漆黒鴉学園

三月べに

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5巻

5-2

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「……奇遇だな? 音恋」

 ダークブラウンの瞳を丸くしていた赤神先輩は、にっこりと王子様のような微笑みを作り上げた。背中にぞくっと悪寒おかんが走る。一見するととてもご機嫌だけれど、腹黒くも思える笑顔に危機感を覚えたからだ。

「奇遇ですね、赤神先輩。急いでいるので失礼いたします」
「せっかく会えたんだ。そう言わず、そこの喫茶店で少し話をしようか」

 逃げようとしたけれど、がっちり腕をつかまれて、雑貨店のすぐ隣にあった喫茶店に連行された。

「あの、先輩。私、これからヴィンス先生に会うんですが」
「知ってる、聞こえた。――二名です」

 明るい茶色を基調とした喫茶店に入ると、赤神先輩は女性店員に笑みを向けながら人数を告げる。
 聞こえた、というのはヴィンス先生と廊下で会話していた内容を聞かれていたということだろうか。待ち合わせ場所は先生からメールで伝えられたので、ここで赤神先輩に会ったのは本当に偶然です。
 赤神先輩の笑顔にうっとりしている女性店員に案内され、向かい合って座る。

「知っているのに何故? またヴィンス先生から痛い目に遭わされたいのですか?」

 そう言ったけれど、赤神先輩は私の右手をがっちり握ったまま、テーブルの上に縫い付ける。ヴィンス先生の名前を出しても引こうとしない。呆れながら、りない人ですね、と言おうとすれば。

「アンタに声を聴かせたかったから――……で理由は充分じゃないか?」

 不敵な笑みでそう返された。その声が私好みだったため、ぐっときた。喉で笑うような色気のある低い声。前世から私はこの声に弱いのだ。

「アンタの予定は把握している。これからヴィンセント先生の自宅へ行き、夜は学校。忙しいな」
「はい。そういう訳なので、もういいですか?」
「待たせておけばいいだろう。飲み物は何がいい?」

 赤神先輩は、またヴィンス先生とひと悶着もんちゃく起こすつもりなのか。
 ちらりと見れば、彼は私の右手を握ったままメニューを眺めている。私の予定が把握されているなんて、ちょっぴり変な気分だ。

「……アンタが無事でよかった」

 赤神先輩は親指で私の手の甲をそっとでた。そして、柔らかく微笑ほほえみながらつぶやく。何かたくらんでいるような笑みではなく、ましてやうわつらの笑みでもない。心からそう思っているようだ。

「ヴィンセント先生と仲直りしたみたいだが……音恋。彼と一緒に居るとどんな目に遭うか、この際だから話してやる」
「……それなら、知っています」

 以前から私の身を案じてくれていたのに、過剰に赤神先輩を警戒していたと反省する。ま、彼の言動にも原因はあると思いますけどね。耳に唇を近付けてささやいたり、私の血をめたり……

「知っている? 本当に?」

 驚いた様子で赤神先輩が確認してきた。

「東間紫織さんのことですよね。知っています。笹川先生とその話をしました」
「……それなら、どうして彼の家に行こうとする?」
「私への想いを断ち切ってもらうためです」

 赤神先輩は、目を丸くした。笹川先生には既に相談したので、赤神先輩に隠すこともないでしょう。身を案じてくれていたからといって、私の気持ちはそう簡単には揺らがない。

「赤神先輩。以前した質問の答えを伺ってもよろしいですか?」
「……!」

 ピク、と赤神先輩の片方の眉がつり上がる。
 以前した質問とは、彼が私に恋愛感情を抱いているかどうか、というもの。
 もしそうなら、私のことは諦めてほしいとはっきり言うつもりだ。

