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02 夢の放浪者。
しおりを挟む気付けば、そこは霧が漂う草原にいた。
後ろを振り返れば、大きな滝があって、虹を生み出している。
幻想的な光景。ここが異世界だろうか。でも、これは夢だと思った。
何故なら、あんなに大きな滝の音が、まるで聞こえてこないからだ。
空は薄灰色の雲に覆われているように見えない。崖の下を覗き込もうとしたら、その声がかけられた。
「あなたは誰ですか?」
男性の声。草原の方を向けば、いつの間にか男性が立っていた。
白金色の髪を一つに束ねて、肩から垂らしているそれはくるりとカールしている。神様、いやお父様にも引けを取らない美しい男性だ。瞳は、サファイアブルー。西洋風の顔立ちだ。
身なりは、貴族って感じ。深緑のベスト。白いズボン。スカーフを首に巻いている。品があって、綺麗だって印象を抱いた。
「あなたこそ、誰?」
私は強気な口調で質問を返す。
見知らぬ男性に、名乗る義理はないと思ったからだ。
「ここは私の夢の中ですよ」
見知らぬ男性は、咎めるような口調で言い返した。
「あなたの夢?」
何を言っているのだろうか。意味がわからない。
私の夢でしょう。
男性は、ため息を吐いた。それから草原に座り込んでいる私に手を翳す。
「夢の放浪者ですか……」
「夢の?」
「昏睡状態が続いている者が、時に夢の中を彷徨うのです。他人の夢に、不法侵入してしまうのですよ」
最後は非難するように、男性は告げた。
「昏睡状態……私が、昏睡状態ってこと?」
「ええ、そうですよ。……しかし、不思議ですね。普通、自分より魔力の量が多い相手の夢の中には入れない……あなたはどうして私の夢に入ってこれたのでしょうか?」
昏睡状態。それについて理解出来ていない私を見下ろして、男性は顎に手を当てると首を傾げた。
「なんで私が昏睡状態なの?」
「知りませんよ」
男性は冷たく返す。私が自分の夢に入ってきた理由について、考えたいらしい。
おかしいな。私は異世界に生まれ変わったはず。
私も私で考え込んでいれば、赤いものが視界に入る。
それは髪の毛だ。ルビーレッドの輝きの長い髪。
それで私は確信した。間違いなく、私は異世界にいる。
でもなんで、昏睡状態?
「……ここ、どこの場所の夢?」
「ここは、イーシュタルの滝の丘ですよ」
男性が答えてくれた。
知らない名前だ。聞き覚えもない。
「そう……綺麗ね」
「……」
大きな滝の飛沫で出来る虹はうっすらだけれど、それでも十分に美しい。
「ここはいつも霧が漂っているの?」
「ええ。時折、射し込む太陽の光で虹が見える、そんな場所です」
「夢に見るくらい好きなのね」
「……そうですね」
肯定した男性は、私の隣に腰を下ろした。
お互い視線は、虹に向ける。
「あなたの夢に邪魔をして、ごめんなさいね」
「もういいですよ。初めての客人なので、もてなしは期待しないでください」
「ええ。ところで、目覚めるコツはないの?」
「ありませんね」
「そう……早く出て行く努力はするわ」
「ゆっくりしていてもいいですよ、どうせ話し相手がいませんからね」
彼の横顔を見てみた。横顔も美しい人だ。
「あなたは……夢をコントロールしているように思えるけれど、そうなの?」
「ええ、私の能力の一つです。夢を操ります。他人の夢も操れますし、出入りも可能です」
異世界には、そんな能力を持つ人もいるのか。
クスクスと笑っている男性は、やがて私に視線を寄越す。
「よければ、私が起こす手伝いをしましょうか?」
「出来るの?」
「強制的に起こすことも可能です」
「じゃあ、お願い」
「その前に自己紹介しておきましょう。二度と会うことはないと思いますが」
きっと彼とは、もう会うことないのだろう。
夢の中でも、現実でも。
「私は、あいな」
「アイナ、ですね。私は、ルヴィンスです」
「ルヴィンス」
「ふふ……名前を呼ばれるのも、久しぶりですね」
サファイアの瞳を細めたルヴィンス。
「ではさようなら、アイナ」
「ええ、さようなら。ルヴィンス」
そっとルヴィンスの指先が、額に触れた。
◆◇◆
呼ぶ声がする。聞き覚えのある声。
これは……神様夫婦?
