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第二章
侵食される日常 3
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放課後になって紗菜は逃げたい気持ちでいっぱいだったが、宣言通りに晃は現れた。クラスメート達の好奇の眼差しを物ともしない態度は紗菜には理解し難いものであった。
「バッグ、持ちましょうか?」
言いながら晃は手を差し出してくるが、紗菜は首を横に振る。どこへ行くにも荷物が増えがちな紗菜の鞄は軽いとは言えないが、彼に持ってもらう理由はない。周囲に注目されているからこそ居たたまれなくなる。
そうして学校から出るまで紗菜は息ができないような気持ちだった。
「どうします? お茶します? ゲーセンとか行っちゃいます?」
周りの視線を物ともせず、晃はまた楽しげにしている。放課後デートのつもりなのだろうか。帰るまでの辛抱だと言い聞かせていなければ紗菜は気が狂ってしまいそうだというのに、この後のことなど考えられそうになかった。
「それとも……うちにきます?」
「ぴゃっ!」
不意に身を屈めてきた晃に耳元で囁かれて、紗菜は飛び上がりそうなほど驚いてしまった。変な声が他の誰かに聞かれなかったか心配になるほどに。
「いちいち可愛い反応しないでくださいよ。連れ込みたくなるじゃないですか」
不穏な言葉に顔がひきつっていくのを感じながら紗菜が見上げれば、晃はやはりクスクスと笑っている。彼が変なことを言うせいであり、紗菜としては狙っているわけでもないのだ。
「困る、から」
「困ってる紗菜先輩も可愛いですよ」
「教室、来られると、困る……お昼も……」
元々、自分の意見を言うのが得意ではないというのに、紗菜はやっとの思いで絞り出した。伝えなければ、日常が彼に侵食されてしまう恐怖が勝ったからだ。
「じゃあ、帰りにうちに寄ってくれます?」
「う……」
家に寄れば何をされるかは鈍いと言われた紗菜にもわかる。晃の言うことが信用に値しないことは明白だ。あんなことは二度としたくない。それならば、デートするしかないのか。
「俺だって困ってるんですよ? 俺のチンポ、先輩専用になっちゃったみたいで」
「なっ……!」
「先輩のせいでチンポがバカになっちゃって一週間とか我慢できる気がしないんですよね」
耳元に顔を近づけて来たかと思えば、なんてことを言うのか。ぱくぱくと口が動くばかりで言葉にならない紗菜に構わず晃は続ける。彼は初めからそうだったが、なぜそんなにも平然と口にできるのか紗菜には理解できない。
「だから、無性に先輩に会いたくなっちゃって」
恋人から言われたならば喜べただろうが、紗菜にはこれ以上ないほど嬉しくない言葉だった。彼との縁が早く切れてほしくてたまらないのだ。しかし、会いたくないとは言えない。優しい彼が何よりも怖いからだ。
「土日はどっちか空いてます? デートしてくださいよ。彼女なんだから当然ですよね? そうしたら少しくらい『待て』ができると思います」
来週とは言われていたが、せっかくの休日に晃と会うことなど紗菜は考えたくなかった。しかし、困り果てながらも紗菜に拒否権などなかった。この関係は最初から袋小路、紗菜の意思では抜け出すことができない。
「あー、でも、先輩にも予定ありますもんね。無理なら放課後でいいですよ?」
「したく、ないから……」
晃は譲歩しているつもりなのだろうか。結局は紗菜には選択権などあるようで存在しない。
それでも紗菜は絞り出すように言った。もうあんなことは懲り懲りだった。
彼女だから当然などと言ってセックスを要求されては困るが、彼の目的はそれ以外にないのだろう。だから、反応が恐ろしくもあった。
「行きたいところあります? 先輩が決めていいですよ。水族館でも映画館でもショッピングでもどこでも付き合います」
決定権を委ねられても紗菜には決めることができなかった。どこに行きたいわけでもなく、何をしたいわけでもなく、欲しい物もない。週末に晃に会いたくないと言うのが本音である。それを本人に言えるはずもない。
「じゃあ、お家デートにしましょうか?」
その提案に紗菜の体は強張る。結局そうなってしまうのだ。彼の家に行くことだけは避けたくて、必死に何か逃げる方法をひねり出そうとして何も浮かばない内に晃が笑う。
「やっぱり休日は可愛い彼女に癒されたいじゃないですか。一緒にいたいんですよ」
その本性を知っていながら一瞬心を許してしまいそうになるのは彼が心の隙に入り込んでくるのが上手いからだろうか。
本当の恋人に言われたなら嬉しかったのかもしれない。けれども、きっと愛されているわけではないのだ。彼にとっては都合良く手に入った玩具にすぎないのかもしれない。