「…………」

 あの時と同じく赤神先輩は固まってしまう。まるで石像みたいに、微動だにしない。
 想いを断ち切ってもらいたいのはヴィンス先生だけではなかった。赤神先輩もそうだ。いくら想ってもらっても、私の方は彼らの気持ちに応えられない。平穏に長生きがしたい私は、モンスターである彼らと恋愛するつもりはないからだ。
 赤神先輩には、早く私以外の人に目を向けてもらいたい。彼の幸せのためにも、長引かせないように今ここで決着をつける。
 もしこの場で想いを認めたら、それを告白と受け取りちゃんと断る。認めないなら過剰に関わるのをやめてもらう。二つに一つだ。
 そう考えつつ赤神先輩の顔を見つめていると、不意に私の携帯電話が鳴った。左手でポケットから取り出して画面を確認すれば、ヴィンス先生からの着信だ。はっとして時間を見ると、時刻は一時二十分。完全に遅刻ですね。
 電話に出ようとしたけれど、赤神先輩の手に阻止された。携帯電話ごとテーブルの上にじ伏せられてしまう。両手が捕まってしまいました。
 顔を上げると、赤神先輩はダークブラウンの瞳で私を真っ直ぐに見ていた。

「アンタは……どんな答えを求めている?」

 逆に予想外な質問を返されてしまい、今度は私が固まってしまう。今まで、赤神先輩の答えは気持ちを〝認める〟か〝認めない〟かのどちらかで返ってくると思っていた。
 それ以外の回答が返ってくるとは想定していなかったので、言葉に詰まってしまう。

「アンタは、俺がなんて答えると思っている?」

 ささやくように、赤神先輩はたたみ掛けてくる。
 しまった、と後悔する。彼はこう返すと決めていたに違いない。私が返答に困るこの質問返しを。
 もしここで、「私のことが好きですか?」と尋ねても、また質問返しをされてしまうだろう。
 これでは永遠に堂々巡りではないか。
 最初に質問した時に、決着をつければよかった。
 射抜くように見つめていた赤神先輩が、私の右手を唇に引き寄せる。触れる寸前で止められたが、私の方からだと、まるで手の甲に口付けを落としているみたいに見えた。

「――――なんて、答えたら……嬉しい? 音恋」

 どこか不敵な表情で笑いながら赤神先輩はゆっくり囁く。息が手の甲に吹きかかり、ぞくっとした。その色っぽい声で息を吹きかけるなんて、反則ですっ。
 ドキドキして激しく動揺してしまい、二の句が継げない。
 すると、ヴィンス先生が音もなく赤神先輩の背後に現れた。さらに鼓動が跳ね上がる。

「こんにちは、ヴィンセント先生」
「奇遇ですね、赤神君」

 赤神先輩は驚いたそぶりも見せず、大人しく私の両手を解放した。二人は一切、目を合わせない。

「行きましょう、音恋さん」

 ヴィンス先生にうながされたので立ち上がり、そのまま出口に向かう。

「また夜にな、音恋」

 後ろから赤神先輩が声を掛けてきた。
 決着をつけようと思ったのに、結局、まんまと回避されてしまいました。


 喫茶店を出ると、ヴィンス先生は私の手を引いて歩き出した。荷物まで持ってもらい、なんだか申し訳ない。

「すみません、お待たせしてしまって」
「いいえ。貴女が事故に巻き込まれていなくてよかったです。……ある意味、事故みたいなものかもしれませんね」

 小さく笑いながら、赤神先輩が触れたところをぬぐうみたいに私の右手をでる。ヴィンス先生を見上げると、ストライプが入ったネイビーのYシャツを、袖を折り畳んで着ていた。下はスタイリッシュなグレーのズボン。暑い日差しにきらめく白金の髪を、青いリボンで一つに束ねている。相変わらずまばゆいほど美しい横顔だ。
 ヴィンス先生は赤神先輩との会話を聞いていたかもしれない。もしそうだとしたら、彼はどう思っただろうか。だけど今日は、あまり不機嫌そうに見えなかったけれど。

