漆黒鴉学園

三月べに

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5巻

5-3

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 なんて考え事をしていたら、後ろの窓からコンコンと音が聞こえた。
 振り返ると、外からサクラが窓を叩いていた。その後ろにはサクラと同じくらいの身長の双子さん。中等部三年生で、生徒会会長の猫塚美海くんと、副会長の猫塚美空くんだ。二人はぶかぶかのパーカーを着て、何かを隠すようにフードを被っていた。ふくらみの下には、垂れた猫耳が見えている。
 双子さんは様子をうかがうように、窓越しからじっと私を見上げる。二人の正体を知って、私がどういう反応をするか不安なのでしょう。
 とりあえず、窓を開けて挨拶あいさつをしてみた。

「こんばんは、双子さん」

 私の態度がいつも通りで安心したのか、顔を上げてぱっと笑顔を見せる。
 次の瞬間、二人は窓枠に手をついて乗り越えると、蛙のようにジャンプして飛び付いてきた。さすが双子。動きがシンクロしていました。

「音恋先輩こんばんはーっ!!」

 自分より背が高い二人を受け止めきれず、後ろに倒れそうになる。けれど、先に双子さんが足を着いて踏ん張ったので、何とか倒れずにすんだ。

「わぁいっ! 音恋先輩が仲間になって嬉しい!!」
「苦しい、です」
「音恋先輩大好きっ!!」

 スリスリスリスリ。左右から二人で頬りしてくる。おまけに彼らの腕が首にしっかりと巻き付いているので苦しい。
 いつの間にかフードは取れて、猫耳が完全に見えていた。それに触れるとピクンと跳ねる。それぞれ二つの長い尻尾しっぽも出ていて、ピンと率直に立っている。

「よかったね! 美海くん! 美空くん!」
「うん!」

 サクラが廊下の外から二人に笑いかけた。その言葉に反応して、双子さんは元気よく同時にうなずく。
 笑ってないで助けてほしいのですが。そう思っていたら、サクラの後ろから橙先輩が現れた。

「準備できたぞ!」

 ニカッと笑いかける橙先輩の頭には、狼みたいな耳が。それと同じオレンジ色の尻尾をブンブンと左右に振っていた。

「!」

 何かに気付いたみたいに、橙先輩の目が鋭くなる。双子さんを怒るのかと思っていたら――

「おいこらナナ!! 電気つけろって言っただろ!!」
「聞いてませんよー」
「言った! ネレンが泣いたらてめぇのせいだぞ!!」
「いや、聞いてませんし」

 ここから姿が見えないけれど、橙先輩は上を向いて黒巣くんに怒鳴り始めた。どうやら黒巣くんは屋上に居るらしい。私が来た時には電気はついていなかったから、たぶん伝達ミスでしょう。

「橙先輩、私は大丈夫なのでいいですよ」
「無理すんな!」
「無理してません」

 本人が平気だと言っているのに、橙先輩は聞く耳を持たない。

「音恋先輩、暗いの怖いの?」
「音恋先輩、泣いちゃうの?」
「くぉおらぁあっ!! 双子! ネレンから離れろ!!」
「にゃうっ!!」

 橙先輩は標的を双子さんに移して、鋭く一喝する。双子さんは震え上がり、廊下の隅で縮こまってしまった。橙先輩、騒がしいです。

「屋上に行くんですよね? サクラも行こう」
「うん!」

 双子さんに続き、サクラも窓をよじ登って校内に入る。短パンを穿いているので下着は見えませんが、女子は控えた方がいいと思います。
 私は双子さんと手をつないで、サクラと一緒にさっさと屋上へ向かう。
 その後ろから、あわてて橙先輩がついてきた。流星を眺めた時と同じく、屋上にはブルーシートが敷かれ、テーブルベンチには大きな笹が固定されていた。
 そこには既に、九つの尻尾しっぽを揺らしている桃塚先輩と、黒い翼を出した黒巣くん、それに赤神先輩もいた。ただ、緑橋くんの姿は見えない。

「緑橋くんは?」
「用事があるってさー」

 気になって訊けば、黒巣くんが答えた。そうなんだ。どうしたんだろう。

「ほら、皆。願い事を書いて」

 桃塚先輩が短冊を差し出す。双子さんはそれを受け取ると、弾むような足取りでテーブルに着き、願い事を書き始めた。サクラに手を引かれて私もテーブルに向かう。赤神先輩は既に書き終えた短冊を笹につけていた。

