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6巻
6-2
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話しながらも持参してくれたバスケットに商品を詰める。
「大丈夫だって! それより、ローニャの方こそ大丈夫なの?」
会計時に身を寄せて、セスはひっそりと問う。
「何がでしょう?」
「変なお客さんが来て、口説かれたりしてない?」
ドキッとしてしまった。もしや、オルヴィアス様にデートを申し込まれたことを知っていて聞いているのだろうか。
いや、知っているわけがない。ロト達は、精霊オリフェドートには報告しただろうけれど……
「変なお客さんとは?」
私は動揺を隠して、質問の意味を問う。
「んー、別に深い意味はないんだよ?」
セスは唇を尖らせて、そっぽを向いた。
「変なお客さんが来てないならいいや! じゃあまたね、ローニャ店長!」
お会計を済ませ、セスはバスケットを持って軽い足取りで店を出ていく。
「またいらしてください」
見送ったあと店に戻ると、カウンター席に並ぶ仲良し三人組の一人に話しかけられた。
「あの、謎の美女さん。来てないですね」
セティアナさんは謎の美女と認識されているらしい。
獣人傭兵団さんの仲間だと知ったら、驚くだろうけれど、それは内緒。
「そうですね」
そう曖昧に頷いておく。
忙しいブランチタイムを過ぎて、テイクアウトのお客さんが増える中、十二時になった。
客足が途切れた隙に、私のランチタイム。サンドイッチを片手に、本を読んだ。
食べ終えたあと、再び粉雪の魔法で店内とタオルを冷やしておく。
そしてまったりしながら、午後のお客さんである獣人傭兵団さんを待った。
「あっちぃ! 夏早く終われ! あっ、涼しくなってる~お嬢~! ありがとー!」
喚きながら入ってきたのは、リュセさん。
純白のチーター姿の獣人だけれど、毛に覆われた獣人姿では暑いのだろう、今日も人の姿だ。
純白の髪がさらさらキラキラしていて、瞳はライトブルー色。汗も滴るイケメンさん。
最近、もふもふ度が少なくて、残念極まりない……
「リュセさん、いらっしゃいませ。冷やしたタオルをどうぞ」
「お嬢~!」
リュセさんは冷えたタオルに顔を埋めたかと思ったら、次の瞬間抱きつこうとしてくる。私は横にステップして華麗に避けた。
「無理、まじ夏やべぇ……アイスくれ」
「チセさん、いらっしゃいませ。冷えたジュースを持っていくので、アイスは食後にしましょう」
「おう! あ、冷てぇ!」
汗がボタボタと垂れ落ちているのは、チセさん。
真っ青な狼姿を持つ獣人だけれど、彼もまた人の姿だ。真っ青な髪をオールバックにして、やや鋭い目付きの青い目をしたワイルドさん。八重歯がギラリと光っている。
チセさんは冷たいタオルにびっくりしたあと、豪快に頬ずりした。
「冷やしてくれたタオル? ありがとう」
「はい、セナさん。いらっしゃいませ」
「ん」
次に入ってきたのは、セスの兄であるセナさん。
緑色のジャッカル姿を持つ獣人。でも、やっぱり人の姿である。一番小柄ではあるけれど、優しくてかっこいい男性。緑色の髪と瞳を持っている。
セナさんはワイシャツの襟を開いた首元を、冷えたタオルで拭った。
「……」
「シゼさん、いらっしゃいませ」
無言で入ってきたのは、シゼさん。
純黒の獅子の姿を持つ獣人で、傭兵団のボス。純黒の髪をオールバックにしていて、琥珀色の瞳を持つ威圧的な男性。
ワイシャツの前を全開にして、鍛え抜かれた筋肉を惜しみなく晒している。そこに汗が滴り落ちる。
目のやり場に困ったので視線を上げ、瞳を見ながら冷えたタオルを手渡した。
「ありがとう」
低い声で一言。そして冷えたタオルで身体を拭う。
「荒野の気温は三十度近くまで上がっていますからね、しっかり水分補給をして涼んでください」
テーブル席についた一同に声をかけて、チセさんにフルーツジュースを出した。他の皆は、冷えた水。
それから、注文を受けた。たくさん食べてくれるので、私も作り甲斐がある。
その日は、皆さん、まったりと過ごしてくれた。
それとなくセティアナさんのことを尋ねたが、セナさんは「大丈夫だから気にしないで」と答える。
もふもふしたいなぁ。緩んだセティアナさんにじゃれられたい。
手入れが行き届いた、金色を帯びた白金色の髪と毛並み。もふもふしたいっ。
「無防備なセティアナをもふりたいだけだろう?」
にやり、と片方の口角を上げて、セナさんは言い当てる。
ギクリ。
「あ、そっか。最近じゃれてねーもんな。ごめんな? オレもじゃれてーんだけど、獣人の姿は暑くて無理なんだよー」
外見に似合わず、じゃれることが好きなチセさんが眉尻を下げた。
「えー? お嬢? じゃれたいなら、いつでもいいよー?」
「わっ」
後ろから声。油断した隙に猫さんがじゃれてきた。
チーターの耳と尻尾を生やしたリュセさんだ。私の腰に腕を回して、ぎゅっと締め付ける。
長い尻尾の先は、私の頬をぐりぐりとしてきた。
「はわわっ」
思わず声を漏らしてしまう。
もふもふの尻尾……!