「音恋さん。抱えてもよろしいですか?」

 人通りのない路地へ曲がると、ヴィンス先生は立ち止まった。吸血鬼が抱えて移動すれば、車よりもずっと速く着く。あらかじめそういう話をしていたので、こくりとうなずいた。膝の裏と肩の後ろに腕を通して、ヴィンス先生は私を抱えあげる。

「息を止めていてください」

 ヴィンス先生が微笑ほほえんだあと、ぐわっと周りの景色が歪んだ。せみわめく木の真横を走ったみたいに、何度もうるさい音が過ぎ去る。
 数十秒ほど経ったのでしょうか。音が止んだ頃には、向かい風で髪がボサボサに乱れていた。ヴィンス先生は私をそっと地面に下ろすと、両手で髪を整えてくれる。

「着きました」

 横に視線をずらせば、立派な門と塀に囲まれた大きな洋館。ヴィンス先生の自宅に到着だ。
 彼は壊れ物を扱うみたいに優しく私の手を引いて、玄関の扉をくぐった。大きな直線アーチの窓が並ぶ薄暗い廊下を歩く。夏の喧騒が遠のいたみたいに静かだ。

「どこに行くのですか?」

 リビングを通り過ぎてから、ヴィンス先生に行き先を問う。

「地下です」
「……地下?」

 地下と聞くと、アメデオから監禁されたことを思い出してしまう。思わず眉をひそめると、ヴィンス先生は安心させるみたいに微笑んだ。
 ヴィンス先生は廊下の真ん中で足を止めると、しゃがみこんでカーペットをめくる。そこには地下につながる扉があった。

「アメデオがここにいます」
「アメデオが……」

 ヴィンス先生は荷物を床に置いて、また手を差し出した。地下に続く階段を彼の手を支えに降りる。なるほど。アメデオの身体はここに隠しているのですか。
 もう片方の手でシルバーのネックレスを握る。それにはアメデオの心臓を止めている短剣の鍵がついているのだ。その鍵を短剣のつかに差し込んで右に回せば、彼の心臓は修復不可能なほど壊れる。逆に回すと心臓は再び動き出す。私はアメデオの命を左右する鍵を持つことが許され、肌身離さず持ち歩いているのだ。
 ヴィンス先生は壁についていた蝋燭ろうそく立てに火をつける。
 地下室の中央に置いてある棺桶――そこには吸血鬼、アメデオ・アルーノが横たわっていた。
 彼はあの日から何一つ変わっていない。目を閉じて、身動みじろぎもせずに眠っている。ただ、胸には銀色の短剣が刺さったままだ。顔色は健康そうなのに、呼吸も心臓も止まっている。
 手を伸ばして彼の頬に触れてみた。柔らかくて、確かに生きている人間の肌の感触がする。だが、美しい青年は人形のようにまったく反応しなかった。

「本当にずっと眠っているのですね」
「ええ。その短剣を抜かない限り目覚めません」

 短剣についてのことはゲームの記憶があるから知ってはいたけれど、こうして実際に見てもまだ信じられない。吸血鬼は本当に老いることもなく、永久に眠り続けることもできるのだ。

「……夢、見るのでしょうか?」
「私は眠ったことがないのでわかりません。憶測ですが、夢に近いものを見ているのではないでしょうか。頭の中で彼の世界を作り出して、暇を潰しているかもしれません。あるいは……何も見ていないかもしれませんが」

 頭の中で作り出した世界で遊んでいるかもしれないし、電源が入っていないテレビ画面のように真っ暗かもしれない。
 私は一度、アメデオと夢の中で会話したことがあるけど、今は彼がどうなっているのかわからない。