「こんばんは、音恋、桜子」
「こんばんは! 赤神先輩」

 いつもの笑みを浮かべて挨拶あいさつをしてきた赤神先輩に、サクラも笑顔で返す。私は座ったまま会釈えしゃくで応えた。少し気まずいと思いつつも、短冊に願い事を書く。
 サクラ達より早く書き終えたので、笹につけようと立ち上がると、黒巣くんが短冊をつけているところだった。
 ゲームでは黒巣くんは〝教師になる〟って書いていた気がする。きっと現実リアルでも同じだろうと思い、手を伸ばして見ようとしたら、黒巣くんに払いのけられた。さらに笹から短冊を外して、私が届かない高い位置にわざわざつけ直す。

「見られちゃ不味まずいものでも書いたの?」
「アンタは?」

 黒巣くんは私の短冊をサッと奪い取る。自分のものは隠したくせに、子どもっぽくて呆れてしまう。

「……何これ」

 それを目にした途端、黒巣くんの眉間にしわが寄った。不機嫌にさせるような願い事ではないのに。
〝不幸になった分、幸せになりますように〟と書いただけだ。
 黒巣くんは私の短冊をにらむみたいにもう一度見たあと、笹の高い位置につけてくれた。

「それ以上を望んでも、バチは当たらないだろ」
「人生は幸福と不幸を半分ずつ経験すると言うでしょ。だから〝前回〟も含めて、不幸になった分の幸福は味わいたいな、と思って」
「プラマイゼロじゃん」

 ここで言う前回とは、私の前世のことだ。聴覚のいいメンバーばかりなので詳細はこの場で語れないが、それでも黒巣くんには充分伝わっているはずだ。

「倒した吸血鬼の分も幸せにー」
「ナナくん!」

 黒巣くんは嘲笑あざわらうみたいにアメデオのことを持ち出した。いつもの悪癖が出たのでしょう。
 それを聞いて、桃塚先輩があわてて止めに入った。

「もうナナくん! そういうこと言っちゃだめ! ごめんね、恋ちゃん。ナナくんは悪気はないんだけど、つい口から出ちゃうんだよ」
「知っています。気にしていないのでお構いなく」

 黒巣くんはクルッと背を向けて、そのまま離れていく。
 彼の後ろ姿を眺めていたら、「書いたよー!」とサクラが背中から抱き付いてきた。
 サクラが持っている黄色の短冊には〝音恋とずっと親友でいられますように!〟と書いてある。
 すごく嬉しいけど、草薙先輩については書かないのですね。
 でも、ゲームでは主人公の願い事がわかるシーンはなかった気が……
 サクラは他に、緑色の短冊を二枚持っていた。きっと双子さんの分だろう。そういえば彼らはどこに行ったのだろう。探したけれど見当たらない。
 その代わりに藍色の仔猫が二匹、ベンチに居るのを見付けた。尾は二つずつある。間違いない、双子さんだ。
 ベンチに座って、二匹の仔猫を膝の上に乗せた。平等に扱わないとねてしまいますからね。
 両手で二匹の頭を優しくでる。

「いいなぁ、ネレンは触れて」

 うらやましそうにサクラが見下ろすので、片方の仔猫を抱き上げ、差し出した。

「動物の姿なら雄でも大丈夫じゃない?」
「あ、そっか!」

 サクラは恐る恐る手を伸ばす。仔猫もドキドキしているのだろう、目を見開いて尻尾しっぽをピコピコと小さく振る。
 やがて、伸ばしては引っこめていたサクラの手が仔猫に触れた。

「おお! 大丈夫だよ! わぁい! 美空くんに触れた!」
「……あれ、そっちが美空くんなの? じゃあ、こっちが美海くん?」
「あ、勘!」

 サクラに抱かれた仔猫は名前を呼ばれて、嬉しそうに尻尾をブンブン振る。その反応からして正解なのだろう。勘で美空くんを当てるあたり、さすがゲームの主人公だ。仔猫だとどっちがどっちだか見分けがつかないのに。
 私は膝の上に居る仔猫を見下ろした。つぶらな大きな瞳。微笑ほほえんでいるような顔は美海くんだと思う。

「美海くん」

 試しにそう呼べば、仔猫はパチパチまばたきして応えた。
 すると、大型犬が猛ダッシュで私とサクラの間に割り込んできた。このオレンジ色の毛並み。間違いなく橙先輩だ。彼は尻尾しっぽを左右に振りながら、でろと言わんばかりに交互に見上げる。あ、犬と言いましたけど、正しくは狼でしたね。
 サクラは膝をついてしゃがむと、両手でわしゃわしゃと撫でまわした。