「ん……んぅ」
目を開けば、少々頭が痛い。
ゆっくりと周りに目を向ける。どうやらベッドに眠っているようだ。
『アイナ! アイナ! アイナってば!』
「は、い」
『アイナ!? 起きたのかい!?』
とても眠い。でもなんとか意識を繋ぎとめて、神様ことお父様と話をする。
お父様の声は、頭に響いているようだ。ちょっと声量を下げてほしい。
『よかった。このまま起きないのかと』
「私……どうして昏睡状態に?」
『覚えていないのかい?』
か細い声を出す。
このままベッドに横たわっていては、再び眠ってしまいそうだから起き上がろうとした。でも身体が動かない。何故なら、拘束されていたからだ。
手枷と足枷。重くて動かせない。
「なんで、こんなことに」
『覚えていないんだね。君はエンダーテイルって国の最果てに、降り立った。ちょうど村でね、君を神だと崇めていたよ。その村人達はよかったんだけれどね』
「あ、ちょっ、思い出してきた……」
そうだ。私は異世界に降臨した。
村人は、私を神だと信じて崇めてくれ、数日お世話してもらったのだ。
洪水を起こしそうな大雨が止んだのは、私のおかげだと思ったらしい。
実際、私の降臨のために止ませたというので、私のおかげと言える。
『ちょっと大きな街の権力者が来て、アイナをもてなしたいと連れて行った』
「あー……最初は普通にもてなされた。けれど、出て行こうとしたら……」
『強制的に眠らされた』
そうだった。そろそろ旅に出ようとしたら、魔法か何かで眠らされたのだ。
街の権力者は、蛇のような男だった。ひょろっとしていて、いい人には思えないという印象。印象を裏切らない人間だったようだ。
「私、何されたの?」
『大丈夫、変なことはされていないわ! 私の娘にいかがわしいことをしようものなら、その場で地獄に落としてやる!』
女神様ことお母様の声も、頭に響いてきた。それは幸いだ。
『でも魔力を奪われていたよ』
「魔力?」
『ああ、君の魔力は神聖なものだからね。人間のものより質がいいんだ。権力者の男は、君の魔力を売って金儲けをしているよ。神の魔力だって、謳ってね』
「あー厳密には何日眠っていたのですか? 私」
狙いは、神聖な魔力か。
とりあえず、あれから何日経ったのか、教えてほしい。
『……三十三日』
「……はっ?」
『今日で三十三日目だよ』
もう一度、はっ? と言いそうになった。でも神様相手に失礼だと判断したから、それは飲み込んだ。
「……どうして、私生きているの?」
『神の化身だから、という理由とね。もう一つ、魔法で栄養を送っていたからだよ。地球でいう点滴の代わりだね』
「なるほど……」
そうして、私は監禁生活を送っていたのか。
夢の放浪者にもなる。一ヶ月以上、眠っていたのだから。
状況を把握して、私は次に重たいため息を吐いた。
『ごめんね、アイナ。僕達は、助けることは出来ないんだ』
「わかっています、お父様」
助けることが出来れば、最初からやっているだろう。
『でも偶然目覚められてよかったわ!』
「偶然? いや……」
偶然、目覚めたわけではない。起こしてもらったのだ。
夢の中で出会ったルヴィンスという美しい男性に。
もう会えそうにないけれど、会えたらお礼を言わなくちゃいけない。
いつか、見つけ出そうか。そう決めた。
「魔力を取られているそうですが、この枷を壊す力は残っていますか?」