家に一緒にいて何も起こらないということがありえるのだろうか。そうでなくとも息の詰まる時間になるだろう。
「そうだ、先輩の手料理が食べたいです」
「え……?」
突然の要求に紗菜は目を瞬かせて晃を見上げた。
「卵焼き、本当に美味しかったです。先輩はお料理上手なんですね」
「普通だと思うけど……」
あの場限りのお世辞ではなかったのか。卵焼きを一切れ食べたくらいで大袈裟である。
紗菜の認識としては得意と言えるほどでもない。料理ができるというだけだ。
「俺に何か作ってください。それから、昼寝でもしましょう?」
「え……?」
思わぬ提案に紗菜の理解は追いつかない。
料理を作って済むのなら簡単なのかもしれないが、ただの昼寝で済むとも思えない。襲わないという言葉を信じた結果どうなったか、忘れるには早すぎる。現在の紗菜の窮状はそこから始まっているのだから。
「手料理とか全然食べてないんですよね。転校でバタバタしてたし、せっかくだから紗菜先輩とまったりしたいかなって」
急に転校させられたと晃が言っていたことを紗菜は思い出す。恋人と別れさせられて寂しかったとも言っていたが、その理由を聞いてもいない。
結局のところ、紗菜は彼のことをよく知らないのだ。
「食欲と睡眠欲が満たされれば性欲はどうでも良くなるかもしれませんよ?」
そうしてまた口車に乗せるつもりなのか。晃の言うことなど信じるべきではないと身を持って知っているというのに、紗菜は言い返すこともできなかった。
「きっとチンポにも休息日って必要ですよね。先輩との初エッチを思い出していっぱい抜いておくんで大丈夫ですよ」
耳を塞ぎたくなるようなことを平然と言う彼を本当に信じて良いのか。紗菜は葛藤していた。しかし、他の手立ては思い浮かばない。
「やっぱり行きたいところ思いつきました?」
問いかけてくる彼は思いついていないことを見透かしているのだろう。
彼の家に行ってしまったら最後だと思いながらも紗菜は嘘でも頷くことさえできなかった。頭をフル回転させ、どうにか回避する方法を考えたのに何も出てこないのだ。
「それとも、俺の行きたいところに行きます?」
彼に行きたいところがあるのなら、それで良いのではないか。そう思った次の瞬間に耳元で囁かれた三文字の言葉に紗菜は凍り付いた。晃は「冗談ですよ」と笑ったが、紗菜にはとてもそうは思えなかった。
「じゃあ、お家デートってことで。楽しみにしてますね」
そうして、彼が言うことなど信用できないというのに、結局は丸め込まれたのだ。どう足掻いても彼には敵わない。力でも言葉でも。
* * *
「バッグ、持ちましょうか?」
言いながら晃は手を差し出してくるが、紗菜は首を横に振る。どこへ行くにも荷物が増えがちな紗菜の鞄は軽いとは言えないが、彼に持ってもらう理由はない。周囲に注目されているからこそ居たたまれなくなる。
そうして学校から出るまで紗菜は息ができないような気持ちだった。
「どうします? お茶します? ゲーセンとか行っちゃいます?」
周りの視線を物ともせず、晃はまた楽しげにしている。放課後デートのつもりなのだろうか。帰るまでの辛抱だと言い聞かせていなければ紗菜は気が狂ってしまいそうだというのに、この後のことなど考えられそうになかった。
「それとも……うちにきます?」
「ぴゃっ!」
不意に身を屈めてきた晃に耳元で囁かれて、紗菜は飛び上がりそうなほど驚いてしまった。変な声が他の誰かに聞かれなかったか心配になるほどに。
「いちいち可愛い反応しないでくださいよ。連れ込みたくなるじゃないですか」
不穏な言葉に顔がひきつっていくのを感じながら紗菜が見上げれば、晃はやはりクスクスと笑っている。彼が変なことを言うせいであり、紗菜としては狙っているわけでもないのだ。
「困る、から」
「困ってる紗菜先輩も可愛いですよ」
「教室、来られると、困る……お昼も……」
元々、自分の意見を言うのが得意ではないというのに、紗菜はやっとの思いで絞り出した。伝えなければ、日常が彼に侵食されてしまう恐怖が勝ったからだ。
「じゃあ、帰りにうちに寄ってくれます?」
「う……」
家に寄れば何をされるかは鈍いと言われた紗菜にもわかる。晃の言うことが信用に値しないことは明白だ。あんなことは二度としたくない。それならば、デートするしかないのか。
「俺だって困ってるんですよ? 俺のチンポ、先輩専用になっちゃったみたいで」
「なっ……!」
「先輩のせいでチンポがバカになっちゃって一週間とか我慢できる気がしないんですよね」
耳元に顔を近づけて来たかと思えば、なんてことを言うのか。ぱくぱくと口が動くばかりで言葉にならない紗菜に構わず晃は続ける。彼は初めからそうだったが、なぜそんなにも平然と口にできるのか紗菜には理解できない。
「だから、無性に先輩に会いたくなっちゃって」
