砂漠の女王が愛した星【完結】

藤沢はなび

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本編

隠した願いと想い【後編】

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 アビドが亡くなり、バシーラがエラムへと向かったこの日。

 皆が寝静まった夜、ナジュムを待ちながら、僅かな火が灯る薄暗い祭壇の間で一人、28年間生きてきた自らの人生を振り返っていた。

 ただひたすらに無邪気で何も知らずに生きてきた幼き王女だった頃から、ナジュムと出会い自らの出自に悩みながらも次期女王としての自覚を育てていった王女時代、そして両親を失い、代わりにユリウスが生まれ、孤独の中民の為に、子どもの為に――と生きてきた女王である今まで。

 ――ついこの間まで聞こえていた歓声も、民の笑顔も、ユリウスの眼差しも遥か遠い昔の出来事のように感じた。
 それなのにナジュムと初めて出会った遠いあの日のことや、日々手紙をしたためたことは昨日のことのように感じるのは何故だろうか。

 ソロへの文にも書いたが、私の王としての在位は8年と歴代王に比べて短い。
 王女であった時から国に尽くしていたものの、エプトにシェバが再び支配されれば、私が存在した記録などは跡形もなく消されてしまうだろう。
 寂しいなんてらしくも無いが、私が生きた証を歴史に残して欲しかった。
 無理だろうか。我が儘だろうか。
 こればかりはソロを信じるしかないな。


 そんな想いに耽っていると、静かな足音と共にその声は聞こえた。
「セイル様」
「ああナジュム……来たのか」
 ふいにナジュムがややぎこちない笑みを浮かべながら現れ、私の隣に座ったあと、その手に持っていたまだ手付かずのパンを私に差し出した。
「これを」
「それは――ナジュムのパンでしょう」
 私はナジュムがパンを口にしていなかったのを知っていた。
 そして差し出されたパンをやんわりと押し返しす。
 するとナジュムは少し考える素振りを見せた後、そのパンを半分に分けて「セイル様が食べないのなら、私も食べません」と私の目を見ていつもの笑みを浮かべた。

 フッと思わず私も笑ってしまった。
「仕方ないな」
 その半分のパンを受け取り、祭壇の前2人並んで座り込みながらパンを頬張る。
 確かに味気の無いただのパンだ。
 だが、こんなにも心に染みるパンは初めてだった。

「――ナジュム」
「はい」
「今まで、ありがとう。私は感謝してもしきれない」
 今泣きたいのか笑いたいのか、自分でさえよくわからなかった。
 今まで――というのはもちろん騎士として出会った一月ほど前の頃のことではなく、あの幼き頃から。

 そして、ありがとう――というその言葉は、女王という立場ではない、一人の人間としての本心を伝えていた。

 交わっていく視線が何故か懐かしくて私はそっと微笑んだ。

「……っ。ゴホッゴホッ」
 私を見つめていたナジュムは頬を赤らめ、パンを喉に詰まらせて突然咳をしはじめる。
「だ、大丈夫?」
 その咳が神殿に響き渡り、皆が起きないか焦った私はナジュムの口に手を当てながらも、顔を赤くするナジュムの背中をさすった。
 咳も落ち着いてきた頃「もう……大丈夫?」と心配でその苦しそうな顔を覗き込む。
「ご、ごめんなさい。あの、むせてしまって」
 ナジュムもまた申し訳なさそうに私の目を覗き込んだ時、2人の瞳が合わさる音が聞こえた気がした。

 ――シーンと言う音さえ聞こえそうなほど、静寂が2人だけを包み込む空間。
 ナジュムの瞳は熱を持ち、その端正な顔立ちが吐息が私に近づこうとしていた。そして私はまるでそれが当たり前であるかのように、一瞬は受け入れようと思った。
 だがしかし
 ――だめだ――
 そう我に返った時、私は咄嗟に目を逸らして体を正面に向けていた。


 空を切るナジュムの熱が酷く強く締め付け、呼吸さえも忘れてしまいそうになる。

 私はもう彼の気持ちを知っている。
 ――傷つけてしまっただろうか。
 しかし、彼に希望を……いや、違うな。我ながら醜い言い訳だ。
 私自身に希望を持たせてしまえば、私の運命に覚悟を持てなくなってしまうと、そう感じた想いから避けてしまった。

 私はその想いごと彼に隠したくて、何事も無かったかのように話し始めた。
「ナジュム。変な事を聞いたらごめんなさい。聞いてみたいことがあって」
「は、はい」
「あの、過去を……恨んだことがあるか、聞いてみたくて」

 ――私と出会ったことを後悔していない? 辛くない?

