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ヴァンパイア伯爵は婚約成立のキスを待つ。
しおりを挟む魔法で契ったそれを、破かれる。
「ルイビー! お前との婚約はここで破棄する!!」
王子であるデュアルト殿下に婚約破棄をされた。
予想が出来なかったほど馬鹿ではない。
ただ未来の王妃として教育を施してくれた皆さんに申し訳ない気持ちが押し寄せた。
特に両親だ。王子に、いや誰であっても、婚約破棄なんて不名誉。
ルビレッド子爵家に、泥を塗ってしまう形となった。
何がいけなかったのだろう。
このアホ……いやデュアルト殿下の頭の悪さを少しでも良くしようと、勉強を強いたせいか。
食わず嫌いすぎて野菜を食べないから、野菜ばかりを口に運んだせいか。
言動をいちいち横から指摘していたせいか。
それらを振り切って、いつの間にかすり寄っていた同じ子爵家の令嬢プリアさんといる時間を増やしていった。
私といる時間を全てプリアさんといる時間にすり替えてしまった時点で、予感はしていたのだ。
ウェーブした桃色の髪に包まれた小顔は夢を見ているような惚けた顔を保っていて、見ようによって可愛いのだろうが、私にとってはシャキッとしなさいと平手打ちをしたいくらいだ。
私は逆に真っ赤な色のストレートヘア。ややキリッとした目付きは黒い。真逆だ。きっと性格も。
そんなプリアさんも、この場にいるということは……。
「新たにこのオレと婚約するのは、このプリアだ!!」
やっぱりか。
ぽけーっとした眼差しで私を見ているプリアさん。
「……」
何も言わないのか。
謝罪でもすればいいのに。悪いとも思っていないらしい。
嘘でも悪いと言葉や態度にすべきだろう。
他人の婚約者を奪ったのだから。
そして、私が気になるのは……ーーこの場にもう一人いること。
この場とは、王都一の学園の正面入り口。噴水広場。
柱がずらりと並んだ道を行き交う生徒達がいて、婚約破棄の現場を遠巻きに見ている。
けれど、彼はアホ……いやデュアルト殿下とともに来て、後ろにいた。
隣の国、最強国家である魔物の国からやってきた通称ヴァンパイア伯爵。
ヴァンパイアであり、伯爵である。
不老不死の魔物である血を啜る魔物ヴァンパイアである彼は、度々この学園に足を運んでいたことは知っていた。
大昔、人間は魔物を忌み嫌い、迫害しようとしたが、魔物は抵抗し戦争になったという。
結果、魔物の圧勝。今では平和条約を結んでいるが、魔物は人間にとって恐怖の対象である。
そんな魔物であるヴァンパイア伯爵がいるということは……いや、そんな、まさか。
「婚約破棄の件、承知しました。そして、新たにご婚約おめでとうございます。では、私はこれで」
一礼して逃げようとしたが、アホに呼び止められた。
「待て。話はまだだ」
くっ……!
「なんでしょう?」
私は令嬢スマイルで、問うしかなかった。
「ドラコ伯爵がお前に話があるそうだ」
にやにやしながら、アホ……いやデュアルト殿下は、ヴァンパイア伯爵を呼ぶ。
エーストライ・ドラコ伯爵。それが彼の名前だ。
初めて、彼が近付く。
いつも遠くから見かけただけだから、知らなかった。
魔物の威圧感。ちょっと息を呑んだ。
「初めまして、ドラコ伯爵様。ルビレッド子爵の娘、ルイビーと申します」
「知っている。エーストライ・ドラコ伯爵だ。この度は、気の毒に」
知っている、だろう。この場にいるんだから。
純白の髪の下には、仮面をつけている。
目元を覆い隠す仮面は、金色のラインが入っていて、純金製だろうか。なんでも日光に弱いから、その仮面で防いでいるらしい。日光を防ぐ仮面。
そんな仮面から見えた瞳は、白い睫毛に縁取られたとても美しい青色の瞳だった。澄んだ色の青い海のような。