恋人から言われたならば喜べただろうが、紗菜にはこれ以上ないほど嬉しくない言葉だった。彼との縁が早く切れてほしくてたまらないのだ。しかし、会いたくないとは言えない。優しい彼が何よりも怖いからだ。
「土日はどっちか空いてます? デートしてくださいよ。彼女なんだから当然ですよね? そうしたら少しくらい『待て』ができると思います」
来週とは言われていたが、せっかくの休日に晃と会うことなど紗菜は考えたくなかった。しかし、困り果てながらも紗菜に拒否権などなかった。この関係は最初から袋小路、紗菜の意思では抜け出すことができない。
「あー、でも、先輩にも予定ありますもんね。無理なら放課後でいいですよ?」
「したく、ないから……」
晃は譲歩しているつもりなのだろうか。結局は紗菜には選択権などあるようで存在しない。
それでも紗菜は絞り出すように言った。もうあんなことは懲り懲りだった。
彼女だから当然などと言ってセックスを要求されては困るが、彼の目的はそれ以外にないのだろう。だから、反応が恐ろしくもあった。
「行きたいところあります? 先輩が決めていいですよ。水族館でも映画館でもショッピングでもどこでも付き合います」
決定権を委ねられても紗菜には決めることができなかった。どこに行きたいわけでもなく、何をしたいわけでもなく、欲しい物もない。週末に晃に会いたくないと言うのが本音である。それを本人に言えるはずもない。
「じゃあ、お家デートにしましょうか?」
その提案に紗菜の体は強張る。結局そうなってしまうのだ。彼の家に行くことだけは避けたくて、必死に何か逃げる方法をひねり出そうとして何も浮かばない内に晃が笑う。
「やっぱり休日は可愛い彼女に癒されたいじゃないですか。一緒にいたいんですよ」
その本性を知っていながら一瞬心を許してしまいそうになるのは彼が心の隙に入り込んでくるのが上手いからだろうか。
本当の恋人に言われたなら嬉しかったのかもしれない。けれども、きっと愛されているわけではないのだ。彼にとっては都合良く手に入った玩具にすぎないのかもしれない。
家に一緒にいて何も起こらないということがありえるのだろうか。そうでなくとも息の詰まる時間になるだろう。
「そうだ、先輩の手料理が食べたいです」
「え……?」
突然の要求に紗菜は目を瞬かせて晃を見上げた。
「卵焼き、本当に美味しかったです。先輩はお料理上手なんですね」
「普通だと思うけど……」
あの場限りのお世辞ではなかったのか。卵焼きを一切れ食べたくらいで大袈裟である。
紗菜の認識としては得意と言えるほどでもない。料理ができるというだけだ。
「俺に何か作ってください。それから、昼寝でもしましょう?」
「え……?」
思わぬ提案に紗菜の理解は追いつかない。
料理を作って済むのなら簡単なのかもしれないが、ただの昼寝で済むとも思えない。襲わないという言葉を信じた結果どうなったか、忘れるには早すぎる。現在の紗菜の窮状はそこから始まっているのだから。
「手料理とか全然食べてないんですよね。転校でバタバタしてたし、せっかくだから紗菜先輩とまったりしたいかなって」
急に転校させられたと晃が言っていたことを紗菜は思い出す。恋人と別れさせられて寂しかったとも言っていたが、その理由を聞いてもいない。
結局のところ、紗菜は彼のことをよく知らないのだ。
「食欲と睡眠欲が満たされれば性欲はどうでも良くなるかもしれませんよ?」
そうしてまた口車に乗せるつもりなのか。晃の言うことなど信じるべきではないと身を持って知っているというのに、紗菜は言い返すこともできなかった。
「きっとチンポにも休息日って必要ですよね。先輩との初エッチを思い出していっぱい抜いておくんで大丈夫ですよ」
耳を塞ぎたくなるようなことを平然と言う彼を本当に信じて良いのか。紗菜は葛藤していた。しかし、他の手立ては思い浮かばない。
「やっぱり行きたいところ思いつきました?」
問いかけてくる彼は思いついていないことを見透かしているのだろう。
彼の家に行ってしまったら最後だと思いながらも紗菜は嘘でも頷くことさえできなかった。頭をフル回転させ、どうにか回避する方法を考えたのに何も出てこないのだ。
「それとも、俺の行きたいところに行きます?」
彼に行きたいところがあるのなら、それで良いのではないか。そう思った次の瞬間に耳元で囁かれた三文字の言葉に紗菜は凍り付いた。晃は「冗談ですよ」と笑ったが、紗菜にはとてもそうは思えなかった。
「じゃあ、お家デートってことで。楽しみにしてますね」
そうして、彼が言うことなど信用できないというのに、結局は丸め込まれたのだ。どう足掻いても彼には敵わない。力でも言葉でも。
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