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永遠の愛の囁き
しおりを挟むきっと、あたしは死ぬ運命だった。
ヴァンパイアに救われた奇跡が起きて、死が先伸ばしになった。
ヴァンパイアとの甘い日々は、あたしの最後の幸福だった。
もう、奇跡は起きないだろう。
蠢く闇の塊のようなグールは、3体はいた。シーソーの上、緑の葉を垂らす桜の木の元、砂場の上に着地。
口であろう穴を大きく開くグールは、雄叫びのようなものを上げるけれど、くぐもったようによく聞こえない。まるで壁の向こう側から声を上げているようだ。
でも、モンスターとあたしの間には、見えない壁なんてない。現に、あたしの腹は裂かれた。
不思議だ。
身体から血が奪われ、冷たさを感じる。ネリオラに吸われた時は、熱さを感じたのに。
ネリオラは血の代わりに、あたしに熱を与えていたみたい。
あたたかい、愛。
あなたの全てが欲しい。
ネリオラの言葉が、視界を歪ませた。出血で、視界が霞む。
グールに食い殺されるのが先か。出血死が先か。
どちらでも、構わない。
ただ、死を迎えるこの時、ネリオラの名を呼びたかった。唇は動かない。だから、氷の中の心で、彼を何度も呼んだ。
命が尽きる、その時まで――。
グールが飛び掛かったのかと思った。
でも目の前に、別の黒い塊が現れる。霧が集まるように、みるみるうちに大きくなったそれが、弾けた。
黒い揚羽蝶の大群のようにも見える。でも、見間違いかも。羽は鋭く、素早く広がって飛ぶそれは、蝙蝠だったかもしれない。
その中心に、彼がいた。後ろ姿だったけれど、ブロンドと深緑のベスト。間違いない。ネリオラだ。
「――――私のものだ」
グールに向けられたであろうネリオラの声は、すごく低く鋭利で、初めて聞いた。
またあたしを助けに来てくれた?
まだあたしを、求めてくれるの?
ネリオラに振り向いてほしくて、手を伸ばそうとした。でも、彼には届かない。地面に力なく落ちる。
蝙蝠が蠢き、グールに向かうけれど、あたしの耳にはもうなにも聞こえなくなった。
薄暗い公園に、蝙蝠が飛び交い、黒が激しく飛び散る。彼の背中を見つめながら、意識は黒に呑まれた。
――――目を開くと、ペリドット。
瞼は重く、視線も定まらない。でも見つめていたくって、目を開く努力をした。
オリーブグリーンの色。あたしを惹き付ける瞳。ネリオラが、あたしを優しく見つめている。
「……申し訳ありません。私の匂いが染み付いてしまったせいで、あなたは狙われてしまったのです」
視線が定まると、ネリオラがあたしの頬を撫でてそっと優しく言った。
生きているんだ。
それを自覚して、あたしは腹部に手を当てた。痛い。
「大怪我したのですから、動かない方がいいです」
ネリオラに従い、あたしは起き上がることを諦めた。
あたしは、ソファーに横たわっているみたい。でもあたしの家ではなかった。赤いクッションのソファー。へこんだ天井は高く、三角屋根を連想をさせる。色はブラウンだ。恐らくここは、ネリオラの住んでいる館。
「こんなことにならないように、この館に住むことを提案しようとした矢先……あなたが子どものようなことをするのがいけないのですよ?」
床に座っているネリオラは、あたしにも非があると意地悪なことを言って微笑んだ。
同居を、考えていた?
「……あなた……バカなの?」
言葉を発するのはしんどかったけれど、ぽろっと思ったことを掠れた声が伝えた。
「おやおや。命の恩人をバカ呼ばわりですか?」
ネリオラは、おかしそうに笑う。
「まだ信じられないのですか? 絵子さん。この私の想いを」
涙が込み上げてきて、視界が揺らいだ。ネリオラには、見られたくないから、精一杯堪えた。
「私は、あなたが好きです。絵子さん。冷徹の瞳に、見つめてほしいと願うのです。絵子さんには、愚かなヴァンパイアに見えてしまうのですか? こんなヴァンパイアなど……嫌いですか?」
あたしの右手を握り締めて、ネリオラが静かに問いかける。
「人間を……好いて、どうするのよ。永遠に生きるヴァンパイアでしょ」
どんなに好いていても、あたしはすぐに老いて死ぬ。ヴァンパイアは、いつまでも生きる。
数年だけ、関係を保っても、別れることになるんだ。求めないでほしい。
「終わりの心配をして、悲しんでいるのですか? だから、私を避けるのですね。全く、可愛らしい人だ」
ふっ、と笑うと、ネリオラは緩ませた唇を、私の耳に近付けた。
「……私を信じて。あなたと、永遠に生きたいと思っているのです」
一緒に、永遠に、生きたい。
一時の関係ではない。
ペリドットの瞳を見つめて、告げられた意味を考えようとした。
でも、ネリオラが捨てるつもりがないと言ってくれたから、涙が溢れそうになり、瞼を閉じる。
ギュ、とネリオラの手を握り返す。そのあたしの手に、1つ、キスされた。