仮面をしていても、美形だとわかる。見惚れてしまっていると気付き、私は俯く。
「お気遣い、ありがとうございます」
「傷心中に申し訳ないのだが」
そんな私の前に、ドラコ伯爵は跪いた。
「この私と婚約をしていただけないだろうか?」
ヴァンパイア伯爵から、婚約の申し込み。
掌を差し出すだけの動作が、美しく見えた。
「オレが許可してやろう。ちなみに父上からも承諾はもらっているぞ」
あ、まだいたのか。このアホ、いやデュアルト殿下。
ヴァンパイア伯爵の美しさで、全く視界に入らなかった。
敬遠される魔物を宛がうなんて、よくアホな頭で思い付いたものだ。
国王陛下が許可をしたのなら、実質私には拒否権がない。
「光栄です。ドラコ伯爵様。婚約を受け入れます」
令嬢らしく振舞い、私は差し出された手に自分の手を重ねた。
一回りも違う手の大きさに、ちょっとドキッとしてしまう。
「ありがとう、ルイビー嬢」
礼を告げるドラコ伯爵は、淡々とした声だ。
ドラコ伯爵には、私と結婚すると、何か利益があるのだろうか……。
スッと立ち上がったドラコ伯爵を見上げつつ、考えてみた。
「婚約成立のキスをしろ」
アホが威張って急かす。
この国の習わしで、婚約成立にはキスを交わす決まりなのだ。
ただのキスではない。魔力を交えて、結ぶ誓い。
つまり、私のファーストキスは、このアホに奪われたのだ。
互いに初めてだったから、とてつもなく不格好なキスとなった。
「失礼、ルイビー嬢」
「え、わっ」
思わず声を出してしまう。
急にヴァンパイア伯爵が、私を抱え上げたのだ。
いきなりのお姫様抱っこに、固まってしまう。
「婚約成立のキスは、人のいないところでさせていただく。それでは新たな婚約、おめでとうございます。デュアルト殿下」
「はっ? いや、今ここでっ、!!」
魔物と婚約のキスをしろ。そう命じようとしたが、デュアルト殿下は言葉を詰まらせた。
真っ青な顔をしている。
私も凍えそうな寒さを感じ、身を縮める。
「それでは、お先に。ルイビー嬢……これから、転移魔法を使う」
「はっ、はい」
私の頭の上に、吹きかけられた声は、うっとりするほど優しい声。
それでもなんとか、返事をして目を瞑った。
フッと身体が浮遊する感覚を味わったあとに目を開くと、場所は変わっている。
屋敷の中らしい。その広間だ。
窓は空いているから、陽射しが差し込んでいるが、全体的に暗い印象を抱く。
「オレの家だ」
そう教えてくれながら、下ろしてくれた。
この国にあるドラコ伯爵の家か。
一人称が私からオレに変わっている……。
「先ずは謝罪をさせてほしい」
再び、私の目の前で跪いた。
「デュアルト殿下に婚約破棄を勧めたのはオレだ。こうなるように仕向けたことを、お詫びしたい」
「え? ……ドラコ伯爵様が……一体、なんのために?」
ドラコ伯爵が仕組んだこと。
それは予想外で驚いてしまう。
一度下げた頭を上げたドラコ伯爵は告げた。
「ルイビー嬢、君を手に入れるためだ」
私を手に入れるために、仕組んだ。
「!?」
いきなりの告白に、私は混乱した。
え? つまり? ええ!?
「それは、つまり……私に好意が」
「ああ、好きだ」
はっきり告白された。
「えっと」
落ち着け、私。
彼と言葉を交わしたのは、ついさっきが初めてだ。
何か裏があるかもしれない。
それか勘違いとか。
「三ヶ月前、夕暮れの図書室で、君を見かけた」
ドラコ伯爵が、口を開く。
学園の図書室は、世界一を誇るほどの大きさがある。
私はそこが好きで、毎日のように通っていた。
「涙ながらに本を読む姿を見て、気になり……すっかり夢中になった」
「あっ……ううっ」
恥ずかしさに襲われる。
誰もいないと油断していたか!
