北風の賦

大純はる

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第四話 宗家の大旦那(2)

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 が、それよりわずか数代で、叔父と甥の跡継ぎ争いから、北風の家は二流に分かれてしまった。
 前者は宗家、後者は嫡家と称し、互いに行き合う道を避けて通るほど反目し合っている。
 宗家は酢の作り売りや、廻船荷物の預かりを請け負って、湊に見上げんばかりの土蔵を持った。そうして一門の菩提寺である「藤の寺」西光寺を、真言宗から念仏道場へ宗旨変えさせた。
 あまつさえ、一族の土地まで勝手に寄進してしまったので、何も知らされずじまいの嫡家は激怒して立ち去り、五町ほど南西に位置する天台密教の能福寺へ身を寄せることになった。
 それ以来、宗家と嫡家の間の亀裂は、もはや埋めがたいものになっている。
 天正の今、六右衛門村吉むらよしは宗家の、荘左衛門資村は嫡家の当主である。だが、両家の繁盛の度合いたるや、既に天と地ほどの隔たりをなしてしまっていた。

「カマをかけてみたが、どうやら本当のことやったらしいな」
 六右衛門は、色濃い哀しみを湛えた目つきになっていた。
「残念じゃ。勘が外れてくれたら、とも思っとったが」
「ナンのことを言うとうんか、チイともわからへんな」
 荘左衛門は鋭い眼光のまま、ゆるゆると左右へ首をかしげていた。
「正直屋さんは、堺で天王寺屋の津田さんとも懇意にされておる。その茶会へ呼ばれた時、兵庫で近ごろ妙な動きがあると噂になっとったそうな。またぞろ騒乱の予兆でなければよいがと、ひどく気を揉んでおられた」
 正直屋は、兵庫地下の古株の一つ、棰井たるいが掲げる屋号である。
 代々、法華宗徒の家だ。
 かつて日隆上人にちりゅうしょうにんが西国弘法ぐほうへ赴いた折、自邸を宿泊の用に供して手厚くもてなした。
 感じ入った上人は、一包みの風呂敷を預けて、『帰りにまた来る』と言い置いたという。
 讃岐への折伏しゃくぶく行からの帰途、上人が再び兵庫へ立ち寄ると、果たして棰井の主人は、そっくり以前のままの風呂敷包みを差し出した。
 上人破顔して仰るには、『そなたはまことの正直者ゆえ、そのまま屋号にしなさい』とのこと。
 どうにも尾鰭がついたようなお話である。
 ともかくとして、棰井は兵庫津指折りの大立者だ。かつて阿波の三好長慶ながよしが渡海してきた折には、同じ法華宗徒のよしみを活かして懐へ潜り込み、その武具兵糧の一切を取り扱って、大いに景気をふるった。
 長慶は正直屋と手に手を取って越水城を攻め落とし、芥川城を奪い、飯盛城を分捕って、管領将軍何するものぞ、王侯将相おうこうしょうしょういずくんぞ種あらんやの鼻息で、ついには畿内の覇者となり、天下を睥睨するに至ったわけである。
 長慶の没後、三好は一門諸将が四分五裂して相争い、以前ほど振るわなくなった。今や東のかた尾張美濃より、日の出の勢いで攻め昇ってきた織田に呑み込まれようとしている。
 とは言え在地においては、今もって正直屋の威勢に及ぶ者はなかなかない。
 親から子へ岡方おかかた名主職みょうしゅしきを譲り、三好から下された特許状を振りかざして、郷の地所をコセコセと搔き集めるに至っては、周囲から煙たがられている事実もある。
「水手たちの噂話と合わせて考えたところ、どうにもキナ臭い。お前が何か裏で動き回っとうんと違うかと踏んだんやが」
「お前はどうも、顔が広すぎていかんようやな」
 荘左衛門は、凄味をきかせたガラガラ声を絞り出した。「あれやらこれやらと、仕様もないことに気を回しすぎていかん」
「一体誰が何のために、乱を起こそうとしとる」
「お前の知ったことやない」「大ありや。お前たちは津を火の海にするつもりやろう。ここは我らの湊や。誰かの思惑で好き勝手にさせるわけにはいかん」
「お前におれの思いはわからん」
 口ぶりとは裏腹な心細さを励ましつつ唸った。
「同じ北風の家とは言いよう、お前は郷衆ごうしゅうにも顔が立ち、堺まで出張って、書院に池つきの屋敷で暮らしていやがる。翻ってこのおれはどうだ。未だに寺の外れを借りたあばら屋暮らし。若い勢いで一緒になった女房の他には何もない。賭場で切った張ったを繰り返しちゃあ、町場でクソガキを脅し、盗んだガラクタを叩き売って日銭を稼ぐ。エエッ、お前にこんなおれの気持ちがわかるんかい。エエッ。おれたちに同じもんは、北風ッちゅうこの名字ばっかしよ。だが、今に見とけや。男一匹、武家の末としてこの娑婆に生まれ落ちたからには、とにもかくにも成り上がってみせるわい。時流はおれたちの味方なんや。松永弾正、木下筑前、荒木弥助、みんなこのおれの同類どもよ。今に見とけや、遠からず、お前を一介の御用聞きとして、目の前に這いつくばらしたるからな」
「お前の思いはわかった」
 六右衛門は瞼を閉じ、鼻孔深く嘆息した。
「いや、前々からわかっとった。少なくともお前なりに、自分の手でドン詰まりの生き様を切り開こうと、もがいとることもな」
「なあんにも、わかッとらせん」
「だが、それは尼ぜの言葉に恥じんのか。おのれ一匹のために兵庫を、我らの郷土を、戦の炎で焼き払おうなんちゅうことは。時をまちてこそ、人ふゆともわが人となおぼしそ、物ふゆともわが物となおぼしそ、おおん為の人おおん為のものぞ……」
「黙らんかい」
 荘左衛門は、いきなり激昂して金柑の皿をひっくり返し、血走った目を剥いて吠え立てた。
「とっとと手前のお屋敷へ帰らんかい」
「いいや、まだ帰らん」
「そっちが出ていかんのなら、おれの方から出ていったるわ。こんな潮ッ臭い湊からもな。おれは越水みたいなどでかい城をもらい受けて、お前らごとき商人連中の上ッ面に、足蹴を食らわしたるんじゃ」
「待てっ、荘左衛門。待たんかい」
 留め立てする声を振り切り、薄暗い家の外へ飛び出した。
「あれえッ」
 戸口で聞き耳を立てていた於福にぶつかり、ボテンと尻餅をつかせた。荘左衛門は一瞬うろたえて立ち止まりかけたが、横目を投げ捨ててそのまま走り去っていった。
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