「考えたのです。あなたの心に氷の壁があるならば、とかしてしまおう……って」
ネリオラの指先が、髪を撫でる。
「届くように、何度でも愛を囁きましょう」
目を開けば、美しい顔が、触れてしまいそうなほどの近く。ペリドットの瞳が、あたしを見つめていた。
「愛しております、絵子さん」
胸の奥が、燃え上がるように熱くなる。
堪えていたのに、涙は溢れ落ちてしまった。頬を伝うそれを、ネリオラの指が拭う。
「ほら……氷がとけ始めました」
そう言って、微笑んだ。
次から次へと、涙が落ちる。袖で拭って隠そうとしたけれど、ネリオラが手首を掴んで退かした。
「絵子さん」
ネリオラが額を重ねて、熱く見つめる。熱を増すかのように。
キスの許可を待っている。
あたしは同じ言葉を返そうとしたけれど、泣いてしまっているから、上手く言えそうにもない。
だから、あたしから、キスをした。
解放された両手で、ネリオラを包み込んで抱き締める。
とろけるようなフレンチキス。
ネリオラの愛の返事のつもりだったけれど。
だめだ。溺れてはいけないと、自分を止めようとした。
「心から、愛しております」
ネリオラが熱い愛を囁いて、冷たさを奪い去っていく。
このヴァンパイアが、どうしようもなく、あたしを虜にしてしまう。
このヴァンパイアに、身を任せてもいいのだと、自分に言い聞かせた。
彼のブロンドに指を滑らせて握り締めて、吐息を吐く。とろとろにするキスは、止めさせて、見つめ合う。
「愛してるわ……ネリオラ」
このヴァンパイアを、愛してもいい。
愛したい。
とけていく氷の中の心で、強く願い、そして決意した。
「知っていますよ、絵子さん」
お見通しだと、ネリオラは微笑んだ。本当に意地悪なヴァンパイア。
そんなヴァンパイアを愛している。少しサドで、気品がある紳士で、見目麗しい魅惑的なこの人を、愛している。
また、唇を重ねた。唇の柔らかさを味わうような、フレンチキス。
「絵子さん」
その合間に、ネリオラが口を開く。
「今日はお休みですよね? 私はずっと……1日中あなたを抱きたいと思っていたのです」
ちゅ。と唇が離れる。
ネリオラが休日を一緒にいなかった理由を言うから、あたしは目を瞬く。
「お預けされた分……夜まで、あなたにどんなに愛しているかを囁いて、抱かせていただきます。いいですよね?」
ちゅう。と吸い付くように押し付けられた唇が離される。
ネリオラは、にっこりと微笑んであたしの答えを待つ。
い、1日中は……ちょっと。
「あっ……でも……あたし、怪我、してるし」
そう、怪我人だ。内臓が出てしまうくらいの大怪我をした。断る理由がそれしか思い付かなかったけれど、十分のはず。
「おや? 話しませんでしたか? ヴァンパイアの血は、治癒力があるのですよ」
ソファーに横たわったままのあたしを、ネリオラは軽々と起き上がらせた。
自分を見ると、ネリオラのものであろうYシャツを着ていて、ズボンは穿いていない。Yシャツを捲ると、痛みがほんの少し残る腹部には、なにもなかった。
「血を飲むために、噛んだ傷も、私の血で治したのですよ」
「あっ! だから痕がないのねっ」
2回目もネリオラの噛み痕がなかったことを思い出す。気に止めないほど盲目に恋していたあたしは、やはりバカだ。
だから、あたしは今生きている。
「人間にはそれなりに負担がかかりますが、僅かに痛みが残る程度です。さぁ、怪我もありませんよ?」
「……あなた、わざと言わないで、話をしたんでしょ」
「はて……なんのことやら」
怪我を治したことを言わなかったのは、わざとだ。あたしが話を聞かずに家に帰らないため。
ネリオラは笑ったまま首を傾げると、ソファーに座るあたしに身体を密着させた。
「絵子さんの全てが欲しいと、言ったはずですよ? 血も、身体も、心も……」
ペリドットの瞳を細めて、魅惑的に囁きながら、顔を近付ける。
「……あなたって、本当にあたしを誘惑するのが上手」
クス、とネリオラは笑った。
「いいえ、あなたの方が、私を誘惑するのがお上手ですよ。花が蝶を虜にしたように、私を魅了したのですから」
あたしと唇を重ねる。
濃厚なキスをしながら、ネリオラはあたしの着ているYシャツのボタンを外した。
「絵子さん。どうしてほしいのか……言ってください?」
ほくそえんで、ネリオラはまた意地悪なことを問う。
愛していることも、抱いてほしいことも、お見通しのくせに。
あたしだって、会っていなかった分、ネリオラが欲しい。
「……愛してるわ……ネリー」
時折呼ぶ名で、ネリオラを呼んで、吐息まじりに囁く。
背中に回した腕で、引き寄せて、答えた。
「愛して、ネリー」
とろけるように熱く、あたしを抱いて、愛してほしい。
「永久に……あなたを愛します」
ネリオラは、そう囁き返す。
熱が冷めないように、何度でも何度でも、愛を囁かれた。
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