「橙先輩にも触れる! わぁい、ネレン! すごいふさふさだよ!」

 ブンブン、とオレンジの尻尾は激しく左右に振られる。なんだか嬉しそうですね、橙先輩。
 私も左手を伸ばして、そっと撫でた。ふわふわしている。サクラみたいに抱き付くようにわしゃわしゃしたいけれどこらえる。冷静に冷静に。

「わぁ、桜子ちゃん。動物の姿なら異性に触れるんだね」
「桃塚先輩もなれますよね、妖狐ようこだから」
「うん。実はね、他の姿にも変身できるんだ。あ、恋ちゃんは見たことあるか」
「ヴィンス先生とサクラにも化けてましたしね」
「え!? それも気付いてたの!? ごめんなさい!」

 ついでのように私はあの時のことを持ち出す。
 桃塚先輩は一度、サクラに化けて私に接触してきたことがあるのだ。
 サクラを見ると、犬バージョンの橙先輩とじゃれていて、耳に入っていない様子だけれど。

「サクラは私のことをちゃん付けで呼ばないので、別人かなと疑いました。違和感を持ったから、怪しいと思っていたんです」
「恋ちゃん……なんだかハンターに向いてそうだね」
「桃塚先輩はまだまだですね。そんなことでは将来、百鬼夜行ひゃっきやこうを率いて世界制覇などできませんよ」
「そ、そうだね。僕、頑張るよ。絶対に世界制覇を………………って僕、将来百鬼夜行を率いる予定なんてないけど!?」
「冗談です」
「恋ちゃんの順応能力、高過ぎだね!?」
「それほどでもあります」
「あるんだ!」

 桃塚先輩をからかうと、仔猫達がつられたみたいにニャアニャア鳴いた。だけどそれを叱るように狼が吠えるので、二匹は縮こまってしまいました。
 順応能力が高いのは、サクラも同じ。彼らの正体はモンスターなのだ。私は前世の記憶があるから大丈夫だけど、普通は避けてしまうだろう。
 けれどサクラはそうしない。モンスターである彼らとこうして屈託なく話しているし、誰とも壁を作らず仲良くできる。そこはやはりゲームヒロインの魅力なのだろう。
 私も彼らを避けるようなことはしたくない。
 むしろ私には――彼らと一緒に過ごしたい理由があるのだ。
 病弱な前世を送った私は、病室にこもりっきりで、ゲームだけが唯一の楽しみだった。友人に囲まれながら高校生活を楽しむなんて夢のまた夢。ちょうど今の私と同じくらいの年齢で命を落としてしまった。
 そんな前世の名残なごりなのか、この世界に転生した私は、大人しくて無表情で、不気味なほど冷静沈着な性格になっていた。特に親しい友人もできず、一人でいることが多かったが、それを苦に思ったことはない。
 ただ長生きして平穏な人生を送ればそれでよかった。
 それがサクラと出会って考えが変わり始めた。彼女と出会ってから、生徒会メンバーや風紀委員達に囲まれて生活するのが日常になった。皆と一緒にこんな風に星を眺めたり、朝食を食べたりするうちに、独りが怖くなってしまったのだ。
 皆がいて、安心できる場所――それはすなわち、舞台の中心に他ならない。
 ここに立つことは、私の本意ではなかった。サクラの恋愛の邪魔はしたくなかったし、モンスター達と関われば、平凡な人生がますます遠のいてしまう。
 それでも、皆に囲まれているとあたたかな気持ちになるし、心が満たされる。何気ない日常を送れることを幸せだと感じるのだ。そして、皆ともっと一緒に居て、楽しい時間を過ごしたい――そう思うようになり、だんだん欲張りになってしまった。
 その気持ちは、短冊に書いた願い事にも含まれている。

「おい、今日は動物に触れ合う会じゃないだろ。星は見ないのか?」

 赤神先輩がかしてきたので、橙先輩達は人間の姿に戻る。そして、ブルーシートに寝転がって、皆で夜空を見上げた。その中に、無数の星屑ほしくずが集まってできたような大きな川がある。あれが天の川だ。寝転がって見ると、視界一杯に広がった光景がとても壮大に思えた。

