令嬢はまったりをご所望。

三月べに

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6巻

6-3

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 きらめく砂に、私の涙が落ちて、しみこむ。
 どうして……
 どうして、敵意をぶつけられなくてはいけないのだろうか。
 ちゃんとミサノ嬢の望み通りに身を引いたのに。
 どうしてまだ、こんな風に敵意をぶつけられなくちゃいけないんだ。
 私はここで、まったり暮らしていたかっただけなのに……
 ぽろぽろとこぼれ落ちる涙が、緑色にきらめく砂にどんどんしみこんでいく。
 ――パキン。
 ガラスが割れる音が聞こえて、ハッとして顔を上げる。振り返ると、そこに立っていたのは人の姿のセナさんだ。開いたままの白いドアから入ってきて、ガラスを踏んでしまったらしい。

「何これ……」

 驚愕した様子で店内を見回して、顔をゆがめる。

「泥棒……なわけないね、嫌がらせかい? 一体誰の仕業?」

 私は慌てて目元を拭い、立ち上がった。

「大丈夫です。これくらい魔法で直せますから」

 笑ってみせる。
 どうやら、セナさん一人で来たようだ。きっと今日は非番なんだろう。
 魔法で直して、接客をしなくては。

「あのね、ローニャ。傷付けられたのに、無理に笑う必要なんかないんだよ」

 少し呆れたような表情でセナさんは言うと、腕を広げた。

「僕のじゃあ狭いだろうけれど、胸を貸すから泣いていいよ?」

 そうして首をわずかに傾ける。緑色の髪がさらりと揺れた。
 眼差しは、優しいまま。
 その声音も優しくて、一度は引っ込んだ涙がまた込み上げてきてしまった。
 でも本当にこのまま泣いていいのだろうか。
 躊躇ちゅうちょする私を見かねたのか、セナさんから歩み寄ってきた。

「おいで」

 優しい声でうながすから、涙がこぼれ落ちてしまう。
 よろけながら歩み寄って、ぽすんっとセナさんの胸――というより、肩に顔を埋めた。
 セナさんは、傷だらけになった心ごと包み込むように、そっと抱き締めてくれる。
 私の頭の後ろにてのひらを置いて、軽くぽんぽんと弾ませる。
 きっとこうして、弟のセスをあやしてきたのだろう。
 私はぎゅっとしがみ付き、震えながら泣いた。

「ふわぁあんっ!」

 声を上げて泣くのは、一体いつぶりだろうか。
 ああ、違う。
 きっと初めてだ。
 だって、今までこんな風に泣く暇なんてなかった。声を押し殺して泣くだけ。
 大泣きしてしまうなんて。いや、大泣きできるなんて。
 今の環境がいいのだろうか。それともセナさんがいてくれるからだろうか。
 お日様を浴びた緑の匂いがした。
 とても落ち着く匂いのおかげで、次第に私の震えは治まっていく。
 やがて涙が止まったところで、ふと我に返った。
 セナさんと抱き合うような体勢でいるこの状況。
 肩を思いっきり涙で濡らしてしまったし、今もなお彼のシャツを握り締めている。
 えっと、今、離れてもいいのかしら。
 タイミングを見計らうが、たまにセナさんが頭や背中をぽんぽんと叩いてくれるから、なんとなく機をいっしてしまう。
 落ち着く匂いのせいか、離れがたく感じた。このまま眠ってしまいたい気もする。
 でもいつまでも、異性であるセナさんにしがみ付いていてはいけない。
 しかし厄介なもので、意識をしたら今度は顔が熱くなり、ますます動けなくなってしまった。
 いやでも、これは子どもみたいに大泣きしたことに対する赤面だって思ってくれるかもしれない。

「落ち着いた?」

 相変わらず、セナさんの声は優しい。

「は、はいっ」

 うつむいたまま、そっと一歩下がる。

「あの、すみません……肩、濡れてしまいましたよね」
「いいんだよ。君のためなら」

 白いシャツにシミができていることが申し訳なくて、さらにうつむいていたけれど。
 君のためなら、なんて言葉につられて、顔を上げる。
 まっすぐに向けられるエメラルドグリーンの瞳は、やっぱり優しかった。
 同じくらいの高さにあるその視線を受けて、なんだか胸がぽかぽかとする。
 優しい人だ。とても、とても優しい男の人。

