ヴァンパイア・バタフライ

三月べに

文字の大きさ
2 / 6

月光に抱かれて

しおりを挟む



 それから毎日毎日、彼を思い浮かべた。
 あの公園に入る前に身形を整え、出会した場所を過ぎたら、バカらしいと自分の髪を掻き乱す。
 さながら、夢の中に現れた恋人を愛しているような感じ。
 一目惚れなんて、自惚れと一緒だと思う。この人と愛し合える、という思い込みから出る恋だ。恋に恋するものと同じ。
 恋の寿命なんて、短い。そのうち、忘れる。それまで耐えればいい。幻なんだから。
 時折、黒揚羽蝶を見掛けた。ヒラリと宙を横切るそれを見る度、彼を思い出してしまい、すぐに目を背ける。
 家にいても、不意にペリドットの瞳を思い出して、ついベランダを向いた。彼がいるわけないのに。

 恋煩いの日々が、数日続いたある夜のこと。
 ソファーに座って、また映画を観ながら、お酒を飲んだ。ピンクのベビードールと黒のカーディガン。無意味に素足を撫でては、グラスに入れたお酒を飲み干す。
 もう寝てしまおうと、立ち上がると、よろけた。でも倒れないように踏み留まり、つけていた電気を消す。
 暗くなった部屋に、射し込む月の光に気付く。

「あら、素敵」

 思わず、思ったことを口にする。
 コーヒーテーブルに腰を下ろせば、丁度満月が見えた。口元を緩めて、頬杖をつく。ホロ酔いのまま眺めたかったけれど、映画の音が邪魔に思えて、タブレットを操作して止める。
 それから、音楽のドビュッシーの「月の光」をリピート設定にして流した。
 ホロ酔いで、月の光を浴びながら、優しいピアノの音色の「月の光」を聴く。

 もう気持ちがいい。

 目を閉じて、その気持ちよさに浸る。
 瞼を開くと、ベランダの柵に黒揚羽蝶がいるように見えた。錯覚かと思って、目を凝らす。

 瞬き1つ、したあと。
 そこに――――彼がいた。

 月の光でブロンドが艶めいていて、なにより彼の妖しさを際立たせている。前とは違うようだけれど、深緑のベストとYシャツ姿。黒いズボンと革の靴を履いた足は組まれていて、彼は柵に座っていた。
 ペリドットの瞳も、月の光の妖しさを纏っている。
 けれども、それより妖しいのは、彼についた血。恐らく、彼の血。肩から胸にかけて、引き裂かれた形跡があって、黒い。白い頬には赤黒い血がついていた。
 カチャリ。
 ドアの鍵が外れる音がしたかと思えば、カラカラとドアが開かれた。あたしも彼も触れていないのに、勝手に開かれた。
 ポカンとしていれば、背中を押されるように風が吹いて、あたしは立ち上がる。
 目の前の彼は微笑み、手招きした。お酒のせいか、彼に見とれているせいか、あたしは素足のままベランダに出て、彼に近付く。

「先日助けたお礼に、あなたの血を飲ませてください」

 彼が口を開けば、2つの鋭利な牙が見えた。けれども、恐怖はちっとも沸いてこない。
 彼の声はなめらかで、耳にしたあたしを、とろとろにとかしてしまいそう。酔っているせいか。