 本当はそう聞きたかった。
 彼はきっと私にさえ出会わなければもっと豊かで、自由な人生が歩めたのではないかと――。
 だがそんな勇気もなかった私は、ナジュムの顔さえ真っ直ぐ見れなかった。

「過去……ですか?」と彼はその質問に目を見開いて驚きながらも答えてくれる。
「そうですね……うん、ありましたよ」
 どこか儚い雰囲気を纏いながら、微笑み俯くナジュムが目の端に映る。
「優しい人なのに――そんなこともあるとは」
「僕は……」
 彼の声が震えているのが分かった時、嫌な予感で胸がざわつき始めた。
「僕は、全然優しくなんかありませんよ。……母を捨てた父を恨んで、僕を捨てた母を恨んで、家庭での居場所を無くさせた兄弟や、使用人を恨んで、恨む自分を恨んで……。もう誰も自分を見てくれないんだ、僕が存在する意味などこの世界にはないんだ、と、ありとあらゆるものを恨んだ時期なんかもありました」

「………な」
 その笑みは小さく震えていて、悲哀さが隠しきれない幾重にも絡まった過去を語るナジュムを見つめた時、私は、ここで初めて彼の抱える感情の大きさを知った。
 そして激しく後悔した――。

 ナジュムは……ずっと誰かの助けを待っていたのかもしれない。そう思った。
 私は、彼の過去を知った気でいただけで、何ひとつとして分かっていなかったのかもしれない。
 縛り付けたくない、ただの少女でいたいからとナジュムの事を考える振りをしながら、自分の都合ばかり思い巡らせていたのかもしれない、と。

 もし私がそんな事は関係ないと、ナジュムを調べて無理やりにでも城に入れて、従僕でもなんでも理由を付けて傍に置く選択をしていたら――。
 ……あの時、身分と名前を明かしていたら。
 ……あの時、素直に想いを伝えていたら。
 もしかしたらナジュムは孤独を味合わずに済んだのではないか。
 ――もし――
 そこから間違っていたとしたら。

 見つけられる立場の私が、勝手に寄り添った気になって、結局何もしてあげられていなかった。
 私は手を差し伸べられる位置にいながら、縛り付けたくない、自由でいて欲しいという愚かな理由で、自らの想いばかりを優先して何もしなかった。
 なぜ気付かなかったのだろうか。
 私はなんで。いつも自分のことばかりだった。

 やっと会えたのではなく、神がしびれを切らして会わせたのだと、そんな出会いだったのかもしれないと今更気付いていく。
 女王という立場を考えれば、私の選択はきっと正しかった。
 ただ、激しく湧き上がる後悔の念は私を一人の女性へと変えていく。

 私は彼に向き直り、強い言葉でこう告げたかった。――ごめんなさい、と。
「……ナジュム、ご――」
「セイル様。でも、聞いてください」
 彼は、小さく揺れる炎の光が差した祭壇を真っ直ぐに見つめながら、今度は優しく微笑んでいた。
 二人の間に置いていた私の冷たい右の掌に、ナジュムの温かい左の掌が重ねられた。
 彼を助けたいのにその温もりに助けられている事が、また無力感と涙を誘い出していく。

「家を憎んで人生を恨んで心根が腐りかけていた時、ただひとつ、セイル様への手紙を綴っている時だけは、優しく勇敢なナジュムで居られたんです。自分が好きな自分で居られたんです。セイル様の知らないところで、僕はセイル様に沢山支えられてきました。……だから騎士になりたいと思えた。だから……この辛い過去が無ければ、セイル様に会えなかったでしょう」
 そう言い終わると、祭壇を見つめていたナジュムの熱い瞳は私に移る。

 しかし私は彼の苦労を受け入れることなど到底出来なかった。
 もしナジュムが辛く苦しい日々を送らずに済む方法があったのなら、私はそれを選択するべきだったと――そう思うのだ。
「そん、な」
「だから僕は今、自分の過去を恨んでいません。僕は今がとても幸せです」

 それなのに、こんな真っ直ぐで誠実な瞳が私に向けられて、幸せだと口にされれば後悔など出来るはずもなかった。

 心根が腐りかけるほどの辛いことがあったと思えないほど、彼は真っ直ぐにひとときも目を逸らさずに迷い無く、優しく私を見つめていた。

 私は、こんな場所で一体何をしているのだろう。
 ふと自分が自分ではなくなる感覚に苛まれていく。

 手を伸ばしたい。触れたい。守りたい。悲しみを取り除いて、もっと話して笑って共に生きて、何でもない穏やかな日々を共に過ごしたい。あなたじゃなきゃ意味が無い。あなたとじゃないと生きていたくない。
 ずっと昔から思い描いていた未来を叶えたい。
 ――何故なら。
 そう答えが出かけた所で、私の心と呼吸は止まる。