「拭きますか?」
「これくらいなら、すぐ乾くよ」
「えっとじゃあ、セナさん。店を直しますので、一度出てもらってもいいでしょうか?」
「わかった」

 素直に引き返してくれたかと思ったら、セナさんはドアの前でくるりと振り返った。

「顔、赤いけれど、大丈夫?」

 指摘されてしまった。

「大泣きして、恥ずかしいです」

 異性の腕の中で泣いたことに対してではなく、子どものように大泣きしたことに対する赤面だとほのめかす。

「そう? たまにはいいんじゃないかい」

 またセナさんが、ポムッと私の頭に手を置いた。

「まぁ君の泣き顔は初めてじゃないし。僕はいつでもなぐさめてあげるから泣いていいよ」
「えっ?」

 にやり、と久しぶりに意地悪な笑みを浮かべるセナさんの発言に、瞠目どうもくする。

「泣き顔が初めてじゃないって、どういうことですか? えっ? 私いつ泣いたのですか!?」
「いつだろうね」

 楽しそうにはぐらかしてセナさんは、白いドアを閉めた。
 い、いつ泣いたのだろうか。私。
 それとも適当なことを言っているのだろうか。そんな人ではないと思うけれど。
 恥ずかしい、とまた熱くなる頬を押さえつつ、私は店を直すことにした。
 念力の魔法の道具ラオーラリングを指にめて、両手をパンッと合わせる。魔力を店の中に広げていくと、散らばった窓ガラスの破片が吸い込まれるように元の位置に戻っていく。窓は元通り。白いドアの窓も同様だ。

「もういいですよ」

 セナさんを招き入れたあと、唯一直っていない真っ二つになった砂時計に触れる。

「僕も気に入っていたのに……それも一緒に直らないの?」
「直す魔法は店自体にかけているので……砂時計までは直らないんです」
「大切なものなんだろ?」
「はい。これは祖父から贈られたものでして……ああ、大丈夫です。別の魔法で直せますから」

 セナさんが隣に並び、壊れた砂時計の破片を集めるのを手伝ってくれた。

「直せても、君の傷ついた心はえないだろう? 誰の仕業だい?」

 犯人を問う。

「また君の元婚約者の匂いがしたけれど、まさか彼じゃないよね?」

 少々鋭い眼差しになった。

「本当に鼻がきくのですね。彼ではありません……」
「ふぅん……」

 私が言おうとしないからか、セナさんは追及をやめる。
 セナさんに砂時計の形に押さえておいてもらい、私は元の形に戻る魔法をかけた。
 ふわりと光り、元の砂時計に戻る。

「でもこんな嫌がらせをされたと知っては一人にはできないな。今日はウチに泊まっていきなよ」
「え? そこまでしなくても」
「今ならぼんやりしているセティアナをもふり放題だよ」
「んっ! い、行きます!」

 私がセティアナさんのもふもふにつられると、セナさんはおかしそうに笑った。



    3 もふもふと添い寝。


 その後、獣人傭兵団の皆さんもお店に来た。
 今日は大仕事をしたらしく、シゼさん達はちょっと火薬や鉄の匂いをさせていた。
 お疲れのようなのでおうちにお邪魔することは遠慮しようと思ったけれど、セナさんが「今日ローニャが家に泊まりたいって。いいよね?」と言うとシゼさんは頷き一つで承諾。
 チセさんもリュセさんも「いいぜー」とにっこりと笑いかけてくれたので、お言葉に甘えて、獣人傭兵団さんのお屋敷へ行くことにした。
 私の店でまったりと昼食を済ませたあと、揃って向かう。
 一緒に歩いていると、街の人々の視線が集まる。
 獣人傭兵団さんへの恐れを見せつつ、控えめに私に手を振ってくれる。
 相変わらずだな……
 セナさんをはじめ、獣人傭兵団の皆さんはとても優しいのに。
 先ほどセナさんになぐさめられたことを思い出す。
 胸の中が、ポカポカしてきてしまう。その熱が頬に行かないように、胸を撫でて落ち着こうとする。
 落ち着いて。火照ほてらないで、頬。
 そうこうしているうちに、街外れのお屋敷に到着。
 急な訪問に、ジャッカル姿のセスが驚いた様子だ。その後、セスと一緒にセティアナさんの部屋に行くと、そこにはリューがいた。
 リューは、青いサファイアになる涙を流すフィーロ族の女の子で、私の友だちだ。
 きっとこの前、悪魔から助けてくれたお礼をセティアナさんに言いたくて、ラクレインに連れてきてもらったのだろう。
 そんなリューは、白金の狼の女性セティアナさんに後ろから抱き締められていた。
 私に気付いて嬉しそうに手を振ってくれたけれど、抱き締められたままだ。
 う、うらやましい!
 もふもふのセティアナさんに抱き締められている!

