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私たちは庭に出て、しばし小道を歩いて行く。
手入れの行き届いた花壇を抜けると、道を挟む木々が増えて足元に影を落とす。
大地の草は枯れていて、靴裏で踏むたびにザクザクと音を立てた。
そのうちに、視界が開け、広い空が見えた。
まぶしい日差しに照らされた枯れ木。草原は変色して黒い。奥に大きな池が見えるが、水は濁り、光を通しそうもない。
「ここは……?」
「果樹園です」
アーファ様の返答を受けて、私は目の前の木々を見ていく。
幾つかの枯れた木は、幹が折れて空洞になっているものがある。他の木々たちも少し力を加えたら砕けてしまいそうな状態だ。
果樹園と称するにはあまりにも荒廃している。
「ここには精霊を祀る祠があります」
「祠?」
「あれです」
アーファ様は池の縁に設えられた小さな祠を指差す。彼は祠に近付き、その戸を開いてみせた。
中は空だ。
「……精霊の加護を失ったのですね」
アーファ様と父のあいだで交わされた取り決めの内容を、おおよそ察せてしまった。
私はもう一度池の水面を見やり、そして小さな祠を見つめる。
「精霊のレセプタクルはどこにあるのですか?」
「分かりません。二年前、突然、領地内の水源や土壌の状態が悪化し始めました。そうなってようやく、精霊のレセプタクルが無くなっていることに気づいたのです」
「まめにご様子を確認しなかったのですか?」
「この地の精霊は頑固で干渉を嫌います。代々、あまり参らないようにと言いつかっていました」
「大半の精霊は頑固で寂しがり屋ですよ」
自然がもたらす万物には精霊が宿っているとされる。
古くからその土地を好み暮らしている精霊は、土地自体に加護を与える。水源に恵まれ豊かな土壌をもたらすといった恩恵も、精霊の加護の一部だ。
そして形を持たない精霊は、物質に宿ることでこの世に存在感を示す。
そのために選ばれるのが『レセプタクル』と呼ばれる特別な器だ。
レセプタクルとは精霊が気に入った物質のことで、この器は精霊自身でもあり、力を蓄え、他に影響をもたらす仲介的な役割を果たす大切な物である。
「ペレーネ、この土地に精霊はいませんか?」
「いません」
「そうですか……」
「精霊がレセプタクルとしていたのは何ですか?」
「このくらいの大きさのサファイアです」
アーファ様は手で中指ほどの大きさを示す。
「この土地のどこかに居るのなら、新たなレセプタクルを用意し、精霊に戻って頂きたいと考えていました。しかし、居ないとなると――」
「精霊はこの土地に飽きたのかもしれませんね」
身も蓋もない発言をすると、アーファ様は苦悶の表情を浮かべて口元に力を入れる。
精霊は気まぐれなので、そういうことも何十年に一度くらいはある。
『今年は不作だった』と語られる時期がそれだが、大概は一年足らずで戻ってくるものだ。
アーファ様の説明では、すでに二年が経過しているようなので、精霊が戻ってくる可能性は低いだろう。
「それで、私に何を期待されているのですか?」
「精霊を探したいのです。もしくは、加護をくださる精霊が別にいらっしゃったら――」
「途方もない話ですね」
アーファ様の言葉を遮るように告げると、本人もそう思っていたらしく、しゅんと肩を落としてしまう。
(……面倒な話になったわ……)
伯爵領が経済的に苦しくなっていることは聞き及んでいた。しかし、その理由が精霊の加護が失われたせいだとは思いもしなかった。
精霊は信仰の対象であり、目に見えないが実際に存在する存在として人々に認識されている。
唯一、精霊を感じ取ることができるのは、王家の血を継いでいるわずかな者たちだ。
国王陛下もその一人だが、陛下を担ぎ出し、精霊を探してもらうわけにもいかないだろう。
「ようするに、私が精霊を感じることの出来る存在だから、貴方は婚姻を受け入れてくださったのですね」
そう問うと、アーファ様は気まずそうに頷いた。
前当主である彼の実父が資金繰りに奔走していた最中に亡くなり、その直後、領地内でサファイアの鉱山が発見された。
今まで親類縁者を含め振り向きもしなかった者たちが、大きな利権を前に手のひらを返し始め、若くして当主になったアーファ様に群がったという。
アーファ様の婚約者だった方の実家も支援を申し出ていた。彼はその申し出を受け、予定通り彼女と結婚することが、領地や自身にとっても最善だと考えていたようだ。
そこに、我が公爵家が名乗りを上げた。
父は経営の才に長けていて財もある。我が家以上の支援先はいないと誇示すべく、婚約者の女性には別の縁談を用意し、あらゆる件について解決策を提示して外堀を埋めていった。
娘の望みを叶えるついでに、鉱山開発における最大の投資先となり、この婚姻を成立させたのだ。
「私なんかに目をつけられて、幸運なのか不運なのか分かりませんね」
彼はきまりの悪い表情を浮かべて目を逸らす。
「アーファ様。出来る限りの協力はいたしますが、期待はなさらないでください」
「あ、ありがとうございます!」
ずっと苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたくせに、不意にアーファ様は破顔した。
その心底嬉しそうな笑みを見て、なんだか毒気を抜かれたような心地になる。
(ころころと表情の変わる人……)
離縁が叶っても、純潔でない女はあらたな良縁には恵まれないだろう。子を生したら余計にそうだ。実家に戻り余生を過ごすには先の人生が長すぎる。
来年は兄の婚儀も控えている。私なんかがいたら妻となる女性も気まずいはずだ。
(仮面夫婦を目指したほうが楽かもしれないわね……)
恋をしていると思っていたのに、こんな感情になるなんて、私はどこかおかしいのかもしれない。