「店長。フォンダンショコラ」
「はい!」
誘惑に負けそうになりながらも、なんとか振りほどいて、シゼさんの注文を受ける。
シゼさんが食べ終わると、獣人傭兵団さんは帰っていった。
夕焼けの空の下を歩く彼らを見送り、一日の終わりを感じる。
またロト達を召喚して、掃除を手伝ってもらった。お礼は残り物で足りるだろうか。
その時、風をまとったお客さんが来た。
精霊の森の幻獣ラクレインだ。
限りなく人に近付けた姿を取っているが、獣人とは違う。
黒いズボンとブーツを身につけているように見えても、下半身は鳥。腕は引きずるくらい大きな翼のまま。
顔は人のものに見えるけれど、羽毛の髪の毛が伸びている。後頭部にある羽根は長く、ライトグリーンからスカイブルーに色を変えて艶めいている。それから、黒いリップをつけたような唇。
「ラクレイン! 森にいなくていいの?」
「危機は去った。またしてもお主に救われたのだ。我が離れていても大丈夫だろう」
精霊の森は、悪魔に襲撃されたばかりだ。心配する私をラクレインは宥める。
「オルヴィアスにデートを申し込まれたと聞いた」
ロト達ですね。オリフェドートには報告すると思っていたけれど、ラクレインにまで。
口止めしてなかったけれど、伝わるのが速いです。
「デートするんだな?」
「え、ええ……断る理由が……なかったので」
「別に言い訳しなくてもいい。お主の自由だ」
言い訳か。苦笑して頬を指先で掻く。
「どうなんでしょう……求婚をしてくれたけど断った方と、デートをするって……」
「さぁ……我にはわからんな」
私の恋愛事情に詳しいラクレインでも、すべてを答えてくれるわけではない。
「レクシーにでも相談したらどうだ? もう会えるようになったのだろう」
「そうね……」
相談相手として友人のレクシーの名前をあげてくれた。
でもレクシーも暇じゃない。今度また会いに来てくれるとは言っていたけれど。
「ああ、新しく獣人の友人ができたそうじゃないか。先日の悪魔と戦ったセティアナとかいう」
「セティアナさんは無理かなぁ……」
「なぜだ?」
セティアナさんの想い人はシゼさんだが、シゼさんは私に気がある。
セティアナさんは、そのことを知っている。
そんな状況で他の男性からデートを申し込まれたなんて、話せない。
答えにくいから、曖昧に笑った。
「もしもの時は、呼べ。また来る」
ラクレインはそう言うと、手伝いを終えたロト達を連れ、風を巻き起こして去っていった。
二階の部屋に戻って、寝支度を終えた私は、机につく。
日記を開いて、今日の出来事を書いた。
普段一階のカウンターに飾っている砂時計を、時々眺める。お祖父様からもらったそれは、宝石のように美しいエメラルド色の砂がキラキラと落ちていく。
日記の中は、ずいぶんとまったりした時間が書かれていると思う。
前世から、苦しい時間ばかりが続き、幸せな時間などほんの少しだった。
だから、この日記が特別に思える。私の幸せな時間を記したもの。
日記には、オルヴィアス様とデートすることになったと書いた。
そして、オルヴィアス様の求婚について改めて考えつつ、デートを楽しみたいと記す。
真剣なオルヴィアス様のために、私も真剣に考えて、いつか答えを出したい。
翌日は、水色のドレスを着た。
いつものように、朝の支度をして、開店。
昼まで頑張って働く。
客足が途切れたところで、お肉が足りないから買い出しに行こうとした。
そんな私の目の前に、とある人物が現れた。
店に足を踏み入れたのは、私の初恋の人、シュナイダーだ。
王弟殿下の息子、シュナイダー・ゼオランド。金髪と青い瞳を持つキラキラしたイケメン。
私との婚約を破棄し、ヒロインであるミサノ嬢を選んだ人。
服装は制服だったから、学園から来たのだろう。
「今すぐ出ていかないと、強制的に追い出して出禁にしますよ」
「っ!? ま、待ってくれ!! 話を聞いてくれ!」
私は指を掲げて、結界を発動する準備をした。
でもシュナイダーは、私と話したいらしい。
私には話すことなどないのに……
「本当にすまなかった!!」
シュナイダーはバッと腰を折って頭を下げた。