「セティアナって、少しアルコールを摂取しただけでも酔って、誰彼構わずああしちゃうんだよねぇ」

 セスが言葉をらす。
 なるほど、リュセさんが前に言っていたお酒に弱くて他人に絡むとは、こういうことだったのか。今はお酒は飲んでいないけれど、治癒魔法の副作用でこうなっているらしい。
 じゃれることが大好きな獣人族なのに、そのリュセさんが嫌がるほどのじゃれつき。
 見たところ、リューは苦しくなさそうだけれど……むしろ私は大歓迎なんだけど。
 セスとセナさんが、かたくなにセティアナさんのお見舞いを断ったのは、これが原因だったのか。

「酔うほどに締め付けてくるから、セティアナは。ラッセルが締め付けられて悲鳴を上げてたよ」

 思い出し笑いをするセス。
 尖り耳が特徴的なカラカル獣人のラッセルさんが、セティアナさんに羽交い締めにされているところを想像する。
 密かにセティアナさんを想っているラッセルさんは、嬉しい悲鳴を上げたのだろうか。
 それとも獣人の力強い抱擁ほうように、苦しくて悲鳴を上げたのでしょうか。
 それにしても、クールで仕事のできる女性といった雰囲気のセティアナさんが、お酒に弱く、その上ハグ魔になってしまうとは。
 これもギャップ萌えでしょうか。

「ローニャさん……?」

 ぽけーっとした声で呼んだのは、リューの肩に顔を埋めていたセティアナさんだ。
 ようやく私が来たことを知ったみたい。

「お邪魔しています。……今夜、泊まってもいいでしょうか?」
「ローニャ、泊まるの? わたしもいい?」

 キラキラと目を輝かせて、リューもセティアナさんを見上げる。

「ローニャさんもリューも、どうぞ、泊まっていってください」

 美しいウェーブのついた白金色の長い髪に包まれた狼さんは、優しく微笑んだ。

「わーい! じゃあパジャマパーティーしよう!!」
「いいですね。私はとりあえず、紅茶をれてきますよ」
「あ、ローニャの紅茶ならいっぱいストックしてあるよー」

 私の店に置いている紅茶があると、セスが教えてくれる。

「セス、お客さんにお茶をれさせるのはよくないわ」
「紅茶くらいれさせてください」

 セスを叱りながらもリューを放さないセティアナさんにちょっぴり笑いつつ、私は一人キッチンに向かう。
 私もあとでセティアナさんにもふもふしてもらおうっと。
 ルンルンと軽い足取りでキッチンに入る。
 上の棚を開けると、セスの言う通り、私の店で売っている紅茶がストックされていた。
 どれにするか聞き忘れてしまったから、ローズティーとミルクティーとラベンダーティーを用意。
 四人分なので、残りの一つは適当に選んだローズティーにした。
 赤いローズティーの中には、薔薇に似た小さな赤い花が沈んでいる。
 白いミルクティーには、たんぽぽに似た白い花が一輪。
 淡い紫のラベンダーティーの中には、星型のような青い花が三つ浮かぶ。
 それぞれカップの中でカプセルをお湯で溶かして紅茶にしたあと、トレイにのせる。
 扉が開く音がしたから振り返ると、黒い獅子さんが立っていた。
 獣人傭兵団のリーダーであるシゼさんだ。

「客人がお茶をれているのか?」
「これくらいさせてください」
「……そうか」

 セティアナさんみたいにセスを叱らないでくれるといいのだけれど。

「シゼさんは、キッチンに何か用があったのですか?」
「ああ、コーヒーが飲みたくてな」
「カフェインの取りすぎはよくない気がしますが……ココアなんてどうでしょう? 作りますよ」
「……じゃあ、頼む」
「はい」

 さっきも店でコーヒーを飲んでいたし、ココアの方がいいだろう。
 シゼさんが頷いたので、紅茶の隣に置かれたココアの粉のビンを手に取って、マグカップに適量入れた。
 ミルクを温めていると、黒いもふっとした手がそっと後ろから頬を撫でてきた。
 驚きのあまり、ビクンッとしてしまう。
 この前、一人の男性として意識してほしいと言ったシゼさんの特別なじゃれつき。
 そう気付いた時には、もうすりすりと黒いたてがみが頬ずりしてきていた。
 真っ黒な獅子さんのじゃれつきは大歓迎なのだけれど、そこに特別な想いがあると思うと耐えられない。
 頬から熱が広がる。きっと顔が赤くなってしまっただろう。