私は小説を読むことが特に好きだった。
感動のあまり泣くほどには、小説の世界を堪能してしまう。
そして、自分でも書くことが好きで、密かな趣味にしていた。
「そんな愛らしい顔もするんだな」
「っ!」
ふっと口元を緩めるドラコ伯爵に、私は余計恥ずかしさを感じて顔を両手で覆う。
そんな両手を、そっと退かされた。
「虎視眈々と君を手に入れる時を待っていた……どうか、仕組んだことを許してほしい。生涯をかけて、償う」
ちゅっと、私の手に口付けを落とす。
「どちらにせよ、彼は君には相応しくないと思っていたのだが……傷ついたかい?」
「い、いえっ。私の方は、全然大丈夫です……ただ、周囲にご迷惑をかけたかと思うと……」
まだ持たれている両手を気にしつつ、私はそう顔を伏せてしまう。
「本当にすまない」
ドラコ伯爵は、謝ってくれた。
想い人を手に入れるための策略だったと知れば、両親も娘が愛してくれる人と一緒になれると幸せを願ってくれるだろう。
「幸せにする。そう誓う。だから、オレと結婚をしてほしい」
プロポーズ。
澄んだ海のような青い瞳が、懇願する。
私の両手は離すことなく、ドラコ伯爵の胸に当てられていた。
「ドラコ伯爵」
「エース、そう呼んでほしい」
「……エース、様」
エース様は、仮面をつけた顔を近付けた。
「改めて受け入れてもらえるのなら、婚約のキスを交わしてほしい」
仮面をつけていてもわかる美形の顔が近い。
「……怖いか?」
「えっ」
「君の心臓がバクバクと跳ねている」
っ! 心音まで聞かれているのか!
なんて聴覚をしているのだろう。同じ人の姿をしていても、やっぱり魔物なのだ。
けれども、この激しい心音の理由は恐怖からきているわけではない。
思わぬ愛に戸惑い、そしてときめいているせいだ。
だって、想いを寄せられるなんて、初めてなのだから。
頬を赤らめた私は、そんなことを言えるはずもなく、俯く。
しかし、このまま誤解させていてはいけない。
「あ、あのっ。エース様。仮面を、外してもらってもいいですか?」
「……」
「日光がだめなんでしたね……」
「いや、問題ない。屋敷の窓は全て日光を無効化するガラスで出来ているから」
そう答えるとエース様は、片手で私の両手を胸に当てたまま、片手で仮面を外した。
欠点が何一つない美しい顔が露になる。
こんなにも美しい方が、私に想いを寄せてくれているなんて。
夢みたいだ。
「め、目を閉じてくださいませ!」
どうせ、逃げられない。逃げるつもりもないけれど。
とにかく、見つめられていては、出来ない。
なんとか頼むと、エース様は純白の長い睫毛がついた瞼を下ろす。
目を閉じていても、やはり美しい。
エース様が顔を近付けていても、身長さで届かない。
だから、背伸びして、えいっと唇を重ねた。
それだけでは終わらない。
魔力を注ぎ合って、キスを交わさなければいけないのだ。
少し唇を開いたエース様から、魔力が注がれる。
私も合わせるように口を開いて、魔力を送り返す。
十分だと思ったけれど、エース様は離してくれなかった。
私の唇をついばむように、何度も唇を動かす。
それが次第に深くなり、くちゅっと水音まで立てる。
お、大人のキス……!
「んっ……ふっぅ」
呼吸の仕方がわからなくなったところで、やっと唇が解放された。
キスの直前で閉じていた目を開いてみれば、恍惚としたような表情が目の前にある。
え、なんで、そんな顔を……。
「美味しい」
美味しい!?
私を食べていたのですか!?
あ、そう言えばヴァンパイアは、人間を食べるとか食べないとか。
いや、主食は血だと聞いたけれど……。
「ああ、なんて甘美……もっとキスをしよう」
「んっ!」
私の返答を待つことなく、また唇を重ねられた。
角度を変えて重ねてきた唇から、舌が侵入してきて、私の舌が絡めとられる。
痺れるような気持ちよさを、感じてしまった。
「オレのようなヴァンパイアにとって、こういう行為は食事にもなるんだ……」
はぁ、と吐息をつきながら、そう教えてくれたあと、再び唇を奪うエース様。
「んぅ、はぁ……あっ」
「愛しい人。そんな声を出さないでくれ。我慢出来なくなりそうだ」
そう言いながらも、エース様は大人のキスを続けた。
わ、私の方が、我慢できなくなりそうです……!!
こうして私は、婚約破棄の直後に、新たに婚約をしたヴァンパイア伯爵に美味しく食されながら、甘く愛されたのでした。
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