2 ぶつけられる敵意。
この謝罪はきっと、少し前に投げ付けてきた言葉に対するものだろう。
『君のその目、その姿! 君の家族にそっくりだぞ!』
逆上して私が傷つく言葉をぶつけてきたことへの謝罪。
今更、謝罪されても……
「謝罪が、いくらなんでも遅すぎるのではないですか?」
「そ、それは……白金色の狼が……」
「え?」
「いや! なんでもない!!」
小さく言い訳をしようとしたシュナイダーの声は、聞き取れなかった。
彼は、ぶんぶんと首を左右に振って再び謝罪をする。
「それも謝る、本当に申し訳なかった……! 君を信じられなくなってからのオレはどうかしている……そう思うんだ。なんで早く気付けなかったんだろうか。君がオレの運命の人だって、昔から思っていたのに」
「……シュナイダー」
頭を下げたままのシュナイダーを見て、私は言わずにはいられなかった。
ううん、言わなくちゃいけないと思ったのだ。
「運命の人ではないから、私達は離れたのよ。シュナイダー」
シュナイダーが頭を上げる。傷ついたような顔をするのを見たくなくて、私は目を背けてカウンターテーブルの整理をする。
魔導師であるグレイティア様からもらったアメジストの石、そして祖父からもらったエメラルドやペリドットが煌めくような砂時計を置き直すふりをして、告げる。
「ミサノ嬢とシュナイダーが、運命の相手同士なのよ」
私の前世で決まっていた運命。
「違う!」
シュナイダーが、私の手首を掴んだ。
「初めて会った時! 愛を育もうと約束したじゃないか!!」
七年ほど前のまだ幼い頃、真剣な眼差しでそう言ったシュナイダーを思い出す。
もしかしたら、違う運命があるのではないかと、希望を抱いた瞬間――私は、彼の手を取ってしまった。
「オレ達には、幼い頃からずっと、そばにいた思い出がたくさんあるじゃないか! すべてを忘れたって言うのか?」
目の前にいるシュナイダーは、とても必死だった。あの幼い頃とは違う眼差し。
苦しくなってきた私は、ぽろっと涙を落とした。
シュナイダーはハッとしたように手を放す。
「い、痛かったか? す、すまない!」
そうじゃない。
「なんで……」
喉が詰まるような痛みを覚えながら、私は言葉を絞り出す。
「大切な思い出を、汚そうとするの?」
「えっ……」
「私にはずっと……ずっとずっと大切な思い出で、支えだった! 今でも大事だけれど……それでもシュナイダー。私達は、運命の赤い糸で結ばれた者同士なんかじゃない」
涙ながらに伝えると、シュナイダーは言葉を失った。
「……君に、未練がないことは、わかった」
やがてシュナイダーが呟くように言うと、背を向ける。
「本当にすまない」
消えてしまいそうな小さな声で謝って、彼は白いドアから出ていった。
私は鼻を啜り、涙を指先で拭う。こんな顔では出かけられない。
少し時間をおこうとした時、再び白いドアが開かれた。
驚いた。入ってきたのはシュナイダーではない。
ミサノ・アロガ嬢だったのだ。
学園の制服ドレスに身を包んで、店内を見回すミサノ嬢は、どうやら偶然私の店を訪れたわけではないみたい。――当然か。
シュナイダーの移動魔法を追跡してきたのだろう。私の居場所を、友人であるレクシー達が教えるはずもないから、そうに違いない。
腰まで届く黒髪は艶やかで、同じく黒い瞳は強さを感じさせる。
「みすぼらしい店」
一言、放つ。
「伯爵令嬢なのに」
そう付け加えて。
「一人で経営しているのかしら」
「あの。これから買い出しに行くので、外に出てくれませんか? ミサノ嬢」
キッチンを覗き込もうとするミサノ嬢に、私は出ていくよう言う。
「気安く呼ばないでくれる? ローニャ・ガヴィーゼラ嬢」
しかし、睨み付けるミサノ嬢は、冷たく言葉を返してくる。
私はもうガヴィーゼラ伯爵家の令嬢ではないと言おうとしたが――
「さっきの見たわよ。涙まで使って一芝居して、そうやってシュナイダーの心を取り戻そうとしているのね」
「え? なんのことですか?」
「とぼけないで! またシュナイダーを騙していることはわかっているのよ!?」
ミサノ嬢が、声を上げた。
シュナイダーを騙している?
