冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―

唯 さらら

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第七章 帝国の象徴〈転〉

14 静かな再会

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── 二日後 帝城・王女の居室 ──

淡い陽が窓越しに差し込み、灰色の床に金の縁を描いていた。
王女はその光の中で、いつものように椅子に腰かけて、ただぼんやりと外を眺めていた。

庭に落ちた葉が風に舞う音だけが、遠くに聞こえていた。
扉が静かに叩かれる。
「姫様」
ミレイユの声。

振り向くと、侍女は控えめに一礼した。
「よろしければ、中庭を散歩なさいませんか」

「……散歩?」

「ええ。日も柔らかく、風も穏やかです。少し外の空気を吸われた方がよいかと」

王女は少しのあいだ黙していたが、
結局、抵抗する理由も見つからず、静かに立ち上がった。



── 中庭 ──

秋の光が石畳を淡く照らし、枯葉が噴水の縁をくるりと回って落ちていく。
遠くで鳥の声が一度だけ響き、空気は澄んでいた。

王女は、ミレイユに伴われてゆっくりと歩く。
庭木の間を抜ける風が、髪をかすかに揺らした。

「……静かね」

「はい。ここは、陛下の許しを得た者しか入れませんから」

二人はしばらく無言のまま歩いた。
やがて噴水のそばまで来ると、ミレイユが軽く頭を下げた。
「姫様、少しおひとりにしてもよろしいでしょうか」

王女は頷く。
ミレイユは深く礼をして、庭の奥の方へ姿を消した。

王女は噴水の縁に腰を下ろし、水面を見つめた。
風に揺れる波が、陽を細かく砕いている。手を伸ばせば、その光が掴めそうな気がした。

(……本当に、静かね)

息を整え、ただ水音に耳を傾けていた。

その時――

「姫さま」

瞬間、ふっと――胸の奥を甘い香りが通り抜ける。
蜂蜜。

王女の鼓動が一度、大きく跳ねた。

(まさか……)

懐かしい響き。
忘れられない呼び方。

王女は、息を呑んでゆっくりと振り返った。

秋の陽を背に、柔らかな栗色の髪が光を受けて揺れる。
細身の影が石畳の上に伸びていた。

ルデク――。

王女の呼吸が、止まった。

彼は静かに片膝をつき、長い旅を経た者のように、穏やかに微笑んだ。
「お久しゅうございます、姫さま」

その声が、遠い日々の記憶をやさしく揺らした。

王女の喉がかすかに鳴った。
「……なぜ」
声は、震えるほど小さかった。
「あなたは、囚人として……労役地へ送られたのでは……」

ルデクは、困ったように眉を下げた。
「ええ。……色々ありまして」

それだけを告げる口調は穏やかで、どこか苦笑めいていた。

王女の胸に、一瞬、微かな光が差す。
まさか――。

(……故国の者たちが、解放されたのでは……)

希望が、ほんの刹那、息を吹き返す。
だがその次の言葉が、その光をすぐに摘んだ。

「他の者たちは……今も、労役地にいると思います」

静かな声だった。
王女は、短く息を吸って、すぐに吐いた。

「……そう、よね」

うつむいた視線が、水面に落ちる。
噴水の揺らめきが、頬の陰に細く映った。

(もし自由の身であったなら――彼が、この場所にいるはずがない)

その現実が、胸の奥に静かに沈んでいく。

長い沈黙。
やがて王女は、ゆっくりと立ち上がった。
両手を胸の前に組み、そして言葉を探すように唇を開く。

「私は……私自身の未熟さゆえに、あなた達の誇りを折ってしまった」

声は震えず、けれど、ひどく静かだった。

「あなた達の大切にしているものや、信じているものに思いを馳せることもなく、
 ただ、自分の中の怖れと不安を消したくて――手を伸ばしたの」

風が一瞬、枯葉を転がした。

「自分の一人よがりで、あなた達の人生を捻じ曲げた。
 本当に……ごめんなさい」

王女は深く、深く頭を下げた。
髪が頬を覆い、陽の光がその影に滲む。

「謝って……許されることではないけれど」

言葉の最後は、風に溶けるように小さく消えた。

「……顔を、お上げください」

柔らかな声だった。
王女はなお、頭を垂れたまま動かない。

すると――

「……そんなふうに言われてしまっては、逆に……私の方が傷つきますよ」

ルデクの口調には、わずかな苦笑が混じっていた。
その声音に、王女の指がぴくりと動く。

「誇りを折られてなんて、いません。むしろ……」

間を置いて、ルデクはまっすぐに続けた。

「むしろ、あの時。あなたの命に従って、剣を捨てたこと――それこそが、私たちの誇りだったのですよ」

「……え?」

王女が、はっと顔を上げた。
風が頬にかかる髪を押し返し、水面が揺れて光を跳ね返す。

ルデクは微笑んでいた。
懐かしく、誇らしく、どこか慈しむようなまなざしで。

「あなたは、我々の命を選ばれた。
 国でも、誇りでも、名でもなく――命を守ることを、至上とされた」

言葉が静かに、水面へと落ちていく。

「もちろん、ただ生きていればいい、というわけではありません。誇りも志も、命に伴うものです。ですがそれでも――まず生きること。命を繋ぐことが、大切なのだと」

王女の目に、わずかに光が揺れる。

「それが、あなたの選んだことなのでしょう?」

息を詰めたまま動けなかった。

「だから、私たちはあの時、決めたのです。あなたの“選び”を、旗とすると。
 そして――その選びに、この命を賭けると」

静かな宣誓のような声だった。
噴水の水音だけが、ふたりの間に降り注いでいた。

王女の胸に、ふいに別の声がよみがえった。

――『“あなたの意志を旗として仰ぎましょう” そう言っていたじゃないですか、あなたの民は。殿下の“助けたい”っていう思いが、彼らの心を動かしたんです。あなたがそんなふうに言ってしまったら、あなたの志に動かされた彼らがかわいそうですよ』

施療院の中庭。夕暮れの陽に照らされたユリオの穏やかな微笑み。
あの光景が胸の奥に、ありありと蘇る。

(……本当に、なんて私は――)

王女は目を伏せた。風が頬を撫でる。

(なんて私は、一人よがりで……愚かだったのだろう)

ルデクたちは、彼女の願いに従い、剣を捨て、生きることを選び、
その人生の続きを――残りの時間すべてを、
自分のたった一言に、託してくれていた。

なのに、自分は……
そんな彼らの覚悟に、
痛みの深さにも、決意の重みにも気づかずに、

(私はなんて――)

胸の奥で、何かが静かに軋むような痛みを伴って、形になった。

(……私に足りなかったのは、覚悟だ)

自分の“選び”を引き受ける覚悟。
それが何をもたらそうとも、目を背けずに生きる覚悟。

自分が選んだことの結果に生じる罪も、罰も、すべてを――
逃げずに、引き受ける覚悟だったのだ。

噴水の水面が、秋の光を反射して微かに揺れた。
その揺らめきの中で、王女の瞳もまた、少しずつ凪いでいった。


 * * *


上階の窓辺に立つダリオスは、遠く中庭の二つの影を静かに見下ろしていた。
腕を組んだまま、視線は逸らさず、わずかに眉間に皺が寄る。
唇の端がかすかに動いたが、それが期待か苛立ちか、自身にも定かではなかった。
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