『幸い今日はまだ魔力を取られていないよ。壊す力は十分ある』
「それはよかった。魔法の使い方を教えてください」
『あら。言ってなかったかしら。魔力を込めて、イメージするだけでいいのよ』
「そんな簡単でいいのですか?」
『アイナは特別。なんて言っても、僕達の化身だからね』
私だけは、イメージするだけで魔法が使えるようだ。
他の人達は詠唱が必要とか、そうことなのだろうか。
まぁいい。簡単なら、好都合だ。
『イメージが難しいなら、言葉にしてみたらどうかしら?』
女神様が助言をくれる。
「そうですね……では、朽ちろ」
手首と足首を拘束する枷に集中して、そう言えば、想像通り。
枷は、枯れた花のように朽ちた。
初めての魔法が、物を朽ちさせるものなんて、少々夢がない。
でも異世界に来て早々に監禁されている時点で、ぶち壊しだ。
とりあえず、起き上がって、ベッドを降りた。栄養を与えられていても、やっぱり一ヶ月も寝たきりでは、筋肉も衰えている。立つことが出来ず、私はベッドに座り込む。
『回復の魔法を使えばいい』
今度は神様が助言してくれた。
ああ、違う。お母様とお父様だ。
「……回復」
自分の胸に手を当てて、そう唱えれば光が溢れた。それはキラキラと金のきらめきが散りばめられていて、美しい。
ぐったりしていた身体が、軽くなった。効果はあったみたい。
立ち上がろうとしたら、部屋の扉が開かれた。
メイド服を着た女性だ。
起き上がっている私を見て、女性は驚きのあまり持っていた衣類を落とす。でも悲鳴は堪えたようだ。すぐに扉を閉じたと思えば、私に駆け寄った。
「化身様っ! お目覚めになられたのですね!」
私の目の前で膝をついた彼女は、一体誰だろう。
『あなたを世話していた使用人の一人よ』
教えてくれたのは、お母様。
「申し訳ございません……化身様を救う方法がなく、身の回りのお世話しか出来なかった私達をお許しくださいっ」
『彼女達は、アイナをどうか助けてくださいって何度も僕達に祈っていたよ。けれども雇い主に逆らえなくて、アイナを見捨てることも出来ず、ずっと世話をしていた』
メイド服の女性が震えながら謝罪をしたあと、お父様も教えてくれた。
「では許しましょう」
メイドさんの祈るために重ねた手に、触れながら微笑んで見せる。
「悪者は、一体誰?」
それは、きっとニヒルな笑みに見えただろう。
「あ……アドロン……ネーク男爵、でございますっ」
少々青ざめた顔で私を見上げる女性から、聞いた名前。
それは確かに私が気を失う前に、私をもてなしていた蛇のような男の名前だ。男爵だったのか。言っていたような気も、しなくもない。
「そう。他に悪者は?」
「あっ、あとっ……ネーク男爵が雇っている、魔法傭兵ですっ」
「魔法傭兵?」
『魔法が使える傭兵だよ。アイナがいる建物の警備をしている』
「私はその魔法傭兵に勝てますか?」
『もちろんよ! 私達の化身なのよ?』
お父様とお母様と話をしていれば、メイドさんが一層青ざめる。
「ああ、神シヴァール様と女神フレーア様とお話しているだけよ、気にしないで」
私は気休めになるかわからないけれど、そう微笑んで見せた。
「ああっ! 神様、女神様、化身様っ!!」
メイドさんは、頭を伏せる。
『アイナ。念じれば、僕達と会話出来るから声に出さなくてもいいんだよ』
『それを早く言ってほしかったです』
アイナは念思で会話をすることを学んだ!