私達の会話を聞いていなかったのだろうか。
「何を言っているのですか? 私は」
ミサノ嬢の誤解をとこうと思ったのだけれども……
「また認めないつもりなのね! 学園にいる時からそうよね! 成績一位の座だって、シュナイダーの婚約者の座だって、ガヴィーゼラ伯爵家の力がなければ、あなたのものじゃなかったのに、我がもの顔で!! 不快だったわ!」
驚いた。そんな風に思っていたのか。
ミサノ嬢は腕を組んでそっぽを向いたかと思ったら、すぐにこちらをギロリと睨み付けてくる。
「すべて、ガヴィーゼラ伯爵家の力だと言いたいのですか?」
「違うというのかしら?」
「私は私なりに努力をしてきました」
「努力ですって!? あなたは努力なんてしなくても、なんでも手に入ったじゃない!!」
私はびくっとしてしまう。
努力を否定する怒鳴り声が、お兄様のそれと重なった。
努力を認めてくれないお兄様を思い出し、胸の前で手を握り締める。
「そんな環境にいたくせに、努力なんて簡単に言わないでほしいわ! 私の努力こそ本物よ! 学園に遅れて入学した分、成績一位の座を手に入れようと必死だった! あなたはいいわよね? ガヴィーゼラ伯爵家の力とお金で、入学前から教育を受けられたんだから。シュナイダーから聞いたのよ!」
ふん、と嘲笑を向けてくるミサノ嬢は知らない。それがどれほど辛い日々だったか。
子どもらしく遊ぶ時間も奪われて、稽古も勉強も息をつく暇もないくらい強いられてきた日々。
耐えて、こなしてきたのは、きっと間違った努力だったと思う。もっと環境を改善する方に力を使えばよかった。
苦しさだけが募ったそれを、ガヴィーゼラ伯爵家の力のおかげだなんて言葉で片付けられたくない。
学園入学を前にしてそれがさらに厳しくなったことも、ミサノ嬢は知ることはない。
ミサノ嬢にとって、私はあの冷血なガヴィーゼラ伯爵家の令嬢。
噂通り冷血で、権力のある名家の恵まれた環境で育ち、何不自由なくすべてを手に入れてきた我儘な令嬢なのだ。
今更誤解だと説明する気も起きない。
むしろ、このままでいいのだろう。
ミサノ嬢にとって、私は悪役令嬢なのだ。
これ以上言葉を交わしても、傷つけ合うだけだ。
私は人を傷つけたくないし、傷つけられたくもない。
「そうですか。私、急いで買い出しに行かないといけないので、もう外に出てくれませんか?」
「まだ話の途中よ!!」
「シュナイダーとは金輪際会わないでほしい、そう言いたいのでしょう? 私のことより、ご自分の心配をした方がいいのでは?」
「は?」
ミサノ嬢の前を横切って、白いドアを開ける。
「私の取り巻きだった令嬢達を拷問した件、陛下にバレていますよ」
「っ! 脅すつもり!?」
「私は何も答えるつもりはありません。なので濡れ衣の件を掘り返されることはないと思いますが……まぁ私の知ったことではありません。早く出てください」
精霊オリフェドートが国王陛下に釘を刺したのだ。
そのため、これから速やかにミサノ嬢は拷問の件を罰せられるはず。
令嬢達が黙っていてくれれば、平穏に過ごせたのに……
ミサノ嬢がしぶしぶ店の外に出たので、私は鍵を締めてお辞儀をした。
「それでは、失礼します、ミサノ嬢。シュナイダーとお幸せに」
どんな罰が下ろうとも、シュナイダーと幸せになってほしい。
余計なお世話だろうけれど、そう願っている。
私は急いで精肉店に行き、お肉を買い込んだ。せっかくだから、ステーキ肉を買っておく。
チセさん達、喜んでくれるだろうか。
そう思いながら、また急ぎ足で帰り、異変に気付いた。
窓が割られている……!