「し、シゼさんっ」

 慌てて、シゼさんの特別なじゃれつきから抜け出す。
 しかし、黒くもふっとした手が引っ掛けるようにして、私の手を引き留めた。

「さっき、やけに店が綺麗に感じた。前に店の修理の魔法を使った時も、そうだったが……使ったのか? 何かあったのか?」

 普通に食事をしているように見えたのに、些細ささいな変化に気付いたようだ。
 だから、あっさりと宿泊の許可を出してくれたのだろうか。

「……大丈夫です」

 私は繋がった手をうつむきがちに見つめたまま、それだけ答えた。

「……風邪の時のように、一人で無理をしようとするな」

 シゼさんは、うつむいた私のあごをすくうようにして、顔を上げさせた。

「オレ達を頼れ」

 琥珀色こはくいろの瞳が、私を熱く見つめている。

「……こうして、頼っています。どうもありがとうございます」

 だから、私はここに来た。

「頼ってばかりな気がします……」
「まだ足りない」

 シゼさんはそう言葉を返すと、私に顔を近付けてくる。
 えっ……!
 身構えた時には、もう鼻の先に獅子の顔があった。
 思わず、目をキュッと閉じる。
 頬に大きな唇が当てられた。
 純黒の獅子さんの口付け。
 真っ赤になって、頬を押さえた。

「ローニャ。セティアナに遠慮するなよ?」
「えっ?」
「……わかってるだろう?」

 シゼさんは腕を組んで、それだけを言う。

「……」

 少し言葉の意味を考えて、私は頷いた。

「はい……」

 セティアナさんがシゼさんを愛しているということを知っている。
 でも、シゼさんは昔そんなセティアナさんの想いを断っていて、今は私にアプローチをしているのだ。
 セティアナさんはとても深くシゼさんを愛しているみたいなのに、どうして断ったのだろうか。

「……あの」

 つい尋ねようとしてしまう。
 あんなに美しくて、なんでもそつなくこなせそうで、深く愛してくれる女性がそばにいたのに。
 どうしてなんだろう。

「……話す気はない」

 シゼさんは何を尋ねようとしたか、わかっていて一蹴した。
 立ち入ってはいけなかったのだろうか。

「オレから話すことではないだろう。セティアナ本人に聞けばいい」

 そう付け加える。
 セティアナさんが話すのなら、聞いてもいいみたいだ。

「もう一度言うが」

 結局、自分でココアを作ってしまったシゼさんは、私の前を通ってキッチンを出ようとする。

「他人に遠慮して、オレの気持ちを受け取らないのは、なしだからな」

 釘をさすように言うシゼさん。
 そのまま、キッチンを出ていってしまった。

「……」

 私は念力の魔法の道具であるラオーラリングを指にめると、紅茶をのせたトレイを宙に浮かせて、キッチンを出た。
 セティアナさんの部屋に戻ると、純白のチーター姿のリュセさんがいた。

「お嬢ー。談話室で一緒にお昼寝しようぜ?」

 お昼寝のお誘いに来たらしい。

「まったく、セス。遊びに来ているお嬢に、お茶をれさせるなよなぁ。ほらよ、リュー」
「……むぅ」
「むくれるなよ」

 リュセさんは宙に浮くトレイを持ち、リューにカップを差し出した。
 リューはむくれつつ、カップを受け取る。

「あっ、紅茶は好きなものを飲んでください。ローズティーは、二つあります」
「ほんとだ、どうする? リュー」
「これでいい」

 ツンッとそっぽを向いて、リューはラベンダーティーをすすった。

「じゃあ、僕はローズティー!」
「ローニャさんは何にしますか?」
「じゃあ、ミルクティーにします」

 セティアナさんが私に選ばせてくれたので、ミルクティーのカップを手にする。
 セスとセティアナさんは、ローズティーのカップを持った。

「ケーキを持ってくるべきでしたね」
「お気遣いなく」

 セティアナさんのベッドに腰掛けて、紅茶をすする。

「じゃあ、紅茶を飲み終わったら、談話室でまったりお昼寝しようぜー?」

 リュセさんは飲み終わるまで待てないようで、長い尻尾を揺らして先に部屋を出ていった。

「ローニャも、ありがとう。ごめんね、わたしが悪魔なんかに捕まったから迷惑かけちゃって……」

 沈黙のあとに、リューがそう切り出す。

「早くオリフェドートの森に入ろうとしたんだけど、その前に捕まっちゃって……」

 説明しながらうつむくリュー。私はその頭に片手をのせる。
 オリフェドートの森には、魔導師のグレイティア様が悪魔の侵入を拒む結界を張ってくれた。
 その中にさえ逃げ込めれば、あの悪魔に捕まらずに済んだ。

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