「ネレンネレン、織姫ってどこに居るの?」
「お前そんなこともわかんねーのかよ。あそこだ」

 サクラの声に答えたのは橙先輩。夜空を指差す彼の大きな手が、私の視界にも入る。

「織姫はベガ。彦星がアルタイル」

 私も一応教えるけれど、サクラはすぐに忘れてしまいそうだ。

「彦星はあれな」

 橙先輩は指差しして補足する。

「ちなみにベガはこと座。アルタイルはわし座。あれはデネブで、はくちょう座。この三つを結んで夏の大三角形になる。中等部で習わなかったのか?」

 今度は、すらっとした赤神先輩の手が視界に入る。彼が鼻で笑って解説したので、サクラが怒り出してしまった。それを何とか桃塚先輩がなだめる。

「今日は晴れたから、二人とも会えたかな!」

 気を取り直したのか、サクラが明るく笑って聞いてきた。
 年に一度だけ会うことが許された織姫と彦星。今夜は晴れているから、きっと会えたでしょうね。そう答えようとしたら……

「きっと、会えただろ」

 サクラの問いに真っ先に答えたのは、また橙先輩でした。その声が妙に優しさを帯びているみたいに感じる。ちょっと気になったけれど、鮮やかな星空に再び目を奪われてしまいました。


   五話 左手


 今日はせみの鳴き声が、一際大きい。ギラギラと照りつける太陽の光に、意識が遠退いてしまいそうだ。
 昼休みにもかかわらず、私は学園のプールに呼び出されていた。何故なら、雪島ゆきしままゆ先生にプール掃除を任されたからです。とはいっても、任されたのは生徒会と風紀委員なのですが。
 事の顛末てんまつを説明すると、先週末の夜、生徒会メンバーがプールで水遊びをしたのが原因だった。彼らが調子に乗ってモンスターの姿ではしゃいだため、水中が毛だらけになってしまったのだ。とてもプールを使える状態ではなくなったため、今日の授業は急遽きゅうきょ、屋内に変更された。
 体育教師にして雪女の雪島先生はカンカンに怒って、昼休み中に掃除しろと生徒会に命じたのだ。
 さすがに彼らだけでは終わりそうにないため、風紀委員も駆り出されることに。
 さらに、風紀委員と昼休みを過ごしている私とサクラも連れて来られるはめになったというわけだ。とんだとばっちりですね。

「ふざけんな、あのババァ。コキ使いやがって」
「てめぇらの自業自得じごうじとくだろ! 俺達まで巻き込みやがって!」
「ああん!? やんのかコラ!」

 水を抜いたプール底をデッキブラシでこすりながら、橙先輩と笹川先輩は小競り合いをしている。アメデオから私を救出してくれた団結力はどこへやら。


 風紀と生徒会は真っ二つに分かれて、黙々と掃除をしている。
 男子生徒は白いYシャツに長ズボンを膝までたくし上げている。私達も女子は半袖のセーラー服のままだ。夏の日差しが当たり、黒薔薇ばら色の制服は深紅に光っている。

「やはり私達も手伝います」

 先に昼食を食べていいと言われていたが、なんだか申し訳なくて、ベンチから立ち上がって話し掛ける。それを聞いて、サクラもあわてて立ち上がった。

「宮崎! 姫宮! お前達はいいから!」
「そうだよ、座ってていいんだよ」

 笹川先輩と桃塚先輩が同時に待ったをかけた。

「いえ。少しはお役には立てっ――!?」

 ブラシを手にしてプールに降りようとした瞬間、立ちくらみがして足を滑らせた。そのまま頭から落ちそうになる。
 その瞬間、赤神先輩がプールから私に向かって手を伸ばす。けれど、赤神先輩が私を受け止める前に、身体がぐいっと後ろに引き寄せられた。お腹に回されていた腕が誰のものか確認する前にわかる。

「危ないので、音恋さんは座っていてください」

 やはりヴィンス先生だ。私を抱きかかえると、ベンチに座らせる。さすがにまた滑ることはないと思うけれど、手伝うのはやめておきました。
 サクラはプールに降りて、風紀委員のところへ向かおうとしたが、橙先輩が「こっちに来い」 と引き留める。草薙先輩のそばに行けなくて、しょんぼりしていたけれど、サクラは大人しく生徒会メンバーに混じって掃除を始めた。

「そういえば恋ちゃんって、水泳は得意なの?」

 桃塚先輩がプールから話し掛けてきた。運動が不得意だと知っているはずなので、その質問はちょっと意地悪いじわるだと思います。
 水泳は苦手じゃないです。そう言おうとしたら、サクラが先に答えてしまった。