白いドアの窓も粉々だ。鍵を開けて店に入ると、中は窓ガラスの破片が散らばっていた。
明らかに外から割られている。仄かに魔法の気配が残っていた。
……ミサノ嬢の仕業だ。
「っ!」
買ったものをカウンターに置いて、両手で触れたのは、真っ二つに割られてしまった砂時計。
幼い頃にお祖父様が与えてくれたもので、ずっと私の時間を積もらせてくれた砂時計だ。
思い出と同じくらい、大切なものだった。
「っう……!」
「大丈夫だって! それより、ローニャの方こそ大丈夫なの?」
会計時に身を寄せて、セスはひっそりと問う。
「何がでしょう?」
「変なお客さんが来て、口説かれたりしてない?」
ドキッとしてしまった。もしや、オルヴィアス様にデートを申し込まれたことを知っていて聞いているのだろうか。
いや、知っているわけがない。ロト達は、精霊オリフェドートには報告しただろうけれど……
「変なお客さんとは?」
私は動揺を隠して、質問の意味を問う。
「んー、別に深い意味はないんだよ?」
セスは唇を尖らせて、そっぽを向いた。
「変なお客さんが来てないならいいや! じゃあまたね、ローニャ店長!」
お会計を済ませ、セスはバスケットを持って軽い足取りで店を出ていく。
「またいらしてください」
見送ったあと店に戻ると、カウンター席に並ぶ仲良し三人組の一人に話しかけられた。
「あの、謎の美女さん。来てないですね」
セティアナさんは謎の美女と認識されているらしい。
獣人傭兵団さんの仲間だと知ったら、驚くだろうけれど、それは内緒。
「そうですね」
そう曖昧に頷いておく。
忙しいブランチタイムを過ぎて、テイクアウトのお客さんが増える中、十二時になった。
客足が途切れた隙に、私のランチタイム。サンドイッチを片手に、本を読んだ。
食べ終えたあと、再び粉雪の魔法で店内とタオルを冷やしておく。
そしてまったりしながら、午後のお客さんである獣人傭兵団さんを待った。
「あっちぃ! 夏早く終われ! あっ、涼しくなってる~お嬢~! ありがとー!」
喚きながら入ってきたのは、リュセさん。
純白のチーター姿の獣人だけれど、毛に覆われた獣人姿では暑いのだろう、今日も人の姿だ。
純白の髪がさらさらキラキラしていて、瞳はライトブルー色。汗も滴るイケメンさん。
最近、もふもふ度が少なくて、残念極まりない……
「リュセさん、いらっしゃいませ。冷やしたタオルをどうぞ」
「お嬢~!」
リュセさんは冷えたタオルに顔を埋めたかと思ったら、次の瞬間抱きつこうとしてくる。私は横にステップして華麗に避けた。
「無理、まじ夏やべぇ……アイスくれ」
「チセさん、いらっしゃいませ。冷えたジュースを持っていくので、アイスは食後にしましょう」
「おう! あ、冷てぇ!」
汗がボタボタと垂れ落ちているのは、チセさん。
真っ青な狼姿を持つ獣人だけれど、彼もまた人の姿だ。真っ青な髪をオールバックにして、やや鋭い目付きの青い目をしたワイルドさん。八重歯がギラリと光っている。
チセさんは冷たいタオルにびっくりしたあと、豪快に頬ずりした。
「冷やしてくれたタオル? ありがとう」
「はい、セナさん。いらっしゃいませ」
「ん」
次に入ってきたのは、セスの兄であるセナさん。
緑色のジャッカル姿を持つ獣人。でも、やっぱり人の姿である。一番小柄ではあるけれど、優しくてかっこいい男性。緑色の髪と瞳を持っている。
セナさんはワイシャツの襟を開いた首元を、冷えたタオルで拭った。
「……」
「シゼさん、いらっしゃいませ」
無言で入ってきたのは、シゼさん。
純黒の獅子の姿を持つ獣人で、傭兵団のボス。純黒の髪をオールバックにしていて、琥珀色の瞳を持つ威圧的な男性。
ワイシャツの前を全開にして、鍛え抜かれた筋肉を惜しみなく晒している。そこに汗が滴り落ちる。
目のやり場に困ったので視線を上げ、瞳を見ながら冷えたタオルを手渡した。
「ありがとう」
低い声で一言。そして冷えたタオルで身体を拭う。
「荒野の気温は三十度近くまで上がっていますからね、しっかり水分補給をして涼んでください」
テーブル席についた一同に声をかけて、チセさんにフルーツジュースを出した。他の皆は、冷えた水。
それから、注文を受けた。たくさん食べてくれるので、私も作り甲斐がある。
その日は、皆さん、まったりと過ごしてくれた。
それとなくセティアナさんのことを尋ねたが、セナさんは「大丈夫だから気にしないで」と答える。
もふもふしたいなぁ。緩んだセティアナさんにじゃれられたい。
手入れが行き届いた、金色を帯びた白金色の髪と毛並み。もふもふしたいっ。
「無防備なセティアナをもふりたいだけだろう?」
にやり、と片方の口角を上げて、セナさんは言い当てる。
ギクリ。
「あ、そっか。最近じゃれてねーもんな。ごめんな? オレもじゃれてーんだけど、獣人の姿は暑くて無理なんだよー」
外見に似合わず、じゃれることが好きなチセさんが眉尻を下げた。
「えー? お嬢? じゃれたいなら、いつでもいいよー?」
「わっ」
後ろから声。油断した隙に猫さんがじゃれてきた。
チーターの耳と尻尾を生やしたリュセさんだ。私の腰に腕を回して、ぎゅっと締め付ける。
長い尻尾の先は、私の頬をぐりぐりとしてきた。
「はわわっ」
思わず声を漏らしてしまう。
もふもふの尻尾……!