 しばらくして私達は地下室から出ることにした。

「ここにアメデオがいることは、二人だけの秘密です」

 ヴィンス先生は微笑ほほえんでそう言うと、私の手を引いて階段を上がる。この秘密を知っているのは私とヴィンス先生の二人だけ。
 地下室を閉めたあと、屋敷内を簡単に案内してもらうことになった。ヴィンス先生が、お気に入りの場所に案内すると言ってくれたのだ。
 煉瓦れんがの道を歩き、屋敷を左に曲がれば、硝子ガラス張りの建物が目に入る。ドーム型の温室みたいだ。あそこが黒薔薇ばらの庭園のようです。
 ヴィンス先生が扉を開いた途端、甘い香りに包まれた。
 緑の中に咲いているのは、黒い薔薇だ。黒い薔薇といっても、普通は完全に真っ黒ではなく、学園のセーラー服と同じくらい濃い深紅だけど、ここにあるものは黒味が強い。太陽の光を当てればようやく紅色に見えるほど、黒に染まった薔薇が咲き誇っている。その光景があまりにも幻想的だから、衝撃を受けてしまった。

「こちらの方が眺めがいいですよ」

 ヴィンス先生はクスクスと笑いながら、私の手を引いて奥に進んだ。
 中央には屋根のある白いテーブルとベンチがあった。そこに座ると、庭園を一望できる。どこを向いても一面に広がる黒い薔薇。思わず時間が経つのも忘れて見とれてしまいました。
 ふと、黒薔薇よりも美しい存在が隣に居ることを思い出した。ハッとして左隣に居るヴィンス先生を見上げる。
 彼はテーブルに肘を立てて頬杖をついていた。青い瞳で微笑ほほえみながら私を見つめている。どうやら黒薔薇に見とれている間、彼はずっと私を見つめていたみたいです。

「眺めていていいですよ。チーズケーキを持ってきますので」

 ヴィンス先生はそう言って腰を上げると、屋敷の中に消えた。かすかに漂う黒薔薇の香りを肺一杯に吸い込んでみる。ああ――ヴィンス先生の香りだ。彼からしていたのは、この薔薇の香りだったのか。

「お待たせしました」

 コトン、とテーブルの上にベリーソースがかかったチーズケーキが置かれる。
 彼はまた左側に座ると、フォークを手に取ってケーキをすくい、私の口元に差し出した。

「……」

 自分で食べようと手を伸ばしたけれど避けられてしまう。仕方なく口を開けて、差し出されたそれを食べた。
 とろりと濃厚なチーズが溶けたあと、甘酸っぱいベリーソースの味が広がる。あのお店のものだ。はう……なんて美味おいしいのでしょう。思わず両手で頬を押さえた。
 まぶしそうに目を細めて微笑むヴィンス先生は、またチーズケーキを掬って差し出す。

「今日は赤神先輩を怒らないのですね……」

 至極しごくご機嫌な微笑みを見て、気になっていたことを口にした。赤神先輩の後ろに現れたヴィンス先生は、怒っているように見えなかったからだ。

「本当は嫉妬していますよ。でも赤神君は、アメデオから貴女を救出する際に貢献してくれました。桃塚君もそうですね。もちろん風紀委員も。私は彼らに感謝していますから、多少のことは目をつむります」

 そう答えるとヴィンス先生は再び私の口にチーズケーキを運んだ。
 赤神先輩の妨害も、桃塚先輩の偽恋人の件も、私を助けたから目を瞑るということですか。だから昼休みを風紀委員と過ごすと決めた時も、無理矢理引き離すことはしなかったのだろう。

「私は何もしていないも同然ですから……」
「ヴィンス先生がいなければ、余裕綽々よゆうしゃくしゃくのアメデオにすきが生まれなかったでしょう。あの時ヴィンス先生が助けに来てくれたから、私も今こうしていられるのです。自分を役立たずみたいに言うのはやめてください」

 下を向いて申し訳なさそうに言うヴィンス先生に、私は首を振って否定した。すると、いつもの優しい微笑みが戻ったので安心する。

「……私にも、赤神君と同じ質問をしたいのでしょう?」

 ヴィンス先生はいきなり本題に入った。やっぱりあの会話を聞いていたのか。赤神先輩と同じオチになるのではないかと思って警戒すると、それがわかったのか、ヴィンス先生はクスッと笑った。

