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黒い揚羽蝶
しおりを挟む自分の人生をどこか他人事のように感じることがあった。
これを乗り越えればいい。
あれさえこなせばいい。
淡々と、こなして生きてきた。自分のことではないように、感情移入をしない。
他の人と違うと感じている。他の人達は幸せそうに暮らしていると思えた。悩みや不幸もあるとは思うけれど、少なくとも楽しんで生きているみたい。羨ましい。
子どもの頃は、純粋だった。目の前のことしか見えず、猛突進な感じ。
冷たくされても、フラれても、好きな男の子に何度も告白したことがある。今思えば、バカな自分だと思う。
その男の子とは、最初は親しかった。他愛ない会話をして笑い合っていたのに、いつの間にか彼はそっぽを向いた。
バカなあたしは、なにかを見逃したのだろう。
彼の冷たさは、諦めさせる優しさだったのだろうか。必要のない好意に終止符を打つため。正直、あたしの気持ちが迷惑だったのかもしれない。願わくば、その出来事を消し去りたい。
それは当然の態度だと、あたしは思う。興味のない相手には、そう冷たい態度で示せばいい。
好きになっても、報われないのだと、教える。
好きでもない異性には、笑いかけない方がいい。勘違いされては困る。好きでもない異性には、優しさを見せない方がいい。勘違いさせてはいけない。
そんな恋のあとから、冷たさを纏って、淡々と生きてきた。
必要最低限の人付き合いをし、ほどよく距離を置いて、適当に仕事をこなした。
仕事も適当に家の近くにある店で接客業を選んだ。無愛想で横暴な客の相手をやると、かなり疲れを感じる。8時間勤務を終えて、辞めようかと悩みながら、歩いて帰った。
冷たくする割りには、人並みに魅了したい願望……まぁ、つまりはモテたい願望があって、お洒落はする。お洒落がしたいというのもあるけれど、身形を気にしているから、ただの通勤時も気にした。
靴はなるべく新しいもの。お洒落なものを履くように心掛けた。小柄で背が低いことがコンプレックスなので、ヒールあり。
徒歩通勤だから、あまり高いヒールを履いてられない。太めの5センチほどの高さのブーティは、ベージュ色。
常になにかを羽織っていたい質で、夏間近でもUVカット素材のジャケットを着ている。ドレープを取り入れたグレージュ色。身体のラインが出るフィットする白いカットソーのシャツと、黒のズボンを穿いている。
着飾ったところで、冷たさを纏うあたしに、ナンパは滅多にないし、すれ違うだけで惚れられることもない。恋なんて、最近は二次元相手ばかりだ。
公園の中に入って、カツカツとウォーキングコースを歩いていく。ツツジの庭園を過ぎれば、遊具が並ぶスペースに出る。
桜の木が並んでいるから、太陽は出ている間は木陰が出来ているところだ。涼しいし、日傘は畳む。
昔は全てが大きく思えたけれど、今はシーソーも滑り台も小さく見えた。
不意に、目の前を黒揚羽蝶が横切ったから、足を止める。黒いものには、妙なほど惹かれてしまう。
漆黒の揚羽蝶は、蝶の中で一番魅力的に思えた。頭上を過ぎる蝙蝠も。
遊具の上を飛んでいく黒揚羽蝶を目で追いかけていたけれど、やけに薄暗いことに気付く。
今は夕方だけれど、暗くなるには早すぎる。
曇りになってしまったのかと、空を見上げるけれど、雲があるには思えなかった。
不気味。薄暗い夕方の公園には、あたししかいない。黒揚羽蝶も、いつの間にか消えてしまった。
その時だ。
なにかにぶつかられて、あたしは転んだ。何事かとすぐに顔を上げると、黒がいた。
まるで黒い影が、浮き上がったみたい。黒い虫の塊が、人の形を保っているようだ。または、肌も目も真っ黒な人。
口らしきものを大きく開けても、黒い。
目の前の黒い”ソレ”が、なにかはわからず、ただ固まっていると。
左手が、黒い”ソレ”を貫いた。
忽ち、”ソレ”は黒い煙が散るように粉砕する。綺麗な左手に黒い煙が纏っていたけれど、振り払われた。それが、跡形もなく消える。
”ソレ”の代わりに、あたしの目の前には、魅惑的な青年が立っていた。
ブロンドがさらりと揺れる。色白の肌で、瞳はペリドット。白いシャツと、洒落た深緑のベスト。
左手を下ろす彼から、目が放せないでいた。
海外の映画に出演する美しい容姿の男優のよう。欠点が見付からない肌は、なめらかそうで、シャツの隙間から見える首元とくっきりした鎖骨はまた美しい。
なにより、ブロンドの間から見える見慣れないペリドットの瞳。
黒揚羽蝶よりも、惹き付けられる。
彼はあたしを見定めるように、その瞳を細めて、僅かに首を傾けた。その拍子に、ブロンドがさらりと落ちる。
あたしが1度瞬いた瞬間、彼の姿が消えた。さっきの黒揚羽蝶のように、見失う。
立ち上がって周りを見たけれど、やはりいない。夢でも見ていたのかと、頭を押さえる。もしや、疲れすぎて幻覚を見たのだろうか。
薄暗さは消えて、公園に植えられた桜の木の葉の隙間から、まだ明るい水色の空があった。
ボケッと見上げてしまったけれど、汚れてしまったズボンを叩いて砂を落とし、カツカツとウォーキングコースを歩いて帰る。
アパートの2階で一人暮らしをしている部屋は、静まり返っていて、味気ない。でも、煩わしさはない。
家族なんて、煩わしさが付き物。どこの家族だって大なり小なり、煩わしい問題がある。あたしは煩わしさから逃げて、一人暮らしを始めた。
ジャケットを脱ぎ、ハンガーで壁にかける。廊下を歩きながら、カットソーのシャツを脱いで、ソファーに投げ捨てた。ブラジャーを外そうとして、止まる。
白いレースのカーテンの向こうから、視線を感じた気がしたけれど、ベランダからはなにも見えない。
本当に疲れているのだろうか。
ズボンを脱いで、ソファーに投げ捨てて、目頭を押さえながら浴室に向かう。
お風呂に浸かって、疲れを癒そうとした。
目を閉じると、鮮明にあの青年を思い出せる。ブロンドと、ペリドットの瞳。
それに、黒いもの。
幻覚じゃないなら、なんだったんだろう。
首まで温かいそれに浸かりながら考えたけれど、わかるわけがなかった。
家にいる時は大抵、ベビードールとカーディガンを着ているだけ。暑い日は特にそう。
食事を軽く終えたあと、ソファーに寝そべって、お酒を飲みながら、タブレットを操作して映画を観る。
なんとなく、幾度も観たヴァンパイアのラブストーリーを選んだ。
多分、きっと、魅惑的なヴァンパイア役の俳優が、彼に似ているからだろうか。色白と、麗しい顔立ち。魅惑的な瞳。
映画より、彼を思い浮かべながら、お酒を飲んだ。酔いに浸って、数時間後。
二日酔いにならないように、水を飲んでから、寝室のベッドで眠りに落ちた。
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