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01 転生者と聖女になる森。

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 私、ルーベネ・ディツィは転生者だ。
 それを他者に言ったことはない。自慢するほどの前世ではなかったからだ。
 地球の親が欠けた環境に生まれて、不満なままでも言わずに育ち、社会に出てもその癖は染みつき、弱音を吐けないまま過労死した。
 だから、両親が揃っているだけで、今世はなんて幸福なのだと思ったものだ。
 世界がチカチカと輝いて見えたほど。赤子だったけれど、それを鮮明に覚えている。
 両親が揃っているだけではなく、愛し合っていて、喧嘩する姿も見せない。
 何より、子どもである私に愛情を注いでくれた。
 幸せだった。とても。とてつもなく。幸せだったのだ。
 それが壊れてしまい、私はーーーー。
 ーーーー何もかもどうでもよくなった。
 投げやりな気持ちで足を踏み入れたのは、夜も更けた森の中。
 数年前までは、観光の地としても有名だった。
 昔からその森をくぐった者は、聖女になる。そんな言い伝えがある森だった。
 年中咲き誇る薔薇に似た白い花で出来たアーチは、見えない壁があるかのように進めない。
 だからといって、アーチを無視して森に入ろうとするならば、入れることは入れるが不思議なことに引き返したように出てきてしまう。
 奇怪な魔法の森。
 それが私の生まれ育った街のすぐそばにある。
 ロゼッタ国の中心にある都の隣に位置する街ダリヤ。宝石の街とも呼ばれていて、父は採掘場で汗を流して仕事をしていた。母と私は昼なれば、バスケットの中に食事を入れて会いに行っていたのだ。そんな日々は突如、終わった。
 崩落事故に、父が巻き込まれてしまったのだ。父は遺体で発見された。
 母は悲しみに押し潰されてしまったかのように、体調を崩してそのまま息を引き取った。
 十三歳の私に、謝罪を残して……。
 父を亡くし、母まで亡くした。
 両親の家族はすでに他界していて、私の引き取り手はいない。
 教会で面倒を見ると言ってくれた神父さん達に、言葉を向けることも出来ず、私は空っぽになってしまった家で時間を潰した。考えるふりをして。やがて陽が暮れたあとに、私は森に来た。
 ダリヤの街の大半の女性なら、アーチをくぐれるか挑戦するが、私は試したことがない。
 ただ友だちがやっているところを見て笑っているだけだった。
 今ではもう挑戦者はいなくなり、近寄る人すら見なくなった森。通称、聖女の森。
 なのに、何故だろう。ここに来てしまった。
 白い薔薇に似た花のアーチは、暗くてよく見えない。
 そんなアーチをくぐった。
 どうせ壁に阻まれて、進めないと思っていたのに、暗い夜の森を進む。
 草や落ち葉を踏みつけるカサカサという音が、嫌に響く。
 ふと、足を止めた。夜の暗さに慣れた目でも、先は真っ暗で見えやしない。
 なんとなく振り返ったが、そこにも何もなかった。
 街の明かりさえも、届かないほど、奥に進んでしまったらしい。
 それでも引き返すという選択をする気力はなく、私はこのまま進んでしまおうと足を一歩踏み出した。
 何かを突き破る感触を覚える。ふわっと身体が突き抜けた瞬間、リーンと軽く静かな音を耳にした。鈴の音だろうか。
 音の出所を探した私の目の前に、いきなり生き物が現れた。
 上から浮遊してゆっくり落下していくのは、神秘的な光を纏うーーーー小さな龍のようだ。
 琥珀の瞳で、こちらを見ていた。
 そのまま力が抜かれるかのように、私の身体が崩れ落ちる。
 夜の暗闇の中に、意識ごと落ちていった。



 眩しいくらいの白を感じて、私は目を開く。
 その目に映るのは、美しい世界だった。
 目の前がチカチカと輝いて見えてしまうほど。
 真っ白な光景が広がっている。
 雪が降り積もったかのようで、違う。
 木々も木の葉も草や花まで、純白だ。蝶の群れも白だ。
 透き通った清らかな池には、宝石らしき石が沈んでいて輝いていた。
 まるで、天国。転生者なのに天国なんて見たことないけれど、そう思った。
 お父さんやお母さんがいるのかな。なんて淡い期待を持って左右を見回す。
 ここが天国ではないことはわかっていたし、もちろん両親だって……。
 私は、ボロボロと涙を流してしまった。お母さんが倒れてから、我慢していた涙が溢れてしまったのだ。
 まだこの光景を美しいと見惚れる生きる気力があることに泣いた。
 お父さんとお母さんがいなくなってしまったことに泣いた。
 苦しく詰まる喉で呼吸をして、生きていることに泣いた。

「ほら、どーん!」
「!?」

 声を上げて大泣きした私を、誰かが突き飛ばしたものだから、池の方に身体が乗り出して、そして。
 どぼーんっと落ちてしまった。
 透き通った水は予想以上に冷たくて、私はすぐに飛び上がる。

「何!? 誰!?」

 怒って誰の仕業か振り返りながらも、冷たい池を這い出た。
 視線の先にいたのは、気を失う前に目にした暗闇で光る小さな龍だ。
 これもまた全体的に白くて、瞳は琥珀を嵌め込んだようなもの。
 他に生き物はいないようだから、この浮遊した小さな龍の仕業だろう。
 私は池の水を掌で掬って、投げ付けた。
 にゅるっとうねって、その水を避けてしまう。