 ……違う。我に返らなければ。
 ――彼は私とは違い、生きなければならない。
 私なんかと運命を共にしてはいけない。
 例えそれが愚かで自分勝手な選択だとしても、決して後悔しないと神に誓える。守ると、そう決めたんでしょう。
 今度こそは彼を失わせないと。
 何度でも自分に言い聞かせ、微笑んだ。

「それならば……私も、今を恨むのをやめよう」
 私は今どんな表情を彼に見せているのだろうか。
「……はい。それがいいです」
 重ねられたその掌に力が込められたのが分かった。


 ふと願う。
 その温もりに身を委ねられる人生があれば。
 そして、守られるだけではない。
 その温もりを、温もりで守ることのできる人生があれば。
 もし生まれ変わりが許された時、温もりで、穏やかな愛で、彼を守らせてほしいと、祭壇の前で神に祈った。

 ――だから今は言わせてほしかった。
 どうか女王である私を許してと。そして守り切れなかった私を責めてと。
 運命に対する恐れに俯いた私は、絞り出すようにその声を紡いだ。

「ナジュム」
「はい」
「……辛い、思い、をさせて……ごめんなさい。私が――未熟なばかりに」
 ポタリ、ポタリと頬から贖罪の雫がこぼれ落ちていく。
「えっ? ……な、なにを……そんな事ないですよ!」
 ナジュムは急に嗚咽を漏らしはじめた私に、焦ったように顔を覗き込む。
 そして右掌で、長旅で酷くくすんでしまったその頬を包み込み「何を言ってるんですか」と酷く熱く真剣な眼差しで私の瞳さえをも包み込んだ。

「……もし、私が女王でなければ――」

 震える息で吐き出すように呟いた、あまりにも切実で、本心からの願い。
 今までで守ってきたものに対して、あまりにも傲慢で罪深い願いを、私はついに吐き出してしまった。

「………」
 ナジュムもまた唇を震わせて言葉を失っていた。

 私にナジュムの孤独が分からないように、ナジュムもまた私の孤独が分からない。
 会えなかったのには理由があって、育った景色も見ていた景色も何もかもが違う。
 怖くても微笑み、貶されても慈悲心を持ち、悲しくても強くあらなければならない人生。
 セイルとしての呟きとシェバの女王としての誇りはいつも正反対の所にあった。
 しかし、民を国を愛していることに変わりはないのも私だ。

 お互いに抱えるものの大きさを知った所で、どうにか出来る問題でもない事実がナジュムと私の胸を抉った。


「――っ。そんなこと、ないですよ」
 まるで自分の感情や表情を悟られたくないかのように、ナジュムは私を突然抱き寄せた。
 そして自身の不安を埋めるかのように私の長い髪を何度も撫でる。

「あなたが努力してきたその過程を、知っています。悩んできた過程も、皆に愛された存在であることも知っています」
「………」
「ただ、それでもお立場が辛いのなら、次は僕が変わってセイル様の孤独を知りたい。今はそう思います」

 過去笑い合い、慰め合い、苦しみながらも互いの支えとなったはずの2人が、再び出会えたことに純粋に感動する時さえ与えられず、悲劇と共に今、2人は抱き合いながら涙を流している。
 こんな状況を一体誰が望んだのだろうか。
 こんな報われない状況を、誰が許したのだろうか。

「ナジュム。……私も、いつかあなたの孤独を知りたい」
「……はい」
「でもね、私の孤独など一生知らないで。お願いだから。あなたは知らなくていい」

 ナジュムは何も口にはしなかった。
 ただひたすら強く抱き締め、私の黒髪をそっと撫で続けた。

 泣き疲れたのか、その後私は祭壇の前、そのまま眠りに落ちていた。


 そして私はこの日、この東の街を抜け、イフラス、テラサ、マリク、そしてナジュムを先の比較的安全な街に移したあと、一人で東の街に戻ることを決めた。

 そしてそこでエプト軍に見つかり、ユリウスは既に殺されたと怒り狂った振りをすれば、私の命を代償にユリウスや民を守ることができると――。

 しかし、運命はそう簡単に私の覚悟を聞き入れてはくれなかった。

 4人を先の街に送り届ける前。
 この日の翌朝、この東の街にエプト軍が入ってきたのだった。


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