「赤神君のように、はぐらかしたりしません。ちゃんとお答えします」

 薄い光が射し込む黒薔薇ばらの園は神秘的に見える。ヴィンス先生は、フォークを置いて静かに私の質問を待つ。黒薔薇園に射し込む薄い光を背に受けて、なんだか神秘的に見える。ヴィンス先生がそう断言するなら、彼みたいに意地悪いじわるな返しはしないはずだ。
 でも私の言葉に、どう反応するのでしょうか。彼は私の目的をわかっているのでしょうか。それとも、私の身を案じて、身を引いてくれるのでしょうか。
 次々と疑問が頭の中に浮かぶが、覚悟を決めて彼の瞳を見つめる。それからゆっくり口を開いた。

「私のことが、好きですか?」
「……いいえ」

 ヴィンス先生は首をゆっくり左右に振る。
 予想とは違う言葉に目を丸くしてしまった私に、ヴィンス先生は言葉を続ける。

「愛しています」

 青い青い瞳で私を熱く見つめながら、力強く答えを口にした。まるでそれは誓いのようだった。
〝好き〟ではなく、〝愛している〟。
 それを聞いた途端、胸の中に熱いものがこみ上げてきた。熱くて熱くて、火傷やけどしてしまいそうだ。だが、私が選ぶ言葉はただ一つ。

「私は――」

 その後の言葉は続けられなかった。唇にヴィンス先生の指先が当てられたからだ。そのまま唇の形をなぞるようにでられる。上唇を押し上げるように滑らせると次は下唇。二周するとヴィンス先生はその指をペロッとめた。
 そして、「ミックスベリーの味ですね」とつぶやく。

「音恋さん。私は貴女に色んなものを頂きました」
「……何を?」
「この想い。再び誰かを愛せた喜び、そして苦しみ。吸血鬼は、人間より時間を無駄にする生き物なのです。寿命が永久にあるとおごり、怠慢に生きるのです。私はそんな生きざまを嫌っています。アメデオもそうだったはずです。けれど、私もアメデオも、最愛の人と同じ時間を刻むことはできなかった……」

 ヴィンス先生は最愛の人を亡くし、アメデオは巡り会えなかったのだ。永久の孤独は、きっと想像を絶するほど苦しいに違いない。

「貴女は、私に素敵な時間をくださいました。空虚な時間を過ごしてきた私に、貴女に会えない苦しさに悩む時間や、そばにいられて喜びを感じる時間を与えてくれる。すべて、貴女が与えてくれる愛しいものです」

 ヴィンス先生は私の左手を取って、そっと指先を握りながら伝えた。この時間や想いを奪わないでほしい、と懇願こんがんするように。
 いや、流されてはいけない。ヴィンス先生が私を想い続けることで、互いに危険が及ぶのだ。

「でもっ、このままでは私も先生も……!」
「貴女を死なせはしません。必ず守ります。この命にかえてでも」

 反論しようとしたが、彼はそれをさえぎった。その瞳には自信が満ちていて、彼の言葉を信じたいとさえ思えてしまう。
 彼は優しく微笑ほほえむと、もう片方の手で私の髪を撫でた。

「私と関わることで、二度目の人生の終止符を打たせはしません……どうかもう少し時間を与えてください。答えを出すのは、私と共に時間を過ごしてからでも遅くはありません。どうか私にも愛を与えさせてください。必ず貴女を守りますから」

 私の前世を知っているヴィンス先生は、言葉に力を込める。

「…………ずるい、ですよ」
「そうですね。すみません」

 思わずうつむいてしまったが、ヴィンス先生が笑っているのはわかった。
 アメデオとの会話を思い出す。彼は三百年の間、孤独に苦しみ、いつしか死を願うまでになった。愛する人を亡くしてから、ヴィンス先生だって孤独な時間を過ごしてきたはずだ。それでも、私と一緒に居ることで、その苦しみが少しでも和らぐのならば……
 色んな思いが頭をよぎり、きっぱりと拒絶できない。それに、彼に納得したうえで諦めてもらうためにも、もうちょっと時間があった方がいいのかもしれない。