「店長。フォンダンショコラ」
「はい!」
誘惑に負けそうになりながらも、なんとか振りほどいて、シゼさんの注文を受ける。
シゼさんが食べ終わると、獣人傭兵団さんは帰っていった。
夕焼けの空の下を歩く彼らを見送り、一日の終わりを感じる。
またロト達を召喚して、掃除を手伝ってもらった。お礼は残り物で足りるだろうか。
その時、風をまとったお客さんが来た。
精霊の森の幻獣ラクレインだ。
限りなく人に近付けた姿を取っているが、獣人とは違う。
黒いズボンとブーツを身につけているように見えても、下半身は鳥。腕は引きずるくらい大きな翼のまま。
顔は人のものに見えるけれど、羽毛の髪の毛が伸びている。後頭部にある羽根は長く、ライトグリーンからスカイブルーに色を変えて艶めいている。それから、黒いリップをつけたような唇。
「ラクレイン! 森にいなくていいの?」
「危機は去った。またしてもお主に救われたのだ。我が離れていても大丈夫だろう」
精霊の森は、悪魔に襲撃されたばかりだ。心配する私をラクレインは宥める。
「オルヴィアスにデートを申し込まれたと聞いた」
ロト達ですね。オリフェドートには報告すると思っていたけれど、ラクレインにまで。
口止めしてなかったけれど、伝わるのが速いです。
「デートするんだな?」
「え、ええ……断る理由が……なかったので」
「別に言い訳しなくてもいい。お主の自由だ」
言い訳か。苦笑して頬を指先で掻く。
「どうなんでしょう……求婚をしてくれたけど断った方と、デートをするって……」
「さぁ……我にはわからんな」
私の恋愛事情に詳しいラクレインでも、すべてを答えてくれるわけではない。
「レクシーにでも相談したらどうだ? もう会えるようになったのだろう」
「そうね……」
相談相手として友人のレクシーの名前をあげてくれた。
でもレクシーも暇じゃない。今度また会いに来てくれるとは言っていたけれど。
「ああ、新しく獣人の友人ができたそうじゃないか。先日の悪魔と戦ったセティアナとかいう」
「セティアナさんは無理かなぁ……」
「なぜだ?」
セティアナさんの想い人はシゼさんだが、シゼさんは私に気がある。
セティアナさんは、そのことを知っている。
そんな状況で他の男性からデートを申し込まれたなんて、話せない。
答えにくいから、曖昧に笑った。
「もしもの時は、呼べ。また来る」
ラクレインはそう言うと、手伝いを終えたロト達を連れ、風を巻き起こして去っていった。
二階の部屋に戻って、寝支度を終えた私は、机につく。
日記を開いて、今日の出来事を書いた。
普段一階のカウンターに飾っている砂時計を、時々眺める。お祖父様からもらったそれは、宝石のように美しいエメラルド色の砂がキラキラと落ちていく。
日記の中は、ずいぶんとまったりした時間が書かれていると思う。
前世から、苦しい時間ばかりが続き、幸せな時間などほんの少しだった。
だから、この日記が特別に思える。私の幸せな時間を記したもの。
日記には、オルヴィアス様とデートすることになったと書いた。
そして、オルヴィアス様の求婚について改めて考えつつ、デートを楽しみたいと記す。
真剣なオルヴィアス様のために、私も真剣に考えて、いつか答えを出したい。
翌日は、水色のドレスを着た。
いつものように、朝の支度をして、開店。
昼まで頑張って働く。
客足が途切れたところで、お肉が足りないから買い出しに行こうとした。
そんな私の目の前に、とある人物が現れた。
店に足を踏み入れたのは、私の初恋の人、シュナイダーだ。
王弟殿下の息子、シュナイダー・ゼオランド。金髪と青い瞳を持つキラキラしたイケメン。
私との婚約を破棄し、ヒロインであるミサノ嬢を選んだ人。
服装は制服だったから、学園から来たのだろう。
「今すぐ出ていかないと、強制的に追い出して出禁にしますよ」
「っ!? ま、待ってくれ!! 話を聞いてくれ!」
私は指を掲げて、結界を発動する準備をした。
でもシュナイダーは、私と話したいらしい。
私には話すことなどないのに……
「本当にすまなかった!!」
シュナイダーはバッと腰を折って頭を下げた。