手入れの行き届いた花壇を抜けると、道を挟む木々が増えて足元に影を落とす。
大地の草は枯れていて、靴裏で踏むたびにザクザクと音を立てた。
そのうちに、視界が開け、広い空が見えた。
まぶしい日差しに照らされた枯れ木。草原は変色して黒い。奥に大きな池が見えるが、水は濁り、光を通しそうもない。
「ここは……?」
「果樹園です」
アーファ様の返答を受けて、私は目の前の木々を見ていく。
幾つかの枯れた木は、幹が折れて空洞になっているものがある。他の木々たちも少し力を加えたら砕けてしまいそうな状態だ。
果樹園と称するにはあまりにも荒廃している。
「ここには精霊を祀る祠があります」
「祠?」
「あれです」
アーファ様は池の縁に設えられた小さな祠を指差す。彼は祠に近付き、その戸を開いてみせた。
中は空だ。
「……精霊の加護を失ったのですね」
アーファ様と父のあいだで交わされた取り決めの内容を、おおよそ察せてしまった。
私はもう一度池の水面を見やり、そして小さな祠を見つめる。
「精霊のレセプタクルはどこにあるのですか?」
「分かりません。二年前、突然、領地内の水源や土壌の状態が悪化し始めました。そうなってようやく、精霊のレセプタクルが無くなっていることに気づいたのです」
「まめにご様子を確認しなかったのですか?」
「この地の精霊は頑固で干渉を嫌います。代々、あまり参らないようにと言いつかっていました」
「大半の精霊は頑固で寂しがり屋ですよ」
自然がもたらす万物には精霊が宿っているとされる。
古くからその土地を好み暮らしている精霊は、土地自体に加護を与える。水源に恵まれ豊かな土壌をもたらすといった恩恵も、精霊の加護の一部だ。
そして形を持たない精霊は、物質に宿ることでこの世に存在感を示す。
そのために選ばれるのが『レセプタクル』と呼ばれる特別な器だ。
レセプタクルとは精霊が気に入った物質のことで、この器は精霊自身でもあり、力を蓄え、他に影響をもたらす仲介的な役割を果たす大切な物である。
「ペレーネ、この土地に精霊はいませんか?」
「いません」
「そうですか……」
「精霊がレセプタクルとしていたのは何ですか?」
「このくらいの大きさのサファイアです」
アーファ様は手で中指ほどの大きさを示す。
「この土地のどこかに居るのなら、新たなレセプタクルを用意し、精霊に戻って頂きたいと考えていました。しかし、居ないとなると――」
「精霊はこの土地に飽きたのかもしれませんね」
身も蓋もない発言をすると、アーファ様は苦悶の表情を浮かべて口元に力を入れる。
精霊は気まぐれなので、そういうことも何十年に一度くらいはある。
『今年は不作だった』と語られる時期がそれだが、大概は一年足らずで戻ってくるものだ。
アーファ様の説明では、すでに二年が経過しているようなので、精霊が戻ってくる可能性は低いだろう。
「それで、私に何を期待されているのですか?」
「精霊を探したいのです。もしくは、加護をくださる精霊が別にいらっしゃったら――」
「途方もない話ですね」
アーファ様の言葉を遮るように告げると、本人もそう思っていたらしく、しゅんと肩を落としてしまう。
(……面倒な話になったわ……)
伯爵領が経済的に苦しくなっていることは聞き及んでいた。しかし、その理由が精霊の加護が失われたせいだとは思いもしなかった。
精霊は信仰の対象であり、目に見えないが実際に存在する存在として人々に認識されている。
唯一、精霊を感じ取ることができるのは、王家の血を継いでいるわずかな者たちだ。
国王陛下もその一人だが、陛下を担ぎ出し、精霊を探してもらうわけにもいかないだろう。
「ようするに、私が精霊を感じることの出来る存在だから、貴方は婚姻を受け入れてくださったのですね」
そう問うと、アーファ様は気まずそうに頷いた。
前当主である彼の実父が資金繰りに奔走していた最中に亡くなり、その直後、領地内でサファイアの鉱山が発見された。
今まで親類縁者を含め振り向きもしなかった者たちが、大きな利権を前に手のひらを返し始め、若くして当主になったアーファ様に群がったという。
アーファ様の婚約者だった方の実家も支援を申し出ていた。彼はその申し出を受け、予定通り彼女と結婚することが、領地や自身にとっても最善だと考えていたようだ。
そこに、我が公爵家が名乗りを上げた。
父は経営の才に長けていて財もある。我が家以上の支援先はいないと誇示すべく、婚約者の女性には別の縁談を用意し、あらゆる件について解決策を提示して外堀を埋めていった。
娘の望みを叶えるついでに、鉱山開発における最大の投資先となり、この婚姻を成立させたのだ。
「私なんかに目をつけられて、幸運なのか不運なのか分かりませんね」
彼はきまりの悪い表情を浮かべて目を逸らす。
「アーファ様。出来る限りの協力はいたしますが、期待はなさらないでください」
「あ、ありがとうございます!」
ずっと苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたくせに、不意にアーファ様は破顔した。
その心底嬉しそうな笑みを見て、なんだか毒気を抜かれたような心地になる。
(ころころと表情の変わる人……)
離縁が叶っても、純潔でない女はあらたな良縁には恵まれないだろう。子を生したら余計にそうだ。実家に戻り余生を過ごすには先の人生が長すぎる。
来年は兄の婚儀も控えている。私なんかがいたら妻となる女性も気まずいはずだ。
(仮面夫婦を目指したほうが楽かもしれないわね……)
恋をしていると思っていたのに、こんな感情になるなんて、私はどこかおかしいのかもしれない。
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