「……全部?」
「いいえ、命を奪うほどではありません」

 あたしが問うと、彼はクスリと笑った。死ぬほど血を飲まれないなら問題ない。あたしの頭はそう判断した。
 どうぞ、と言わんばかりに身を差し出す。
 彼は笑みを深めると、あたしの右手を掴んで引き寄せた。彼の息が、首の左側に吹き掛けられたかと思えば、生温いものが肌を這う。彼の舌?
 次の瞬間、チクリと熱が突き刺さった。反射的に身体が震えたけれど、彼が抱き締めて放さない。
 噛まれたんだ。彼はヴァンパイアだ。
 今更、頭が理解する。
 あたしの首から牙は抜かれたらしく、痛みが増す。傷口から血を、彼が吸い上げているからだろう。
 ゴクリ、と彼が飲み込み音が聞こえた。
 また吸われると、身体の力まで奪われたみたいに、力が少し抜けて、彼に凭れる。
 血が奪われているのに不思議と、身体は熱くなった。疼くような熱が、広がる。
 ゴクリ、とまた彼が喉を鳴らした。
 痛みより、身体の熱に意識が集中して、あたしはのぼせたように彼にただしがみつく。

「……ハァ」

 彼の熱い息が、あたしの首を撫でた。吸血行為は、終わったらしい。それでも、あたしは動けなかった。

「助かりました。あなたの血のおかげで」

 熱い息をあたしの耳に吹きかけながら、彼は優しく囁く。それが、あたしの中の熱を煽るようだった。

「どうしました?」

 クスリと笑って、彼は問う。

「身体が火照っていますね、絵子さん」

 あたしの名前を、彼が口にした。それよりも、彼の手が、あたしの太股に触れたことに意識が向く。
 その手が、太股を撫でながら、丈の短いベビードールをゆっくりとたくしあげた。
 くちゅ。
 耳に唇が押し付けられたかと思えば、舌が這った。ゾクリ、ときて、彼の服を握る手に力を込める。
 ちゅる。
 彼に舐められると、いやらしい音が間近で聞こえた。
 彼の手が、そっと腰を引き寄せて、密着させられる。完全に、彼に身を任せた。
 彼の唇があたしの輪郭をなぞるように移動する。そして、あたしの唇まできた。
 ペリドットの瞳と、見つめ合う。キャッツアイのように、瞳孔が鋭くなっていた。暗い中でも、魅惑的なままだ。
 唇が重なった瞬間、目を閉じる。
 離れては、また吸い付くように重なった。とろけるようなフレンチキスに、溺れる。
 触れ合うことを楽しむように、繰り返されるキス。
 もう、夢を見ているように感じた。こんなにも完璧なキス、されたことがない。
 これだけで、あたしはもう。

「私に……どうされたいのか、言ってください?」

 唇が触れ合いそうなギリギリの距離で、彼がそっと言った。
 わかっているくせに、なんて意地悪なんだ。

「抱いてほしい……と、この唇を動かして」

 あたしの唇に、自分の唇を這わせて、彼は囁いた。

「言ってください、絵子さん」
「は、ぁっ……」

 思わず、息が、溢れる。
 この身体の火照りを、彼にどうにかしてほしくて。

 抱いてほしい。抱いて。

 そう口にした覚えはない。
 気が付けば、ソファーに押し倒されて、キスの続きを味わっていた。
 最初は恥ずかしさがあったけれど、すぐに快楽に溺れた。
 あたしに触れる彼の手はとても優しい。けれども、強く、深く、快楽を押し上げてきた。
 怪我をしていたと思ったのに、彼の身体はとても綺麗だった。血など、初めからなかったみたいに、消えている。真珠のように美しく、固く、そして熱い肌。
 代わりのように、彼が背にした満月がほんのりと赤を纏っていた。
 快楽に溺れている最中に、彼はこう囁いた気がする。

「私の名は――ネリオラ」

 それから、彼の名をうわ言のように呼びながら、抱かれた。
 覚えているのは、とろけるほどの快楽と、彼とあたしの熱さと、彼の美しさ。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在 唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話 中山加恋(20歳) 二十歳でトオルの妻になる 何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛 中山トオル(32歳) 17歳の加恋に一目ぼれ 加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する 加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる 会社では群を抜くほどの超エリートが、 愛してやまない加恋ちゃんに 振り回されたり落ち込まされたり… そんなイケメンエリートの ちょっと切なくて笑えるお話

処理中です...