「少し、だけですよ」

 顔を上げてそう答えれば、ヴィンス先生はまばゆいばかりの笑顔を見せ、私を抱き締めた。
 そして、ほっとしたみたいに、優しくささやく。

「ありがとうございます」

 彼の甘い香りに包まれ、眠気を覚えるくらい力が抜けてしまう。やっぱり断れませんでした。

「……あの、ヴィンス先生」
「はい?」
「放してください」
「もう少しだけ」

 いつかみたいに、首筋にヴィンス先生の吐息が触れる。彼は、私のにおいを吸い込むように息を深く吸った。その空気の移動を肌で感じて、くすぐったくなる。
 結局、私がチーズケーキを食べたいと言い出すまで、抱き締められていました。

「今日はもうしばらくお話ししたあと、早めに寮へお送りします。あまりここに長居させたくありませんから」
「どうしてですか?」

 ヴィンス先生が時計を確認しながらそう言ったので、首をかしげる。
 いわくありげに微笑んだヴィンス先生は、私の耳元に口を寄せる。

「貴女を帰したくなくなってしまうからですよ」

 うるわしい声で、甘く囁かれて固まる。ぱちくりとまばたきすれば、クスリとヴィンス先生は笑った。
 冗談ではないのですね。

「そうだ、音恋さん。あの小説の話をしましょうか。あれは、ハンターが書いたのです。吸血鬼を追うハンター自身の実体験なのですよ」

 ヴィンス先生は歌うように話すと、私の髪の毛を指に絡めて遊び始めた。
 あの小説とは、以前ヴィンス先生が私に貸してくれた本のことだ。そういえば、途中まで目を通したけどまだ読み終えていない。

「ネタバレになってしまいますが、あの話に出てくる吸血鬼は、最初に人間と結ばれた吸血鬼だといわれています。血に濡れた吸血鬼と病弱な人間の令嬢が出会い、結ばれた実話です。それを貴女に読んでもらってから、私の気持ちを伝えるつもりでした」

 なんとなく、その意図に気付いていたので、私は途中から読むのを避けていた。彼はその結末通りの関係になることを望んでいるのだ。

「試験が終わってからでも読んでみてください。素敵な話なので……」

 こくりとうなずけば、ヴィンス先生は嬉しそうに笑みを深めた。上機嫌な彼を見ると心が痛むが、これ以上近付きすぎるのはよくない。
 そう思って、私から別の話題を切り出す。

「あ、あの……後島さん達はどうしますか?」
「それなら問題はありません。貴女はいつも通り振る舞ってください。要は私の想いが知られなければいいのです。笹川先生が彼らの訪問を教えてくれますから、その間は上手うまく隠しますよ。貴女の安全のためならば、それくらい我慢できます」

 そう答えてヴィンス先生は私の髪に口付けを落とす。

「必ずお守りいたします――……黒薔薇ばらの君」

 海のようなブルーアイで熱く私を見つめ、ヴィンス先生は美しく微笑ほほえむ。
 彼が背にする黒薔薇の園には、赤みがかった日差しが射し込んでいました。


   四話 七夕に願い


 空の色が赤から深い青に変わると、辺りは薄暗くなる。だんだんと景色は闇に呑まれ、夜になった。
 校舎内の廊下は、中庭の外灯を頼りになんとか歩けるくらいの薄暗さだ。私は廊下の窓に寄りかかって、サクラを待っていた。
 廊下の奥の方は暗闇に塗り潰されているけれど、不思議と恐怖はない。
 前世の死の記憶を思い出させる暗闇に、私は強い恐怖心を抱いていた。まだ完全に暗くなってないから怖くないのでしょうか。それとも、アメデオに棺桶に閉じ込められたから、少しは克服できたのでしょうか。


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