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第一章

「いつもお世話になってます」 3

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「俺、最近転校してきたんですよ。親元離れて一人暮らしってやつですね」

 道すがら晃は語るものの、紗菜は落ち着かない気持ちでろくに相槌も打てなかった。ぽつぽつと聞かれたことに答えるだけだ。それでも晃が気分を害したような様子もない。
 これほど物腰が柔らかい彼が言ったことを未だに信じられずにいる。何かの間違いだと言ってほしい。紗菜がそんなことを願っている内に彼のマンションに着くのはあっという間に感じられた。


「どうぞ」

 通された部屋は一人で暮らすには広すぎると感じるほどであり、綺麗に片付いているというよりも物がないという方が正しいだろう。引っ越してきたばかりだというのもあるのだろうが、それにしても寂しく感じられた。
 初めて異性の部屋に来たからこそ余計に紗菜はどうしたら良いかわからなくなってしまった。尤も、彼は紗菜の恋人でも何でもないのだが。

「座ってください」

 パソコンデスクの前に連れて行かれ、促されるまま紗菜は素直に椅子に座る。そうしなければ、消させてもらえないと察したからだ。

「このフォルダです」

 後ろに立つ晃に指示されたフォルダを開くとサムネイルが並ぶ。小さな画像でも目を背けたくなるようなものであることがわかる。

「やっぱり一枚くらい残しません?」

 紗菜が目のやり場に困っていると晃がそんなことを言ってくる。顔が映っていなければ良いというものではない。
 よくもこんなに撮ったものだ。本当にどうしてこんなに撮られるまで自分は起きなかったのか。悔やんだところでもどうにかなることでもない。何より消してしまえば終わりだ。
 フォルダごと削除し、ごみ箱までも空にしたところで紗菜はほっと息を吐く。

「あーあ、全部消しちゃいましたね」

 晃は残念がっているが、今度こそ安心して良いはずだった。紗菜にとっては彼との繋がりがなくなったくらいの認識だった。

「他の」
「ひゃっ!」

 不意に耳元で響く声に紗菜は飛び上がりそうなほど驚く。完全に油断していた。

「驚かせちゃってすみません。他のには保存してませんけど、確認します?」

 晃が指さす先にはUSBメモリが置かれているが、吐息が触れるほど近くに晃の顔があることに気付いて紗菜は咄嗟に小さく首を横に振っていた。
 彼が背後にいるのも背もたれに左手を乗せたのも仕方ないものだと納得していたが、もう終わったというのに近すぎる距離に困惑するしかない。これでは抱き締められているも同然である。

「俺のこと信じてくれるんですね? 嬉しいです」

 クスクスと笑う晃の吐息が再び耳を掠め、ぞくりと肌が粟立つ。

「も、もう帰るから……」

 用件は済んだのだ。もう帰ってもいいだろうと紗菜は立ち上がろうとするが、できなかった。

「ひぅっ……!」

 急に後ろから抱きすくめられ、耳にチュッと音を立てて口づけられて紗菜の体はただ強張っていく。まるで抑えつけられているかのように身を捩る余地もない。
 先ほどまでも紗菜は近すぎると感じていたが、実際に抱き締められると彼の体温が伝わってくるのだ。その熱が紗菜を戸惑わせる。

「ここのところ、ずっと先輩で抜いてたから、なくなったと思うと寂しいっていうか不安っていうか……ロスってやつですかね? やっぱり帰すのが名残惜しいです。もうちょっとだけ一緒にいて居てくれますよね?」
「は、離して……」

 切なげに言われても紗菜にはどうすることもできない。ただ恋人のように抱き締めるのをやめてほしい一心だった。

「先輩の家もそんなに遠くないんですよね? 急いで帰らなくても大丈夫なんですよね? ちゃんと送っていきますから、お願いしますよ」

 ここに来るまでの間に彼の機嫌を損ねてしまったらと思うと怖くて聞かれるがまま素直に答えてしまったことを悔やんだところで時は戻らない。

「耳、本当に真っ赤ですよ?」
「ひぅぅっ!」

 べろりと耳をなぞる濡れた感触は舌だろうか。ぞくぞくと背筋を駆け上がる感覚の逃げ場もなく、紗菜は体を震わせるばかりだった。

「耳、弱いんですか? 食べちゃいたくなりますね」
「ひっ……」

 ぱくりと耳朶を口に含まれれば本当に食べられてしまうような気がしてくるものだ。これでは、どれほど身を固くしても自分を守ることはできない。

「手もちっちゃくて可愛いですよね。女の子の手って柔らかくて好きです」

 大きな手が紗菜の右手に重なったかと思えば指を絡めるように握り込まれて紗菜の中で戸惑いが大きくなっていく。ピンを打たれたかのようにその場に繋ぎ止められてしまう気がしたのだ。

「この手でチンポ握って擦ってたんですよ? 先輩に手コキしてもらったら、どんな感じだろうって妄想しながら」
「やっ……!」

 ぎゅっと手を握り込まれれば意識せずにはいられず、紗菜は思わず払いのけていた。汚いと感じたわけではない。他人の熱が伝わってくるというよりも深く入り込んでくるようで怖かったのだ。
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