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 冷えた二の腕を掌でさする。
 丈夫な体質ではない。掌に触れる己の腕の細さを、酒井孫八郎はときおり忌々しく感じる。身体つきは婦女子のように華奢だ。卵形の輪郭の中の鼻筋も唇も、手弱女たおやめのように繊細だと評判である。切れ長の目ばかり、少し鋭い。
 そんな孫八郎は、武士としての表芸は不得手である。腰に差した二刀が重くてたまらぬ気持ちになる時もある。

 慶応四年元旦。
 桑名の新年は、幾ばくかの緊張を含みつつ、静かに明けた。藩士の多くは京に出征していて不在である。
 桑名は揖斐川の河口に近い温暖な土地である。桑名沿岸の汽水域で取れる蛤は美味で有名だった。地口になるほど、江戸でも知られていた。
「その手は桑名の焼き蛤」
 という。その手は食わない、と、桑名の名物の焼き蛤を掛けている。

 孫八郎は微雪のちらつく早朝に登城し、不在の藩主に代わって城内の社に参拝した。先代藩主の松平猷まつだいらみちの夫人である珠光院しゅこういん、猷の子の万之助や当代の正室の初姫などを訪れたが不在で会えなかった。
 密かに孫八郎は安堵した。珠光院は苦手だ。元旦から彼女に会うのは面倒だった。
 珠光院貞姫は信州松代藩真田家の出で、夫の猷と同じく曾祖父は松平定信である。松平定信は八代将軍徳川吉宗の孫で、三十代の若さで老中として辣腕を振るった怜悧な政治家だった。猷より珠光院の方が曾祖父の気性を強く受け継いでいるような、そんな気配がある。珠光院の祖父は、老中も勤めた松代藩主真田幸貫さなだゆきつらである。佐久間象山を重用した開明的な殿様として名高かった。
 松平猷はもともと定猷といったが、徳川家定が十三代将軍となったとき「定」の字を遠慮して猷と名乗るようになった。猷の遺児は三人。安政五年生まれの初姫と万之助、翌年生まれの高姫である。このうち初姫だけが、正室の珠光院の腹から生まれた。他の二人の生母は側室だ。
 安政六年に猷が急逝したときに、唯一の男子である万之助は数えで三歳だった。彼が幼児であるという理由で、高須藩松平家から養子を取った。それが当代藩主の松平定敬まつだいらさだあきである。珠光院の実子である初姫の婿とする約束での養子だった。弘化三年生まれの定敬は、初姫より十一歳の年長である。

 四つ半に孫八郎は城を退いた。雪は止んでいた。未明の雪も地面の枯れ葉を少し濡らすばかりで消えている。ただ吐く息は白い。
 孫八郎は桑名藩で勝手総宰という役職にある。前年八月の藩政改革でそういう名称になったが、要は家老の一人である。弘化二年の生まれで、この慶応四年の正月で数え二十四歳になった。

 桑名藩は伊勢桑名に五万石、越後柏崎に六万石を領している。
 元治元年から桑名藩主松平定敬が京都所司代に任じられ、家中の者達は京の動乱の真っ只中に置かれてきた。定敬と多くの桑名藩の兵士達は、慶応四年元旦を大坂で迎えている。
 桑名の城は揖斐川の河口に近い西岸にあった。広い堀に川の水を引いていた。
 城の北には七里の渡しの渡船場がある。この土地には東海道で第二位の規模を誇る宿場町も存在する。尾張の宮宿から桑名宿までの七里の海上路を結ぶ、東海道の要所である。
 渡し場から二丁ばかり南の春日神社に幕府軍の馬が八十頭ほど待機させられていた。
 前年の十一月に十五代将軍徳川慶喜が朝廷に大政を奉還した。徳川家康以来の幕府は実質的にはその時点で終わっている。十二月九日には王政復古が布告され、幕府が正式に廃止となり新政府が誕生した。春日神社に居る彼らのことは旧幕府軍と呼ぶのが相応しい。
 辰巳櫓の向こうに灰色の雲が流れている。本丸の南の広い堀が、風に小波立つ。元禄の頃に天守が焼失して以来、辰巳櫓が桑名城の象徴のようなものだった。櫓には安政の頃の地震の傷みがあった。瓦の緩みと壁のヒビが見える。修復に手が回らない。
 京都所司代という役のおかげで藩の財政はひどい有様だ。幕府から報奨金や役料代わりの預かり地は賜ったが、さほど足しにならない。幕府は役目を命じるが、費用は藩の負担であった。
 桑名は海に近い。昨年の春に、必要を感じて軍艦を注文した。相手は横浜のアメリカ人で、軍艦の費用は八万両だった。勘定方の矢田半右衛門が交渉して、手付金五千両、残りは分割で、という話にしてある。その五千両も痛い出費だった。次の支払いも迫っているが、情勢が変わった。
(五千両、捨てねばならないかもしれん)
 孫八郎はため息をついた。思案を吐ききった懐に、冬の冷気がしみ通る。