「なんじゃ。とても元気ではないか」

 その声は、少年のようだ。

「冷たいっ……寒いっ……」

 今はまだ春じゃないから、凍えてしまいそう。
 ガクガクと震えながら、なるべく乾かそうと、ワンピースの裾を掴み上げて絞る。

「手のかかる人の子じゃのう」

 すいっと飛んできた小さな龍が私を包むように回ると、ポカポカしてきた。
 しゅわーっと湯気が立って、私は次第に乾く。人間乾燥機、という感想を抱く。
 確かこの世界でも、幻獣である龍でも魔法が使える種類はそういないはず。
 魔法が使える希少な種類の龍ということ。
 じっと琥珀の瞳を見つめ返したあと、視界の隅に入る白に気が逸れる。
 摘まんでみれば、それは私の髪の毛だった。
 今世は両親とお揃いの金髪だったのに、摘まんだ髪の毛はうっすら水色に見える白銀のようだ。
 慌てて、自分の髪をがしっと掴んで確認したが、全部が真っ白になってしまったもよう。
 うるうると瞳を濡らしたあと、涙を溢れさせて私はまた泣いた。

「なんでお母さんとお父さんと同じ髪色じゃないのっ!? うわあああっ!」
「なんじゃ! また泣きおって……もう一回池に落とすか」
「もういいよ!!」

 また冷たい池に落とされないように、と小さな龍を捕まえておく。

「なんで落とすの!?」
「んーわしは人の子のあやし方を知らんからな。とりあえず落とせば泣き止むと思った」

 ケロッと白状するから、首を両手で掴んだ私は仕返しに思いっきり振った。

「これこれ! やめないか! それでも聖女か? お主よ!」
「え? 聖女?」

 目論み通りに目を回した小さな龍は、聖女と口にする。

「そうじゃ。お主は聖女として選ばれた。だから聖女の姿となったのだ」
「聖女の姿……? なんで私が」
「聖女になるべくして聖女になったのだ」

 小さな龍は、それだけを告げる。
 この髪色は、聖女のものなのか。
 聖女の姿。
 悪い予感がして、私は池を覗き込んだ。しかし、透き通った水面では鏡の代わりにならない。

「私、他に何が変わったの!?」
「そうじゃのう。睫毛は雪が降ったように白く、瞳はペリドットの宝石のように淡いグリーン色じゃ」

 睫毛は黒かったし、目の色は濃いグリーンだった。
 母とお揃いの色だったのに、それも変わってしまい、また涙を流す。
 ボロボロと池に落ちていく。

「何故泣くのじゃ? 美しいぞ」
「両親と同じで自慢だったのに! それを勝手に変えられて悲しいの!」

 わかっていない小さな龍に、尖った声を向ける。

「そうか、悲しいのか。しかし、人の子の慰め方をわしは知らん。……池に落としても」
「よくない!! 池に落としたいだけじゃないの!?」

 言いかけた言葉を遮って断固拒否をした。
 なんて龍だ!

「妖精には受けがいいのだがな」
「妖精……?」
「見たことがないのか? そこら中にいるぞ」

 妖精なんて見たことがない。
 そう思っていたけれど、小さな龍の言葉に反応して周囲を見れば、それを目にした。
 光りの玉が浮いていると思えば、その中に妖精がいたのだ。
 あちらこちらに、虹色に艶めく羽をつけた手足が細長く、つぶらな瞳を持った妖精。

「わぁ……」

 また美しいと心を奪われた。
 クスクスと笑う小さな声が周囲から聞こえる。
 それは歌うように軽やかで、楽し気だ。
 絹のような光沢ある衣服を身に纏った美しい妖精達は、踊るように私を中心に回る。

「歓迎をするぞ。聖女。おや、名前を問い忘れていた。名はなんと言うんじゃ? 親にもらった名前だけは変えやしないぞ。教えてくれ」
「……そうね。ルーベネ。私はルーベネ・ディツィ」

 もらった名前だけは変えられない。安心して名乗っておく。
 そして自慢げに、大事に、教えた。
 両親が考えてくれた名前。

「聖女ルーベネか。いい名をもらったな。よろしく、ルーベネ。わしはこの聖女を迎える森の番人といったところかのう。夜遅くに来たものだから、迎えに行くのが少し遅れてしまったわい。なんでまた夜遅くに来たのだ?」

 小さな龍は自分が森の番人であることを告げたが、名前の方は名乗らなかった。
 質問に私は俯いた。

「わからない……なんとなく、ここに来てしまった」

 ぽつり、と呟く。

「両親が死んだ……どこに行けばいいか、わからないと思っていたら、何故か森の前にいた」
「ふむ、それは本能ではないか?」
「本能? ……そう」

 今一つピンとこないけれど、本能で来てしまったことにしておこう。

「わしが教えてやろうかのう? 聖女ルーベネ。どこで何をするべきなのか」
「……」
「聖女を迎えるための森の番人の使命もなくなって、わしは他にやることがないのだ。お主のそばにいて指南してやろうっと思ってな。どうじゃ? 悪い話ではない」

 小さな龍は、そう言って、にこりと笑いかける。

「いいけれど……」
「決まりじゃな! わしも外に行くのはワクワクじゃ!!」
「自分が外に行く口実が欲しかっただけ?」

 興奮してうなぎのぼりのように浮上する小さな龍を見上げて、私は仕方ないと立ち上がった。

「あなたの名前は? 聞いていないのだけれど」
「ん? わしか? フェニーと言う。そう呼んでくれて構わない」
「そう、フェニーね。よろしく、フェニー」

 手を差し出せば、前足というのか、右手を出して握手をしてくれる。
 それが、私が聖女になったきっかけだった。


 
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