「え? ネレン、泳げないよね? 去年プールで溺れて、救急車で運ばれたんでしょ?」

 双子さんからその話を聞いたらしく、サクラは私を完全にカナヅチだと認識しているらしい。

「え!?」

 一斉に驚きの声が上がる。隣に居るヴィンス先生まで目を丸くしていた。だから違うんですって。

「そういえば去年、救急車来たよな」
「覚えてる覚えてる」

 風紀委員の一年生達があれかと騒ぎ出す。
 同じく緑橋くんも心当たりがあるのか、黒巣くんの方を向く。緑橋くんはあの時いなかったから見ていないはずだけれど、黒巣くんから聞いたのでしょうね。

「え? 宮崎、泳げなかったっけ? でも先週は……」

 雪島先生が首をかしげる。そう、先週の授業ではちゃんと泳げていた。でも体調が悪いと力尽きて溺れてしまうのです。
 ここぞとばかりに反論しようとしたら、ヴィンス先生が立ち上がって、雪島先生に冷ややかな笑みを向けた。

「雪島先生。水泳の授業はやめにしましょう」
「は!? そんなことできるわけないでしょ!」
「では、一年生だけでも」
「一年生だけ水泳の授業をしないだなんで、もっとできないわよ!」

 とんでもない意見を押し付けるヴィンス先生に、雪島先生が青筋を立てる。
 照り返す日差しを浴びているはずなのに、周りに冷気が漂い始める。まるでこの場に大量のドライアイスがあるみたいだ。

「できますよ、私なら」
「……図に乗り過ぎよ」

 ヴィンス先生は瞳孔どうこうを尖らせて吸血鬼の眼をさらした。
 確かに水泳の授業をなくすことは、ヴィンス先生なら可能だ。全校生徒と教職員に暗示をかけてでも、私を守ろうとするだろう。けれども、ちゃんと私の意見を聞いてほしい。

「あの、ヴィンス先生。私は泳げます。去年は体調が悪かっただけで、決して泳げないわけでは」
「音恋さん。危ないので、やめましょう?」

 顔は優しく微笑ほほえんでいるが、有無を言わせない声色だった。絶対にプールへ近寄らせないつもりですね。

「ヴィンセント・ジェン・シルベル……頭を冷やしなさいよ」
「雪島先生こそ、太陽に当たりすぎて脳が溶けてしまったのでは?」

 冷気が白い煙になって、二人の周りを取り囲む。
 グイッと誰かに右腕を引かれて立たされる。振り返ると、そこには黒巣くんがいた。

「音恋さんを連れて、理事長に話を通してください」
「はーい」

 ヴィンス先生はこちらを見ずに黒巣くんへ指示を出した。黒巣くんは黙って私を外へ連れ出そうとする。途端に煙の量が増して、対峙たいじしているヴィンス先生と雪島先生の髪が乱れ始めた。

「おい! アンタらがあばれたら洒落しゃれになんねぇ!!」
「落ち着いてください! 雪島先生! ヴィンセント先生!」

 血相を変えた笹川先輩と桃塚先輩が、プールからい出て止めようとする。

「ねぇ、黒巣くん。先生達を止めた方が……」
「あの二人は言うことを聞かないだろ。気付いた時にはプールは壊れてて、ヴィンセント先生の思惑通りになるだろうな」
「……」

 ヴィンス先生があばれてプールを破壊すれば、水泳の授業はできなくなる。雪島先生はその意図に気付いたから激怒したのだろう。証拠隠滅が得意だからといって、ヴィンス先生はあまりに自由奔放すぎる。

「ごめんね、黒巣くん。私のせいで問題ばかり起きて」
「……は? ……別にそんなの、今に始まったことじゃないだろ」
「水泳の授業がなくなったら、大問題だよね」
「いや、拉致らちに比べたら、ちっちゃいんじゃないの」

 黒巣くんが気遣って言ってくれているのが分かる。

「そういえば、去年は黒巣くんも同じ授業を受けてたよね。私が溺れたの見てた?」
「……さぁ、覚えてない」

 私の少し先を歩く黒巣くんは、振り返らずに答える。救急車が来るのを見たのなら、覚えているはずだと思うけれど。
 からかわれるよりはいいか、とその話はやめて、プールに意識を向ける。騒音は聞こえてこない。
 サクラが怪我しないか心配だけど、生徒会メンバーもいるしきっと大丈夫だろう。


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