 いくつかの親類に年始の挨拶に行ってから、孫八郎は帰宅した。
「おかえりなさいまし」
 式台に出迎えた妻の顔色が優れない。青ざめた頬に無理に笑みを浮かべているのは、夫に心配をかけまいという気遣いでもあろう。
「多実、身体の具合は? 顔色が良くない」
「大事ありませぬ」
 着替えを手伝う妻の多実が柔らかな声で返事をした。孫八郎は振り返って多実の背を引き寄せ、右の掌を大きく開いて彼女の腹にそっと触れた。ここに宿った命は、孫八郎にとって二人目の子になる。
「無理はせぬように、頼む」
 多実は孫八郎の二度目の妻である。孫八郎の最初の妻は、酒井家先代の妻吉村氏の妹だった。彼女の婿養子として、孫八郎は酒井家を継いだ。前の妻は二年前に亡くなった。その前年に、孫八郎の最初の子も夭折した。
 平服に着替えた孫八郎が小さく咳き込む。朝からいささか喉が痛い。
「旦那様」
「少しばかり風邪かもしれぬ」
「何か温かいものをお持ちしますね」
 多実を見送ってから、孫八郎はこらえていた大きな咳を出した。少々の悪寒もある。

 正月三日。孫八郎は体調が優れずに欠勤した。が、午後に急に呼び出されて登城した。
 前日に大坂を発った使いが来ていた。大坂から桑名藩兵を含む旧幕府軍が京へ進軍したと知らせてきた。
「急ぎ、援軍を」
 知らせは援軍の要請でもあった。
「どうしましょうかの、酒井殿?」
 名を呼ばれて、孫八郎はそちらを見た。熱があるようで頭がぼんやりしている。
 政事総宰の沢采女が小さな眼をしばしばと瞬いている。何かと方針を決めるときに、沢は己で断を下さない。たいてい彼は孫八郎の言葉に従うような態度でいる。
(このおやじは幾つになったのか。五十より上だっただろうか)
 沢は鬢の毛が半ば白く、常に眼をしょぼしょぼさせているため老体のようだが、口の辺りには皺がなく四十代にも見えた。沢が孫八郎の目の前で袂を掲げて盛大なくしゃみをした。失礼、と呟きながら鼻を啜るじじむさい音に、孫八郎は目を背け肩を落とす。
 沢も孫八郎と同じく総宰職である。他に、沢と同じ政事総宰の吉村権左衛門、軍事総宰の服部半蔵正義が同職であった。軍事総宰の半蔵正義は孫八郎の異腹の兄である。二人は二ヶ月違いの兄弟だった。
 総宰職ではない家老身分の者もいる。重要な会議には奉行達と共に家老達も参加しているが、彼らの意見を求めることはない。孫八郎を含む総宰四名が、この頃の桑名藩の実質的な主導者であった。
 軍事総宰の兄も政事総宰の吉村も、このときは桑名に居ない。藩主定敬に従って大坂に出兵していた。桑名本国での諸々の問題は、残った沢と孫八郎が対処しなければならないのだった。
 夕刻、二百名ほどを京の本隊への援軍に出した。同時に交通の要所である七里の渡しの渡船場に厳重な警戒を敷いた。

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