2 ぶつけられる敵意。
この謝罪はきっと、少し前に投げ付けてきた言葉に対するものだろう。
『君のその目、その姿! 君の家族にそっくりだぞ!』
逆上して私が傷つく言葉をぶつけてきたことへの謝罪。
今更、謝罪されても……
「謝罪が、いくらなんでも遅すぎるのではないですか?」
「そ、それは……白金色の狼が……」
「え?」
「いや! なんでもない!!」
小さく言い訳をしようとしたシュナイダーの声は、聞き取れなかった。
彼は、ぶんぶんと首を左右に振って再び謝罪をする。
「それも謝る、本当に申し訳なかった……! 君を信じられなくなってからのオレはどうかしている……そう思うんだ。なんで早く気付けなかったんだろうか。君がオレの運命の人だって、昔から思っていたのに」
「……シュナイダー」
頭を下げたままのシュナイダーを見て、私は言わずにはいられなかった。
ううん、言わなくちゃいけないと思ったのだ。
「運命の人ではないから、私達は離れたのよ。シュナイダー」
シュナイダーが頭を上げる。傷ついたような顔をするのを見たくなくて、私は目を背けてカウンターテーブルの整理をする。
魔導師であるグレイティア様からもらったアメジストの石、そして祖父からもらったエメラルドやペリドットが煌めくような砂時計を置き直すふりをして、告げる。
「ミサノ嬢とシュナイダーが、運命の相手同士なのよ」
私の前世で決まっていた運命。
「違う!」
シュナイダーが、私の手首を掴んだ。
「初めて会った時! 愛を育もうと約束したじゃないか!!」
七年ほど前のまだ幼い頃、真剣な眼差しでそう言ったシュナイダーを思い出す。
もしかしたら、違う運命があるのではないかと、希望を抱いた瞬間――私は、彼の手を取ってしまった。
「オレ達には、幼い頃からずっと、そばにいた思い出がたくさんあるじゃないか! すべてを忘れたって言うのか?」
目の前にいるシュナイダーは、とても必死だった。あの幼い頃とは違う眼差し。
苦しくなってきた私は、ぽろっと涙を落とした。
シュナイダーはハッとしたように手を放す。
「い、痛かったか? す、すまない!」
そうじゃない。
「なんで……」
喉が詰まるような痛みを覚えながら、私は言葉を絞り出す。
「大切な思い出を、汚そうとするの?」
「えっ……」
「私にはずっと……ずっとずっと大切な思い出で、支えだった! 今でも大事だけれど……それでもシュナイダー。私達は、運命の赤い糸で結ばれた者同士なんかじゃない」
涙ながらに伝えると、シュナイダーは言葉を失った。
「……君に、未練がないことは、わかった」
やがてシュナイダーが呟くように言うと、背を向ける。
「本当にすまない」
消えてしまいそうな小さな声で謝って、彼は白いドアから出ていった。
私は鼻を啜り、涙を指先で拭う。こんな顔では出かけられない。
少し時間をおこうとした時、再び白いドアが開かれた。
驚いた。入ってきたのはシュナイダーではない。
ミサノ・アロガ嬢だったのだ。
学園の制服ドレスに身を包んで、店内を見回すミサノ嬢は、どうやら偶然私の店を訪れたわけではないみたい。――当然か。
シュナイダーの移動魔法を追跡してきたのだろう。私の居場所を、友人であるレクシー達が教えるはずもないから、そうに違いない。
腰まで届く黒髪は艶やかで、同じく黒い瞳は強さを感じさせる。
「みすぼらしい店」
一言、放つ。
「伯爵令嬢なのに」
そう付け加えて。
「一人で経営しているのかしら」
「あの。これから買い出しに行くので、外に出てくれませんか? ミサノ嬢」
キッチンを覗き込もうとするミサノ嬢に、私は出ていくよう言う。
「気安く呼ばないでくれる? ローニャ・ガヴィーゼラ嬢」
しかし、睨み付けるミサノ嬢は、冷たく言葉を返してくる。
私はもうガヴィーゼラ伯爵家の令嬢ではないと言おうとしたが――
「さっきの見たわよ。涙まで使って一芝居して、そうやってシュナイダーの心を取り戻そうとしているのね」
「え? なんのことですか?」
「とぼけないで! またシュナイダーを騙していることはわかっているのよ!?」
ミサノ嬢が、声を上げた。
シュナイダーを騙している?
