドの端に腰かけたまま見上げると、テオ様はじっとわたくしを見つめ、しばらくして話を切り出した。
「ベル、私は君を危険な目にあわせたくないんだ」
そのまっすぐな言葉と心配そうな声音、真剣な瞳にわがままを言っている罪悪感が湧くが、ここは譲れない。
「テオ様、ですが悪魔と敵対した時点で、危険なことに変わりありませんわ」
「……」
テオ様が心配してくださっている気持ちは、十分に理解しておりますのよ。ですが――
「なんの情報も得られない方が、より危険だとは思いませんこと?」
テオ様の目をじっと見て問いかけると、テオ様はハァ……と溜め息を吐き、こちらに近づいてくる。
「もし、情報を知ったとしても、絶対に一人で行動しないと……なにかする際は必ず私に相談すると約束できるか?」
「まぁ! テオ様はわたくしが勝手に行動すると思っていらっしゃるの?」
「君は、行動力のある素敵な女性だからな」
なんですの!? そんな歯の浮くようなセリフを口にする方ではなかったでしょう!
「もう……っ、わかりましたわ。約束いたします。だから、妖精たちが掴んだ情報を教えていただけますか?」
前のイザベルの人生では、テオ様にきちんとご相談せず、あんなことになってしまったのだもの。同じ轍を踏むつもりはありませんわ。
わたくしの言葉に頷くと、テオ様はいつもの無表情に戻り、淡々とした声で告げた。
「――悪魔が第一王子の医師として、隣国に潜り込んでいるようだ」
やはり、そうでしたの。
「そして、皇宮の図書館の一件だが、やはり君に接触した司書は悪魔の可能性が高い」
◇ ◇ ◇
「ディバイン公爵、イザベル夫人、本当にありがとうございました! 解毒薬のおかげで僕も兄上も命が助かりました!」
客間のソファに座ったジェラルド王太子が、向かいに座るわたくしたちに感謝の言葉を告げる。
王子たちの滞在期間を一日残し、なんとか解毒薬が出来上がった。あの黒すぎる解毒薬を戸惑いながらも飲んだ二人は、わたくしとは違い副作用もなくケロッとしていて、トイレの住人になることもなかった。
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