「顔を上げて」
そっと、メイドさんの顔を掬うように上げさせた。
「今すぐ、私の味方の人達をこの屋敷から避難させて。ここはーーーー燃やすわ」
にこっと、私はそう告げる。
「行って」
「あ、ああっ、はいっ!」
促せば、跳ねるように立ち上がって、メイドさんは部屋を飛び出した。
手始めに、この忌々しいベッドから焼いてしまおう。
私を一月も捕らえていたベッド。
「燃えろ」
天蓋から垂れる布に触れて、そう唱えれば、火がついた。
赤に燃える。すぐに燃えた布は落ちて、火は広がっていく。
「さて。お父様、お母様?」
『なんだい、我が子よ』
『なぁに?』
なんだか二人の声が楽しげに聞こえる。
「私を捕らえたネーク男爵は、いずこ?」
『それなら……その部屋を出て、階段を上がって一階にあるダイニングルームで呑気に朝食をとっているところだよ』
『あ、今使用人達がこそこそ逃げ始めたところよ』
「そうですか。ありがとうございます」
燃え上がるベッドを残して、私が部屋を出ると、そこは地下の廊下だと知る。窓がない。石レンガ造りの廊下を、煙を頼りに歩く。灰色の煙は外を求めて、もくもくと移動している。そんな煙を道しるべにしなくても、ちゃんと階段を見付けた。
素足で階段を上がる。メイドさんが開けっ放しにしてくれたであろう扉を、突き飛ばすように開けた。
『今、避難が終わったわ。あ、男爵とかいう男が火事に気付いたわよ』
「ダイニングルームは……」
『そこを右だ』
廊下を右に移動していけば、その廊下の先で扉が開く。
あの男だ。蛇のような目付きとひょろっとした体躯。
彼は私を目視するなり、蒼白の顔になる。神の天罰が下ると悟ったような、そんな顔だ。
「ネーク男爵ー……」
「ひ、ひぃいいっ! 誰か! 誰かいないか!?」
私が笑みを含めて呼びながら歩めば、蛇男は長い廊下に情けない声を響かせた。
誰にも声が届かないとわかると、蛇男が震えながら跪く。
「神様っ、どうかお慈悲をっ!!」
「慈悲?」
「そうです! 神様なのですからっ、あ、ははっ!」
震えのあまりガチガチと歯を鳴らす蛇男に、私は目を細めて見下す。
「その神を閉じ込めて、魔力も自由も奪っておいて、慈悲を乞うのか?」
右手を振り上げて、蛇男に向かって振るう。
「ふぎゃ!?」
強風に襲われたかのように蛇男は飛び、廊下を無様に転がった。
「この私は、慈悲深い神なんかじゃない。自分らしく正直に堂々と自由に傍若無人に、至極最高に人生を楽しむために生まれ変わった! その私の自由を奪った罪は重いぞ!?」
もう一度手を振れば、また蛇男の身体が吹っ飛んで、廊下をゴロゴロと転がった。
自分の発言に、少し驚く。本当に性格に手を加えられたようだ。
以前の私なら、多少は慈悲をかけただろう。こんな風に、相手を傷付けない。そうしたくても、そうしないような人間だったのだ。
でも今の私には、我慢ならなかった。私は早速自由を奪われたのだ。この男の手によって。
『アイナ! 後ろから、眠り粉をかけようとしている傭兵がいる!』
お父様の声に反応して振り返れば、どっぷり太った男が、眠り粉らしき瓶を持って近付こうとしていた。
眠り粉。思い出した。私はそれを吹きかけられて、眠ってしまったのだ。
「ね、眠らせろ!!」
蛇男は懲りもなく、そう命じる。
眠り粉をかけられる前に、私は男のその手を掴み、自分にかけさせた。
「ふ、ふがっああぁ……」
奇声を漏らして、男は事切れたように倒れる。そして豪快ないびきを立てた。
邪魔。今からこの屋敷燃やすのだから、出てってくれ。
私はひょいっと掌を返すようにして、そのどっぷり太った男の身体を窓の外に放り投げた。大丈夫。窓は開けておいた。
「反省していないのなら、神々の慈悲は期待出来ないわよ」
「ひっ! 今のは、ちがっ!」
『もちろん! 慈悲はなしよ!』
『罰を下すといい!』
お母様とお父様の許可も得たけれど、初めからそのつもりだ。
「もう黙れ。耳障り」
パチン、と指を鳴らして、蛇男の口を閉ざす。
「……!? ……!?」
口が開かないと慌てふためく。
それどころじゃないでしょうに。
「さぁ、悪夢を見る時間よ」
私は不敵に笑って見せた。
指差し、私は悪夢を見ろと念じる。
蛇男も、事切れたかのように倒れた。
そんな蛇男も、ひょいっと窓から外に放り投げる。
「ーーーー燃えろっ!」
周囲を一瞥してから、私は勢いよく炎を生み出した。
揺れるルビーレッドの髪が、より綺麗に見えた瞬間だ。
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