私達の会話を聞いていなかったのだろうか。
「何を言っているのですか? 私は」
ミサノ嬢の誤解をとこうと思ったのだけれども……
「また認めないつもりなのね! 学園にいる時からそうよね! 成績一位の座だって、シュナイダーの婚約者の座だって、ガヴィーゼラ伯爵家の力がなければ、あなたのものじゃなかったのに、我がもの顔で!! 不快だったわ!」
驚いた。そんな風に思っていたのか。
ミサノ嬢は腕を組んでそっぽを向いたかと思ったら、すぐにこちらをギロリと睨み付けてくる。
「すべて、ガヴィーゼラ伯爵家の力だと言いたいのですか?」
「違うというのかしら?」
「私は私なりに努力をしてきました」
「努力ですって!? あなたは努力なんてしなくても、なんでも手に入ったじゃない!!」
私はびくっとしてしまう。
努力を否定する怒鳴り声が、お兄様のそれと重なった。
努力を認めてくれないお兄様を思い出し、胸の前で手を握り締める。
「そんな環境にいたくせに、努力なんて簡単に言わないでほしいわ! 私の努力こそ本物よ! 学園に遅れて入学した分、成績一位の座を手に入れようと必死だった! あなたはいいわよね? ガヴィーゼラ伯爵家の力とお金で、入学前から教育を受けられたんだから。シュナイダーから聞いたのよ!」
ふん、と嘲笑を向けてくるミサノ嬢は知らない。それがどれほど辛い日々だったか。
子どもらしく遊ぶ時間も奪われて、稽古も勉強も息をつく暇もないくらい強いられてきた日々。
耐えて、こなしてきたのは、きっと間違った努力だったと思う。もっと環境を改善する方に力を使えばよかった。
苦しさだけが募ったそれを、ガヴィーゼラ伯爵家の力のおかげだなんて言葉で片付けられたくない。
学園入学を前にしてそれがさらに厳しくなったことも、ミサノ嬢は知ることはない。
ミサノ嬢にとって、私はあの冷血なガヴィーゼラ伯爵家の令嬢。
噂通り冷血で、権力のある名家の恵まれた環境で育ち、何不自由なくすべてを手に入れてきた我儘な令嬢なのだ。
今更誤解だと説明する気も起きない。
むしろ、このままでいいのだろう。
ミサノ嬢にとって、私は悪役令嬢なのだ。
これ以上言葉を交わしても、傷つけ合うだけだ。
私は人を傷つけたくないし、傷つけられたくもない。
「そうですか。私、急いで買い出しに行かないといけないので、もう外に出てくれませんか?」
「まだ話の途中よ!!」
「シュナイダーとは金輪際会わないでほしい、そう言いたいのでしょう? 私のことより、ご自分の心配をした方がいいのでは?」
「は?」
ミサノ嬢の前を横切って、白いドアを開ける。
「私の取り巻きだった令嬢達を拷問した件、陛下にバレていますよ」
「っ! 脅すつもり!?」
「私は何も答えるつもりはありません。なので濡れ衣の件を掘り返されることはないと思いますが……まぁ私の知ったことではありません。早く出てください」
精霊オリフェドートが国王陛下に釘を刺したのだ。
そのため、これから速やかにミサノ嬢は拷問の件を罰せられるはず。
令嬢達が黙っていてくれれば、平穏に過ごせたのに……
ミサノ嬢がしぶしぶ店の外に出たので、私は鍵を締めてお辞儀をした。
「それでは、失礼します、ミサノ嬢。シュナイダーとお幸せに」
どんな罰が下ろうとも、シュナイダーと幸せになってほしい。
余計なお世話だろうけれど、そう願っている。
私は急いで精肉店に行き、お肉を買い込んだ。せっかくだから、ステーキ肉を買っておく。
チセさん達、喜んでくれるだろうか。
そう思いながら、また急ぎ足で帰り、異変に気付いた。
窓が割られている……!
白いドアの窓も粉々だ。鍵を開けて店に入ると、中は窓ガラスの破片が散らばっていた。
明らかに外から割られている。仄かに魔法の気配が残っていた。
……ミサノ嬢の仕業だ。
「っ!」
買ったものをカウンターに置いて、両手で触れたのは、真っ二つに割られてしまった砂時計。
幼い頃にお祖父様が与えてくれたもので、ずっと私の時間を積もらせてくれた砂時計だ。
思い出と同じくらい、大切なものだった。
「っう……!」
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